2011年4月30日土曜日

孫悟空のような顔になった奥さん




『こんにちは。』
『どうも。こんにちは。』


 ある奥さんが私に、近づいてきて、挨拶をしました。私も、奥さんに挨拶を返しました。しかし、いつも見る奥さんの顔ではありません。私の顔は、びっくりした表情をしていたのでしょう。私が聞かないのに、奥さんが自分の顔について、話を始めました。ここは、川崎にある、ちょっと大きめな、スポーツクラブです。スカッシュボールコートのガラスのドアの前に、腰を下ろして休んでいたのです。いままで、顔を合わせてはいましたが、言葉を交わしたことが無い奥さんです。ふっくらとして、ちょっと大きな体をして、家事をしっかりやるような雰囲気が漂う、人の良さそうな奥さんです。


『運動するのが良くないのよ。汗をかくことが原因だと思うの。』


 この奥さんの旦那さんと、以前スカッシュボールのゲームを良くしました。しかし、私に負けてから、一度も顔を会わせていません。ほんとうに、ぱったりと旦那さんの顔を見なくなってしまいました。別段変な感情を持っているわけではないのですが、この奥さんが私に話しかけてくること自体、変な感じです。そして、旦那さんが、奥さんの顔を見ていったそうです。


 『わあぁ! なんだ、おまえの顔は!』


 彼女の顔は、中国の物語に出てくる孫悟空のような顔になっていました。おでことほっぺたと口の周りが、真っ赤なクレヨンで描いた、あざのように浮き出していたのです。本当にびっくりする顔になっていました。なにか更年期障害の、ひとつの症状だとは思うのですが。


 スポーツクラブの帰り道、灰色のアスファルトの上を歩きながら、考えていました。彼女が、ある奥さんと話しているところを以前見かけたのです。誰にも敬遠されている、奥さんとです。浅黒い顔をして、体の小さな、暇をもてあましている奥さんです。私は、よくないなあと思いました。多分、よからぬ話を聞かされていたのです。怖くなるような、人の悪口や、陰口のような内容だと思います。それが、原因で心の中に猜疑心が産まれてしまったのだと思います。そして、心に留めて於くことが出来ずに、顔に、その症状が表れてしまったのだと思います。でも、現在はなんらかの薬で直るものだとは思います。


 以前、会社の若い女性が、先輩の女性と仲良くなりだした事がありました。当然、若い女性の顔つきや、様子が先輩の女性の顔つきや、様子に似てきました。なんか、ろくでもない顔つきや、様子になりました。朱に交われば赤くなる。本当にそうですね。

洗濯機がなくなちゃたと言う、長い黒髪の女性




 『あの~、すいません・・・。』


 背後から、若い女性の声が聞こえました。振り向くと、肩まで伸ばした長い黒髪の若い女性が、私の後ろに立っていました。赤い2ピースの洋服を着て、色白で目の大きな、モデルのような女性です。何となく驚きながら、彼女を眺めていました。ここは、横浜港北区の綱島にある木造モルタル2階建て安アパートの玄関先です。冬の寒い天気の良い午前中のことでした。玄関横に置いてある洗濯機の中の、洗濯物を取り出していました。


 『あの~。この辺でごそごそ物音がしませんでした・・・。』
 『はあ。どうしたんですか?』


 後から分かったのですが、彼女は私の住んでるアパートの2つ左隣に住んでいる若夫婦の奥さんです。私が?マークの顔をしているので、彼女は話を続けました。


 『なくなちゃった!』
 『・・・何がですか?』
 『洗濯機が無くなっちゃったんです。』
 『ええ!』


 私は、彼女の目が向いている、アパートの玄関先に並んでいる各ドアの洗濯機の方を見ました。確かに、彼女の玄関のドアの横には、洗濯機がありません。彼女が話しを続けました。


 『ちょっと出かけたんです。その間に無くなちゃたんです。洗濯物が入っていて、洗濯しているはずだったんですけど。水も入っていて洗剤もいれてあって、回っているはずだったんです。』
 『いやぁ・・。そんな音はしてませんでしたよ。』
 『そうですかぁ。どうも、すいません。』


 しばらく、お互いの顔を見つめ合っていました。どうしたらいいのか分からないと云った表情をしてから、彼女は自分の部屋のドアに向かって歩いていきました。私の部屋は、道路脇にあり一番盗難に合いやすい場所なのですけど、彼女の家の洗濯機が盗まれました。私の洗濯機は、電気コードが窓の隙間から抜けなかったのだと思います。近くの区役所に出かけていった後の、ちょっとした時間に洗濯機が無くなったらしいのです。洗濯機は、洗濯物を洗濯している最中に、洗濯物と洗濯洗剤が溶けている水も含めて、何者かが黙って持っていったらしいのです。その後、アパートには私が知っているので2回泥棒が出没しました。合計3回です。同じ泥棒だと思いますが、捕まっていません。円高ショック頃の話です。


 東日本大震災に於いて、日本人のモラルの高さに、世界が驚いているとの報道がありました。でも、どこにでも、不正はあります。

2011年4月29日金曜日

堀江貴文さんの2年6ヶ月の実刑と東日本大震災復興




 『でも、厚生労働省の村木局長は100日間以上、無実の罪で逮捕拘留されたんでしょう?』



 インターネット動画の中で堀江貴文さんが、元検察官のゲストに言いました。元検察官二人は、若干強張ったような笑顔で、それなりの返答をして話合いに応じていました。テレビ番組の内容としては、大変面白いシナリオです。危険な感じの検察庁という雰囲気です。そんな中で、元検察官二人を違う面から見た発言がありました。番組はビートたけしのTVタックルです。



 『お二人の話を聞いていると、プライドが邪魔しているんじゃないですか?』



 事実はどうなのか、私達一般庶民には分かりません。新聞、雑誌で書かれている事を読んでも、もうひとつピンときません。それは、遠いパレスチナの地で争っているユダヤ人とパレスチナ人の事のように思えます。パレスチナの争いは、けして生半可なものではないのは承知してはいますが、どうしても遠い地の果てのことのように思えてしまいます。しかし、検察庁もパレスチナも私達がいる同じ世の中にあります。その火の子は、いつ私達に降りかかってくるか分かりません。もちろん、直接ではなく、間接的に降りかかってくるでしょう。警察官の女子大生暴行事件、車が電柱や民家に、正面衝突を起すまでする追跡行為や、石油資源、国際情勢といった違う姿になって現れてくるでしょう。



 昔、東京原宿にテレビカメラが、何台も備え付けられました。そこに、金髪に染めた髪を振り乱してロックバンドでしょうか? 若い男の人達がエレキギターを掻き鳴らして、歌い始めました。その歌の文句はこんなのです。



 『天皇陛下を打ち倒せ。天皇制を打ち壊せ。・・・。』



 アッという間に、大勢の警察官に取り押さえられて、どこかに連れ去られていきました。なんだったのでしょうか? あれは? あっという間のニュースでした。リクルート事件と言うのもありました。テレビ画面に、東京大手町の灰色のアスファルトの上を急ぎ足で歩いているスーツ姿の会社員を呼び止めて、インタビューアーがマイクを突き出して、リクルートの江副さんが逮捕されたことを伝えました。すると、その会社員はびっくりした顔をして応えました。



 『え! どうして。』



 これも良く分かりません。たくさんの政治家の方と関係しているらしいのですが。栃木の渡辺議員はテレビ画面でいいました。



 『法律違反じゃねえぺなぁ。なんでだぁ。』



 そんな事で一般庶民には、何を信じていいのか分かりかねます。確かに、パレスチナの地で十字架にかけられ、脇腹に槍をさされても、自分は神の子であると言うのなら多くの人が信じるでしょう。また、信じないにしても、その大胆不敵を超えている人間の姿勢に畏れ敬れるでしょう。



 今、東日本は地震、津波、原発事故で、なにもかも、破壊されてしまいました。家も仕事も家族も失くしてしまった人達がいます。また、放射能の影響を受けた農作物の出荷停止で、収入を絶たれた人達は何を頼ればいいのでしょう。さらに、前途には放射能という目に見えない驚異が、待ち受けています。こんな中で何を信じて、復興していけばいいのでしょう。自然が与えた試練と呼ぶには、あまりにも言葉にして表現できないものがあります。堀江さんの2年6ヶ月の刑務所生活と、震災地の復興生活も大きな力によるものですけど、大変な違いです。



