2009年3月31日火曜日

冷やしたごと




 『そば下さい。』

 
 右手に持った、小さな肌色の食券をカウンタの上に、置きながら私は言いました。ここは、東京の茅場町にある、タイヤモンドビルと呼ぶ建物の中にある食堂です。昼食を食べにきたのです。


 『そばね。』


 白い頭巾を被り、前掛けを大きな腰に締めた、食堂の蕎麦・うどんコーナーの店員のおばさんが返答してくれました。


 『そう。かけそば下さい。』


 店員のおばさんの顔を見ながら、応える私。


 『そばですね。』


 再度、注文を確認をする店員のおばさん。食券には、そばとうどんと記入してあり、どちらかを注文時に選択することになっていました。


 『そう。かけそば。』


 顔を斜めに傾げて、食券を見ている、店員のおばさんの顔を見ながら、応える私でした。


 しばらくの間、カウンタの前に立って、待っていました。おばさんが、持って来たのはうどんでした。鏡のような銀色のスチール製のカウンターの上に、出された、茶色のプラスチック製どんぶり容器に入った、黒いつゆと、白いかけうどんを見つめました。おばさんの勘違いだ。あんなに何度も聞き返し、念を押して出てきたのは、間違った品物だ。しょうがないなあ。かけそばに、青ねぎの刻みをたくさん入れて食べたかったのに。


 新玉川線の駅のひとつに、池尻大橋駅があります。渋谷から、ひとつ目の駅です。その池尻大橋駅のそばに、蕎麦屋さんがあります。昔、仕事先が近所にあり、昼食、夕食時間によく利用しました。


 『御注文が決まりましたら、お呼びください。』


 店員のおばさんが、お茶を持ってきてテーブルに置いてくれます。


 『冷やしたごと、下さい。』


  注文は店に入る前から決めていたので、そう言った。


 『それでね、テンカスを入れないで欲しいんですよ。』


 私は、店員のおばさんの顔を見ながら言った。冷やし田子は、きしめんなのです。緑色のキューリや、赤いトマトを刻んだ、野菜が入った、冷たいつけめんのような麺なのです。夏の暑い日には、冷たい食感と、美味しいので良く食べました。しかし、天ぷらカスが入っているのです。それを、入れないように注文したのです。


 『テンカスを、入れないんですね。』


 店員のおばさんが、私の顔を見て言います。


 『そう。いれないで欲しいんです。』


 店員のおばさんの顔を見て、私も応えました。 おばさんが、戻ってきて言いました。


 『テンカスを、入れないんですね。』


 私も言いました。


 『そう。入れないで、欲しいんです。』


 しばらくして、私の座っている、木目のテーブルに背の低い、冷やし田子が入っている容器が置かれました。その冷やし田子を、見つめました。その中には、テンカスが、山盛りに入っていました。やれやれ、勘違いしている。入れないでって言ったのに。


 『おねえさん! テンカスを入れないでって、言ったの。』


 私は、店員のおばさんに苦情をいいました。


 『ええ! そうだったの。じゃ、取りますよ。』


 店員のおばさんは、言いました。


 『いいです。これで。』


 私は、応えました。そして、冷やしたごとを食べました。


 政治の世界も、このような感じを受けます。国民が、望んでいる事を、勘違いしていませんか。ひと昔前の政治ポスターが、街中に張られていました。ポスターの文句は、こんなのです。


 『なにない党がやる。』 
 『ひたむきに。』
 『強い日本にする。』


 何をやるんだろうと、思いました。また、何をひたむきにやるんだろうと。強い日本にして、どうするんだろう。国民が願っているのは、国民の生活ではないでしょうか。快適な生活です。テレビの中の政治家や、評論家が、お話をしていますが、いつも、ちょっと違うなあと思います。勘違いしてないのかなぁ~。





お茶だと思うんですね。日本人は。

2009年3月28日土曜日

寂しい事実




 『面白いからやった。』

 何時ごろのニュースでしょうか。ここ1年内のニュースだと思います。茨城県の千羽湖で白鳥や黒鳥を棍棒で何羽も撲殺した少年のニュースがありました。少年に事情を聞いたところ、向かってくるのを面白いから撲殺したとの理由でした。そして、それ以上の細かい事実は語られていませんでした。以下にも、悪い子であるようなニュースの語り口でした。残酷で寂しい、どうしようもない事件のようです。

 少年はどのような環境で育ったのでしょう。両親はいたのでしょうか。両親に認められていたのでしょうか。少年は自分のした事を大人になったときにどのように解釈するのでしょうか。

 私の少年時代にも、色々な少年がいました。そして、幸せな少年は大概裕福な家庭に育っていたと覚えています。楽しそうな雰囲気、幸せそうな雰囲気を身に付けていました。それに反して孤独で寂しいく、乱暴な少年が多かったのを記憶しています。両親に認められていないのです。両親はまた、社会から正当な扱いを受けていないのだと思います。

 あまりにも、事実とかけ離れた解釈が多すぎるような気がします。商売をしたことのない人の経営戦力本、子供のいない先生の子供への教育、その道の事実を調査することも出来ない専門家などです。 金儲けさえ出来れば、法律に違反しなければというような事をしていないでしょうか。いじめや悪さもばれなければいい、そんな風潮がないでしょうか。新聞、雑誌のニュースはどうでしょうか。 売るためのニュースに徹底していないでしょうか。

 私達は事実を認識しているはずです。感じているはずです。それを言葉にしていないのです。話して、世の中に知らせていないのです。何故でしょう。

 誰にもあいてにされず、気にもかけてくれない。そんな子供でも、いつか、青い空や、おてんとうさまがやさしく笑って見ていることに気が付きます。

2009年3月25日水曜日

やる気が出ないんですよ。




 『おもわぬ人生相談の場面に出会いました。』


 HNK放送のテレビ画面から、そのようなアナウンサーの言葉が流れてきました。とある浅草の蕎麦屋さんの店のテーブルでカツ丼を食べながらテレビを見ていました。何やら、NHKの放送陣が御老体の小説家のインタビューに出向いたらしいのです。ですが、そこには御老体の小説家を師匠と仰ぐ有名な小説家の方が対面して相談していたのです。その小説家の方ですか。良くウイスキーのコマーシャルに出ていました。


『先生の時代の時は戦争も終わって色々と活気があったでしょう。』
『やれば良いんだよお。』
『やる気が出ないいんですよ。』
『だから、やれば良いんだよお。』
『でも、やる気が出ないんですよ。』


 テレビの画面には、やっぱり蕎麦屋さんのような飲食店のテーブルに座って話し合っている2人の姿と会話を放送していました。バブル時期に放送されたものです。私も、彼の言っていることが分かります。動機が、意欲が湧かないのです。好景気が長いこと続いた時代でもあります。銀行の金利なんかも、競争を排除してました。どの銀行も均一金利の約束をしていたと記憶しています。


 今の百年に1度の不景気をいわれる時代と、どえらい違いです。どうなんでしょ。好景気でやる気の出ない毎日と、不景気で明日を心配して必死に生活を支えていこうとする現在と。

日本という国




 『何故、ここに居るんだろう。』

 海に面した小高い丘の上に立っていました。空は良く晴れていて、海も凪ぎいていて穏やかです。本当に気持ちの良い場所です。仲間5人と居ます。地元の人が車で案内してくれたのです。そして、彼が指差しながら、説明してくれました。急な山の中ほどに立派で大きな旅館のような建物が建っています。秋も深まり午後の事です。

『本当に今日は良く晴れて、めずらしいよ。ほら、あそこがニシン御殿だよ。』

 そこは、北海道の有名な港街である。私達は東京から仕事で来ているのですが、仕事の帰りに観光しようとしてこの地に車で来たのです。そして、あまりの環境の変化に私の頭の中は不思議に混乱しているのです。この間迄、ゴミゴミした東京の片隅で生活をしていて、心に閉塞感が日々漂っていました。それが、仕事の内容というか、同じ会社でも部署によってこんなにも違うものかと驚いているのです。

 飛行機や新幹線にこんなに短期間にたくさん乗ったのは初めてです。そして、このような経験からいえるのは、日本って凄いなあ~ということです。世界地図に乗っている日本は小さな島国です。ですが、こんな小さな島国なのに、次々と途切れることなく、世界や日本各地に飛行機を飛ばし、新幹線を走らせ、留まるところが無い。 やっぱりアメリカと戦争した国だよなあ。
 物事は見えるところにこないと見えないものですね。自分と言う人間もそうなのではないでしょうか。違う環境、あるいは行動をする事によって素晴らしい力を発揮するのではないでしょうか。今の自分が本来の自分でしょうか?




