2009年9月26日土曜日

pips




 『1pipsは1銭です。1万通貨だから、1円動くと1万円です。』

 私の右手に持った電話機の受話器から、耳の中に流暢に説明が流れてきます。でも、私の頭の中では引っかかるものが無く理解出来ていません。そして、あまり何度も聞くのもばつが悪くなります。そして、分からないまま私はさっきから同じことを言っています。

 『なるほど、なるほど。』

 そんな会話がどれぐらい続いたでしょう。結局分かりませんでした。為替証拠金取引(FX)をやり始めようとして証券会社に電話したのです。3社の証券会社に電話して同じ事を聞きました。女性が一人、男性が2人と計3名の方が私にpipsの事を説明しました。皆さん同じような内容を説明するのです。しかし、何かが欠けていて私には分からないのです。単位が二つある事が分からないのです。pipsと1万通貨です。つまりは、pipsは相場(レート)の上下の単位であり、一万通貨は通貨どおしの売買単位の事なのです。そしてレバレッジも正確には分かっていません。危険なのか便利なのは、詳しくは。

 昔、こんな記事を見ました。学校の先生が生徒にある計算式を教えました。すると、生徒が分からないような顔をしました。先生は分からないんだと考えて、もう一度教えました。すると、またもや生徒が分からない顔をしました。しょうがないので先生はもう一度教えました。すると、今度は先生が分かったのです。先生が教えた数式は先生自身が分からない数式である事をです。先生は自分が分かっていると思っている数式は分かっていなかったのです。

 こんな事は、私達の世の中には沢山あります。子供の事を分かっていると思っている親御さん、国民の事を分かっていると思っている政治家の方。数え上げたらきりがありません。

 よその国に自分の国の国民がさらわれて、無視している政治家や国。当たり前の事が出来ずにいます。大きな声で言わなくても分かりそうですが。しかし皆そうです。他人事ではありません。

 そんな感じで証券会社の方は、自分が分かっているから問題ないような説明をします。そして、その説明を聞く私には分からないのです。為替証拠金取引は元本が保障されていません。リスク(危険)があります。

 生活を守るにはそれなりの力が要ります。分かりませんでした。ごめんなさいでは、人間としての尊厳を守る事も出来ません。話してに働きかけましょう。やんわりとね。ジョークを交えて。

『ほんとうに分かって言ってるの。』

 そして、理解する努力を続けましょう。生活を快適にする為に。出来るなら良き話し手、聞き手になれた人も。




 

2009年9月19日土曜日

FXセミナーの補習




 『あなたは、基本が分かっていない。あなたには、個別指導します。』

 何やら体格の大きな人が席から立ち上がり、大きな声で私に向かって言います。ここは、兜町にある雑居ビルです。20名ぐらいの男女の人が椅子に座って、静かに一人の女性の説明を聞いています。そこで、彼女が何か質問がありますか、と問いかけたので、色々な疑問を声に出してみました。そして、その疑問にはなかなか即答できないようなので、その体格の大きな人が席から立ち上がったのです。そして、私の疑問は解消されないまま、次の飲み会に移行してしまいました。お酒の席の親睦会で、私の疑問を解消してくださいとの事なのです。

 『寝ちゃうんですよ。1時間足でポジションを取ったら、もう。』

 ビールジョッキやウーロン茶の入ったグラスや、酒の肴である、刺身の盛り合わせ、イカの焼き物、サラダ、鳥のから揚げ等がテーブルの上に所狭しと、沢山置いてあります。そんなテーブルを挟んで1期生である人が私に、教えを説いています。お酒が入った口からでる言葉には説得力があまりないですね。為替証拠金取引のセミナーを受講しているのです。そして、その補習を今日受けに来たのです。でも、日本人特有の会話のパターンから抜け出すことが出来ません。いつもの事ですが、部分部分で話が終わります。

 まあ、セミナーを開催しているこの会社も慣れていないのです。聴衆と会話をする事にですね。そして、空気が悪くなる事を想定して蓋をしようとしたのでしょう。私も、大勢の前で話すことには慣れていません。とりあえず、このまま終わってしまっては、高いお金を出した意味と、ここに来た意味がないのでなんとか納得するような成果を得たいと思っています。ですが、皆さん引いています。私を、ちょっと異端児のような目で見ています。

 そうなんですよね。自分の利益より和を乱す人に距離を置くことを自然にするのが日本の人のやり方です。それは、今後も当分変わらないでしょう。人を理解する事が出来ない、日本の人です。自分と違う背景や考えを受け入れる事が出来ないのですね。答えを用意して上げないと、会話が出来ない人が日本の人なのです。