 そんな事を思いながら、チラっと頭の片隅で、昔一緒に働いたことのある三鷹市久我山にある通信機メーカ社員の声が聞こえます。



 『これ見ると、がんばれるんだ。なにおぉって。』



 彼の灰色のスチール机の上に、パソコンやキーボードと並んで、生まれて間もない女の子の赤ちゃんの無邪気に笑っている写真がありました。写真を見たとき、なるほどなぁ、と納得しました。その女の子の赤ちゃんの笑顔に思わず、笑顔になりました。彼には、信じるられる家族がいたのです。



 菅直人首相が十字架に張り付けになって、脇腹に槍をさされても駄目だろうな~。誰も信じないよなあ。やっぱり、自分を信じるにせよ、しないにせよ自分でやるしかないんだね。そして、何年か過ぎたら、いうんだよね、多分。



 『すごかったね。あれは~。あの復興生活は。ほ~んとまいったよ。信じられないよ。』

ローリングストーズと東日本大震災復興




 『欲求不満だぜ~♪ ・・・・。』



 テレビ画面には、イギリスのロックンローラである、ローリングストーンズのボーカル、ミックジャガーがマイクに向かって腰を曲げ体をひねって歌っています。ひと昔前のアメリカのテレビ番組エドサリバンショウで流された映像を日本のテレビ局が放送しているのです。厚手のスーツを着て、長髪のギタリストとドラマーの演奏に合わせて、歌うミックジャガーです。でも、なんか、忙しげに騒がしく歌うイメージを持っていましたが、そうでもありません。窓際のトットちゃんこと、黒柳敵子さんが、いっしょに出演している司会者とメンバーに言いました。少し前に流された放送です。



 『もっと、ギターなんかジャガジャカと騒がしく鳴らすのかと思ったら、そうでもないのね。』



 ローリングストーンズを日本語に訳すると、転がっる石です。音楽ファンなら、誰もがその名前を知っています。今東日本は瓦礫の山です。たくさんの石ころだらけの道や、生活とも呼べない生活が、石ころのような役にも立たない重苦しい空気のようなものに覆われています。そして、この石ころをどけなければ、人々の生活は始まらないのです。見渡す限りの瓦礫と、廃墟と化した石ころのような役に立たない街になってしまいました。



 しかし、私達の日常の生活で、私達を活性化するものは、この石ころだと思うのです。つまらない事のように見える些細な事が、私達の中の何かを正常にしてくれるのです。顔を洗い、歯を磨き、髭を剃るといった日常の些細な事が重要なのです。部屋を掃除し、窓を磨き、床を掃除する。失敗して、悔しがり、うまくいったと微笑むことが、生活に厚みをましてくれるのです。体を動かし、色々なものに出会い、感情や考えや、心を揺さぶられて、自分が生きていることを感じるのです。些細な事を話合って、互いの存在を認め合うことが人間には必要なのです。



 店先で忙しそうに手足を働いている店員さんの顔は、健康的に輝いています。曇った人々の顔の中に輝いている顔があります。それは、炊事洗濯などの家事を毎日している奥さんなんかです。逆に不健康で不機嫌な人達はあまり顔色が良くありません。いつも、些細な事をつまらない事と考えて、不平不満を訴えて、些細な事をするのをなまけているからです。些細な事、つまらないと思っている、石ころを動かすようなことが、いかに健康に生活に良い刺激となるかを知るべきなのです。お医者さんなんか、これを良く言っています。



 『適度に体を動かさないと。』



 しかし、震災を受け、家も家族も仕事も無くして、意気消沈して、途方に暮れて、うな垂れている人々の顔を見て、このような事を言えるでしょうか。自分の赤ん坊を津波に流され、その赤ん坊がどこにいるかもしれずに、テレビの画面で目に涙を浮かべて悲しんでいる、そんな若いお母さんに言えるでしょうか・・・。震災者の方々にも分かっているのです。ただ、今は悲しみや、戸惑いが暗い雲になって、視界をさえぎっているのです。



 静かに見守って、黙って応援したいと思うのです。心の中で、がんばれよ・・・。そして、今の彼らには、がんばりようが無いのです。


地元のスーパマーケットで働いているパートの奥さんの小さな不正と、東日本大震災復興計画




 『あの~、これ、ちょっと合ってないよ。』
 『はい。これ。』



 惣菜等のちょとした買い物をして、会計のレジを済ませ店を出ようと出口に向かって歩き出しました。黒い皮製の小さな小銭入れをポケットから出して、もらった釣銭を入れようとしました。でも、お釣りの小銭が、なんだか足りません。銅色の10円玉、アルミの1円玉と銀色の100円玉が、何枚か、手の平に乗っているだけです。静かに振り返って、レジのパートの奥さんに、お釣りが足りないことを、戸惑いながら告げました。すると、その奥さん500円玉を、すぐに私の手の中に入れて渡しました。つり銭の金額を確かめる事無く渡したのです。後から考えて分かるのですが、確信犯というやつです。見た目は、どこにでもいる普通の、感じの良さそうな奥さんです。ここは、横浜の綱島街道からちょっと道を1本入った場所に在る、地元の人が経営しているこじんまりとしたスーパーです。



 店を出て、灰色のアスファルトの歩道を家に向かって歩いていました。頭の中は、さっきのお店のつり銭の事をボンヤリと考えていました。何だったんだろうと。間違いによる行為だったのか、それとも故意によるものだったのかと。そして、思い出しました。



 そういえば、この店には透明なプラスチックの板に挟まった紙が天井から鎖でぶら下げてあります。レジで会計するために並ぶと自然に目に付く位置にぶら下っています。紙にはこう書いてありました。



 『つり銭を確かめてください。』



 さきほど、レジに並んでいたときに目にして、なんだろうと思っていたのです。何故このような、張り紙を店の天井からぶら下げているのだろうと。どのような原因で釣銭が違うのか、色々とあると思います。金銭の必要があって不正と分かってするのか、面白半分怖さ半分のスリルを味わうためなのか、単なる勘違いなのかは、当事者に尋ねないと判断は出来ません。当事者が正直に答えるかどうかは別としてです。



 私が中学2年生のとき、教室の教壇に立った若い女性の先生が、大きな声で叫んだことがあります。小柄な背の低い、ちょっと化粧の濃い先生でした。この先生は数学を教えていました。



 『あなた達が勉強するのは、騙されないためなんです。社会に出て、色々な事があります。騙されないように勉強するのです。』



 歴史、数学、その他を勉強する事に意味を見出すことが出来ない年齢です。勉強しろ、勉強しろとの親の声なんかを聞いても、全然受け付ける事ができませんでした。しかし、その言葉は全然抵抗無く耳から体の中に入りました。そして、その若い女性の先生に、なんとなく感謝しました。長い学校生活で初めて、勉強に対する正直で、的を得ている考えを聞かせてくれました。



 不正により、軽く見られたり、なめられるのは耐えられないものです。お金を騙し取られる事もそうですが、自尊心を傷つけられることは、本当につらいものです。



 東日本大震災の義捐金の募金箱が、何度か盗難にあっています。そして、私達には分からない不正も存在しているはずです。福島原子力発電所事故の原因に対して、何度か東京電力の役員が報道カメラに向かって言いました。



 『想定外の津波でした。』



 中学の教室の教壇で叫んだ、あの女の先生はだったら、何と言うかなぁ~。こんな感じかな。



 『事は単純じゃないのは分かります。原子力発電所事故、責任問題、金銭的な賠償問題等多々あります。インデアンの酋長の言葉を持ち出すまでも無く、事は蜘蛛の巣のように複雑に絡み合っています。しかし、色々な不正を考えた、想定外を含んだ震災対応をすることです。震災対応のゴールを明確にすることなのです。震災者、日本や世界の機関や人々が納得する計画と目標を発表することです。ひとつひとつ切り分け、ひとつひとつやることです。』



 でも、無理ですね。永田町の人達、議員さんは、自分達の身の安全しか考えていないもの。小さな党内の駆引きに全身全霊を賭けることに、夢中で我を忘れています。国民の事なんか、考えたこともないでしょう。駆引きに利用できる、カードの一枚でしかないのです。でも、分かるような気もします。党内から、村八分にされたり、議員バッチを外したりしたら、タダの人ですからね。誰にも相手にされなくなくなるのですからね。寂しい人間に、なるのですからね。そして、それが、人間なのです。そう作られているのです。ですから、そんな人間を熟知して、そうなるようにするべきなのです。快適な生活が出来るように、生活を楽しめるように、人生は素晴らしいと実感できるように、彼らに、そうなるように仕向けるのです。国民の生活を、快適に愉快にすれば、自分の議員としての立場が永遠に続くと保障させるのです。出来ると思います。豚もおだてりゃ、木にに登ります。でも、逆におだてられているような気がします。GNP2とか、世界一早いスーパコンピュータとか。