家族と同じく何年も一緒に暮らす家具。

ドラゴン藤波





 『どうした。』
 『わからねー。』



 テレビの画面で長州力がドラゴン藤波に話かけている場面があった。2人はプロレスの真最中である。タッグマッチをしているのだ。どうも、ドラゴン藤波にファイトが湧いてこないようなのである。それで、長州力がドラゴン藤波に尋ねたのである。ひょっとしたら、ドラゴン藤波が試合中にファイトが湧いてこない原因は食べものではないでしょうか? ひょとしたらですが。



 スウエーデンのテニスプレーヤーが引退したと聞いたときがあった。ビヨンボルグだ。彼が日本のサラダドレシングのコマーシャルにしばらく出ていた事があった。そして、帰国してからサラダドレシングが大変気にいったようなのだ。そして、そのメーカーに送ってくれるように頼んだようなのだ。その後、引退したとのニュースが流れた。



 彼のライバルである、マッケンローはまだ引退していない。現役であるとの記事をなにかで呼んだことがある。



 女性テニスプレーヤーナンバー1だった、ナブラチロア(正確な名前は忘れた)がテレビの画面で木の実や選択した食べ物を食べて言っていました。



 『食べ物はゲームに凄く影響します。』



 フランスのピアノ奏者が日本のチキン料理をレストランでだされたそうです。そして、気味悪がって食べずに言ったそうです。



『なんと言う魚料理ですか?』



 最近の若者を見ていると、何を食べているんだろう、と思います。ズボンを変にズリ下げて履いています。流行なのでしょうけど、あまりカッコ良くないですね。そして決まって、良くないなあといったような顔をしています。日本人の面汚しのような顔に見えちゃうんですけど。誰も言わないけど、みんな思っているんじゃないかな。 私も若い頃には、炭酸飲料水、そして色々な添加物まみれの食品を食べていました。そして、曖昧な顔をしていたのを記憶しています。つい最近までそうでした。



 快適な生活をするには、生きる為の基本である食料に気を配る必要があるのではないでしょうか。そして、極力知人や友人、身内の人達に、神経質にならない程度に食料に気を使うように進言しましょう。朱に染まれば赤くなります。家族が添加物食品を食べれば、あなたも、いつか食べるようになるでしょう。神経質にならない程度に。




安全こそ最優先のものです。安心して食べたいですね。

2009年3月24日火曜日

お米屋さん




 『ははは。どうしてもち米を入れるんですか?』

 玄関のドアを開け、肩に乗せた2袋の米袋を下ろした後に彼は言いました。私の家にお米を配達にきた、人の良さそうな若い体格の良い米屋さんの顔が笑っています。米屋さんの息子さんでしょうか。次に領収書を貰いお金を払いながら私が言います。

『でも、もち米入っているんだよね~。』

 笑顔のままで応える配達人が言います。私が言っている事の意味が良く分からないといった感じです。

『なんでこんな良い米にもち米を入れるんですか?』

『でも、実際入っているんだよね。』 私が答えます。

 次も同じ配達の人が来ました。その顔は私の言っていた話の内容を理解した顔でした。そうなんですね。どこかがやると必ずやるのが日本人なんですね。事の良し悪しは別としてです。寒い時期はもち米が混入していても問題ないのですが、暑い夏の時期はあまり体に良くないのです。
 昔ある田舎で子供時代を過ごしました。その田舎の夏みかんのすっぱかったこと、上白糖を付けて食べないと食べられないほどすっぱい夏みかんでした。今は何でも均一になってしまいました。良く現代の若い女性が言います。

『あま~い。やわらか~い。おいし~い。』

 その本質を味わいたいと考えるのは私だけでしょうか。なんかいつも何かマスクがしてあるように思うんですけど。食べ物だけじゃなく、情報なんかもですね。実際の情報をなんらかの意思で編集してたりします。海外の録画ニュースなんかも、編集の切れ目が画面が切れるので分かります。そこはどうなっているのか知りたいですね。たとえば、映画の題名とか、歌の題名は日本風にアレンジしています。
 自分の頭で判断したいのです。操作された食べ物や情報ではなく、本当の食べ物とか情報を味わいあるいは見て、その良し悪しを判断したいのです。自分の頭で考え感じる事こそ、生活をだと思うんですよ。それが耐えられないぐらいショックなものでもね。




新鮮な食材を見ると食欲が湧きますね。

移り変わりゆく原宿と、昔の原宿駅前の蕎麦屋さんでの災難





 『あの客お金を投げって行ったわよ。』



 そこは、JRの原宿駅の真ん前の蕎麦屋さんです。今はあるかどうかわかりませんが。随分昔の話なのです。私が東京に出てきた頃の話です。良く原宿に来ました。今の若者と同じだったのでしょう。明治神宮でお参りしたり、原宿通りを訳もなく歩いたりしていました。夏の虫が蛍光灯の光に引かれて集まるのと同じかと思います。



 その日は原宿界隈をひと通り歩いてお腹が空いたんだと思います。駅前にある蕎麦屋さんに入りました。そして中央の大きなテーブルの席に座りました。そして、座ってから気が付き、思いました。



『ああ、なんだよ。とんでもない席に座ちゃったよ。』



 座ってから気が付いたのです。私の座った席のテーブルの前で突っ伏している大きな男がいるではないですか。手の付けていない、さる蕎麦が大男のテーブルに置いてあります。すぐに席を変われば問題ないのですが、その頃の私は若く、一度決めた事、した事に結構こだわるところがありました。その日もそうでした。一度決めた席を動こうとせずに注文をしました。カツ丼を注文したと記憶しています。



 どうしても、突っ伏している大きな男に目が行きます。見ると立派な洒落た模様の茶色ぽいブレーザーと黒いズボンを着ています。足元には黒い、これまた立派な革の大きなカバンが置いてあります。腕にしている時計も高価な腕時計に見えます。年寄りではないですね。ラグビー選手のような体格です。



 どれくらいの時間が過ぎたでしょう。私の前には、透明なグラスに入った水が置いてあるだけで、注文したカツ丼は来ていません。突然男は立ち上がり、足元のカバンを持ち、その席を立ち去りました。そして、女性の店員が、その客のお金の支払い方を非難した声を上げたのです。



 多分、事業に失敗したのか、騙されたのでしょうと推測しました。そして、この蕎麦屋さんで食事をしているうちにがっくりときてしまったのでしょう。



 現在、100年に一度の不景気と言われています。多くの方が不景気により先行き心配しているのではないでしょうか。夜明けの来ない夜は無いと、分かっていても、先立つものがないと不安です。石油ショック、円高ショック、バブル崩壊、連続テロ事件後の不景気、今まで何度もありました。そしていつも、これから来る災難に備えるつもりが・・・。



 災難に負けない負けじ魂、チャレンジ精神があればと思うのですが。殺しはしないとも思うのですが。現実の前では、快適な生活はたんなる希望なのでしょうか。 テーブルに突っ伏しても、しょうがないしね。

日本人の住まい




 『あやしても、笑顔を見せない赤ん坊がいます。』



 NHK放送のテレビの画面には高い高いをしてもらっている赤ん坊が映し出されました。確かに赤ん坊は無表情に、高い高いをしてくれている人の顔も見ません。そしてアナウンサーの言葉通りにその人を無視しています。また、ご飯を前に出すと口いっぱい頬張る赤ん坊がいます。口いっぱいのご飯を頬張っても口にご飯を押し込もうとします、とのアナウンサーの解説が続きます。確かにテレビの画面が変わって、ご飯を頬張る赤ん坊の顔が映し出されています。