 ここに来た人達が儲かっているかどうか、間接的に尋ねました。多くの方が儲かっていないようです。私の前にいる地方から来た男性はちょっと儲かっているとの事で、これから仕事とは別にして専門にやろうとしているといいました。フィボナッチなる言葉も口から出ていましたね。

 そして、けして私には個別指導等というものはしないでしょう。それが、彼らのやり方です。それが、実力のない者のやり方なのです。ぶっつけ本番で、何かあると、急いで話を止めて違う方向に行こうとします。それは、考えをもてない、会話をする事の出来ない者のする違った解釈です。そして彼等は、会話の次に姿を現すだろう事実を手にした交渉と名の付けられた者を見ることは決して無いでしょう。

2009年9月12日土曜日

知らない東京




 『ん? なんだろ。』

 東京にある地下鉄のひとつ、日比谷線の人形町駅の方から、様々な形や色に変化する歩道を真っ直ぐ歩いてきました、道の突き当たりにきました。随分歩きましたが、どれぐらい歩いたでしょう。そして、立ち並ぶビルを抜けた横断歩道の前に立ち、まわりを見渡しました。たくさんの車がひきりなしに目の前を走っています。そして、道路の向こう側に立っている歩行者用信号機の信号が青になるのを待っていました。信号が青になり、信号の中の人の歩く姿を確認して、車道の灰色のアルファルトに白いペイントで縞模様にしてある横断歩道を渡りました。ここは緑色の水を満々と貯めた大きな池の堀で皇居を囲んだ内堀通りの歩道です。歩道には等間隔に柳の木が、緑の葉を付けた枝を涼しげに垂れ下がっています。右方向に進もうとしていましたが、左手にチラッと気になる人達が目に入りました。しばらく頭の中で右に行くか左に行くがの葛藤がありました。そして、体は左の方に向いて歩き始めました。

 何人かの外国の人達が、皇居の一部であるなにか案内図を見ています。歩きながら目にすると、なんか外国の方の観光スポットのようです。ここを目標に遠くからあるいてくる外国の方の姿がチラホラと見えます。もちろん、日本の家族でしょう。そのような親子の人達も一家族ではありますが、見ました。お父さんとお母さんに大きな息子さんの3人でした。

 警察の警備官が居る大きな古い門を抜けました。その後に3センチ、5センチ四方のチョット厚みのある白いプラスチックの入門カードを門の窓口で手渡されました。中は広々とした歩道、大きな石で作ってある石垣、緑の芝生と広大な空間が続いています。どれぐらい道案内の立て札に従って歩いたでしょう。左手にしている腕時計の針を見ました。11:30です。そろそろ戻らないと時間がなくなってしまう。食事を済ませて、健康診断の続きをしなければと思いました。

 たくさんの海外の国の方とすれ違いました。実に皆さん姿勢がよろしいですね。欧米人、頭巾を被った、アジアの女性、例外なく堂々とした感じを受けます。畳を広げたような体格のお母さん、娘さんもいました。物静かな空気をまといながら、歩く姿はなんでしょう。自然で、人間の持つ威さえ感じます。

 ここは皇居の一部なのでしょう。そして、観光客に開放された、東京のひとつの広々とした空間でした。そして、日本人である私がここで見たものは、皇居の壮大な石垣や広々とした空間ではなく、海外から観光に来た人々の落ち着いた空気を身にまとった態度と、とても気持ちの良い真っ直ぐ伸ばした体と姿勢でした。

2009年9月11日金曜日

笑いながら付いてくる人




『なんだい。このひと。』

 ふっと、気が付くと茶色い髪の短いヘアースタイルをした外人の男の人が私の歩いている後を付いてきます。にこにこと言うより、ヘラヘラした良くないなあといった笑い顔をしています。私は、用賀にある富士と言うスーパーの2階のフロアをあっちに行ったりこっちに行ったりと忙しく歩いています。目的の買い物を探すために歩いていたのです。フロアは、下着、洋服、カバン、カーテン、色々な雑貨が置いてあります。そして、良く私はこの店を利用しているのです。季節は夏も盛りの暑い、良く晴れた天気の良い日です。そんな日のことでした。

 その外人さんは、同国の連れの女性がいました。そして、見た感じはごく普通の人でした。しかし、私の歩いて行くところをニヤニヤと笑いながら後から、ついてくるのです。まあ、私は急いでいたので、そんなに長い時間はフロアには居ませんでした。多分、その外国の男の人は、何か悪さをしていたのです。そして、そこに私がエスカレータに乗って二階に来ました。そして、自分が仕掛けたその悪さを私が受けたと思って、私を笑ってやろうとして、私の後を付いて回っているのです。しかし、私があっちにいったりこっちに行ったりしているので、充分に私を笑うことが出来ないでいるのです。そのうちに、私がエスカレータで1階に降りて行ってしまいました。エスカレーターを降りるところまで彼は付いてきたのです。そして、下りのエスカレータに乗っているときに思ったようです。