2011年4月28日木曜日

日本人が喪失してしまったもの。




 『これじゃ、しょうがないですよ。こんな安ものじゃ。』
 『ちょ、ちょっと。責任者を呼ん来て下さい。』


 ここは東京目黒区にある山手通りから、ひとつ道を入ったクリーニング屋さんのカウンタの前です。私はクリーニングに出した、幾つかの服を受け取りに来ました。しかし、カウンタの上に置かれた、ビニールの袋に覆われた白いブレザーを見るとハッキリと、けば立っていました。私は、そのことを目の大きな痩せた受付のパートの奥さんに話しました。すると、まるで私がクリーニングに出したブレーザーの服が安物の商品であると決め付けたような話し方をします。あまりにも、人の服や立場など、全然考えない言い方です。普段おとなしい性質の私ですが、自分でも信じられないぐらい腹が立ちました。責任者の男の人が奥の方から顔を出してきました。


 『どうかしたのでしょうか?』


 背が高く、黒っぽい服装をして、ガッチリした体格をしています。そんな彼が、カウンターに出てきて私に問いかけました。あまり、人当たりの良さそうな感じはしません。どっちかというと、新宿の裏通りを歩いていたほうが似合いそうな感じの男の人です。


 『どうしたも、こうしたもないよ。人の服を安物呼ばわりして。見てくれ、これ。けばだってるよ。ええ。』


 責任者の男は、私が指差した白いブレーザーを見ました。そして、後ろで覗き込んでるパートの奥さんを肩越しに、ちょっと振り返って言いました。


 『あっち行って!』


 しばらくの間、わたしの白いブレーザをビニール袋ごと手にとって、見ていました。そして、静かな声で言いました。


 『すいません。もう一度やらせて貰えませんか? なんとかしたいと思います。』


 1週間後ぐらいに、また、クリーニング屋さんのピカピカに光っている黒いカウンターの前に立ちました。パートの奥さんが責任者を呼びました。責任者の男の人が現れて、私の白いブレーザを出して来ました。白いブレーザをカウンタの上に置きながら言いました。


 『けば立っているところは、取りました。どうでしょうか。一応出来るだけのことはしました。』


 見ると、けば立ったところは、綺麗に取れていました。聞くと毛抜きでひとつひとつ取り除いたようなことを云いました。わたしは、その仕事に対する姿勢に何も云うことが出来ずに、静かな感じでひとこと云って、白いブレーザを受け取り帰りの道を歩いていきました。


 『そうですか・・・。どうも・・。』


 今考えると、彼は自分の仕事に忠実に従ったのです。外見からは想像出来ない真面目さで仕事をしたのです。それに比べてパートの奥さんのなんたる無責任さでしょう。言いたい事を言っていました。自給何百円の仕事ですから、人に頭を下げられるかといった感じで、しょうがないとは思います。しかし、お金を払っている、お客にはそんな事は分かりません。これは、随分昔の話で、昭和50年代の話です。


 今、日本はパートやアルバイトで働く人でいっぱいです。右も左もアルバイトやパートの奥さんがいます。これが、良い事なのか、悪い事なのか私には分かりません。無縁社会といいますが、仕事と人も無縁になって行くような気がしています。仕事に忠実に従い、友とした時代は終わったのです。


2011年4月27日水曜日

福島原子力発電所事故と台湾のマンション




 『引越そうとしても、経済的なものが許さないのです。』


 マンションの薄暗いリビングルームの白い壁を背にして立った奥さんが、テレビカメラに斜め気味に体を向けて、なんの感情も示さない口調でいいました。台湾のマンションに異変が起こっていることがニュースになりました。マンションに住んでいる妊娠した妊婦が次々に流産してしまうのです。原因を調べてみると、マンションを建設するために使った鉄鋼材が、老朽化して廃棄処分になった原子力発電所を解体した、廃材だったそうです。鋼材から出ている放射能が原因となって、妊娠した妊婦が流産してしまったのです。原因が分かったあとでも、お金がないためマンションに住み続けなければならない住人の現実をテレビ画面が映していました。このニュースが流れたのは、どれぐらい前だったでしょう。


 福島原子力発電所事故によって、半径20kmが立ち入り禁止になりました。そして、東京電力、原子力安全協会、日本国政府は、放射能の怖さをどれぐらい理解しているのでしょう。台湾のマンションを建設した業者が、原子力発電所の廃材だったことを知っていたのかどうかは分かりません。しかし、その廃材を使用してマンションを建設したら、そういう結果になるだろうと分かっていたら、その廃材は使わなかっただろうと思います。また、廃材を売った業者も、放射能を知っていたのかわ分かりません。あまりにも、無責任な業者ではないでしょうか。その為に、生まれ出る子供の命を死なせ、罪の無い人たちの家庭を破壊してしまいました。


 2年前でしょうか。事故米を海外から仕入れ、日本の食料米に混ぜて販売していた業者がいました。そして、検査する政府機関の検査も名ばかりの検査だったことが発覚してしまいました。事故米の流通経路も、なかなか公表されませんでした。体に有害な残留農薬を含む事故米と知っていて、食料米として流通させてしまったのです。それは、会社の経済的なもの、お金の必要性が優先されてしまった事件です。


 人々が放射能に対する知識を正確に知っていれば、放射能に対する対処の仕方も上手に出来るはずです。だが、ニュース報道で聞いたり見たりする知識では、本当のところは分かりかねます。いままで、安全安全の一点張りだったつけがきたのです。人々も質問をして、正確な情報を知らずに来てしまったのです。ニュース画面の中で枝野官房長官が、落ち着いた口調で言います。


 『いますぐに、体に害を及ぼすものではない。冷静に対応して欲しい。』


 しかし、経済的な保障がないところに、冷静な対応はかなり難しいと過去の事実が語っています。むしろ、政府関係者に、もっと冷静になって考えて欲しいと思うのです。事故米の上っ面だけの検査のようではなく、ちゃんと蓋を取って中身まで見た検査をして欲しいのです。隅々まで、検査して日本国民が放射能の知識を知った上で対処出来るようにです。


 『これで、日本の人達も放射能の怖さを知っただろう。』


 ドイツの報道機関が、ドイツ国内で報道したニュースを、インターネットの動画ニュースで見ました。どうぞ、風評被害に負けない、正確な情報を提供して欲しいと思います。立ち入り禁止区域に何故したのかを、明確にしておかないと無断で入る人達がいるはずです。5年、10年したら、どうなるのでしょう。むしろ、政府の対応そのものを、納得するように見せて欲しいと思うのです。もちろん、日本国政府自身、今回の事故で初めて放射能事故の事実を突きつけられたのです。


 しかし、責任と経済的な立場を除くと、日本国政府や、議員さんも私達と変わらない側面にいると思うのです。ですから、かれらに正直に対応してもらうには、経済的な支払いや責任を上手に交わして上げないと、なかなか難しいところがあると思うのです。

分からない社員や日本国政府と、分かっている部長




 『実は、うまく電話が繋がらないんですよ。ですので、1ヶ月来月ぐらいまで電話を止めて欲しいんです。』
 『いいですよ。別に何でもないですよ。じゃあぁ、止めますね。』



 新しい住まいに引越してきて、電話回線をISDNにしました。1回線で電話とFAXが使えるNTTの通信回線の事です。ですが、ルータを通して電話、FAXを繋ぐ必要があります。しかし、そのルータの設定方法が良くわからなくて戸惑ってしまいました。ヤマハ製のネットボランチという小さな黒いプラスチックの箱に入ったルータです。そんなことで、パソコンをルータに接続して、設定データを入力しないといけないのです。そのために、うまくFAXとインターネットが接続できません。しばらく、勉強してルータの設定をしないといけない感じです。どれぐらい携帯電話の受話器越しに、女性社員と話したでしょう。その為の細かい手続きの内容、電話料金がどうなるのかとか、その後の事をです。すると突然、電話から聞こえる声が変わりました。静かで落ち着いた感じの老齢の男の人の声です。



