2013年6月17日月曜日

 動機を奪われている多くの日本の人達と、日本社会にされるマスコミ報道の影響



 『家に帰ってから何してんの?』


 『何もしてない。』


 『何かやってんだろ? ええ。』


 『何もしてないよ。』


 『でも、休みの日なんか、何してんの?』


 『何もしてない。』


 『いや~。何かやってんだろぉ~?』


 『いあや、何もしてないよ。』



 何度か、顔を合わせる会社の同僚と話をしました。歳の頃、35歳ぐらいでしょうか? 結婚していて、子供もいないようです。顔つきは普通で、頭髪は無く、スキンヘッドにしています。身長も高くなく、低くなく、太ってもいず、痩せてもいない、体つきも日本人の平均的な男です。



 こんな男と何度か話をしますが、仕事以外では何もしていないといいます。以前は犬の飼育をする仕事をしていたと言います。



 こんな彼と同じような男が、たくさん会社にはいます。当たり障りのない会話は出来ますが、それですべてで、会話が終わってしまいます。社会で起きている出来事も、自分の考えを口に出すこともありません。



 最近大阪市長の従軍慰安婦問題の報道にしても、マスコミのコメンテータと同じ感覚です。どうでもいいような感覚です。現を抜かしたような心持です。大阪市長や日本社会に対して結局マスコミや多くのテレビ番組のコメンテータは何も言っていないし、本当のところがありません。なんなのでしょう。これは。



 多分。日本では、考える事を許さない社会的な空気があるのだと思います。自分の考えを述べる人達は敬遠されています。何故でしょう。そして、テレビで報道されるニュースからは、何を言っているのかわかりません。何なのでしょう。一体、これは。



 今、日本人はどこか知らないところを漂流しています。そういえば、昭和53年頃、東京目黒区の中目黒にある乾物屋椀の隠居した、年配の男の人の尖った禿頭の背の高い白いランニングシャツとすててこ姿の顔と、言っていた事を思い出します。30年前のカンカン照りの焼けるように暑い天気の良い夏の日の午後の事です。



 『悪いなあぁ~。自民党は。』


 『え。どこが悪いんでしょう? どこが?』


 『本当に、良くないなぁ~、自民党は。』


 『ええ。どこが、良くなんですか? ねえ。』


 ・・・・・・


 こんな会話を延々と、20代の若い私と、隠居した年配の男は続けていました。年配の男は、自民党の事を何も知らないし、言えない人だったんだと思います。そう、そういった時代だったのです。詳しい、人に話せるような事を言えるようなものは、何もない日本の社会だったのです。何も日本の人々には、決して知らせない社会だったのです。


 多分。それに、次のような感じだったんでしょ。そんでもって防災対策をしないで福島原発事故で、あたふたしたんでしょ。



 経済産業省原子力安全・保安院が言う。黙ってろ。考えさせるなと。



 『寝た子を起こすな。』








2013年6月11日火曜日

アベノミックスと日本人の生活



 『でも、日本人は四畳半に住んで、コタツに足を入れてみかんを食べると満足しちゃうんですよ。テレビを見てね。ふふふ。』


 『そうだよね。はははは。』



 年配の女性と話をしました。この女性、生活保護を受けているようなのです。何の欲もなく、毎日を平々凡々と生活する事で何の不満もないような口ぶりなのです。皆さんのおかげで、なんとか毎日を暮らしていける事に感謝しているのです。



 でも、本当でしょうか? 本当にそうなのでしょうか? 自分自身の胸に手を当てて、自分自身に問うってみたのでしょうか?



 確かに今の自分自身を見て、何とか生きている。暮らしていられる。これも、心ある人々の思いやりのおかげである、っと。自分自身のような者にも、生活させてもらえる優しい太陽の光のような思いやりが日本人にはあると。



 本当にそうなんですか?



 人間が幸せに暮らすためには、家族が必要なのではないでしょうか? 何かに奉仕する対象が必要なのではないでしょうか? 家族に囲まれ笑い、悩み、一緒に御飯を食べる時間と空間が必要なのではないでしょうか? 何かに繋がっているという確信が必要ではないでしょうか? それが、宗教であったり、仕事であったり、趣味であったり、色々なものであるでしょう? ですが、その根底に家族があれば心が尚更満足するのではないでしょうか?



 自民党の安部総理のアベノミックスに欠けているもの。それは、本質なのです。人間が求めているもの。北朝鮮、アメリカ、中国、韓国、アフリカ、そう、みんな同じなのです。人間は目がふたつ、口はひとつ、お尻は割れています。



 住みよい住宅に住み、安全な食品を食べ、良い環境を持つ街で毎日を面白おかしく暮らしたいのです。ウサギ小屋で、生活して添加物まみれの食べ物を食べ、子供をを育てるのも悪くはないでしょう。御先祖様、おじいちゃん、おばあちゃんの事も話す事も出来ずにね。もっとも、知らないし話す事も出来ないでしょう。



 でも、本当にそれで満足なの? 本当に?



 人間の生活は、麦にように踏まれても踏まれても、あるいは踏まれなくても、豊かな黄金色に実るべきだ。家族に囲まれ、うさぎ小屋ではなく、快適な住宅に住むべきだ。為替や株式の高ではなく。家族に囲まれ、可愛い娘や息子の笑顔を見て、体の底から、決して怯むまいという生きていく無限の力が湧いてくるのだ。