2011年10月30日日曜日

桜新町の花屋さんと、民主党の野田総理大臣の所信表明、何か似ているところがある


 『さあ、見てよ~、来年も花が咲くよ! ほら~!』



 4~5年前ごろの話なんですけど。奥さんでしょうか? 臨時で駆出され、アルバイトをしているようなのです。ここは、東京世田谷区の桜新町にある、ちょっと大きな花屋さんです。倉庫があり、その前で沢山の植木鉢が置かれ、売り子である昔の娘さんが、体を動かして働いています。そんな、昔の娘さんである1人の元気の良い奥さんらしき人が、ひとつの植木鉢を見ながら、通りすがりの通行人を含めて言い放ちました。その植木鉢は蘭の花を咲かせるシンピジュームです。見ると、シンジュームの植木鉢の花は、僅かに開いている花があるものの、咲頃を終え、根本から緑の新芽が幾つか出ていました。



 キョロキョロと、目を色々な花々に移している他の客に混じって、正月に部屋の中に飾る蘭の花を探して、木の板でこしらえた段々の花段の上に置かれている沢山の鉢物を見ていました。耳に入ってきた、元気な声に、何となく、その奥さんと側のシンピジュームの鉢物を見ました。そして、彼女の云っていることと、考えている事が違っているような感じを受けました。口から出ている言葉は、足元のシンピジュームが、来年も花を咲かせるから、買い得だよ、っと云った言い回しです。ですが、腹の中ではこんなことを云っているような気がしました。



 『ふさけんじゃないよぉ。来年も咲くわけ無いだろぉ。あたしゃ、臨時のアルバイトで声を上げているだけだわぃさぁ。』



 野田首相の所信表明を聞きました。ちょっと似ています。無理だろう。こんな、ごたごたした政党の議員さんばかりでは、なんとか努力はしてみるけど・・・。そんな、感じです。とりあえず、希望の種を蒔きましょう・・ってねぇ。具体的な考えなんか、それどころじゃないよ。とりつくろうだけで、精一杯よぉ・・・。多分、野田首相本人も知らない、自分自身が、そう思っているはずです。



 昔のときの総理大臣、田中角栄さんが、日本列島改造論なるものを口にしたとき、日本人の金儲けを考えている輩が、即座に動き出したと思います。大きな山が動くような感じだったと思いました。分かるんですね。田中角栄さんには、その実力があり、実行するのを知っていたのです。

2011年10月29日土曜日

カダフィ大佐殺害と、放射能汚染を身近に感じる世田谷区の人たちと、日本の人達が見ているニュースとの関係


 天気の良い午前中に、近所のスーパーに歩いて行きました。確かにニュース画面で見た映像は、近所のスーパーでした。大きな酒屋の量販店と隣り合わせに建っています。車の駐車場もあり、それなりに客も良く入っていました。スーパーが建っている大通りに出ると、結構人だかりである。道路にはプラスチック製の赤い三角ポールを並べて、歩道の土袋が積み重ねてある場所を隔離して、歩行者が歩く通路を確保していました。自転車に乗ってきた、買い物客とも、野次馬ともいえない人達に混じって、テレビカメラをアスファルトの上に置いた報道関係者の人達もいる。



 しかし、日本の国の人々が、生活に放射能汚染を身近に感じ、触れる事を誰が予想していたでしょう。何も知らない日本の人達のような気がします。福島原子力発電所の事故により、報道され知らされた事実のひとつに、日本の電気料金が世界一高いと、いうものがありました。そんな世界一高い電気料金の話など、一般庶民が口に出した事がありません。どうなっているのでしょう。私達、日本の一般庶民が聞き見ているニュースや事実は、何なのでしょう。



 インターネットにリビアのカダフィ大佐が拘束され、反カダフィ勢力の兵士に暴行され殺害された動画が掲載してありました。人間の凶暴な恐ろしい本質を捉えています。兵士達の怒号が、晴れ渡った地上にこだまして、カダフィ大佐が引きずられ、叩かれ、殴られ、蹴られ、次第に血を流し、顔半分が真っ赤な血に染まってしまいました。そして、動かなくなりました。