 『いけませんよ。大切な御電話を止めてしまっては。そんなことをしたら・・・。』



 その男の人は、NTTの、そこの部門の部長であると云っていました。そして、しきりに電話を止めてはいけない理由ともつかない話を続けました。穏やかな話し方ですが、一歩も後に引かない雰囲気と回線を止める理由が全然ない感じを与えます。しばらく、話を聞いていると何時の間にか電話を止める事など全然頭の中で考えていませんでした。そして、ヤマハのネットボランチルータを設定するのに努力が足りないことに気が付きました。



 そうなんですね。彼が部長でいられるのは、いかに自分の仕事が電話回線を接続して利用者に利用してもらうことだと熟知しているのです。一日でも、一時間でも利用して、利用料金をお客からもらうことなのだと。だから、会社も彼に部長の役職と高い給料を払っているんです。たしかに、そうだと思います。1ヶ月の利用料金なんか、たいした金額ではないでしょう。NTTほどの大きな会社から見れば。しかし、1ヶ月が2ヶ月になることもあります。手からこぼれる、わずかなお金をこぼすまいと、全力を挙げて防いだのです。凄い人です。



 私達はどうでしょう。いいやぁ、てな感じで、明日にしたり、今度にしようとしていませんか。私達個人もそうですが、日本の政治なんかでも、よくしています。議論の先送りです。政治関係のニュースでは、議論の先送りなる報道をよく目にします。和を尊重するあまり、解決できないのかもしれません。



 今、日本は解決策を持つ人を待っている感じです。解決できる力と知恵を持つ人は、どこにいるのでしょう。多分身近にいるのだと思います。3人よれば文殊の知恵と言われます。その文殊の知恵を引き出せる人だと思います。それは、あなたのとなりにいる人であり、家族であり、あなた自身だと思います。

佐藤さんと、民主党の政策運営




 『ホットケーキ焼いて頂戴。』



 突然、佐藤さんが私に命令しました。何か不自然で、取って付けたような仕事です。佐藤さんの顔に、変な笑いが浮かんでいます。ここは、東京は山の手線の目黒駅の駅ビル最上階にあるレストランです。若い頃、このレストランでアルバイトをしました。駅ビルの掲示板に張ってある、10cm四方の小さな白い紙に手書きで書いたアルバイト募集を見たのです。翌日、普段着を着てレストランを訪ね、女性店長に私の履歴書を見せました。明日から来て下さいと、採用されました。時給~370円ぐらいだったでしょうか。レストランには厨房、カウンター、ホールと管理事務所があり、カウンターの仕事をしていました。コーヒー、紅茶、チョコレートパフェー、ストロベリーパフェーや、白いバニラアイスクリームーを浮かべた緑色のクリームソーダ水等を作っていました。でも、主に皿洗いが仕事の大半でした。



 佐藤さんは、目の小さいお腹の大きな大きな女性です。たくさんの糖分を取りすぎている、といった風貌です。彼女は何時も言いたいことを言って、好き勝手にふるまっています。随分古くからこのレストランで働いているのです。そして、カウンターの仕事が、彼女の仕事です。重要な仕事は、彼女と中村さんと呼ぶ男のカウンター主任がします。仕入れ、ババロア、ショートケーキ作り、ホットケーキのネタの仕込み等などです。それは、いいのですが、2人ともサーバなるアルミニューム製のアイスクリームをすくう用具を使って作る、マロンパフェーとか特製のパフェーを作るのは苦手です。サンプル通りに作れません。ホットケーキも丸く焼くことが出来ないのです。



 なんとなく不思議に思いながら、まんまるのきつね色にちょっと焦げ目をつけたホットケーキを焼いて、黄色いバターと、黄金色のメープルシロップを添えて、白い皿の上に乗せました。そして、一段高くなっているスチール製の銀色のカウンターの上に置きました。ホールで客の来店を待っている黒ズホンに白いワイシャツと黒の蝶ネクタイをした、痩せて背の高い、若いアルバイトのウエイターに佐藤さんが言いました。



 『ちょっと! これ、店長のところに持っていって。』、



 どうも、お客さんが店長に注文したホットケーキにクレームを言ったらしいのです。それで、私にホットケーキを焼けといったのです。確かに、佐藤さんが焼くホットケーキは小さくて、三角だか、なんだかへんてこな形です。誰も佐藤さんには、いいません。たいしたことないと思っているのです。お客さんからしたら、サンプル通りの品物を持ってきて欲しいのですが・・・また、がっかりするとは思うのです。でも、同じ職場で働く仲間意識のほうが大切ですからね。毎日顔を合わせて働いているのですから。みんな生活の為に仕事をしているんですから。それに、本人も出来ないことを分かっているのです。



 『いやだなぁ。これ、持っていくの・・。』



 赤いスカーフと黒い2ピース制服を着た、可愛い女子大学生アルバイトのウエイトレスに、同じくアルバイトの男のウエイターが困った顔をして小さな声で呟きます。



 『いいのよ。何グラムなんだから。規定で決まってるんだから。』



 佐藤さんの耳に入りました。すかさす佐藤さんの声がウエイターに浴びせかけられます。ぶかっこうで、アイスクリームの量の少ないストロベリーパフェーを持って彼が窓際のお客の方に向かって行きます。



 地方選挙で、民主党はまた、負けたようです。菅直人首相も敗北を認めました。



 『全員野球で。適材適所で。』



 菅直人首相が、民主党代表戦を戦ったとき、このように云いました。悪くないと思います。いいよ。ここまでは。でも、その後少しずつずれていっています。ノーサイド、挙党体制も。政治指導も。なにかうまくいっていません。でも、最初から彼の顔に書いてあったような気がします。『うまくいくわけないじゃない。』 ひょっとしたらなんて、チラと期待も頭のどこかにあったのですが。



 しかし、小沢一郎さんの新人議員を何百人も中国に連れて行って、1人ひとり中国の要人と握手させて写真を取るのもへんてこだと思います。話そのものは悪くないのですけどね、小沢さんは。でも、恐怖政治の様相なのでしょうか。民主党内では。



 技術や法律に詳しいだけでは、うまくいかないものなんですね。逆に心がやさしいだけでもだめですね。タフでなければ生きていけない、やさしくなければ生きていく資格は無い。この文句、ちょっと違うとは思うんですけど、いいたいことに近いです。佐藤さんのように、出来ない人もいますよ。民主党だって、そうです。しょうがないもの。出来ないものは。でも、ちょっと気の強い女性に言われそうです。



 『あんた達が選んだんでしょ。あんた達、国民が。』

2011年4月26日火曜日

可哀そうな日本の家畜と東日本大震災




 『銀行なんか、間接的な人殺しだよ。』



 どれぐらい前でしょう。彼は、私の顔も見ずに、吐き捨てるように云いました。そこは、私の仕事場です。彼は、私の会社の取引先の営業部長です。彼は、昔のタイプの男で、目が細く、鳳眼というのでしょうか。凄く鋭い眼光をしています。以前国際的な機関が、BIS規制を作りました。何か知りませんが、金融機関の資本率の何パーセントを貸し出し資金とする、というようなものらしいのです。それで、金融機関である銀行が貸し渋りを始めたのです。いままで銀行を信用していた、中小企業の経営者は、大変困ってしまいました。にっちもさっちもいかなくて、倒産する企業が相次ぎました。



 『1日に、100人の人が首を吊っている。』



 ニュース画面で亀井静香議員が、叫びました。中小企業の経営者が経営に困って、借金を返せずに自殺するしかなかったのです。考えられるでしょうか。毎日毎日100人の中小企業の経営者が、首を吊っている事実を想像できるでしょうか。しかし、現実らしいのです。営業部長である彼が、借金取りから、逃げ回っている取引先の話をしました。



 東日本大震災により、福島原子力発電所の事故が発生しました。放射能漏れにより、立ち入りを禁止されている地域の家畜たちが死んでいたり、弱っています。何も云えない動物達です。今まで、人様の役に立ってきたのに、このままでは死ぬ運命が待っているだけなのです。ニュース画面では、白と黒の模様をした大きな、乳牛が動けないように狭い鉄格子の間に首を入れていました。こんな、鉄格子に首を入れている牛の姿を、初めて見ました。こんな可哀そうというか、して良いのだろうか、こんな事と、ちょっと、びっくりして驚いています。



