2011年3月29日火曜日

思わず目を閉じるとき




『動機は父親に知られるのが怖かった。』



 インターネットのニュース動画から流れるニュース解説者の声を聴きました。思わず目を閉じました。そして、その手段を聞いたとき、また目を閉じずにいられませんでした。へその緒がついた赤ちゃんの死体が雑木林の中で見つかり、容疑者の18歳の少女が取り調べられたのです。



 少女は、どのような気持ちで毎日を過ごしていたのでしょう。このような情けないことが起こるのは社会の責任ではないでしょうか? 家庭にも学校にも、社会にも会話の声が聞こえません。ただただ静かにしてください、の社会では、だれにも相談することはできないでしょう。間違いを受け入れて正すふところも、余裕もない日本の社会のような気がします。



 静かな社会では、誰も平和なのでしょうか。そんなことはないと思います。人々の生活に於いては、かならずや大小の差はありますが、波があるはずです。そんな波を乗り越えて、人の生活は進んでいくのだと思います。目覚め、顔を洗い仕事や学校に出かけ日々を過ごす。そんな生活の中で、なんの会話もなく余裕のない日々を送っているのなら人間ではなく、感情の無い機械です。



 人のいるこの世の中では、必ず人が犯す間違いや、天災があるのです。そして、誤りや天災を受け入れられるふところがある社会にするには、第一に日常の会話が普通に行われる社会で無ければならないでしょう。こんな話を聴いたことがあります。



 『私設の託児所に赤ん坊を預けたらしいんだよね。するとね。託児所の人が面倒見ないんだって。おしっこしても、ウンチをしても。それで、自閉所になっちゃうんだって。こんなふうに。』



 これを話した人の顔は赤ちゃんの真似をして、目は天井に向けて白目を見せていました。日本の社会の構図のような気がします。東海大震災に、適切に対処できないでいるような気します。地震、津波、原子力発電所事故、不景気、政治的空白、閉塞感。いま日本の人達が普通に頭に浮かぶ問題です。生活のことや人生について普通に話せる人々がいるでしょうか? 私はまだ、あったことがありません。



 区役所の相談係に日常の騒音について相談したことがあります。なるほどなあ。笑われるるだけなんだあ。形式だけの相談係でした。なにか勘違いしています。解決策もなく、話を聴くだけの相談係です。自分の頭で考えろとのことらしいです。失業対策、雇用対策でテレビでノンストップで等と言っていました。生活保護について電話で尋ねてみました。あっちこっち電話をかけました。結局納得する話はどこでも聞けませんでした。あっちに電話しろ、こっちに電話しろで、終わる気配がなく、人に話せるような事を聞くことをあきらめました。半日ちかくも電話していました。察して余りあります。



 今、テレビに顔をだす要人の誰もが国難だと言っています。具体的にはわかりません。会話が出来ない日本人には察することしかできないのです。経済が、お金がないとのことらしいのですが・・・。じゃあ、どうしたらいいんだ。と、言っても答えはありません。



 東海大震災が追い討ちをかけて日本の人達に、答えを迫っています。家族、家、仕事を無くした震災者の人々に適切な対応が出来ずにいます。一部の人々には、救援が届いていますが。福島の原子力発電所事故も、大変な事になっているようですが。何がなんだかわかりません。要領を得ないテレビの放送です。普通に話せない人達が普通に対処できるでしょうか。普通に話せない環境で暮らしている人達が突然普通に話せるものでしょうか。日本国民の象徴である天皇陛下に国民が話しかけてはならないのだそうです。天皇陛下が国民に話しかけても問題はないらしいのですが。それを『ごかもんのれい』というのだそうです。ひょっとしたら天皇陛下も普通に話ができなのかも。