2009年9月1日火曜日

たがやのじっちさん



 『たがやのじっちさんは怖いんだからな! 近ずくな!』

 母である彼女が怖い顔をして、私の顔を見て脅かします。私はまだ小さな子供で小学校の低学年です。1年生ぐらいかもしれません。それぐらい遠い昔の話です。そこは、私が住んでいる家の隣近所にある平屋の家です。私の家族が住んでいた家の玄関を出たすぐ前の階段を降りたところに建っていました。いつも開け放たれた、その家に、たがやのじっちさんとばっばさんは住んでいました。じっちさんは、老齢の年寄りで頭には頭髪が一本もありません。背中は丸まっています。インドのマハトマガンジーのような風貌です。そんなおじいさんが座っている北側の縁側に、小さな私と弟は遠慮がちに並んで座っていました。なんとなく嬉しくなって、時々じっちさんの顔を見たり、足をばたばたさせていました。じっちさんは、話をするでもなく聞くでもなく、なんとなく始終笑顔で私達、兄弟と一緒に座っていました。小さな子供ですから、話をする事もできませんでした。ただ、タモと呼ぶ、さかなや、昆虫を捕まえるときに使う網をじっちさんが直してくれたのです。私達兄弟が座っていることを嬉しく思っているようでした。

 たがやのばっばさんは、じっちさんより若く足腰がしっかりしています。そして、家事をしている姿を良く見ました。ですが、おじいさんのほうは、外に出歩く事もなく家に中にいることがほとんどです。病気をすることもなく毎日をおばあさんと平和に暮らしているようでした。そして、たがやのじっちさんがいつ死んだのか記憶にありません。

 たがやのじっちさんは、寂しい毎日を過ごしていたのではないでしょうか。子供もなく、おばあさんと暮らす毎日です。そんなところに、小さな元気な男の子が2人が接して来たのです。しかし、私と弟は母の言う通りにたがやのじっちさんと一緒に座ることを止めました。

 どのような考えで母が、そのような事を言ったのか今となってはわかりません。たがやのじっちさんの若い頃の姿を知りませんが、母には怖い人だったのでしょうか。今、彼と話しをする事が出来なかったことを、ちょっと後悔しています。小さな子供でしたが、母の言うとおりに無関心を装って隣の人と接しなかったのは、自分に嘘をついてしまったことに他ならないからです。そして、たがやのじっちさんは自分が小さな子供に無視されたことを少なからず知っていたはずなのです。そして、それを黙って受け入れたのです。

 そんな事を思い出したのは、何故なのかわかりません。確かに私の心の中には、今も白い服を着た、丸まった背中のたがやのじっちさんの穏やかな姿がハッキリと存在しています。

 そして、たがやのじっちさんとばっばさんの家の裏には畑があって、毎年夏みかんの木が大きな黄色い実をたくさん付けていました。そして、何故たがやのじっちさん、ばっばさんと言うのかの意味も知りません。家についているやごには違いないのですが、私の両親は昔の人で尋ねられる事をとても嫌がるのです。そして、彼ら両親がどこの誰なのかも、どのような人なのかも私はあまり、知りません。何を聞いてもヘラヘラしています。強く聞こうとすると腹を立てます。そんな感じでたがやのじっちさんの事を思い出すと、寂しい気持ちで胸がいっぱいになる私です。そして、日本の家庭や人々の多くが会話をしないことを悔しく思っています。

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