 最近、高原性鳥インフルエンザの為に、何万羽のニワトリが殺傷処分にされました。次から次へと。数羽のニワトリが死んで、検査をしたら高原性鳥インフルエンザが検出されたとして。大量殺傷処分に、ちょっといいようのない感情が大丈夫なのかと、微妙に揺れていました。



 秋になると、北海道や日本の川を故郷とする、鮭が戻ってきます。テレビ画面で見ると、美しくない男達が映し出され、川にもどってきた鮭を根こそぎ捕まえます。雌の腹を裂き、オレンジ色の卵を取り出し、そこに雄の腹を手で絞って白い精子を振りかけます。なんか、あまりにも可哀そうなぐらい機械的に、処理されています。世界の大海原を、生死を賭けて戦い、生き抜いて戻ってきた故郷で、このような仕打ちをされるとは。



 どれぐらい前でしょう。小さな年取ったお母さんと、その娘さんに会いました。顔形と体型がそっくりの母娘でした



 『痛い・・・。』
 『だって、しょうがないじゃない。お母さん。』



 夜中にお母さんが、痛い、痛いと云うので、休み前に医者に来たと云うのです。靴を履かせるために、お母さんの体をちょっと、持ち上げたのです。呻くように、痛みを訴えているお母さんでした。話を伺うと、お母さんは93歳だそうです。下北沢で買い物をしていたら、若い娘さんとぶつかって、腰の骨が折れてしまったそうです。若い娘さんが、云ったそうです。



 『気が付かなかった。』



 牛、ニワトリ、鮭に限らないようです。人も、そのように取り扱われているような気がします。東日本大震災の震災者の姿をニュース画面で見ていると、大雑把な取り扱いを受けているように思えます。物資が届き過ぎているところと、全然こないところがあるようです。また、ゴミのような救援物資を送ってくる方もいるようです。



 それは、物言わぬ家畜や、動物、生き物に対する人間の都合だけを考えている仕打ちに、人間が受け取る因果応報では無いでしょうか。そういえば、最近15歳の少年の各臓器が臓器提供者として、手荷物のプラスチックボックスに入れられて、各病院に届けられましたけど・・・。臓器を提供する、あなたの番が、こないことを祈っています・・・。臓器を提供される人々には、申し訳ないのですけど・・。





3匹の子豚と東日本大震災




 『小さな、とても狭い部屋に滞在していました。』


 ちょっと前の事です。テレビ画面の中からアメリカの女優ジュリア・ロバーツが、云いました。若いとき、モデルをしていたそうです。初めて日本に来て滞在先の部屋を思い出しながら、そのときの驚いた表情を見せていました。確かに、日本の家は小さい事で、世界で有名です。フランスの女性首相も、遠慮しながらいいました。日本人の住居はウサギ小屋と・・・。 


 確かに日本の家は肩身の狭い感じで建っています。隣近所に遠慮しているように。日照権とか、言っていますけど。何か違います。いつも、隣近所に遠慮して息を潜めて暮らしている感じです。何故なんでしょう。そして、地震があるからとか、土地が無いとか、資源が無いとか。いつも、そんなことばかりを言っています。海外は貧富の差があって、日本は良い国なんだぁ、と。博物館に置いてあるようなことを云っています。今もあるのかなあぁ。小学校に、二宮金次郎の像なんか・・・。


 東日本大震災後の映像が、インターネットにたくさん流れ始めました。津波の後の街の姿です。粉々になった家々の材木の間を通る道を走る車からの映像。街全体を見渡すような、はるか遠くまで、家や街のなれのはての木材の山が映っていました。


 『復旧ではなく、復興だと。新しい創造だと考えて欲しい。』


 菅直人首相は、インターネットの動画ニュース画面で、云いました。その言葉に、地域の区長さんが応じました。


 『考えそのものは、すばらしい。』


 私が子供の頃、童話の絵本やテレビで、3匹の子豚の物語を何度か見ました。最初の子豚は藁の家を建てました。2番目の子豚は木の家を建てました。そして、最後の子豚はレンガの家を建てました。そして、最後の子豚のレンガの家だけが狼からの攻撃に耐え抜いたのです。


 東日本大震災の後、同じような家が建ったら、何かを思うでしょう。世間様も、世界も、何もいわないとは思います。狭く小さく、生活の質も考えず建てても。でも日本の家はこのようなものなのだと、思ってるのなら。心から、そう思ちゃっているのなら、負けだぁ。


 小さく家を建てちゃったら、考えを切り替え、こう考えましょう。小さくてもいいよね。家族みんなで、幸せに暮らせるなら・・・・・寂しいけど・・・・・。


 今日も朝から、良い天気です。最近雨が降ったせいか、ちょっと肌寒い。空の青さが薄いね。なんか、薄い青だ。



2011年4月23日土曜日

タバコを止める方法 禁煙の方法




 『たばこ! 止めるの、簡単だよ。何回も止めたもの。こうするんだ。』



 そして、煙草吸いの方に、その方法を話すと、笑います。可笑しそうに下を向いて笑います。私は、煙草を高校2年生のときから吸い始め45歳ぐらいまで吸い続けていました。合計27年間煙草を吸い続けてきました。どちらかといえば、煙草に吸われていたほうです。次から次へと煙草に火を付けて、吸っていたチェーンスモーカーでした。ですが、体が年齢により弱ってきたのと、机上の仕事をする為に煙草を吸う事が仕事に悪い影響を与えた為に止めようと考えました。そして、何度も止めました。そして、軽い気持ちでまた、吸いはじめるのです。煙草を止めてからもう7年は経過しています。あのイライラした感情は何だったのか、と今思っています。



 煙草吸いが笑う『煙草を止める方法』とは、次のものです。まず、煙草を吸いたいだけ吸います。そして、これから吸うだろう煙草を煙草の箱から何本か出します。そして、残りの煙草は水に付けてゴミ箱に捨てます。当然、時間が経つと、煙草が吸いたくなります。そうしたら、先程、煙草の箱から出した煙草を口に咥え、ライターで火を付けて遠慮なく吸います。また、時間が経過すると煙草を吸いたくなります。そうしたら、残っている煙草を口に咥えて、遠慮なくライターで火を付け吸うのです。最後の煙草まで、それをやるのです。また、時間の経過とともに、煙草が吸いたくなります。そして、気が付くのです。もう煙草が無いと。そうしたら、煙草屋さんに行って、煙草を買うのです。そして、最初と同じように、吸いたいだけ吸います。そして、何本か煙草を箱から出したら、また、残りの煙草は箱ごと水に付けてゴミ箱に捨ててしまいます。これを何度かやると、自分の中の煙草吸いの習慣が、煙草を吸わない習慣へと変わっていくのです。何度も、吸いたい煙草が無い事に気が付く事が、吸わない習慣になるのか、その本当の理由は分かりません・・・。



 この方法の良い点は煙草への禁断症状を抑えることを無理にしないので、誰でも出来る事です。そして、悪い点は2万円から、3万円の煙草を止める為に、吸わない煙草代が掛かることです。私の場合は、その金額で済みました。その時の1箱の煙草の値段は200~250円ぐらいだったと思います。期間も2週間から1ヶ月の間で、禁煙することができました。

肩こりを治す




 『一日中歩かないと肩こりが治らないんだ。』
 『私だったら、肩が凝るようになったら、仕事を止めるなぁ。』



 仕事を一緒にしている人と、このような話を以前しました。アマチュアプロレスを学生時代していた人でずんぐりした体格をしています。話が好きで、話しながら考えようとする姿勢がありありと分かる方です。そんな彼と仕事をして、どれぐらい話したでしょう。机上の仕事なので、一日中前かがみで作業をしています。姿勢良く仕事をすれば良いのですが、どうしても前かがみで長時間作業をしてしまいます。そんなことで、肩がこります。どうしようもない感じで、肩に力が入ってしまいます。肩こりから、体全体の血行が悪くなり、欝になるような気がします。鬱病で胸を張って生活をしている人を想像できません。大概は、前かがみの姿勢の方を想像してしまいます。



 私の場合、歩く事により完全に肩こりを解消できます。歩く事は姿勢を正しくする筋肉を使います。そのために、体の凝りをやわれげ血行を促進します。肩の凝りも体の一部なので歩行することにより、肩の筋肉も柔らかくなります。歩く事により、肩こりを解消できるのは、姿勢が良くなるからです。もともと人間は姿勢が良いはずなのです。何万年も歩いていた動物ですから、そのようになっているのだと思います。そして、肩が凝るのは、その姿勢が良い法則に背いているからです。