 リビアの国内情勢が、順調な感じで、テレビ画面に映っていたのは、ついこの間の事でした。地下水を汲み上げて作った、大きな湖が画面に映り、緑の葡萄の葉が天気の良い青空の下で、そよ風になびいていた画面でした。そんなリビア国内を映す画面から、一転して国のリーダーが捉えられ、殺害されてしまったのです。あまりにも、そぐわない展開に、ちぐはぐした感じを受けています。




 私達、日本の一般庶民が見ているニュースって何なんでしょう。




 お金の無いアメリカやヨーロッパ、豊富な石油資源から入るお金を持っていた金持ち国リビア・・・。日本も一昔お金を持っていました。でも、ヨーロッパや、アメリカの勧めでビッグパンなる金融政策を取ったら、いきなり不景気に襲われ、それから、不景気が今も続いている日本です。



 正義とは、何でしょう。事実とは。そんな事を強烈に迫る、カダフィ大佐殺害の映像と、身近な放射能汚染でした。

2011年10月25日火曜日

中国の監視カメラが捕らえた中国実態状況と日本の状況との比較をしてみると。


 『ちょっと日本では想像出来ないですね。』



 画面に流れる映像を見た、日本のニュースキャスターが云いました。中国の監視カメラに移っていた映像を見ていたのです。映像には、赤いズボンを履いた、小さな女の子が歩いていました。その背後から、ゆっくりと軽トラックは走ってきました。そして、小さな女この子を、引いていったのです。それも、ゆっくりとしたスピードで。その後、何人かの通行人が、引かれた小さな女の子を無視して歩き去りました。そのあとに来た車も、助けを求める小さな女の子の手の上を引いていったのです。



 どれぐらい前か、昔、横浜に住んでいたときに、怒りを覚えるような光景を見ました。二人の子供が自転車で競争をしていました。2車線の道路を小さな自転車にまたがり力いっぱいペダルを踏んだ居ました。前から2トントラックが走ってきました。右側の車線を走っている男の子は、トラックが走ってくるのを無視してトラックの正面に向かって自転車のペダルを踏んで、競争相手の男の子に叫んでいました。トラックは止まってしまいました。仕事中の2トントラックです。そんな、自分勝手な小さな男の子に、腹が立ったのです。



 そんな昔の事ではありません。東京世田谷の弦巻通りを歩いていました。普通自動車が走ってきました。すると、中学生でしょうか、自転車に乗って走っている車を横切りました。中学生は、交差点を一時停止する事無く、走りながらペコリを頭を下げました。普通自動車はタイヤの音こそしませんでしたが、ブレーキを強く踏んで止まりました。車は青信号で直進していたのです。中学生とはいえ、青信号で走ってくる車のスピードも、考えずに頭を下げれは良いと云った了見に、驚きました。



 ごく最近の事です。六本木の交差点付近の交通量が多い場所で、太った外人がアスファルトの上で腕立て伏せをしていました。車が外人の目の前で止まっていました。そのそばを、仲間の外人が走る車を無視して、横切ってきました。車は慌てて止まりました。さすがに、その外人もドキッとしたようです。お酒に酔っているとはいえ、どうなんでしょ。



 今、災害の中に日本はいます。民主党政治は、災害の中で途方に暮れている人に何をしているのでしょう。

東日本大震災の被害者に対する被害を受けた事実を調べる人達



 『学校側が、事実を調査する意思が無い事が分かりました・・・。』



 東日本大震災の津波により、小学校の大部分の生徒が無くなり、その原因を自然災害と云った表現で終わらせたい学校側を、子供を亡くした父兄が原因を調べたのです。すると、災害時のマニュアルの不明さや、津波到来時の学校側の対応があまりにも、震災時に即した行動をしていなかったことが、分かりました。