『それは、長時間相手にされなかったとか、食べ物を与えられなかった為です。』



 アナウンサーの解説がテレビを通して耳に聞こえてきます。



 そこは小田急線の経堂駅の近くにある、古い小さな定職屋さんです。私は、初めてこの定食屋さんに入りました。10人も入れないと思います。小さなお店です。そのお店の天井に近い壁の奥に備え付けたテレビを見ていました。そして、なるほどなあと思いました。理屈はそうだよなあ、と。 ある冬の日の夕方の事です。
 そして、日本人が何故、こんな狭い定食屋さんや、住まいにすんでいるのかが説明できると思いました。昔からそうなので、しょうがないと思っている。受け入れてしまっているんだと思います。当然の事で常識だと思っているのです。以前、フランスの首相が日本人の住まいを馬鹿にして言った事があります。



『ウサギ小屋に住む日本人め。』



 確かに、その通りだと思います。そして、良く言ってくれたと思ったのは私だけでしょうか。そして、現在は全世界の人が日本人はウサギ小屋に住んでいると思っているのです。



 『衣食住。これは、もう欧米と肩を並べました。』 ある政治評論家がテレビの画面で言いました。
『おかしいんじゃないの。目が見えないんでしょ。見て御覧なさい。どこが。』 外国の大学の先生が、応えました。
『・・・・』 ある政治評論家がテレビの画面で無言で困った顔をしました。



 そうなんですね。そうゆう時期が長いので、なかなか直らないのですよ。たぶんね。未だに、びっくりするような鶏小屋のような一戸建て建てていますもの。そして狭い場所でお互いに、突きあっているんだよね。快適な生活をするには空間が必要ではないでしょうか。夫婦でも、親子のあいだでも。





芸は身を助けると言います。資格もそうではないでしょうか。

不思議な親子と、昔の日本人と、現在の日本人





 『もう。ギシギシなのよ。もう、深夜で最終電車なのに、電車の中がさ。人でいっぱいなの。』



 六本木で接待を受けたらしいのです。下請けの業者さんに招かれて、お酒や、美味しいものをたくさん食べたらしいのです。そして、深夜の最終電車で帰ったらしいのです。
 


 ところで私も若い頃、東京の六本木に憧れた時期があります。そして、若い頃、六本木の洋菓子屋さんでアルバイトをしました。古き良き時代の六本木の話です。現在はその、洋菓子屋さんは無くなっていました。その時不思議な親子を見ました。店の窓ガラスを背にしたコーナーに、その三人の親子は落ち着いた感じで座っていました。子供はまだ小さく、歩き出していません。お母さんの膝に乗っていました。お父さんもお母さんもふっくらとした人ですが、けしてデブではありません。そして、その三人の目はライオンやトラのような鋭い目ですが、野蛮な感じではありません。なんか野性味を帯びています。



 私は、なんとなくその三人を眺めていました。するとお父さんが会計をする為にポケットから札束を取り出しました。ぎっしりとした札束です。ですが、その札束は全部、使い古したような千円札なのです。それでは、地方の山奥から出てきたのかなあ、と思いました。いつだったか、九州の山奥では同じお金が巡回していると聞いたことがあります。そして、都会で食べられるような添加物まみれの食品を食べたことがないのだろう、とも考えました。そのために落ち着いた風貌、目鼻立ちをしているんだと、考えました。



 私の子供の頃の大人の人達の顔を思い浮かべました。確かに、近所にはこの三人の親子のように野性味を帯びた奥さんなんかが、井戸で水を汲んでいました。近所のお兄さんの顔や、下駄屋さんのお兄さんの顔を思い浮かべると、絵に描いたように秀でていたよう思います。



 そういえば、いつだったかテレビで山奥で生活している家庭の生活の一部を放送している場面をみました。女性のキャスターが大豆を蒸して自家製の味噌を作っている奥さんをインタビューしている場面です。女性インタビュアーが言います。



 『ええ! お味噌もご家庭で作るんですか~!』



 そして、無言の野性味を帯びた奥さんの顔と添加物食品を食べて都会生活をしている女性キャスターの顔とのコントラストがあまりにも違っていました。



 それは、感覚に影響するのではないでしょうか。生活に対する感覚にです。タバコやコーヒーを嗜む人達は気が重そうに見えます。毎日を晴れ晴れとした感覚で過ごすには、多少なりの影響があるのではないでしょうか? 快適な生活をする為に。



 目が奥の方で、鈍く不気味に光っている人が居ます。添加物のせいでしょう。何も考えずに、何でも食べてしまうのでしょう。

赤毛の外人さん。




 『この電車は神宮前に行きますか?』



 小田急の新宿駅のホームを歩いていました。千歳船橋に行くためにどの電車のどのドアから乗るかを眺めて歩いていました。すると、視界の中に赤毛の短髪と顎鬚をはやした、中肉中背の外人さんが立っているのが入りました。何かを探しているようです。たくさんの人が歩いています。歩いている私の顔を見ました。大勢歩いている人を掻き分けるように私の側にきました。外国映画の西部劇の場面に出てきそうな外人さんです。目鼻立ちがはっきりした理知的な立派な顔をしています。そして、片言の日本語で私に尋ねたのです。なんとなく不思議な感じです。日本人がたくさん歩いているのに、よりによって私を選んで声をかけてくるなんてと。



『ええ。行きますよ。』 私は応えました。

『ありがとう。』 赤毛の外人さん、しばらくしてから、お礼を言うの思い出したらしく言いました。



 普通の人って、日本人の中にいると浮き彫りになります。皇太子の奥さん、雅子様もなんか浮き彫りになっていますよね。なんか。そうなんです。炊事洗濯を毎日するだろうなあ、という女性って普通だし、なんか浮き彫りになって見えます。そして、人は外見じゃないと思いますが、怪しい感じの人って、背景の中に溶け込んでいるような気がします。



 食べ物のせいでしょうか。最近の日本人は怪しい感じがするのですが。たぶん、赤毛の外人さんは普通の人を探していたんだと思います。そして、私は普通だったのです。外人さんの目には。



 昔、韓国系のブラジル人が私に言ったことがあります。床屋さんに行くんだけど感じが悪いと駄目なような事を。まあ、それは日本人も同じだと思うけど。





香りは不思議な力を持っています。何かを変える力です。

小さな子を背中に背負って、行っちゃてる目をした日本の奥さん





 『出ねえぇ!。』
 『ガッシャーン!』



 ガラスが割れ、崩れ落ちる大きな音がしました。私と、私の左隣に座っている太った奥さんは、ガラスの割れた方をびっくりして見ました。そこには、色の浅黒い痩せた奥さんが赤ん坊を背中に背負って座っています。私と隣の奥さんが目を剥いて、何事かとその奥さんを見ました。



 そこは、南部線と田園都市線が交差する川崎の溝の口にあるパチンコ屋さんの店内です。どれぐらい昔の話でしょう。パチンコがデジタル機になり、パチンコ店が賭博場になったと新聞、雑誌に書かれた時期です。国会でも旦那さんがパチンコばっかりして働かないので何とかしてくれと、奥さんの言い分を取り上げた時期の事です。



 良くパチンコ屋さんに行きました。ラッキー7(7が3つそろう)と打ち止め無しで無制限に一日中パチンコが出来る。そんなやり方がどのパチンコ屋さんでも取り入れられました。そして、パチンコ店の閉店時間間際にラッキー7が出ると翌日10時までに来店すると、昨日の打ち止め無制限を継続して出来る時期がありました。私と、私の隣に座った奥さんは、その時期に朝のパチンコ屋さんの開店時間に来たのです。季節は寒い冬の午前中の事です。



 浅黒い顔をして、赤ん坊を背中に背負った奥さんの左手からは、赤い血が流れています。パチンコ台の二重のガラスの一枚が割れています。年配のパチンコ屋さんの男の店員が割れたガラスを黙って塵取りと箒を持って来てかたずけました。そして、若い男の店員さんが白い包帯を自然に落ち着いた感じで、その奥さんの左手に巻き始めたのです。店員さんは無表情で冷静、沈着の言葉の通りです。驚くほど落ち着いた対応です。



 自分を忘れてガラスに左手を叩きつけて割ってしまう奥さんと、それを平然と受け止め、冷静に白い包帯を奥さんの左手に巻いている若い男性の店員にショックを受けました。



 そして、浅黒い顔をして、赤ん坊を背負った奥さんの目を見ました。そしたらさぁ、行っちゃってんのさ。目が。一触即発の凄みをおびていました。文句あんのかぁ、ってな感じで。