 肩こりを治したいなら歩きましょう。姿勢が良ければ、肩は凝らないはずです。何故なら血行が良いはずだし、肩に力が入らないので、肩の筋肉も凝らないなずだからです。肩が凝るのは、余分な力が肩にかかるからです。その為に肩の筋肉が凝るのです。凝るから、血行が悪くなり耐えられなくなるのです。肩こりは、体からの信号です。姿勢が悪くなっていますよとの信号なのです。姿勢を良くする為に歩きなさい。あるいは、姿勢を良くしなさいとの、体からのお願いなのです。



 確かに、時間がなくて歩く事が出来ないのが現代かもしれません。しかし、どっちにしても、肩こりは姿勢を正しくしなければ直らないのです。そして、日本の国、そのものが、肩が凝るような社会構造なのです。長時間の労働、考えの無い無理な、突撃だけの物事に対する考え。



 世界の競馬関係者が日本の競馬界の事を云っていました。



 『日本は名馬の墓場だ。』



 馬を理解しようとしていないのです。人間、自分の考えだけで、馬を思うようにして、日本に高い金額で輸入された名馬がたくさん死んでいるのです。肩が凝るのは、人間を理解しようと、していないのです。

青空の下の百年に一度の不景気




『なんと青かったことか。』



 子供だった頃、いつも通いなれた狭い路地裏を駆け足で走っていました。現在は無いだろう、けして綺麗とはいえない長屋に挟まれた、細い小道です。そんなある日、やはり駆け足をしながら陽の射さない薄暗い小道から、何となく頭上に顔を向けました。そして目の先の、薄暗い屋根と屋根との間に、驚くほど青く爽やかに晴れ上がった、青空が輝いているのにハッとしました。それは、一瞬の出来事だったと思います。そして、次の瞬間には、何事にもなかったように、力一杯駆け足をしている、痩せた手足をした、小さな体の自分がいました。ちょっと遠くなった、昭和40年頃の、茨城の片田舎での話です。



 アメリカの要人が百年に一度の不景気だと言ってから、どれぐらい不景気が続いているでしょう。頻繁に顔を出していたアメリカの要人グリーンスパン議長です。テレビの画面では見なくなり若いアメリカの要人に代わりました。そんな先の見えない不景気の中で、何気なく見上げた子供の頃の空の青い色を思い出しました。貧しさの中にいて貧困や不正、生活の言葉の意味さえ知らず、そんな事を気にもかけない子供時代でした。まわりの人達はみんな貧しくても、なんか気楽さが漂っていたように感じます。それに、いなかだったせいか、道路はまだアスファルトで舗装されておらず、石ころだらけの砂利道でした。秋には赤とんぼが、嫌と言うほど、道にできた水溜りの上をのどかに飛んでいました。昔の人たちは、そんなまわりが、のんびりした空気なので不景気でも、貧しくても、なんとなく晴れの日がくるのを待っている雰囲気で我慢できたのかもしれません。



 現在の不景気はいつ解消されるのでしょう。なんらかの解決策を講じなければけして不景気は日本からは去らないような気がします。そして、日本国政府からはなんの政策的な考えや声明も聞こえてきません。なにをしているのでしょう。事務処理をしているのでしょうか。私達国民は事務処理を政治家の方におねがいしようとは思っていないのです。事務処理的な仕事は官僚の仕事です。政治家の方達には、もっと日本が希望を持って進んでいけるような考えを話して欲しいと思っています。



 多分、会話が出来ない人達が政治をしているのです。あち見て、こっち見て、こうしようと決めているのです。自分達の頭の中の想像力を使用して問題や、解決策をひねり出すことが出来ないのだと思います。文殊の知恵を使う事を忘れているのです。



 想像力を使う方法を身に付ければ、良いのにと。そうすれば、誰もが納得する答えが出てくるのにと。子供のときに見た晴れ上がった青空を思わせるような・・・。

誰の事を云ってるんだろ。




 『誰の事だろうね。』
 『ほんと、誰の事を云ってるんだろね。』



 アメリカのツインタワー等を目標にした同時多発テロ事件が起こった時期の話です。だから今から、10年位前の事の話です。西暦だと2001年、和暦だと、平成13年です。私と仕事仲間2人で立ち話をしていました。そこは、東京は田町にある国の重要機関の仕事を請け負っているビルの中です。グレーのデスクが並んでいる大きな部屋を出て昼食に向かう途中の事です。日本の経済紙の記事のひとつに、ある年代の年収の金額が書かれていました。その記事の内容について、2人で不思議と、ちょっとした驚きを表現しながら言葉を交わしたのです。



 会社は違いますが、同じ職場で働いている私達です。彼は私より年上で56歳です。私は46歳でした。彼の会社は日本でも、指折り数える事の出来る会社です。普通の人であれば、誰もが聞いたことのある社名です。そんな会社の社員である彼が、勤続10年の記念にもらった高価そうな、腕時計をした左手首に絡まる長めの腕時計のベルトを右手で触りながら云います。



 『なんだろうね。一体。』



 何かが違うのは、わかるのですが、何故違っているのかが分からないと云った感じです。勝手に自己解釈で記事を書いているのでしょうか。随分昔ですが、新聞は嘘を書くと、当時の首相が云った事があります。そして、テレビの画面には、新聞記者が、その発言に怒って、新聞記者の席には誰も座っていない椅子だけが映し出されました。私の高校時代の野球の監督をしていた先生も、同じような言った事があります。



『凄いね、先生。今朝の新聞を見ましたよ。』



 生徒の1人が、大きな声で朝の新聞の記事を読んできたことを先生に嬉しそうに云いました。夏の甲子園を目指す高校野球の記事を云っているのです。



 『俺のところには、新聞記者は来てないんだよ。そんな事云った覚えも無いんだよ。電話もないし。』



 そう、先生は生徒の問いに、面白可笑しそうな、不思議な顔を傾けて云いました。



 その当時の私は、新聞会社の実態や社会の仕組みを知らないので、何を言っているのか分かりませんでした。現在、東日本大震災が起こり、震災者を救うべく日本国政府は大変な努力をしていると思っています。ですが、地域町村の実態は日本国政府に援助を求めても、救援物資が届かずに苦しんだ末に、インターネットに動画を流して世界中に援助を求めています。



 どうなっているんでしょ。日本国政府、地域管轄機関、報道機関が何をしているのか分かりません。勝手な解釈で、自己満足している感じです。日本全体が誰にも責任を問えない状態なのでしょうか。国の防衛はアメリカにたより、子供の世話は、子供手当を当てにする・・・、ですが、民主党が子供手当を当てにして選挙戦をしているのです。子供なんて関係ないよ、選挙の為のラベルだよ、と。まさに、子供、国民等関係ない、無縁社会のような雰囲気です。



2011年4月22日金曜日

ラジオの相談




 『何も云うことは、ないですね。あなたは、満足しているんでしょ。』
 『でも、自分はこれでいいとは思っていないんです。この生活で。』

 『家賃も払えて、生活も充分出来るんでしょ。』
 『そうなんですけど。他の人は家族がいて、子供もいます。そんな人達を見ると、自分もそのように。』

 ラジオの相談室なる番組を聞いていました。一人の50歳代の男の人が生活保護を受けて生活をしているのだそうです。ですが、その生活に満足していないのだそうです。なにか、こうしたいと思うことのやる気が自分には欠如しているんだそうです。その原因は幼児時代の影響を受けているらしいとの相談らしいのです。母親が小さいときに亡くなってしまって、そのときの環境が自分に悪い影響をあたえてるらしい、と云っているのです。どうしたらいいんでしょう、と。

 『でも、あなたには自分は社会の為に役に立つ人間になりたいとか、人の役に立つ人間になりたいという考えがないのですよね。だったらそれでいいじゃないですか。あなたには、何もいうことはないですね。普通はスポーツでもなんでも、こんな風になりたいと目指しているのに、あなたにはそんな考えが無いですもの。』

 そんなことでラジオの女性の相談係は、その男の人の相談に対する回答を終了してしまいました。なんとなく、わかるような気がしました。原因を昔の幼児体験に終始して、現在の生活保護の生活で何不自由なく暮らしている。そして、他の人達を生活を見て自分もそうなりたいと思っている。しかし、自分には、その意欲がないと思っている。

