2011年5月1日日曜日

あれって、親切だったのかな・・・と、東日本大震災




 『山田さん。野菜は好きかのぉ。トマトは好きかのぉ。』
 『ええ。まあ、食べますけど・・・。』
 『じゃぁ、持ってくるかのぉ。』


 私は、アパート南側の木で作った縁台に腰を下ろして、手足の伸びた爪を爪切りで切りながら、のんびりしていました。そんなとき、大家さんがゆっくりと、両手を後ろに組んで歩いてきました。頭を手ぬぐいでほっ被りして、モンペ姿の痩せた小さい体をした、年老いた奥さんです。私の側に立つと、親しげに笑顔を見せました。そして、笑顔で私に尋ねました。毎月、家賃手帳を持って、大家さんの家に家賃を払うとき意外は顔を合わせることがありません。大家さんは、けっこう大きな農家を営んでいます。しばらくすると、大家さんが、清潔な感じのしないブリキ製バケツに、いっぱい野菜を入れて持って来ました。不細工な形の、緑色のキュウリと、赤いトマトです。世間話をしながら、バケツいっぱいの野菜をバケツから取り出し、遠慮なく貰いました。曲がった背中を伸ばしながら、大家さんはいいました。


 『形は悪いが、味には関係ないからのぉ。』
 『はは、そうですねぇ。』


 そして、自分の次男がまだ独身なんだけど、誰かいないかなぁと、謎かけのような話をしていました。次男はテレビを見ては、わはははと、大笑いしているばかりらしいのです。突然、そんな話をされても困るなあと思いながら、頭の中で思い当たる女性の顔を探しました。次男とは、たまに通勤の途中で会釈をしてすれ違います。ちょっと白髪混じりの頭を角刈りにした、背の高い人の良さそうな男です。


 そんな事で、不細工なキュウリとトマトを、家庭用の中性洗剤で洗い、サラダドレシングをかけて、たくさん食べました。そんな日から、どれぐらい経ったでしょう。交通量の多い幹線道路の灰色のアスファルトの歩道を歩いていると、目に付いたものがあります。歩道からは、広々とした畑が見渡せます。でも、なんか歩いている歩道の側に、キュウリとトマトが植えられているのです。それは、食料にする為に植えられているのではなく、違う目的で植えられたような感じです。生い茂った雑草の中の、交差した竹の棒に、萎びた感じでキュウリやトマトの蔦が絡み付いています。夏の強烈な陽射しの下で、車の排気ガスに晒されて、食べたら体に良くないだろうなあ、といった感じです。私が大家さんに、貰ったキュウリ、トマトと、同じ不細工な形をしています。大家さんに、私がもらった野菜って、これですか、と聞かないと本当のところは、分からないのですが・・・。


 東日本大震災で、ゴミのような救援物資を送ってくる人達がいるようです。昔、兄弟から穴の開いたセーターと、使えない電気スタンドを貰ったことがあります。結局、困ってしまって捨てました。青森に引越した、友人が壊れた米びつをあげると云った時もあります。あなたがいらないものは、私もいらない。あなたが、必要ないものは、私も必要が無い。逆に、適切な、心のこもった言葉、親切、仕事って、いつまでも心に残っています。暗い夜空に輝く明星のように。それこそ、本当に宝石のような、大切な宝です。いないですけどね、そんな事を言ってくれる人。

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