『家に帰ってから何してんの?』
『何もしてない。』
『何かやってんだろ? ええ。』
『何もしてないよ。』
『でも、休みの日なんか、何してんの?』
『何もしてない。』
『いや~。何かやってんだろぉ~?』
『いあや、何もしてないよ。』
何度か、顔を合わせる会社の同僚と話をしました。歳の頃、35歳ぐらいでしょうか? 結婚していて、子供もいないようです。顔つきは普通で、頭髪は無く、スキンヘッドにしています。身長も高くなく、低くなく、太ってもいず、痩せてもいない、体つきも日本人の平均的な男です。
こんな男と何度か話をしますが、仕事以外では何もしていないといいます。以前は犬の飼育をする仕事をしていたと言います。
こんな彼と同じような男が、たくさん会社にはいます。当たり障りのない会話は出来ますが、それですべてで、会話が終わってしまいます。社会で起きている出来事も、自分の考えを口に出すこともありません。
最近大阪市長の従軍慰安婦問題の報道にしても、マスコミのコメンテータと同じ感覚です。どうでもいいような感覚です。現を抜かしたような心持です。大阪市長や日本社会に対して結局マスコミや多くのテレビ番組のコメンテータは何も言っていないし、本当のところがありません。なんなのでしょう。これは。
多分。日本では、考える事を許さない社会的な空気があるのだと思います。自分の考えを述べる人達は敬遠されています。何故でしょう。そして、テレビで報道されるニュースからは、何を言っているのかわかりません。何なのでしょう。一体、これは。
今、日本人はどこか知らないところを漂流しています。そういえば、昭和53年頃、東京目黒区の中目黒にある乾物屋椀の隠居した、年配の男の人の尖った禿頭の背の高い白いランニングシャツとすててこ姿の顔と、言っていた事を思い出します。30年前のカンカン照りの焼けるように暑い天気の良い夏の日の午後の事です。
『悪いなあぁ~。自民党は。』
『え。どこが悪いんでしょう? どこが?』
『本当に、良くないなぁ~、自民党は。』
『ええ。どこが、良くなんですか? ねえ。』
・・・・・・
こんな会話を延々と、20代の若い私と、隠居した年配の男は続けていました。年配の男は、自民党の事を何も知らないし、言えない人だったんだと思います。そう、そういった時代だったのです。詳しい、人に話せるような事を言えるようなものは、何もない日本の社会だったのです。何も日本の人々には、決して知らせない社会だったのです。
多分。それに、次のような感じだったんでしょ。そんでもって防災対策をしないで福島原発事故で、あたふたしたんでしょ。
経済産業省原子力安全・保安院が言う。黙ってろ。考えさせるなと。
『寝た子を起こすな。』