 色々な人や、環境が、私達の周りにはあります。何が良いのか悪いのか。つい最近の事では、最高検察庁の前田主任検事は、無実の人を勝手な解釈で逮捕拘留を100日間してしまいました。自分勝手な調書を書き、証拠品のフロッピーデイスクも書き換えてしまいました。それは、厚生労働省の局長という地位にいる人の事なので、明るみに出たのだと思います。下々の人達だったら、けして陽の目はなかったかもしれません。あるいは、厚生労働省の局長という地位にいたからことターゲットにされたのかもしれません。その後でも、検察庁の不祥事は続きました。警察官が書いた調書を都合で書き換えさせたりしました。

 こんな事が多発しています。警察官が車を追跡して、その車が電柱や壁、民家に正面衝突して車を運転していたドライバーが死んでしまう事故です。何度も何度も起こっています。

 『適正な業務遂行だった。』

 幾度、このような警察署から声明を聞いたでしょう。逃走している車のナンバーを控える等、色々と手立てを考えて、安全を図ってから、それなりの処置をこうじれば問題は避けられたと思うのです。これからも、同じような事故が起こるでしょう。なにが正しいことなのでしょう。

 相談した男の人、相談を受けた女性の相談係の人も、何が正しい言分なのでしょ。


日本の人たちも負けていない・・


 『お願いします。本当にお願いします。』



 インタネットの動画ニュースの画面で、後ろ姿の男性が菅首相に頭を下げて、大きな声で言っていました。それぐらい、困っているのです。限界を超えた、被災地の人達の生活を訴えたのです。菅首相も苦笑いのような曖昧な笑顔で応じます。画面の中は、中学校か高校の天井の高い広々とした大きな体育館の中です。人々が体育館の壁際に茶色のダンボールを立てかけて、小さな部屋ともいえない囲いのなかで布団を敷いて休んでいます。



『そんな、通り過ぎてしまうんですか? 首相が来るのを待っていたんですよ。』
『いや。そんなつもりでは、ないんです。』



 ニュース画面のテロップには菅首相の訪問は30分の予定だそうです、と流れました。菅首相が帰るとき黙って通り過ぎようとしたらしいのです。先程窮状を訴えた男性とは別の奥さんと、男の人が困ったように言い放ちました。それに応えて戻ってきた首相です。



 『やってる。やってるって云っている国会の人達を、ここにつれて来て生活して見てください。』
 『いや。その・・・。』



 菅首相も、どうしていいか分からない表情で困りはてた感じです。



 アジアやアラブ、欧米では、人々が拳を振り回して口々に民主化や、苦情を訴えて叫んでいます。そんな中、日本の人々は今まで、何を思っていたのでしょう。今東日本大震災に遭遇した震災者は、彼らと同じ境遇です。明日をも知れない不安な生活です。何も云わなければ、一時的な防災服のパフォーマンスを終えて、背広姿に着替えて落ち着いた顔になってしまう国会議員達を見たら当然だと思います。昔、日本がアメリカと戦争して戦争を終え、誰もが空腹で苦しんでいたとき、赤ん坊を持つお母さんが街の中に張り紙を張ったそうです。



 『朕はお腹いっぱいたべてるぞ。』



 日本国の象徴となった昭和天皇は、母親の胸の上で赤ん坊がお腹を空かして大きな泣き声を上げていようがなんだろうが、食べ物には困らないとのことだという張り紙らしいのです。昔の人は言葉を口に出す事が出来なくて、張り紙に書きました。また、何かの悪さをする力を恐れて紙に書いたのかもしれません。現在でも、一般庶民に対する抑圧的な、そのような力は存在しています。親が子供に、話し方や内容で接するのではなく、拳や嫌がらせによる力で従わせるものは、しかたがないとしてもです。



 会話を妨げたり、本来の希望に通じる考えを反らせたりするテレビ番組があることを知りましょう。考えましょう。そして、資源が無いから、アジアの貧しい国よりとか、日本は本当に良い国なんだからとか、ちゃんとした理由もなく会話の妨げになる事を言う人たちに言いましょう。まだまだですよ、と。



2011年4月16日土曜日

パリダカールと東海沖大地震




 それは、いつの事だったでしょう。


 日本経済が絶好調で、世界中のお金が日本に集まってきたバブル経済真っ最中のことでした。あるテレビ局がある番組を放送しました。フランスの首都であるパリをスタートして、アフリカはセネガルのダカールを目指して、車、オートバイが競争するラリーでした。たくさんの国から参加したオードバイや車に乗ったドライバーが、泥、砂、埃まみれになって街や砂漠を砂塵を舞い上げて、何日何日も走りに走りぬくといった内容でした。


 夕暮れのなか、疲れ渇き、お腹ペコペコのドライバーを、その日に辿り着くであろう分岐点に設営した基地に、笑顔のスタッフとフランス人のシェフが待ている、といったものでした。新鮮な緑色のレタスをベースに刻んだ赤いトマトや、色々な野菜のサラダにドレッシング、冷えた缶ビール、透明なガラスのワイングラスには赤ワインがそそがれ、焼きたてのステーキやチキンとパンや焼き飯といった御馳走が、ドライバーが手に持っている白い皿に盛られていくという映像でした。泥だらけの顔や頭髪、体の汚れをはらい、ゆっくりと体を伸ばして椅子に座り、テーブルの上の御馳走に舌鼓を打ち、飲み、笑顔でうなずき言葉を交わす。そして、明日も朝からダカールへの道なき道を、車も人もほこりにまみれて走るのです。そんな誰が見ても納得できるような番組でした。


 そんなパリダカールラリーを真似して、日本の番組が作ったレースがありました。日本人が車やバイクでアジアのどこかの街を走るといったものでした。その日の終わりでは、眼鏡をかけた痩せた日本の若者が味噌汁と御飯を立ち食いしている映像でした。制作費の関係でしょうが、パリダカールラリーと比較することも出来ない内容の無いものでした。なんか、もっと、肉じゃがとか秋刀魚定食とか、もっとこう、なんていうか。力の出るような、一日の終わりを迎えるにふさわしい食べ物を用意できなかったのかと思いました。質実剛健とか、寝れば一畳立てば半畳じゃないか。とか。違うんだよねえ。何か。なんかみみちくてかっこわるんだよね。かっこわるいのはいいんだよね。かっこいい人もいるし悪い人もいるってことで。みみっちときもあるよ。そりゃ人なんだからね、でも、なんか、人として間違ってるっていうより、どっか違うような気がするんだよね。


 日本のバブル経済に於いて、日本の国民には幸せな顔を見ることはできませんでした。疲れた顔、顔ばかりでした。それは、日本に集まった世界のお金は絵に書いた餅、張りぼてみたいなものではなかったでしょうか。見せ掛けばかりの日本経済でした。


 『ほんとうにありがたいことです。他の震災者の方達の事を考えたら。もう。』


 背中を丸めた、東海沖大地震の震災者の一人の奥さんが、全国からの援助に対して、テレビ画面で弱弱しい笑顔を見せながら、言いました。素朴な感じの奥さんです。震災でなくなられた方や家族をなくした方の心境をおもえば。家も、仕事も、何もかも無くしてしまった人達のことを思えば。未だに行方不明の人達を思えば、なにが言えるでしょう。


 政府も大変な努力はしているのでしょう。しかし、まだまだ、一部の人達だけで、援助が届かない人達がいるようです。確かに部分部分は良いのですが、全体的とか、組織的となると何か足らないような気がするのです。システマッチックに考える事が出来ないような気がするのです。酒に飲まれる人、タバコに吸われてしまう人のような気がするのです。遊びに遊ばれて、仕事に使われてしまう人のような気がするのです。震災にあおられ自粛の中で明日に進めなくなってしまう人になってしまうような気がするのです。日本人としてはいいんだけど、人間としてはどうなんだ。人としては。そんな感じなのです。


 がんばれ、日本。世界中の国が応援してくれています。ひとつ前に進みましょう。疲れたら休みましょう。その先には、良い事がたくさん待っていますよ。そして、喜べる日が来ますよ。人が人である事を。やればいいんだからね。今出来ることを。



2011年4月14日木曜日

男の義務とは






 『どうしてなんですか? 首相の位置にしがみつく理由は? 首相がいることが国民に取って不安材料になっているんです。』


 『阿比留さんとは、見解が違う。』


 動画のニュースの中で管直人首相と阿比留記者とのやりとりでした。地震、津波、原子力電力事故、世界経済の活動地図変更による不景気、閉塞感、政治的空白が日本列島を覆っています。こんな中で重責を担っている管直人首相です。うまく行っていないようです。民主党内部でも、争っています。そんな中で、地方選挙がおこなわれ、民主党は惨敗でした。いままで一度も民主党は勝っていないようです。惨敗に次ぐ惨敗です。そんな中で、人は普通の状態でいられるでしょうか。