『俺ってなにしてるんだろ?』

 そんな、ことでした。悪さをする人がいるのは、世の常です。そんなときはかまわないほうが良いです。さっさとその場を離れましょう。そして、楽しくなる場所にいきましょう。

理由なく付いてくる人




『なんだい?』


 歩いています。それも、急ぎ足で。まだ、春先の寒い朝の事です。灰色のアスファルトの歩道を靴の音を鳴らして、急ぎ足です。東京は世田谷区にある千歳船橋の駅に向かって急いでいるのです。新横浜にある仕事場に行くためです。ですが、別段時間に遅れているわけではありません。急いで歩く事が、ちょっとした運動になる事に気が付いたのです。大きくまたをひろげて、両手の振りもおおきくなります。


 ふっと気が付くと、ぴったり私の後ろに付いてくる人がいます。ちょっと想像できません。それぐらいの急ぎ足で歩いているのです。変な人です。付いてくる人と私との間隔は2メートルもないでしょう。それぐらい、ぴたりと付いてきます。何か変です。私はそうおもうのですが、後ろの人は何を考えているのでしょう。通勤の人達を次々にやり過ごしています。なんか変です。私と後ろの人は。多分、我を忘れているんだと、思います。私が急ぎ足で歩いているので、何かあるのかと思っているのです。それで、ピタリと付いて歩いているのです。私に言わせると、アホかぁ、そんな感じです。


 改札を抜け新宿方向へのホームに立っています。何事もなく落ち着いた感じで電車を待っています。ピタリと私についてきた人ですか。私を見ています。あれっといった表情です。その目は節穴のような目でした。何か良からぬことを考えていたのでしょう。


 注意しましょう。普通に見える人でも、悪さをするものです。随分昔の話ですが、メキシコオリンピックの銀メダリストであるマラソンの君原健治選手が、雑誌に投稿して、書いたちょっとした自伝の文章の中にこんなのがあります。


 『凡人に暇を与えると、悪をなす。』


 私の歩行にピタリと付いてきた人は、凡人なのです。そして、秘かに私に悪をなそうとして付いてきたのです。ですが、私には、その隙がなく、それが出来なかったのです。そして、彼はその気はなかったのですが、急いで歩いている私を、そう見てしまったのです。悪をなす出来心というやつで見てしまったのです。当然私には、悪をなされる隙はありませんよ。だって、私は、ただ急いで歩きたかっただけなのですから。多分、彼は動物的な弱者を獲物にする本能に従ったのだと思います。大人しい飼い犬が、怖がる人に噛み付く事があります。こんな事を聞いたことがあります。



 『他人の失敗は蜜の味。』



 そして、人はみんなそうだと思います。あなたにも、経験があると思います。多分、こんな事を誰かに言われた事はないですか。そして気が付いたり、我に戻ったことはないですか。


『何を考えてんの?』


 そして、急いで歩く事は止める事にしました。まねをする、多くの人が出現しはじめたからです。

2009年9月10日木曜日

日本橋での食事と、日本人が作り出す変な緊張した空間と、建物





 『激辛でうまいんですよ。これが。』



 その若い男の人は黒いスーツ姿で、幅のあるしっかりした木目のテーブルに、自分の昼食の料理が載っているトレイを置くなり、椅子に座り、そんな事を左向かいに、向かい合って座っている、白いワイシャツにネクタイ姿で、茶髪の外国の男の人に話し始めました。彼ひとりが元気に話しています。外人さんは黙って聞いているのかいないのか分かりません。若い男の顔を見ること無く、黙々と食事をしています。多分、同じ仕事仲間なのでしょう。私と並びの席なのですが3つぐらい、椅子の席が離れています。



 そして、私達の右斜めには、幅2m、縦1.5mぐらいある、大きな液晶テレビの大画面が床に於いてあり、アメリカの大リーグの野球の中継を放送しています。もちろん、テレビ画面の中では、赤茶色のグランドと綺麗な緑色の芝生の上で、カラフルなユニフォームを着たアメリカ人が、グラブとバットを持って野球をしています。外野を守っている、日本の一郎選手の顔もアップで映し出されました。



 ここは日本橋にある黒灰色をした大きなビルの1階です。聳え立つような、40階建てぐらいの大きなビルです。1階には、いくつかの飲食店が、入っています。二つの自動ドアの左の入り口から入って、やはり左にあるひとつの飲食店に入りました。今日始めて、このビルと、この飲食店に入りました。その飲食店の中には、カウンタがいくつかあり、それぞれの料理を出していました。中華、洋食、サンドイッチ、どんぶりもの、和食等がカウンタごとに分かれていて、カウンタ越しに注文できます。カウンタごとに分かれている、たくさんの料理人が、それぞれのユニフォームを着て、いそがしそうに、手足と口を動かしています。