 津波がそこまで来ているのに、何か違うチェックを学校側がしていたようなのです。緊急を要するときに、事務的なチェックに終始していたようなのです。避難場所を決めかねて、批難が送れ、学校の生徒の大半が津波に呑まれ死んでしまったのです。



 日頃から、会話もなく目上の人の云う事を聞け、親の云う事を聞けでは、会話も出来ないし、意思決定も出来ないでしょう。何が肝心要で、物事の良し悪しも分からないでしょう。あっちむけホイは、遊びでは問題ないでしょうが、緊急時にそれをされては、困ります。



 民主党がTPPの参加を議論していると云うのですが、どのような議論かは想像出来るのではないでしょうか? そして、ひょっとしたら、会話を許さないその頂点にあるのは、宮中が一般庶民と皇族とを隔てている、ごかもんのれいなるものではないでしょうか。

マレーシアのクアランプールで死刑が確定した日本人女性と、日本人の感覚


 『彼女はスーツケースの中身を知らないで・・・・。』



 マレーシアの弁護士がニュース画面でマレーシア語で話しました。知り合いのドバイ人に、友達のスーツケースを運んで欲しいと頼まれて、運んだところマレーシアの税関でスーツケースの二重底に覚せい剤が隠されていたとの事なのです。マレーシアでは、覚せい剤密輸は一律死刑なのだそうだ。死刑宣告を受けた日本人の女性が、ニュース画面で手錠をかけられた両手にモザイクをかけられた映像が流されました。



 何となく、まさか、大丈夫だろう、のような感覚なのかもしれません。オーストラリアで似たような事件がありました。スーツケースが盗まれたので、代わりのスーツケースを使って下さいと云われ、疑う事無く使用して、やはり税関で捕まってしまった何人かの日本人です。刑期10年を刑務所で過し、出所したとのニュースでした。



 『汚い奴だなぁ。』
 『なんでだよぉ。』



 若い時に、仕事仲間に頼まれ、デパートの和菓子コーナーで買い物をした事がありました。綺麗ではない作業服で、綺麗なデパートの食料品売り場を歩いて買い物を済ませました。買い物を頼んだ仕事仲間に手渡すと、そばの仲間同僚が、買い物を頼んだ仕事仲間をなじりました。自分でする事なのに、人に頼んだことをなじったのです。自分が買い物をしたくないのを、人に頼んだことをなじったのです。確かに、若い私には、作業服で銀座のデパートの食料品売り場に買い物をする事に、ちょっと抵抗がありましたが、人の良さも手伝って買い物をしてしまったんです。断わる理由を探すことをせずに、なんということか、田舎生まれの考え知らずだったのです。



 世間には、たくさんの自分の都合だけを考えてしまう人が居ます。そして、誰もがそうなのです。自分と相手が問題なく過せるように考える事が、出来ないのです。そして、それが出来るのが、大人なのです。日本人には、そんな大人の人が、ちょっと少ないような気がします。それは、家族の中で会話が無ければ、当然大人の考えを持つ事もできないでしょう。



 『友達のスーツケースなんだけど、ちょっと運んでいってくれないかなぁ。悪いんだけど・・。』



 なんと応えたらいんでしょうね。命を賭けた、運び屋でなければ、遠慮しましょう。今度は。

2011年10月20日木曜日

右に左に行ってしまう日本の人達


 『無駄の無い走りです。』



 ある日本の有名なマラソン選手の走り方を、スポーツ専門家が評価して云いました。テレビの画面には、男性のマラソン選手がランニングをしている姿が映されています。どれぐらい前でしょうか。マラソン選手の走り方を、評価して、疲れない走り方だと海外のスポーツコメンターを通訳者が通訳して話した映像でした。



 上下にぶれる事なく、アスファルトの道を走る日本のマラソン選手。スタミナを消費しない走り方には違いないと思える走り方です。でも、何か機械が黙って走っているような感じです。人間の持つダイナミックな迫力とか、ゴールを目指す気迫のような感情を揺さぶるような姿とは、ちょっと違っています。