 ギャンブルで熱くなる。なんて、正直な人なんだろて。でも、ちょっと寂しくなりました。何もかも忘れ、敢然と自分の目標を遂行すべく自分を賭ける人もいます。この奥さん、賭けに負けたのです。そして怒りをパチンコ台にぶつけた。それだけです。

必殺仕掛け人と、おほほほと、笑いながら人を切る奥さんの行くところ。





 『山田さん、山田さん。』



 いつも、笑顔で話しかけてくる小さな奥さんがいます。私を見ると例外なく側により、たわいの無い話題にもならないような話をしに来ます。とても、生臭い顔をしています。お酒が好きで、良く旦那さん以外の男性とも飲んでいるような事を本人が話しをします。そして、周りの人からは距離を置かれています。そうなんです。この人なんです。 終始笑顔で私に話し続けるのですが、何か私の事が面白くないのです。その理由は分かりません。多分、私の顔に、この奥さんに対する批難らしき考えが出ているのでしょう。



 そして、この奥さんが言っているのです。私の陰口や悪口をです。困ったものです。どうする事も出来ずにいます。段々周りの人の目が私を見始めました。とても、窮屈な感じがします。また、他人の目がこのように感じられるのも、いやなものです。 誰も助けてくれません。仲の良い仲間もです。彼らも変な目でときどき私を見ます。やれやれです。



 やはり鍵をかけるべきです。でないと、泥棒やろくでもない人や、環境をを作ってしまいます。でき心というやつです。心に鍵をかけました。私も、この奥さんと距離を置くことにしました。みんながやっているように、笑顔でさりげなくかわし始めました。でも、なかなか環境が元に戻りません。



 その奥さんですか。近所にいられなくなって、住んでいるマンションを売って旦那さんと三軒茶屋の方に引っ越しました。



 付き合う人を選ぶ事も大切かも。そんな人っています。みんなさん付き合う方法を心得ていますね。また、付き合う方法も考える必要がありますね。多かれ少なかれ、みんなこの奥さんのような性質をもっています。同じ人間ですからね。

2009年3月23日月曜日

世界を騒がせる中東のパレスチナの地と、壮絶で、可愛い日本人のパレスチナ





 『さくらさん~!』



 太目の大男が叫びます。すると、言い返すように小柄な男が言います。



 『戦略が無いよなあ。どう見ても。』



 どうも、二人は仲良しらしいのです。喧嘩するほど仲がいい、と言うやつですね。大男の方は昔、小男と行った良からぬ場所での女性との事を言っているらしいのです。大男が言います。



 『この人、手を離さないんです。』



 どうも、さくらさんと呼ぶけしからん場所で仕事をしている女性が小男の隣の席で、手を握られたらしいのです。そして、小男が手を離さなかったらしいのです。それから、いつまでも、いつまでも、大男と小男は同じ台詞を言い合っていました。



 『さくらさん!この人、手を話さないんです。』 大男が言います。
 『会社として、戦略がないよ。』 小男が言い返します。



 大男は会社の代表らしいのです。でも、社長として自覚が無いらしいのです。それを小男が攻めているらしいのです。



 この二人、いつまでもやっていれば良いと思います。日が暮れるまでやっていれば良いと思います。死ぬまでやっていれば良いと思います。



 パレスチナ。血で血を返す。想像を絶する憎しみがテレビ、雑誌から私達の目に入ってきます。でも、日本人である我々には、どれ程のものなのかがわかりません。どうゆう生活なのか。どのような感情を持って毎日を過ごしているのでしょう。



 しかし、自分自身と仲良くなるべきだと思います。自分に勝つことではなく、仲良く過ごす事ではないでしょうか。出来るなら自分の仕事とも仲良くあるべきです。



 すいません。偉そうな事をいってしまって。私も、それが出来ずにいます。そうですよね。自分に嘘をついていては、自分自身と仲良くは出来ませんよね。仕事に忠実でなければ、仕事にそっぽを向かれても当然ですよね。

村上龍の限りなく透明に近いブルーと、限りなく自分自身を喪失している日本の人





 『あれ~。』



 なんだい、今の人は。あほと違うか。



 そこは五反田の切符売り場です。色々な人でごった返しています。サラリーマン、OL、おじさん、おばさん、若者、子供、皆がJRに乗るために切符券売機で切符を購入しようとしています。切符を購入した人、電車から降りた乗客が改札口を流れて行きます。



 ある晴れた春の日の午後に、私もそこに居ました。切符券売機の上にある駅の経路図と料金を見ていました。目的の駅と乗車料金も分かり、目の前の切符券売機にお金を入れようとしました。すると、突然横から出し抜けに、私が入れようとする切符券売機の入金口にお金を入れた男がいます。青いスーツの上着を左の腕に掛けたサラリーマン風の男性です。唖然としました。一瞬の隙をついた早業です。そして、すぐに、そのサラリーマンは立ち去りました。やれやれ、と思い今度は私が切符券売機の入金口にお金を入れる番だと思い入金口にお金を入れようとしました。そして、ふと見ると、そこにはさっき割り込んで入金口にお金を入れたサラリーマンの切符が顔を出しています。やれやれ、お金だけ入れて肝心要の切符を持っていくのを忘れているよ、と思いました。すると、すぐにさっきのサラリーマンが戻ってきて切符を引っ手繰るように持ち去りました。とにかく急ぎたいらしいのです。



 日本経済の構図のような気がします。とにかくGNPだかなんだか国民総生産だかなんだか知りませんけど、その数字を上げたいらしい。それも、急いでね。日本人の生活の内容なんて、全然関係ないです。とにかく数字を上げたい。そんな感じです。



 いざ、肝心要の改札口で切符を出そうとしたら持っていない事に気が付いた。GNPの数字が世界で2番目になった。そして肝心要の日本人の生活に気が付けば、あれ馬鹿じゃなかろ~か。朝早く急いで家を出てきた、ふっと気が付けばズボンを履いていない。パンツ一枚の下半身だ。そんな感じです。



 『二宮金次郎』、『質実剛健』、『巨人長島、大砲、卵焼き』、『もうれつからビューテイフル』、等など良くは知りませんが、色々な考えが、その時代時代にありました。でも、豊かさって?。快適な生活って? どこ。



 日本人って、どこよ。ここは、どこ?




女性の香りにフラフラするときありますね。

2009年3月22日日曜日

 大山 倍達


『大山 倍達、死んだんだってなあ。』



 そこは日産サニーと呼ぶ車の中だ。大の男が4人で乗っている。ある休日に会社の同僚と名栗湖を目指してドライブをしているのです。会社の社長である彼がポツリと言った。社長とは名ばかりで2代目なのだ。私はそれを聞いて驚いた。そして社長に聞いた。 これは、ずいぶん昔の話ですけどね・・・。




 『大山 倍達が死んだぁ!なんでえ!』 私。

 『肺炎だってな。』 社長が静かに答えた。

 『そう。』 私が答えた。




 ゴットハンド。神の手を持つ男とアメリカで呼ばれた男。アメリカでプロレス等に参戦し全戦全勝の金字塔を打ち立てた男。社長は大学時代、空手部に所属して空手をしていたらしいのだ。チョット、ショックだったらしい。私は、格闘技はしていないが大山 倍達の事はそれなりに知っています。雑誌なんかに良く出ていますし、私や社長の年代の人達で知らない人はいないと思います。 彼は韓国人です。




 私は漫画が好きで小さい頃からたくさん読んでいてました。呼んだ漫画のひとつに空手ばか一代があります。空手ばか一代の主人公である大山 倍達が小さい頃、空手の先生に教えてくれとせがんだ場面があります。先生が大山 倍達がいつまでもせがむので言ったそうです。あの木の枝を蹴ってみろと。その漫画の場面の木の枝は小さい大山 倍達の何倍もの高さで描かれていました。大山 倍達がその木の枝を蹴ろうと飛び上がりました。当然、蹴れません。 その時先生が大声で言いました。




 『そう。やることが大切なんだ!』





 そうです。やれば良いんですよ。そうすれば快適な生活になるはずです。うんそうだじゃなくて、やるんだ。そう自分に言っているのですが・・・。



移り変わり行く東京




 『これはどこに行きますか?』

 東京のJRの山の手線の駅のひとつである恵比寿駅から埼京線に乗りました。次の駅でドアが開いて二人のカップルが乗ってきました。若い男女です。私の顔を見て、尋ねてきました。どうも韓国の人らしいです。でも、私も埼京線はほとんど乗らないので知らないのです。ドアの側に座っていた男性に聞きました。すると反対のドアの方の座席に座っていた赤毛の背の高い外国の女性が答えました。