 『いらっしゃいませ。御注文お伺いします。』



 それらたくさんのカウンタを一回りして、好みの食べ物を探しました。中華料理は、また、離れた厨房とテーブルを持つホールにありました。和食カウンタに並んでいる、秋刀魚定食を食べたいと思いましたが、どうしてかチキンフライ定食を注文してしまいました。多分、魚に使用してあるかもしれない鮮度保持剤の散布を心配してしまったのでしょう。



 カウンタから渡された黒いプラスチック製のトレイの上には、いくつかのお皿とカップがのっています。大きな白い皿にはきつね色の皮付きポテトフライが5、6本、茹でてある一切れの小さな赤い人参と3本の緑色のインゲン、そして程よい大きさの茶色ソースを身にまとったきつね色のチキンフライが目玉焼きを乗せて、盛り付けてあります。中皿には白い御飯を平たくして盛っています。少し油が浮いた薄茶色のスープが入った白いカップと、緑のレタスと一切れの赤いトマトを盛ったサラダが入った小皿。アメリカ映画の社員食堂のイメージのような感じの食堂です。洒落た感じがします。厨房のカウンタ群と、食事をするテーブルが置いてあるホールを分けている壁に立っている、黒い服を着たウエイトレスが食べ終わった後にテーブルに置かれたトレイを下げています。



 カウンタから料理をもらうと、カウンタと反対の後の壁側にあるテーブルの上に備えてあるナイフ、フォークをトレイに乗せて、小さなサラダにフレンチドレッシングをかけました。透明なガラス製の水のみグラスを取り、イオン水なる水を黒いプラスチック製の給水機からコックをひねって音を立てて入れました。気をつけて、トレイを両手に持ち、座る席を探しました。席数には余裕があり、なんなく座れました。ナイフとフォークを動かしチキンと御飯を口に運びます。でも、なんか窮屈な感じがします。回りは、ビル内で働いているサラリーマンがほとんどでしょう。会話もなく黙々としています。それに、天井が低いのでなんか、抑えられている感じを受けます。



 異常な感じがします。黙々と食事をする多くのサラリーマン。もう外人のサラリーマンが普通にいますね。そして、このなんだろ、レストラン風の食堂には、食事の楽しさを見出すことはできません。



 先程の3つ隣の席に座っていた外人さんが食事を終え黙って席を立ちました。それで、話していたサラリーマンの彼も話をするわけにはいかなくなりました。しかし、食事をしていて、どうして気持ちよく食事が出来ないのだろうと思っています。この飲食店には変な緊張感があります。多分、窓も無い天井の低い所に大勢の人間がいること自体が異常なのです。そのためには、天井を高くするなり、吹き抜けを作るなりする考えが必要なのです。日本人の悪いところです。人間を無視した空間にしてしまう裁量の無さです。人も動物の一種なのですから、その辺を少し考慮して欲しいところです。



 季節は夏から秋になる日の頃です。半袖シャツにネクタイをして歩いていても、汗をかきません。爽快な温度です。それにしても、不景気でも、多くの人が仕事を持っていて働いているんだなあ。と、感心しました。

2009年9月5日土曜日

日出る国




 『一番良いのを持ってきて。一番良いのね。』

 ある日の正月の事です。母である彼女が冷たく寒い、玄関に置いてある黒い昔の電話の受話器を持って受話器の向こうに居る相手に言いました。何度も何度も嬉しそうに念を押していました。離ればなれになって暮らしている家族である息子や娘が年に一度、生まれ故郷に戻ってきたのです。彼女の赤ちゃん達が彼女の元に帰ってきたのです。そして、そんな家族に最高のもてなしをしたいと思っています。そんな事で近所にある一番良い寿司屋さんに電話を掛けました。日本人の最高の食べ物である寿司の出前を頼んだのです。

 ここは、東京から遠く離れたところにある小さな港町ですが、東京の築地にある寿司屋さんもぶっ飛んでしまうような味と生きの良さが無いと居られないところです。こと商売をしている店で張ったりや建前が通用しない港町です。母である彼女が扱っている家計は、けして具合はいいはずはないのです。でも、1年に一度家族が顔を合わせる、そんなときにどのようなもてないしをしたらいいでしょう。そうです。最高以上のもてなし以外にあるでしょうか。最高以上のもてなし以外に。
 
 どうですか?あなたは、今日の自分に言えますか。自分にあったもてなしを出来ますか。厳しい現実や刺激いっぱいの世界に、今日もしょげながらも、けなげに生きている自分自身に。最高のもてなしを。