 いられると思います。家族を守る事が男として第一の義務なのだと思います。家族を守ろうとする意思が人を奮い立たせるのだと思います。誰も、家族を守ろうとする人の行動を否定することはできないでしょう。自分の家族のみに思いが留まっていてもです。


 なんとか適切な行動を取ってもらいたいと思います。国難と呼ぶ状態に対して、具体的な行動と良い考えを頭の中で考えてほしいと思います。右のものを左にのような事ではなく、うん。これならいいだろうと言った考えを聞かせてほしいものです。


 難しいと思います。会話の無い国民には。もう限界にきているのかもしれません。欧米を見て真似ることの考えや行動様式は。それが、ひたひたと押し寄せているのが、現在の日本です。


 建設的な会話を始めるには、何度も争いが起きるでしょう。そして、飽きることなくそれを繰り返すでしょう。何度も、何度も。

2011年4月13日水曜日

東京都知事選挙






 『誰がやっても同じだよ。変わらないよ。日本は。』


 何度この言葉を耳にしたでしょう。国難と言われる現在、まさかと思いましたが、でも耳にしました。1ヶ月前の事でしょうか? 会社の人ですが、ちょっと居合わせたので言葉を交わしました。日に焼けた顔をして、私の顔を見ることなく、タバコの白い煙を口から吐き出しながら、同じ事を言いました。


 石原慎太郎さんが東京都知事に選ばれました。東京都知事選挙の投票率が52%位でした、とインタネットの動画ニュースが言っていました。東京都民の約半数の人が選挙に行かなかったのです。いかに東京都民が東京都民を代表する人を認めていないかの証です。人が人を認めていないのです。人間らしさを持った人、人を代表する資格を持った人がいないとの事なのかもしれません。また、大都会東京のコンクリートジャングルのなかで、突っつきあっている人達は、人の言うことを、信じられないのかのしれません。それは、そうとしても、国民と日本政府との関係も同じです。いかに国民と日本国との関係が離れているか。国難、国難との言葉が耳に入ってきますが、どうしようもない感じです。そういえば、無縁社会なる言葉をラジオで耳にしたのは、いつだったか。


 あるいは、人の世は天下泰平なのかもしれません。

 
 良い天気です。何かおぼろげな感じですが、雲ひとつない青い空です。窓から見える桜の木も空に下でピンク色の花をも咲かせています。なにごとも無い様に。

日本人の第一歩




『7時37分終了となっています。』



 インターネットの動画ニュースで厚生労働省の記者会見を見ました。沢山のマイクの前で眼鏡をかけた若い男性が、静かにはっきりとした声で言いました。なにやら、脳死を判定された15歳の男の子が、心臓や肝臓等の臓器を、何人かの患者に提供することになったのです。本人の意思とは関係なく家族の承諾で決まったのです。後には、脳死判定に対する第一歩だと、新たなスタートだと思えるような言葉を、マイクに向かって言いました。



 最近ですが、東京は港区で若い海外のお母さんと小さな娘さんの会話を耳にしました。お母さんは、金髪で感じの良い雰囲気を持っていました。娘さんは小学校1年生ぐらいでしょうか? 頭髪はやはり金髪ですが、金色というよりも白っぽい感じの金髪でした。二人の会話は、お母さんが説明し、娘が軽くあいずちの声を出すような感じでした。時折、娘の質問にお母さんが詳しく説明するような感じです。



『○×△、なんとかなんとか。』
『フンフン。』



 親子の関係、会話が、よく取れています。そんな感じです。



 そんな海外のお母さんと娘を見た日からどれぐらの日が過ぎたでしょう。東京は世田谷区にある世田谷通りを車で走っていました。娘を抱きかかえた日本のお母さんを見ました。なにやら急いでいるらしいのです。胸に抱きかかえられた子供はいくつぐらいでしょう。小学生1年ぐらいでしょうか? 泣いています。声をあげて。そんな子供の顔を、お母さんが何度も平手でおもいっきり叩いています。泣き止まない子に怒りを爆発させています。お母さんと目が合いました。そうなんですね。日本では、子供は自分のものだと言う様な意識が大半なのです。関係ないだろ、あんたと家の子とは、といった感じの目です。



 『ギャー。ビエー。』



 脳死の子を面倒見ることはなかなか出来ないでしょう。難しいと思います。経済的にも肉体的にも。心の面でも難しいと思います。ちょっと前に政治家の方が言っていることです。『命を大切にする政治。』、『最小不幸社会。』等。なんか、なにやら心が納得することが出来ない社会になりそうです。日本の社会は・・・・。怖い感じがします。自分の子になにしようと関係ないだろ、っとの日本の両親の考えもそうですが、そんな両親から育てられた人々が運営する閉ざされた機関からの突然の声明です。



 この東京でも、東海沖大地震の余震が昨日今日と続いています。動画ニュースサイトから見る政治家の方の顔を見ると一段落したような表情です。服装も防災服から、いつもの背広姿に変わりました。でも、被災地、また日本は大変そうです。大丈夫なのでしょうか? 大丈夫では無いと思います。日本の国民の一人ひとりが考え行動するまでは。右向け右で、右を向いてしまっては、駄目だと思います。よく世の中を見渡しましょう。


2011年4月8日金曜日

ウサギ小屋の中にいる日本人がなにをしているか?




『ゴット~ン!』


 また始まったか。


『カッラ~ン! ゴロゴロ~。』


 そうです。始まったのです。何が面白くないのか、わかりません。部屋の点灯を消灯し、ベッドに体を横にすると上に住んでいる住人が、騒音を発生させるのです。


 以前、警察官にも出動してもらいました。上の階の住人に尋ねました。


 『分けをしりたいんですよ。何故なんですかね?』

 『もう、遅いので。』


 深夜に騒音を発生させて、遅いも何もないもんだなと思いましたが、物事には流れがあります。何度も何度も上の住人のドアの横のチャイムをならして、話をしたいとチャイムのマイクに話しかけました。すると、奥さんでしょう。今はいないのでとか、さああとか、要領を得ません。日曜にたずねても同じでした。


 『分かりました。110番に連絡します。』


 警察官がきました。パトカーが赤の点滅をして止まりました。


 『ちょっと、あなたは離れて下さい。相手が怖がりますから。』
 『顔を見たんですよ。どんな顔をしているのか。』


 なるほど、普通の人の顔です。たぶん奥さんが騒音を出しているのです。尋ねたとき彼は言いました。


 『トントンという音ですが? それともドンドンという音ですか? 実はうちもやられてるんですよ。』


 これが、日本人らしいです。みみっちい。なさけない。なんといおうと、こんなことをしているのが、日本人なのです。そして、騒音の後で、今夜は凄い横揺れがありました。この間の東海沖大地震の余震だと思います。天災、災難の間でも、つまらない事を考えて、つまらない事をしている人間。日本人の面汚しもいるとは思いますが、確かに、どこにでもいますね。


 幸福感を持つ1番の国民は、デンマークの人々だとニュースで見たことがあります。日本人は何番なのでしょう。


 東北沖大震災の被災者に心から御悔み、お見舞い申し上げます。しかし、家も、家族も、仕事も無くしてしまった人々になんと言えばいいんでしょう。察するに余りあります。


 目も見えず、耳も聞こえず、話す事も出来なかった、ヘレンケラーが伝記の中で書いていました。人はひとつのドアが閉まると、閉まったドアの方ばかり見ている。でも、ひとつのドアが閉まると、必ず違うドアが開くと。そして人々は開いているドアを見ようとはしないと、いっています。


 新しい今日、震災に強い街、家、考えを作りましょう。確かな生活をしましょう。上の住人のような、みみちい人達になんと言おうと駄目だとは、思うんですけど・・・・・・・・・・。


 義援金等がどのように使われたのかを誰にも公開して欲しいと思います。どこに集められたのか、どのようなものに使われたのかの詳細をです。そして、震災復興したとの最後とは、何かを明確に示して欲しいと思います。何を持って復興したと考えるのかをです。始まりと終わりを明確にする事が、次の震災に備えることの一歩だと思うのです。