2011年5月3日火曜日

ビン・ラディン氏殺害と、スキンヘッド男が持っていた恐怖




 横浜方面から、渋谷方向に走る東急東横線に乗っていました。青色のチェックの半袖シャツを着て、グレーの長ズボンに黒い革靴を履いていました。右手で吊革からぶら下っている白いブラスチック製のわっかを掴んで、見るとはなしに車窓の外にながれる景色を眺めていました。車内には、休日のせいかたくさんの人が乗っていました。そんなとき、私の嗅覚が変な匂いを捉えました。何かが腐っている匂いです。電車の中でこのような匂いを嗅ぐのは初めてでした。何となく振り向くと、胸をはだけた白い半袖ワイシャツに、白い半ズボン、細い茶色のベルトをしめた男が、車両のドアの手すりに背をもたれて反対側のドアを向いて立っていました。



 男の頭は、剃刀で頭髪を剃ったらしく頭の皮膚が全て出ている、スキンヘッドでした。足元を見ると、何も履いていない裸足でした。顔の、こめかみに剃刀で切ったような、小さな赤い傷が斜めにありました。右手には、目を疑うような、白に黒い斑の体をした、死んだ猫を仰向けに抱いていました。猫は、手足を縮めて折りたたみ、目を閉じていて、お腹が少し切れて開いていました。信じられないことに、お腹の切れて開いているところから、目を閉じた猫の赤ちゃんの小さな顔が見えました。男の左手には、草をかるときに使う鎌が握られていました。男の素足の間には、抱いている猫の切れて開いているお腹から落ちたのであろう、白に黒い斑の、目を閉じ尻尾をつけた小さな猫の赤ちゃんが一匹、電車のベージュ色の床にポッツンと有りました。



 頭の中で急速に身の危険を知らせる、恐怖が広がっていくのが分かりました。次の駅でドアが開き強張った体を動かし、急いで、ホームに降りました。硬くなった体で恐々と振り返り、走り去る電車を見送りました。身の安全が確保されたにもかかわらず、なかなか体の緊張が緩んでいかないのが分かりました。頭の中では、混乱している事実を整理しようとしていました。そして、男が何者なのかを思っていました。どこから来て、どこに行くのだろうと。



 ふっと、気が付くと、そこは自由が丘駅でした。高い位置にある自由が丘駅のホームから、真夏の午後の青空の下のビルや家に目を向け、不思議に思っていました。私だけが、危険だと思い、電車を降りたのだろうか、と。何時左手に、持ってている鎌を振り回して襲い掛かって来ても、可笑しくない状態の男に見えました。しばらく、ホームに立っていました。何事もないように、何台かの電車が通り過ぎていきました。電車が通り過ぎる毎に恐怖が遠ざかっていきました。どれぐらい前の事か、日本経済がバブル崩壊に向かって驀進していた時期です。


 ビン・ラディン氏が殺害されました。欧米諸国に恐怖を与えた連続多発テロの首謀者を殺害したことにより、恐怖の原因を取り除いたような意味のニュースが流れました。そして、アメリカの人々が復讐の予感に、不安を感じると。いつの時代も、恐怖を取除く行為が、新たな恐怖を呼んでいます。



 そういえば、誰でも知っている世界的に有名な、イギリスの劇作家シェックスピアは、ジュリアス・シーザー劇で、こんな事を言っていました。



 『ブルータスよ。我々の運命は星めぐりにあるのではない。我々の行いにあるのだ。』



 何かうまくいっていないなぁ、と思ったら、日頃の行いをチェックしてみましょう。


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