 これから日本の国を動かそうとしている民主党の政治家の人に言います。この国は日出国ですね。最高の国にして下さい。この時代に生きている人に、世界中の人に最高の国を見せて下さい。キラキラと眩しい日が昇るような国を見せて下さい。

 サラリーマンの過労死の知らせは随分聞きました。自分を賭けて仕事に打ち込む、命を掛けて目標を達成したい、そんな気持ちの人もいると思います。そんな人達は、本当に素晴らしいと思います。でもね、そればかりではなくて幸福な家族や人々の笑顔をごく普通に巷でたくさん見たいと思うのです。そして強い国でなくても良いと思います。他の国に捕らわれの身の日本の人達を救い出せる、あたりまえの考えと力を持っているならと思うんです。安心して生活に情熱を燃やしている、キラキラと輝く顔をした日本の人々を見たいと思うのです。

2009年9月3日木曜日

無責任に、がんばってくださいと言う人々




『がんばってください。』

『うるさぁあい!』

 彼女は、ちょっとびっくっとしたようです。私と仲良しのスポーツクラブの女性インストラクターです。私から何故そのような事を言われるのか分からないのです。我慢にも限度があると思いました。少しずつ積み重ねられていたのです。本当にちょっとづつ、ちょっとづつ積み重ねられていました。チリも積もれば山となるです。そして、堪忍袋の緒が、ぷつりと切れました。

 ここは神奈川県の川崎にある結構大きなスポーツクラブです。若い男女のインストラクターがたくさんいます。紺色の厚手の短パンに白やピンク色の半袖のスポーツトレーナーと運動靴を履いた軽装も見ていると、爽やかな感じを受けて、なんか気持ちが和みます。そして、とても気さくに話を聞いてくれます。まあ、商売ですから当たり前ですね。利害関係のない人々がダンベルを上げたり、スクラッチをしていたり、エアロビックスをして朝から晩まで気持ちの良い汗を流しています。

スポーツクラブの受付に会員証のプラスチックのカードを渡します。

『がんばってください。』

 受付のアルバイトの女性が、私に言います。

『どうも。』

 私も、何気なく応えます。とりあえずロッカールームで着替えをします。すると、男性のインストラクターと顔を合わせます。

『がんばってください。』

 私も、応えます。黙っているやり過ごすわけには行きません。

『どうも。』

 マットを敷いてストレッチをして、体を柔らかくします。足を広げ、腰を曲げて右に左に屈伸運動をします。たくさんの男女のインストラクターと顔が合います。

『がんばってください。』

 私もなにげなく言います。黙っていると気を悪くすると思ってです。

『どうも。』

 運動の合間に、インストラクターをたわいない会話をします。会話が終わると必ず彼等は私に言うことがあります。それは、それは、毎度の事です。

『それじゃ、がんばってください。』

 運動は毎日しないと体がなまります。毎日、スポーツクラブに行くと、何人ものインストラクターに言われます。それも、同じインストラクターが何度も言います。顔を合わせるたびにです。

『がんばってください。』

 スポーツクラブの支配人と世間話をしました。スポーツクラブの会員数の話になりました。

『ここのスポーツクラブの会員数は、現在は4000人ぐらいですね。でも、毎日100人ぐらいの人が退会していくんですよ。だから、キャンペーンをして会員を入会させないと駄目なんですね。』

『ええ! 毎日100人も退会するの?』

『ええ。仕事の関係で引越したり、色々な関係でですね。』

『へえ。そうなんだぁ。』

『でも、がんばってくださいと、言うと会員が退会するのを引き止めることが出来るんですよ。』

 なるほどなあ。スポーツクラブのセールストークなんだと納得しました。でもね、毎日毎日、たくさんのインストラクターが顔を合わせる度に言われるんですよ。耳にたこができてる、こっちの身にもなって下さいよ。いやになるよお。お前たちは同じ事しか言えない、物まねをするオームかあ、とね。もっと、なにか違った事がいえないのかあ。ってね。ある日、ある男のインストラクタに頼むから、もう言わないでよぉって言ってみました。

『仕事なんですよ。』

 そう言われました。そっか、人が嫌がっているのに、それが仕事だと言います。どうしょうもないです。

 昔、仕事先の人に言われました。がんばってくださいと言うのは自分に言う言葉で、人に言う言葉ではないとね。もう、スポーツクラブには行っていませんが、たぶんスポーツクラブの会員の人は今も言われているでしょう。