『Yes!行くよ。』

 黒い服を着て、シャネルと書いてある黒い紙袋を手に持って座っています。反対のドアの座席に座っていた男性の方も私に答えます。

『行くよ。』

 二人の真ん中に立っている私は尋ねて来た韓国人の男性の方に答えました。

『うん。行きますね。』

韓国の男性が礼を言いました。

『ありがとうございます。』

『どうも。』 私は赤毛の外国の女性に言いました。
『どうも。』  彼女も答えました。

 近所のおばさんみたいだ、この赤毛の外人。多分日本滞在が長いんじゃないかなあと、思いました。しかし逆だよなあ。私が外人に教えるんなら分かるけど、私が外人に教わるのはと思いました。

 埼京線に乗る前に恵比寿駅前から切符売り場を見ていたのです。すると、観光客らしい、背の高い金髪の年配の男性が地図と切符売り場の上にある駅の図を見比べていた。 なんか分からないで迷っているらしい。すると、そこにパンク野郎が来た。金髪で坊主頭である。そして、観光客と同じ国の人らしく互いに話しを始めた。私はそれを見て、よかったなあ同じ国の人に逢えてと、思った。何気なく、後ろを向くとそんな私を外国の女性が笑顔で見ていた。お母さんと娘さんだ。 季節は真夏です。

 たくさんいますね、外国の人達。なんか自分がこのままでいいのかと思うぐらい。とまどうぐらい居ます。ついこの間まで珍しい感じで外人をみていましたが、凄い変わりようです。昔、中目黒の四畳半に住んでいてこの辺には良く散歩に来ていたのです。変わりました、街が。





香りは、とても文化的です。

やめろよぉ。



 『やめろよぉ。やめろよぉ。』



 私は小さな声で彼にいいます。私の腕を振り払い、無視して続ける彼です。



 そこは目黒の碑文谷にある池のある公園です。たくさんの釣り人が鮒や鯉を釣りに休日になると押しかけてきます。その日もたくさんの釣り人がやってきて竿に釣り糸とえさを付けて池に投げ込みます。ピンクや黄色、赤で塗った浮きを静かに眺めています。小さな双眼鏡で見ている人も、中にはいます。そんな人達に混じって暇な若い私達二人も、そこに居て釣りを眺めていました。しかし、彼の悪い癖が出てきてしまったのです。池には釣った魚を持ち帰らないで下さいとの立て札が書いてあるようなのです。一人の釣り人が釣った鯉を新聞紙に包みました。鯉はそれでも、長時間死なないのだそうです。持ち帰った鯉をどうするのかは知らないです。それを友人が目敏く見つけました。 良く晴れた春の日の午後の事です。



『いいのかね。いいのかね。』



 聞こえるか聞こえないかのかすかな声で釣り人の側で言い始めました。小出しに小出しにです。間隔を置いてです。本当に陰険な男です。私の友人のこの男はです。



 『いいんだよお。あまり鯉がたくさんいるようになると駄目なんだよ。』



 最初は無視していた、男性もチクリチクリと余りにもしつこいのに堪りかねて友人に顔を向けて言いました。



 『いいの? 持ってちゃって。池から持って行っちゃ駄目なんじゃないの。』
 


 もうすでに、返答は考えているのです。いやな男です。



 『いいだよ!』
 『いいんだ!』



 周りの釣り人も様子を知っていて鯉を持って帰ろうとする釣り人に加勢します。



 友人の負けです。本当にこんな人いますよね。自分の幸福より人の不幸を願う奴って。人の困った事を見るのが大好きな人って。人は多かれ少なかれそうなのかも知れませんね。そんな事で、ひょっとしたら、この男は自分に正直なのかも。



 でもね、快適な生活を送れるように、他人の不幸せを願うより、自分自身の幸せの為に自分に親切にした方が良いと思うんですけど。





不思議ですよね~。




『そうなんですよ。不思議ですよね~。顔や体の半分からしか出ないんです。』

 白い白衣を着て口には、咳止めのガーゼのマスクを当てている、若い男性のお医者さんが不思議そうに言いました。顕微鏡から顔を離して私の方に向き直りました。

 そこは、田園都市線と玉川線が相互乗り入れしている二子玉川駅の近くにある小さな病院です。お医者さんが私のおしっこを顕微鏡で調べたら、自分のおしっこより綺麗だと言いました。どこも問題ないとも言いました。それである事をお医者さんに聞いたのです。

『夜になると顔や体の半分から汗がダラダラ流れるという事を当人から聞いたことがあるんですよ。どうですかね。』 私が、顕微鏡を覗いているお医者さんの背後から言いました。以前その本人に一度はみんな変な病気になると、聞かされていたのだ。

 それからどれぐらい月日が流れたでしょう。三鷹市に仕事があり、4階建ての建物にある職場に通っていました。ある日、私の席の左前の人が私の座っている席に来て話掛けてきたのです。私はその人を見ました。なんとその人の顔が半分しかないのです。正確には、感じたのです。彼から受ける感覚が半分しかないのです。

 また、ちょっと違うのですが、東銀座の立派なビルの中にある企業で働きました。仲間も5名ぐらいのチームです。昼食には同じメンバーでよく食事にでかけました。ある日、いつもの同僚と昼食をとるために小さな雑居ビルの居酒屋風のところに入りました。彼に話しかけました。その時、彼から変な感覚を受けました。多分死人を見たときに受ける感覚だと思います。得たいの知れないものでした。彼の精神が死んでいたのではないでしょうか。ちょっとの時間私は精神的に麻痺してしまいました。それは、許容できないものです。

 多分仕事に対する熱心さからだと思うんですけど。机上の仕事で限界を超えて無理に体を動かさないで考えていると死んでしまうのではないでしょうか。程ほどにしないと。生活がかかっていると言われれば何も言えませんけど。

生活大国と旗印を上げた政治家の方がいました。どうなんでしょ。こんなサラリーマン達を見てたら、何というでしょう。




女性のもつ、ひとつである香り。

ホーホケキョ




『ホーホケキョ』




 自転車をいつものテニスの壁うちをする場所に止めました。すると、まるで私の来るのを待っていたかのように側の藪の中で鶯が声高く鳴きました。自転車のサドルを見ながらサドルに足を掛けました。へえー、こいつは何か縁起がいいなあと、思いました。これはきっと良いことがあるぞおと、考えました。良く晴れた青空の下の午前中の穏やかな春の日の事だったと記憶しています。このような事もあるんだなあと。

 どれぐらいの時間壁うちをしたでしょう。Tシャツを取り替えてブルーのタオルで頭、顔から流れる汗を拭いました。風はまったくありません。相変わらず空は青く頭の上にあります。子供やお年寄り、男女が壁うちをしています。いつもと変わりないのです。何か今日は特別に感じます。たぶん、タイミング良く鶯が鳴いたからでしょう。この日は記憶に残りました。毎度の壁うちの普通の休日です。




 いつもの毎日は記憶には残らないものです。いつの間にか過ぎてしまいます。そして年を取っていくのでしょう。たまたま、タイミング良く鶯が鳴いたので記憶に残ったのです。そして何も良いことは起こりませんでした。しかし記憶に残った幸せな日でした。





 いつもと違う何かをする、あるいは起これば記憶に残る幸せな日になるということでしょうか。七夕、ひな祭り、正月、節分、友達との会話、映画を見た日、レストランでの食事等など。






香りはなにかの表徴のようです。

またかよお。




 『ちょ、ちょっと、止めて下さい。』

 私は彼が手に持っている剃刀の形を見ました。それは普通のものではなく両刃の剃刀でした。そして彼の目を見ました。彼の目が、無言で言っていました。俺の仕事が済むまで、黙ってそのまま寝ていろと。私は右手の甲で顎を触り、その甲を目の前に持ってきて見ました。赤い血が付いています。そして言ったのです。

 そこは、東京の日比谷線と東横線が相互乗り入れしている中目黒駅近くの床屋さんです。椅子から起き上がり、私の首から掛けてある白い前掛けを静かにとりました。見ると彼はヘラヘラ、ニヤニヤしながら笑っています。私は、ちょっと動揺しながら言いました。