 駒沢オリンピック公園にエチオピアのマラソン選手の走る姿が、等身大写真で壁に掛けてあります。アベベ・ビキラです。その、走っている姿には、紀元前より、人間が人間から受ける人間の偉大さ、尊厳を感じさせるものを考えさせます。



 走る事を追求すると、直線的にすべるような日本人のマラソン選手のような走りになるのかも知れません。疲れを最小限に抑えた走り方、見栄えより最終的な目的である、誰よりも早く、疲れを知らない走り方で勝利する。それが、日本人が許した走り方なのかもしれません。



 日本人の考え方が、食物にも現れています。味が良ければ、問題ない食物への添加物混入食料です。服装も、無機質な色や形です。家に付いては、誰もが無感覚になっている、不気味な形をしています。



 何か、考える事を忘れてしまって、人間の感覚を知る事なく、あっちに行ったり、こっちに行ったりしている日本の人達のように見えます。TPPなる貿易協定を議論して、東日本大震災復興を視野に入れた、第三次補正を議論して等と、ニュース画面で言っています。でも、何か肝心要のものが、無いような感じです。



 随分前ですが、日本の経済が良好で、世界中から良質な物が輸入されました。そのときに、良いものを身に付けた時に、良いものが与えてくれた感覚です。自然な、当たり前の事を知らせてくれた感覚です。たとえば、イギリス製のジャガード織りなるカーデイガンです。肩からずり落ちることなく、上半身に程よく密着する着心地と、目にも自然な色合いです。フランス製の通勤鞄や、使いかっての良い、しゃれた小銭入れなど等。



 多分、当たり前の事をしたり、話したりするには、大変な努力をして出来るのだと、世の中は示しているのです。単純な事を何度も繰り返して、身に付けることが出来るのです。そして、自然に出来ないのは、簡単に物事を考え、済ませてしまっているからなのです。

2011年10月16日日曜日

電波障害?・・・と日本人の現実感覚?・・・。世界中で起こっている金融機関、証券取引場への抗議と日本人の感覚


 『それ、医者に行ったほうがいいわ!』




 彼女は確信して断言するように私に云いました。彼女の目は、ゆるぎないない色をしていました。信じている事を話している目です。彼女は2児の母親で、同じマンションに住む二部屋隣りの住人です。サラリーマンの旦那がいて、親子4人で暮らしている、普通の人です。彼女の家族は、私より古くから、このマンションに住んでいて、地域になじんだ生活をしているようです。



 ある夏の夜の事です。北側にある部屋に布団を移し眠っていました。いつもは、南側の部屋のベッドに寝ているのです。南側は、川に面していて見晴らしも、日当たりも良いのですが、夏の夜は花火を深夜まで打ち上げる人達がいるのです。どこから来るのか分かりませんが、深夜の3時頃まで、花火で遊んでいる人達もいます。中には、小さな子供を連れて夜夜中、打ち上げ花火をして遊んでいる若いお母さんもいます。そんな事で、打ち上げ花火の音が聞こえない北側の小さな部屋で寝ていたのです。すると、意識の無い頭の中を、鋭い針金を刺すような衝撃的な痛みを何度か感じました。



 翌朝、隣のマンションの屋根を眺めました。私は6階建ての4階に住んでいて、隣りのマンションは5階建てなのです。ちょうど、アマチュア無線のようなアンテナが北側の部屋に槍のように向いています。距離にして、4メートルもありません。あまりにも、アンテナとの距離の近さと、突然の頭への痛みを考えると、それ以外の原因を考える事が出来ませんでした。信じられない頭への痛みを考えて、北側の部屋で寝ることを、止めました。それ以後、頭への針金を差し込むような、痛みを感じる事はありません。信じられない、痛みと驚きでした。