『がんばってください。』

2009年9月2日水曜日

母親と息子




 『ほら! かずお!』

 何度この言葉を聞いたでしょう。高校の時に、よく近所の友達の家に遊びに行きました。高校生になると何となく気の合う友達が分かってきて、色々と話をするのが楽しくなります。彼はそんな友達の1人でした。そして、笑顔や笑い声の中で友達数人で楽しく話をしていると必ず、彼のお母さんが、険しい声で彼に冷たい水でも浴びせかけるような感じで言い放ちます。そんな時に決まって、彼は判で押したように同じ返事をしていました。声を荒げて、怒った表情をしてです。

『分かってる! 今やろうとしているところなんだ!』

 そうなんですね。いつも追われるように言われているのって辛いんですね。仕事でもなんでもそうですよね。自分から進んでやるのは、なんでもないのですが、人から強制されると興味をなくしてしまんですね。辛い作業には早代わりしていまうんです。

 それは、会話が出来ないからなんですね。ただ自分の言いたい事を言いあうのは会話ではないと思うのです。ワンちゃんたちのワンワン吠えるのと一緒だと思います。やはり会話をするには、自分自身と相手の状態や希望を了解してお互いに会話相手が満足するような話の内容にする事と、そのような話方をしないといけないと思うのです。

 それは、この世の中にいる家出少女が何故、家出をしなければならないかの原因のひとつです。まだ若い娘さんが、両親から冷たい言葉を言われなければならないことをしていまったとしてもです。どのような人間にも自尊心があります。その自尊心が傷つけられれば、明日の生活の事等、考えずに家を飛び出してしまうでしょう。その後には、娘と両親である会話相手の互いの後悔だけが残ります。

 会話は少しずつ良くなるか、悪くなるかの方に進んでいきます。ですが、ほとんどの人々は悪くなるほうに行ってしまいます。人の会話はそのように出来ているのでしょうか? 幸せな家庭や会社には、必ず考えのある会話があります。

 多分、今も彼ら親子は、毎日同じ会話と呼べない会話をしている事でしょう。望むような生活をするには、自分の希望と相手の希望を両立させた話の内容と話方を会得しなければなりません。そして、一番の話相手は自分自身です。自分自身の希望を達成すれば、いかに自分自身を誇りに思えるか、好きになるかを自分自身に話すのです。

2009年9月1日火曜日

民主党が勝った。




 『どんな国になるんだろう。』


 昨日の衆議院選挙の結果により自民党が負けたそうです。民主党が政権交代の準備をしているとのインターネット掲載のニュースを見ました。以前、駒沢公園で知り合いを前にして言った事があります。

『もう、自民党は駄目だよぉ。』

 私には確信はないのですが、言葉にしたことが現実になります。ソ連が解体して各国になる1年前にソ連の書記長だったゴルバチョフ書記長がクーデターに合い捕らわれの身になった夢をハッキリと見ました。そのときは変な夢を見たなあ、ぐらいにしか思いませんでした。その夢の1年後に、それが事実になったときには、驚きもしませんでした。そういえば1年前に、そんな夢を見たなあ、ぐらいの感覚でした。また、私がしたことが、流行になることもあります。それが私がしたことで流行になったのかはわかりませんが。たとえば、Tシャツを裏返しに着る流行がありました。私は裏返しのような生地の7部袖のトレナーを愛用して着ていたのです。また、最近のズボンをずりさげて履いている流行もそうです。流行る前に、私はバンドが無くてズボンをずりさげて履いていた日がありました。最近のカバンを持つ人はカバンにバンドをつけてたすき賭けのように斜めに肩から下げて腰のところにカバンがくるようにしていますが、私が始めたときは、みんな肩にかけていました。たすきかけをしている人はほとんどいませんでした。

 いつでしたか、やはり1党ではなく自民党と連立した政権があったような気がします。そのときも新しい首相に期待していた国民がいました。そして、その首相が言った事は以下のようなものだったそうです。

『当分は自民党と同じです。』

 まあ、会社の人の言った事を聞いただけなので、その真意はわかりません。それぐらい、私は政治には無関心だったのです。今回はどうなのでしょう。あるスポーツに熱中する人がいます。その理由は、その人しか分かりません。政治もそのようなジャンルに入ってしまっています。一部の人のものになっています。

 もう食べ物が無くて貧しい国ではありません。苦しい生活を抜け出すような国ではありません。苦しいから働くのではなく、楽しいから働く。そのような国民生活が出来る政治を目指して欲しいですね。じゃああ、おまえがやれようお。と仕事仲間に言われたときが金沢の飲み屋さんでありました。

『どけどけどけえ。俺がやる。』 

 そのときは、そう応えましたね。

お金儲けの話




『それよお。もっと味わって飲めよう。高いんだから、そのトマトジュース。』

 大柄な彼が、私に言いました。ここは、東京の茅場町にある喫茶店です。彼は、私の得意先の社長さんです。国立大学初のプロゴルファーを目指した彼です。でも結局はプロにはなれなかったようです。