『ど、どうゆう事ですか。これは。』 

 床屋の鏡に映っている顎から出ている赤い血と、右手の甲に付いた鮮明な赤い血を交互に目で見ながら静かに言いました。どうしていいか分からない、困っているというような状態です。

『お客さんいい人に見えたからやっちゃいました。彼、今日が初めてなんですよ。』 

 隣の客の散髪をしている店の主人らしい、眼鏡をかけた背の高い男性が隣から私の方に笑顔を向けて言います。 笑っています。彼の初めてのお客が私だと言うのです。

『これは、ひどいんじゃないの。』 

 右の手の甲に付いた赤い血を見ながら、私は言いました。無言の脅しで黙らせようとした彼の態度。ジャガイモの皮を剥くような感じでの髭のそり方。シュ。シュ。といった剃り方。

『じゃあ。髭剃り代は入りません。』

 笑いながら、店の主人が言いました。

『ふっざけんなあ!いいかげんにしろ。』 

 と、言ったかどうか記憶にはありあません。でも、お金は払いました。床屋の主人が言うように私は、まだ若く人が良かったのたのです。でも、怒りはそれなりに、表現したと記憶しています。しかし、お金を払ったことを後悔しています。 ある春の日の午後の事です。

 いつの頃かインスタントになりました。レストランに行っても仕込みは、半製品を使います。時間を掛けると商売にならないのでしょう。設備も技術も無くなりました。昔の床屋さんは、たっぷりと石鹸の泡を顔に塗りました。そして、蒸しタオルを顔に当て髭を蒸しました。それを、剃刀を使う前に2度しました。いつも、顔を剃って貰うとき気持ちよくなって眠気くなったものです。なんと言う違いでしょう。

 これが、今の時代なのでしょう。それから、床屋では顔は剃らないで下さい。と、言っています。それでいいんでしょうか。災難を避けるようにです。




香りは煌く風のようです。

叩くんだって。




 『アジアの国ではね、小さい子は叩くんだって。』 

 大柄な体と血色の良い顔をしています。そんな彼が言いました。 小さいうちに叩いて根性を入れろ見たいな感じです。

 彼と私はアイスクリームの自動販売機の屋根の下で並んで立っています。彼と話をしたのは、このときが初めてです。お互い雨に濡れています。いきなり雨が降りどしゃ降りになったのです。さっきまでテニスをしていた連中も雨宿りしています。どちらからとも無く話しをし出しました。雨は当分止みそうも無い感じです。 季節は夏です。

『へえー。凄いなぁ。そんな事言うなんて。信じられないよ。』 彼が言います。
『小学校を卒業する時、担任の先生がそう言ったんだよね。』 すぐ上にある自動販売機の屋根から落ちてくる雨だれを見ながら言いました。

 彼は学校の音楽の先生で海外へも良く、先輩の招きでいくらしいのです。その時私の言った事は、小学校を卒業する時、学級の担任の先生が言った事なのです。

『勘弁してくれよ。こんな教育しか出来なくて。』 こう、学級の担任の先生が言ったのです。

 私の小学校の担任は、今思えば、教育会の事を非難して自己弁護をしていると分かるが。現代の教育も迷走しています。学級崩壊、小さな子供達へのグロテスクな性教育。そんな事をテレビ、雑誌で見たり聞いたりしている私は、先生である彼の話を聞きました。そして、そうかあと、思いました。

 分かるんだけど、物事を受け入れる幅、許容量無い、そんな先生ばかりだとまずいよなあ。規則や罰ばかりでは、この世の中はうまくいかないと思うんだけど。

 多分、うまく話せないんだと思うんだよね。だってさあ、日本は、家庭にも、学校にも、会社にも、社会にもあまり会話がないと思うんですよ。そんな会話をあまりしたことが無い人がいきなり説得力のある話をしようとしても底が割れてしまうんだと思います。テニスのラケットやボールを持って練習しない人がいきなり、イギリスのメジャーなウインブルドン大会に出てゲームしたらまずいよなあ。そんな感じがします。

 まあ簡単だからね。生徒や他の人に規則や罰則をしいる事は。受け入れ理解し、説得する事は経験が要ります。しかし、小さいときの私の家庭にも会話はありませんでした。それを今思うととても、寂しい気がするのです。そのような時代ではあったのですが。




旅には新鮮な喜びがあります。旅たつ前の楽しさ。

金返せえ! 人の金を借りて、金輪際返そうとしない奴





 『いやあ~。山田さんにはお金返さないとなあ~。』 



 そこは川崎の田園都市線と南部線が交差する溝の口駅前の繁華街です。たくさんの人々が歩いています。本当に良く晴れた青空の下の昼下がりを、買い物客、スーツ姿の会社員、大人から子供まで様々な服装をして歩いています。季節は初夏です。



 そんな人ごみの中を歩いていたら、声をかけられました。中肉中背の男性が親しげに私に近づいてきて、私の名前を呼んだのです。しばらく彼の顔を眺めていました。にこやかな顔をして私に話しをしています。そうです。思い出しました。以前、近所にあるスーパーの掲示板に、ある有志を集う張り紙を張ったのです。彼が来ました。なんでも、放送関係の仕事をしていて、現在失業中でやる事がないと、言って来たのです。



 『ええ!ご飯食べていないのぉ。』



 私は驚いて言いました。



 『うん。奥さんがご飯食べさせてくれないんだ。』



 目線を落としながら、大竹さんが言ました。



 『なんでよぉ。』



 私が大竹さんの顔を見ながら言いました。



 『仕事が無いのでお金をもらっていないからなんだ。』



 大竹さんが、とてもいいずらそうに、うなだれて、力なく言いました。



 『しかしさあ。それは、ちょっとぉ。』



 とまどいながら、私が言いました。



 私の家の中、ダイニングキッチンの椅子に座りながら御互いにお茶を飲んで話しました。男の子もひとりいて奥さんが子供の将来を心配して、怒っているらしいのです。



 そんな感じで私のところで、大竹さん、ご飯を食べました。凄くお腹ぺこぺこの感じです。



 何日か私のところに通いました。ある日の午後夕食を食べに、近所の中華料理屋に行きました。なんでも食べて下さいと、御馳走しました。彼が私の様子をうががう、そんな目をしています。彼が頃合を見て、話を切り出しました。



 『山田さん、お金貸してくれない。3、000円ぐらい。』



 大竹さんが私の顔を見ながら、言いました。



 『いいですよ。』



 まだ、彼をどのような人か分からないのですけど、貸してあげました。 軽はずみでした。



 それ以来彼に会っていなかったのです。そんな彼が元気に声をかけてきたのです。公共料金を払いに来たと、言っていました。公共料金は払っても、永久に彼は私に、お金を返す気はないでしょう。 なめられたものです。



 金返せぇ! こん畜生!



 人生は不確かなものです。それを確かなものにするには、快適な生活への願望が最初にあると思います。

2009年3月21日土曜日

お金儲け




 『あ!入っている。』 

1,300円の売り上げ、ポイント13だ。アフリエイトなるものを始めたのは1ヶ月前だ。全然反応がなくて諦めていた。その他にもアドセンと呼ぶ広告収入をあてにしたプログを作成していた。数えたら切が無いほどの、お金儲けの作業をした。時間ばかりかかって、結局お金にはならなかった。FX(為替証拠金取引)、日経225先物取引、その他。本当にお金儲けって難しいね。でも、夢中でしている時はお金儲け出来るとの目標に邁進している。幸せな時間かもしれない。少しずつ諦めと疲労感に襲われるときが、最悪である。

1,300円(13ポイント:13円の儲けーでも未確定)を調べてみると、全然予想していない経路からの販売である。こちらが計画していた販売経路ではないのだ。ちょっとガッカリ。

どうなんだろ。額に汗を流して働いて賃金を得る。昔の映画や本、人の言う事は、もっともなんだけど。時代はインターネット時代。みんながパソコンの前で作業をしている。快適な室内で。お金儲けの考え方も変わってきていると思う。