 彼女に、北側の部屋に向かっている、隣りのマンションの上にある、アマチュア無線のアンテナを指差して説明しました。確かに、因果関係を説明する、証明する事は難しいでしょう。自分が体験しないと、信じられない事でしょう。そんな事で彼女には、私の体の異常を考える事しかできなかったのです。同じマンションに住んでいて、私だけが、そんな痛みを頭に感じるのを、にわかには信じられないのです。私にも、信じられないのですから、当然だと思います。目の前に見えるのは、手を伸ばせは届くくらいの距離に、北側の部屋に槍を突きつけるような、アマチュア無線の、太いアンテナが見えるだけです。




 北側の部屋で受けた頭への痛みの衝撃は、それ以来感じたことがありません。信じようと、信じまいと、それは、あの北側の部屋で寝ていると、意識の無い頭に、太い針金を差し込んだような痛みを感じるのです。何度もね。それは、それは、もの凄い痛みと衝撃と驚きでした。




 ニュース画面にアメリカの市民がウオール街を占拠しろとの運動が始まって、世界各地で似たような運動が起こっています。金持ちに課税しろとか、金融機関を批難するプラカードを手に持ち叫んでいます。中東の民主化運動が起こって、その続きのような気がします。




 日本でも、起こっているようなのです。ニュース画面に日本の若者が黒い文字を書いたダンボールの茶色い厚紙を持って叫んでいました。でも、どこか、遠慮しているような声の上げ方です。ちょっと、恥ずかしそうです。いいじゃない、流行なんだからさぁ・・・。そんな感じにしか見えません。



 日本には、日光の3猿を真似ないと、生きていけない、居られない暗黙の了解があります。ガソリンの価格を安くしたガソリン供給会社のガソリンタンク車に、何も云わない普通自動車が、いつまでもガソリンタンク車を尾行している不気味な事実が、テレビ画面に映し出されたことがありました。以前の東京都知事である青島都知事の顔に死相が出ていると、報道されたことがあります。青島都知事、本当に改革をしようとしたのでしょう。



 あ、うんの呼吸で意思伝達をしている日本人には、本当のところはわからないのです。彼女のように・・・。



 しかし、アメリカでのデモをしているアメリカ人の服装が気になりました。デモをしている人達が灰色や黒っぽい服装なのです。カラフルな服装をしているのが、アメリカ人だと、思っていました。日本人と似たような、灰色、黒っぽい服装なのです。北朝鮮、アメリカ、日本と・・・。それに比べて、中国人の服装のカラフルで、開放感のある服に時代の移り変わりをみました。景気が良いんですね。中国は。

2011年10月15日土曜日

住宅入居受付の三人のおばさんと、世田谷区弦巻で発見された放射線を発生するラジウムが入っていた瓶容器との関係


 『でもさぁ。下が電気室なんでしょ・・、何か嫌なんだよね。』
 『大丈夫ですよ。何でもないですよ。』
 『しかしさぁ・・、高圧線の下で、蛍光灯が点灯する番組をテレビで放送したって云うじゃない。』
 『問題ないですよ。もう、神経質なんだからぁ・・・。』



 現在の建物の部屋に住む前に、建物にある空き部屋を、いくつか見ました。そして、気に入った部屋について、受付の三人の昔の娘さんに尋ねました。建物は九階建ての新築で入居者を集っていたのです。建物の、ひとつの部屋を入居申し込み手続きをする事務所にしていたのです。そんな事務所の中で、備え付けの机の前に座って、ベージュ色の制服を着た、ふくよかな昔のお姉さん達、元気に入居を勧めます。畳の和室がついている2LDKの部屋が気に入ったのですが、下に電気の変電をしているのか、電気関係の部屋があります。電気室から、離れた部屋を希望するのですが、空いていません。そして、電気室は問題無い事を、しきりに私に言います。