『本当に、練習したぜえ。』

 彼から呼び出しがあり、2人で仕事の話をしています。彼が私を良く呼び出して、お酒を飲んだり御馳走を食べたりしています。私には何故なのか分からないのですが、彼に好かれているようなのです。気の合う仲間なのでしょう。彼から見た私は。互いの話の内容に警戒感を持つ事はありません。くだらない冗談が話の大半です。お互いに言いたいことを言いあっています。

『黒酢を売るって言う話があってさあ。こっちの条件を飲んでくれないと駄目だって言ったんだよぉ。そしたらさぁ。その話が通っちゃってさぁ。』

 そんな感じでいつも、お金をいかにして儲けるか。そんな話が私達ふたりの話題です。でも、どちらかと言うと冗談半分です。ひょうたんから独楽を期待しているのが本当のところです。

『F1の車に張ってあるメーカのCM料って2億円ぐらいするんだってね。だったら、私の体にはってくれえ。』

 私も冗談交じりで、お金にまつわる話をします。

『やっぱさぁ。ほら、俺は東京で一応会社を立ち上げて成功している。って話でさぁ。それがあるから、こっちの条件をさぁ。飲んでくれたんだよぉ。』

 そんな話をしていました。そして、ふっと喫茶店のカウンタに目を向けました。カウンタの中にいる2人の男女が身を乗り出して、私達の金儲けの話を聞いている姿がありました。本当に身を乗り出していました。

 やっぱ、世の中金かあ。

たがやのじっちさん



 『たがやのじっちさんは怖いんだからな! 近ずくな!』

 母である彼女が怖い顔をして、私の顔を見て脅かします。私はまだ小さな子供で小学校の低学年です。1年生ぐらいかもしれません。それぐらい遠い昔の話です。そこは、私が住んでいる家の隣近所にある平屋の家です。私の家族が住んでいた家の玄関を出たすぐ前の階段を降りたところに建っていました。いつも開け放たれた、その家に、たがやのじっちさんとばっばさんは住んでいました。じっちさんは、老齢の年寄りで頭には頭髪が一本もありません。背中は丸まっています。インドのマハトマガンジーのような風貌です。そんなおじいさんが座っている北側の縁側に、小さな私と弟は遠慮がちに並んで座っていました。なんとなく嬉しくなって、時々じっちさんの顔を見たり、足をばたばたさせていました。じっちさんは、話をするでもなく聞くでもなく、なんとなく始終笑顔で私達、兄弟と一緒に座っていました。小さな子供ですから、話をする事もできませんでした。ただ、タモと呼ぶ、さかなや、昆虫を捕まえるときに使う網をじっちさんが直してくれたのです。私達兄弟が座っていることを嬉しく思っているようでした。

 たがやのばっばさんは、じっちさんより若く足腰がしっかりしています。そして、家事をしている姿を良く見ました。ですが、おじいさんのほうは、外に出歩く事もなく家に中にいることがほとんどです。病気をすることもなく毎日をおばあさんと平和に暮らしているようでした。そして、たがやのじっちさんがいつ死んだのか記憶にありません。

 たがやのじっちさんは、寂しい毎日を過ごしていたのではないでしょうか。子供もなく、おばあさんと暮らす毎日です。そんなところに、小さな元気な男の子が2人が接して来たのです。しかし、私と弟は母の言う通りにたがやのじっちさんと一緒に座ることを止めました。

 どのような考えで母が、そのような事を言ったのか今となってはわかりません。たがやのじっちさんの若い頃の姿を知りませんが、母には怖い人だったのでしょうか。今、彼と話しをする事が出来なかったことを、ちょっと後悔しています。小さな子供でしたが、母の言うとおりに無関心を装って隣の人と接しなかったのは、自分に嘘をついてしまったことに他ならないからです。そして、たがやのじっちさんは自分が小さな子供に無視されたことを少なからず知っていたはずなのです。そして、それを黙って受け入れたのです。

 そんな事を思い出したのは、何故なのかわかりません。確かに私の心の中には、今も白い服を着た、丸まった背中のたがやのじっちさんの穏やかな姿がハッキリと存在しています。

 そして、たがやのじっちさんとばっばさんの家の裏には畑があって、毎年夏みかんの木が大きな黄色い実をたくさん付けていました。そして、何故たがやのじっちさん、ばっばさんと言うのかの意味も知りません。家についているやごには違いないのですが、私の両親は昔の人で尋ねられる事をとても嫌がるのです。そして、彼ら両親がどこの誰なのかも、どのような人なのかも私はあまり、知りません。何を聞いてもヘラヘラしています。強く聞こうとすると腹を立てます。そんな感じでたがやのじっちさんの事を思い出すと、寂しい気持ちで胸がいっぱいになる私です。そして、日本の家庭や人々の多くが会話をしないことを悔しく思っています。