お金が無いと、快適には生活できないね。たぶん。南の島で魚を取って暮らしている人達にならないと。電気もガスも無い生活ならまた、違った考えになると思うんだけど。ちなみに、アフリエイトのしくみは販売先は売り上げを上げることができるとは思います。でもアフリエイト広告をのせている人達には、お金は入ってこないみたい。そんな仕組みのようです。




旅は生活の疲れを癒してくれます。

2009年3月20日金曜日

 ドアの外に置いてあったもの。




 『なんだよう。これ!』


 ある朝の事である。出かけようとしてドアを開けました。そして、そこにあるものを驚いて見た。こんなものを誰が置いたんだよ。びっくり驚いて、次に怒りが湧いてきた。そして、冷静になるとしょうがないかああと、考えた。でも、怒りが収まらない。大きなゴミの袋が、ドアの前に置いてあったのだ。今朝、私がゴミだししたゴミ袋だ。分別していないゴミ袋。確かに分別していないので、悪いとは思う。規則なので分別しない方が悪い。でも、やり方が気に入らない。黙って置いていくなんて。人を馬鹿にしている。気持ちは分かるけど、一言言ってくれればと思う。

 難しいのは分かる。色々な人たちが共同で暮らしているので、色々な考えがある。その人達によって解釈もちがうし、物事の受け取り方も違う。そんな人達と接する方法は一筋縄ではいかないだろう。しかし黙って、相手の気持ちも考えずに強行に実行する。よくないと思う。なんにしても、それなりの了解があってしかるべきである。泥棒である。黙って強行するのは。暴力である。


 『おほん!』


 銀座線の電車に乗っていたときである。背後で大きな咳払いが聞こえた。どいてくれとの合図だ。知らん顔をしていた。すると。次は小さな声が聞こえた。


 『すいません。』


 そうなんだよね。みんな分かっててやってんだよね。通して欲しいなら最初から断わるべきなんだよ。喋れるんだから。当たり前の事なんだよ。人を虫けらか何かと勘違いしているのは良くない。もし、それで通ったとしても通す方も、通る方も間違っている。誰でも、敬意を持って接しなければならないと思う。どんな時でも、でないと、よくない方向に物事は向かってします。そんな事で新聞やニュース等でおもわぬ事件をよく報道しています。


 人や物事にとりあえず敬意を示さないと快適な生活は築いていけない。



2009年3月19日木曜日

楽しい仕事





 『お金です。女の幸せは。』



 小さな体をした、勝気な奥さんが言います。家庭を支える為に、共働きで職場にいる奥さんです。



 横浜にマクドナルドで昼食を取るために店に入ると、同じ職場で働いている奥さんと顔が合いました。ハンバーガを頬張り、世間話をしました。仕事の事、家庭の事、職場の同僚の事等を昼食中に色々と話をしました。会話の中身は本音ばかりです。殺伐とした職場で得るものは、家庭の家計を支えるわずかな収入だと思います。でも、勤怠は立派です。遅刻や欠勤はしていません。職場を離れるとおたがいに理解し合えます。理工系の職場なので、規則や規律にやかましいのです。人間味はほとんどありません。表面上は笑顔で互いに接していますが、内面では互いに信用を置いていません。何をするにも、誰かの視線があります。刑務所の中のような職場です。若く発展している会社なので、人の雇用も活発です。しかし、定着率はとても低いのです。新入社員が5人、入社して4人辞めます。後から後から人を雇用しています。社会に仕事の需要があるのです。見かけは堅気の仕事なのですが、内容はペーパーカンパニーと同じ性質です。人間のする仕事内容では無いのですが、社会の需要は旺盛です。体を動かす事が極端にないので、とても不思議な人間になります。



 現在2009年3月、百年に一度と言われる不景気で会社があえいでいます。同様な会社が沢山つぶれると思います。



 仕事が快適でないと、快適な生活を送る事は非常に難しいと思います。楽しく仕事をしましょう。仕事が楽しくないと、地獄です。快適な生活をする為に仕事を楽しくしましょう。

2009年3月18日水曜日

外国人女性の不満




 『○×▽?!??』

 外国の女性ひとりと男性ふたりが話している。そこは山手線の電車の中だ。満員の乗客ではないが、かなりの人が電車には乗っている。

 私は会社の仕事を終え夜9時頃、大崎のホームから山手線で新宿駅に向かった。ドアが開き、乗り込むと三人の外国人と顔を合わせた。どうも、人相、風体を見るとアメリカの人らしい。アメリカの地方の人達らしい。女性はふっくらとして、近所のお姉さんのような感じである。男二人はそんなに大男ではないが、やはりでかい。三人とも人がよさそうな感じの顔つきをしている。服装も大衆的な感じである。

『○×▽?!??。』

 女性が話をしている。面白くないようなことを言っているようだ。それを男性二人がなんとか、とりなしているようなのだ。

 しかし、言葉は分からないんだけど、なんとなくなにを言っているのかが分かる。どうも、日本人についていっているらしいのだ。女性が電車に乗っている日本人について語っているようなのだ。それを、ふたりの男性が否定しているらしいのだ。話は平行線でいつまでも続いている。

 私にはこんな会話に聞こえた。

『日本人ってのはなんなんだい。見なさいよ。ほら。』 女性が言う。

『そんな事もないんじゃないの。』 男性のひとりが言う。

『そうだよお。』 もうひとりの男性が言う。

『あんた達、どうかしてんじゃないの。良く目を開けて見なさいよ。どいつも、こいつも人間の顔してないよ。ちゃんとした人間らしい形してないじゃない。』 女性が言う。

『しかし、そこまで言うことないと思うんだけど。』 男性のひとり。

『そうだよお。』 もう一人の男性。

 夜遅くまで働いて、深夜の電車で帰るサラリーマン。デイスクワークがほとんどの人たちだと思います。その顔には肉体労働者のような健康な達成感、疲労感はないですね。様子ばかりうかがうような顔ばかりです。主張するような服装、体格、顔は無いです。でも、日本の会社が要求するのは主張の無い人なのです。和です。平和な国の代償なのでしょう。

 会社を離れたら、自分のしたいことを主張しましょう。自分の生活に戻りましょう。快適で楽しい生活を家族と過ごする為に。

2009年3月17日火曜日

子供の正直




 『こんなとこにいられるかよー!』

 少年が背中を向けながら言い放ちました。小学校5か、6年生ぐらいでしょうか。私は、大変、驚きました。そばにいた少年のお父さんも驚きました。そして、お父さんが少年に大きな声で言いました。

『コラー!』

 お母さんが買い物をしていて、お父さんと少年が店の前で待っている。そんな感じのふたりです。

 そこは、小田急線のある駅の近くにある最近出来た、スーパーです。以前あった著名なスーパーが廃業して、代わりに出来たのです。結構はやっています。それに、沢山見かけるスーバーです。店はそんなに大きくはないのですが、自転車で乗り付けてくるお客さんが沢山います。私も、テニスの帰り道でよくよります。そんなある日の夕方の出来事です。 季節は秋です。

 私は買い物を済ませ、両手のビニール袋に一杯の品物を入れて自転車に向かいました。自転車は店の周りにぎっしりと並んでいます。自転車を整理する警備員の男性がいるのです。それぐらい自転車は一杯です。そして、私の自転車の前にお父さんと息子の少年が立っていたのです。私は、『ちょっと、通してくれない。』と、言いました。

 何故、少年はそのような事を言ったのか分かるような気がします。子供は正直です。周りの空気をそのまま表現したのです。確かに駅前は自転車を放置していると区の人達がかたずけてしまいます。整然としています。ある意味では規則が徹底しています。しかし、殺伐とした空気があります。人は人関係ないといった空気が街にあります。近所には高校があります。そこの生徒さんも良くないなあ、といった感じです。多くのサラリーマンが駅を利用するので、人の出入りは沢山あります。しかし、通行するだけの人達ばかりなので、会話はもちろんありません。無言で買い物や素通りする人の影響を受けたのです。

 人は人、されど仲良し。争うことではなく、仲良くした方が生活は快適になります。快適な生活をする為に。




旅では色々な人々に会います。そして普段とは、違った自分にも。

2009年3月16日月曜日

まるく治まる




 『ちっちゃい奴でいいの。20万円ぐらいの。』 若く背の高い、魅力的な女性が言います。歳は二十歳ぐらいでしょうか。右手の親指と人差し指を使って小さいものを形容しています。

 『売ってたかなあ~。日本に。』 なんかのんびりした感じの男性が、顔を上に向きながら応えています。
『じゃ~。どうしてテレビでコマシャルしてるの~。』 確信めいた感じで緩やかに男性に、女性が言いました。

 『知らない!だって、友達言ってたもの!日本に売っていないって!ずーと、ずーと、遠い国に売っているって。インドよりずーと遠い国に。それでね。それでね。ダイヤモンド買いに行くと、熊が出るんだって。こわいでしょ。ね。いやでしょう。』 小さな男の子がしゃべるようにに男性が言いました。

 『ふ~ん。熊に食べられちゃうんでしょ。』 ちょっとの間がありました。さりげなく応える女性。

 『違うの。帰ろうとするとね。熊さんが寂しいって言うんだって。帰れないでしょ。いやでしょう。それに、熊さん毛だらけなんだよう。』 男性が言いました。

 どうも、女性がダイヤモンドの指輪を男性に買ってくれとせがんでいるらしいのです。そして二人の声の性質は、なんか前面に出ちゃう声をしてるんだよね。

 そこは場末の小さなごみごみした、横浜のレストランです。私の背中の方で二人のカップルがお話していました。なるほどなあ。悪意ない話方、内容なら、許されるものかもしれないなあ。その場の話を治めるには。

 ユーモアって必要だよね。平凡な生活を愉快に快適にする為には。

2009年3月15日日曜日

恐ろしい衝動




 『エ~ン、エ~ン、怖いよ~、怖いよ~。』


 半ズボンを履いた小さな男の子が鉄骨で組まれた、火の見やぐらの中ほどの階段に必死につかまり声を上げて泣いています。小学2年生ぐらいでしょうか。どのぐらいの時間泣いていたでしょう。大人の男の人が見かねて、鉄の棒を溶接した階段を上っていき男の子を抱きかかえて下ろしてくれました。私も何度か登った事があります。馬鹿だなあと思いました。怖くて上れないなら最初から、上らなきゃいいのにと。ずいぶん昔の話です。私が小学生の頃の事です。どれぐらいの高さでしょうか。記憶では10階立てのビルぐらいでしょう。鉄骨には銀色のペンキが塗られていました。


 しかし、ちょっと違いますけど、小学生の頃に似たような経験があります。とても危険な場所に行ってしまうのです。そこは、落ちたらひょっとしたら命を失うかも知れない場所です。でも、自然に足が動いてしまいます。心の中は恐怖でいっぱいです。でも、足はジリジリと前進してしまいます。一歩半歩と、少しずつ少しずつ前進します。誰もいない場所、海の波が渦巻いている古い港の先端です。わずか20cm幅の海水で濡れた場所をジリジリ、ジリジリ進んでいきます。足元の古いセメントのブロックは海藻が付着していて滑りやすい状態です。背中と両腕を壁にピッタリと付け、今にも心臓が飛び上がりそうです。左に曲がると、そこは、海と空が視界いっぱいに広がっています。突き当たりの先端のセメントは少し欠けています。もうここまでしか進めない場所まで行くと頭の上の空に目を向け、遠くの水平線を見、眼下の渦巻く波を見て、引き返します。足首から、痺れるような感覚がお尻の方に、電気のようにはしっていて、気が遠くなりそうです。やはり、慎重にジリジリと足を後退させてです。安全な場所まで戻って、体の緊張が解けると、ホットして何事も無かったように普段の生活に戻ります。家族とともにご飯を食べ、学校も普段と変わらずに通います。でも、またその場所の近くに行くといつ同じ行動を取ってしまうか分かりません。


 火の見やぐらに登った男の子、私に限りません。人は時として思わぬ行動を取ってしまいます。興味から、あるいは自分でも分からない衝動にかられてです。人はそのように経験をつんでいくのだと思います。良い衝動もあるはずです。なんとなくゴミを拾ってゴミかごにいれるとか、人に親切にするとか。女性にお世辞を言うとか。


 生活を快適にする衝動を発見しましょう。快適に生活する為に。






子供に危険な遊びをされないよう、友達を作ってあげましょう。

2009年3月14日土曜日

若い時




 『若い時はすぐ出来たのに。』

 隣のレジの女性に言い訳がましく私の買い物を清算している女性が言いました。最近家庭から復帰して、久しぶりに職場で働きだしたようです。赤い林檎の値札を見ようと、くるくる両手で林檎を回すのです。それも、忙しくです。あまりに林檎を何回も何回も回すので、ちょっと驚きました。何故、そんなに慌てて赤い林檎を両手で回さなきゃいけないのかと。表と裏を見れば良いだけなのにと、思いました。そこは、東急東横線の綱島駅の改札口を出てすぐ目の前にあるスーパのレジの前です。


『どこの国の方ですか?』 私。
『パキスタンです。』 浅黒い笑顔で答えるパキスタンの女性。

 たぶん奥さんでしょう。中目黒のセブンイレブンのレジで働いていました。落ち着いています。良くこの店に買い物に来ました。ある時は10人位の客が彼女のレジに列をなして並んでいました。でも、彼女全然平気です。マイペースです。実に落ち着いています。昔の話ですけど。

 必死に生活を支えていく為に赤い林檎をクルクルと回す、レジの日本人女性。分かるような気がします。何とか自分が有能であると自分自身を納得させたいのです。人がどう言おうと、見ようと自分が自分をそのように見ればいいと思います。

 落ち着きましょう。自分自身の為に。人は落ち着いた人に関心するものです。あなたもそうでしょ。落ち着いた人に敬意を払いますよね。慌てている代表の人を見たことありませんもの。生活も落ち着いていると快適です。快適な生活をする為に。




旅行すると決まったとき、訪れる笑顔。

2009年3月13日金曜日

快適な生活の秘密




 『不思議だよなあ。一匹も釣れなかった。雑魚一匹さえも。』



 ふわふわした感じの顔をして言っていました。



 遠い昔に聞いたお話です。彼はマグロ船に乗って働いていたのです。ある日、船に乗っている猫が彼のベットで粗相をしたのだそうです。それで彼は怒りにまかせて、その猫を海にほおり投げてしまったそうです。そしてその日は魚が一匹もつれなかったそうです。



 『ほら、おまえが猫を海に投げちゃったからだよ。』



 そう、仲間の船員に言われたそうです。本当に不思議な顔をして、私に言いました。聞いたときは、ありえることだと考えていました。不思議とね。良くお年寄りがおてんとうさま見ているよ、といいます。確かにそうです。存在しているのです。私達の環境を支配する力が。目には見えなくても存在はしています。電気、熱、風等と同じです。



 快適な生活をするにも、なんらかの力を使わないと駄目なんじゃないでしょうか。ぼんやりと待っていても快適な生活をする事は出来ないでしょう。快適な生活に見合った力を使わないと駄目ですね。適度な運動であり、会話であり、計画をする事ですよね。

2009年3月12日木曜日

The secret to the health.健康な人達




 電車の中、私は座席に座っていました。電車が駅に止まり、ドアが開き、新しい乗客が乗ってきました。私の前には、若い女性の大学生のグループが立ち並びました。彼女たちの体からあふれるような健康healthが周りに充満しました。若い皮膚をした腕を半袖からだし、自然な会話をしている。

 歩き、話、笑い、何かに進んでいる。進学あるいは就職や家庭にと。健康healthな人は忙しい人が多いです。あっちに行ったり、こっちに行ったり忙しいです。

『うちのお父さんに歩かなきゃ駄目だっていてるの!』 
 
 川崎の仕事先のバス停に立っていました。私の後ろに並んでいた奥さんが話しかけてきました。しばらく私の様子風体を観察した後に、話を切り出しました。どうも、旦那さんが座ったきりで体の調子が悪いようなのです。それで、奥さんがしきりに旦那さんに歩くことを勧めているのだそうです。しかし、旦那さんは、奥さんの話に耳を傾けようとせずに、相変わらず座りっぱなしなのだそうです。

 大きな目標を持って前進する人がいますけど、その進歩はやはり一歩一歩だと思うのです。その積み重ねが大きな前進になっているのが現実です。身近な一歩を習慣にした人が大きな前進が出来るのではないでしょうか?Progress する do life comfortably




南の島で出会う笑顔、笑い、太陽の溢れるようなひかりが待っています。