相談係




 『引越した方がいい。引越しなさい。』

 これが、区の相談係の回答でした。なんと知恵も考えも無い相談係なのでしょう。彼女の言った、そのことについて、私の考えている事を正直に、相談係の女性に伝えました。

『そんな事は誰でも考える事じゃないですか。何の為の相談ですか? もっと ・・・・!』

 彼女は大変な怒りようでした。しかし、随分たくさんの話をしました。困っていること、快適な生活がその事情により破壊されてしまったこと。何を聞いていたのでしょう。電話の受話器の向こうで私と話している、この相談係はどのような人なのでしょう。人は外見では無いと思いますが、ひょっとしたら、どうしようもない外見の女性かも知れません。見たら相談しようなどと言う了見なんか、吹っ飛んでしまう人かもしれません。お金さえあれば、とうの昔に快適な移住環境を持つ住居に引っ越しています。おろかな自分の怒りを静めるのに時間がかかりました。顔も見えない人に相談する自分の愚かさにです。実は住んでいる集合住宅で困り果ててしまって、電話の受話器を取り上げて区の相談係に通じる電話番号を回したのです。

 その職業がどのようなものであれ、すべての人々はわが身と、その職業を守るためその仕事に従事しているのです。けして、人の困った事などの相談を聞いてやろうなどとはしていないのです。また、そのような力もないのです。それが国を動かす日本の政治家でも例外ではありません。社会の秩序をを守る警察官でもです。しかし、人の事は言えません。人間は、みんなそうなのです。 歌舞伎やシェックスピアを持ち出すまでも無く、それが人間なのです。

 こんな人間達の色々な考えの中から本当のものを見つけるのは大変な事です。人が本当に大切にするものとは、なんでしょうか?

 家族と暮らすことであり、家族を信頼する事ではないでしょうか? そして、相談係にも家族があり、家族と一緒に暮らしているのです。立場が違えば、私達もこの相談係と同じ事を言ってしまうでしょう。人の事など考える暇が無いのが人間なのです。

 しかし、その職業についていられなくなったり、家族に迷惑を掛けたりしたらどうでしょう。けして、平気ではいられないはずです。人は自分と同じ人間なのです。人は自分と同じ家族を持っているです。人が困る事とは、自分や家族がやがて同じ経験をする可能性を示しているとの事ではないでしょうか。

 いまや、自民党が与党である日本政府もこのような相談係と一緒かと、私には思えます。機能していません。そして、私達国民は、そのことについて目をつぶっています。何故でしょう。どうしてなのでしょうね。

話が滑ってる人




 『は~い! 宜しくお願いしま~す。』

 電話機の受話器から元気な声が聞こえてきます。その声は彼女の周りの対外的な人達を考慮しての話方です。話相手の私の事等、二の次です。そして、彼女が言っている事があまりよく分かりません。彼女自身も分からないで説明をしているようです。FXのインターネットセミナーを受講しました。大変、高額な授業料を支払いました。そのセミナーからシグナル情報がメールで届きました。どのようなものなのか、どのように利用するのかを尋ねる為に電話をしました。夏も終わりが近づいた9月のはじめの晴れた日の午後の事です。

 滑っちゃっています。話が、声が、小さな子供達が公園の滑り台で滑って遊んでいるようにです。頭と顔の周りに蜂がブンブン飛んでいるような感じでお話をしています。アッチ、アッチと言った感じです。聞いていると、やたらうるさいと言った感じで説明を聞く事ができません。落ち着いて話してくれると助かるんだけど。なんか、大変な職場みたいです。声そのものはアナウンサーのようなハッキリした声音なのですが、耳ざわりな感じで話を聞く事が出来ません。ほうほうの体で電話の受話器を置きました。

 そうですね。そうのような環境にいるとそうなってしまいます。狼少年は狼に育てられた為に、人間のようには生きられませんでした。人が人らしく話しをする為には、人が人らしく話せる環境でなければ、人らしく話せないはずです。そんな環境を作るには、人が人である事を自覚しなければなりません。

 まだ、この言葉は生きているでしょうか? 寝て半畳じゃないか、人間は。と言った言葉です。つまり、人間はどんなにあらがっても寝れば畳一畳でしかないと言う意味らしいです。人間が人らしく生きるには畳一畳では生きられないのです。大きな青空が必要であり、たくさんの言葉や食べ物が必要です。人らしく生きるにはです。彼女の話が滑ってしまうのは、そのような何かが不足しているのです。自分に他人にたいする距離であり、思いやりです。対外的な格好だけでは、困ります。

 狭い空間で生きていこうとする日本の人です。畳一畳で足りると思っている日本の人なのです。