 『でもさぁ、住みました。頭の毛が抜けちゃって、禿げてしまいました。っていっても、誰のせいにもできないしさぁ。』



 そんな事を私が、軽い感じで言いました。すると、三人の昔のお姉さんのうち、リーダー的存在のお姉さんの顔が真顔になり、目の色がハッとした感じになりました。何かよからぬ事を隠したいような、顔をして、ひとり静かに黙ってしまいました。他のふたりのおねえさんだけが、相変わらず同じ調子でわいわいと、私に話しかけてきます。ひとり黙り込み、異常に存在感が消滅していくお姉さんが、随分遠くいるように見えます。自分の云った事に、反応するお姉さんを見て腰が抜けるぐらい、びっくりしていました。いまから、9年前の話です。



 電気室のそばの部屋に住む住人に、良からぬ影響があるのは分かりましたが、それが何なのかは今も分かりません。世田谷の弦巻で放射能を発生していたラジウムが入った容器が何なのかわかりませんが、本当に迷惑な話です。そして、電気室の周りの部屋には、入居した住人が今住んでいるのです。



 あの案内係のお姉さんは、何を知っているのでしょう? 九州電力のやらせメール問題なんかも、すごくあぶないんじゃないかなあ。人が知らなければ、何をしても良いといった考え方って。日本列島を覆う閉塞感って、それだと思うんですけどねぇ。自分の都合だけを、優先してしまうご都合主義ってやつですね。ああ・・エーメン・・。

2011年10月14日金曜日

大きな目をした女の子と目を合わせて知る、止める事の出来ない日本国内の国際化の波


 昨日、秋の日の夕闇が迫る灰色のアスファルトを歩いて近所のスーパーに買い物に出かけました。歩いて公団の駐車場から車道に出ると、小さな男の子を後ろ席に乗せ、前の買い物カゴにはたくさんのスーパーの買い物袋を入れた自転車に乗ってお母さんが、静かに入ってきました。そんな自転車をやり過ごして、ノンビリと歩いていると、その後ろから、女の子が歩いてきました。自転車のお母さんと買い物をしてきたのでしょう。小さな女の子と目が合いました。何か、私を下から見つめるような、大きな目です。そして、短い髪の毛が頭にペッタリと付いているような髪形です。外国人のお母さんなのかどうかは、分かりません。でも、子供達の顔は海外の人達の顔ですね。



 近所に、少しずつ増えている海外から来る人達を良く見ます。夏の午後に、セブンイレブンで買い物を済ませ、白いビニール袋を片手にぶら下げて、家路に向かって歩いていると、サンダル履きで歩いてくる背の高い、海外の男の人が来たりします。通勤の途中なのでしょうか、洋画に出てくるような、金髪の海外の女性が落ち着いた感じで道を歩いて横切っていきます。



 雨の日に見る傘の色や模様が違っているのに、昔とは違っているのを考えさせられます。黒い傘ばっかりだった時代は遠くになりました。私が若い頃、たま~に、耳にする言葉がありました。



 『明治は遠くになりにけり。』



 この言葉をテレビの中で、言っているのを聞いたり、新聞、雑誌で目にすると、変な感じがしたものでした。そして、今、その言葉が良く分かります。刻々と変わっていく周りの風景や、人達の姿形を目にすると、1人ぽっつんと、立ち止まり、残されていっていくような錯覚をしてしまう気がします。



 TPPなる海外との貿易関係をどうするかの、日本政府の見解を議論している最中らしいのです。日本政府の閣僚達は推進派らしのです。ですが、多くの議員達が反対らしいのです。190名近い議員達が反対しているニュースです。推進派が日本に取ってTPPは利益が多いとの事をマイクを握って話す議員さんに、声を荒げて、委員の選抜方法に問題があるような事を発言する議員さん。



 私達一般庶民には、どっちが良いのか分かりません。右なのか左なのかが。



 『小沢一郎さんの強制起訴なんかも、本当の所がどうなのかわかんないよなぁ。』



 岩手県の小沢一郎さんの地元の人がテレビ画面のなかで云っていました。分からない、それが、現在なのだと思います。厚生労働省の村木局長を勝手なシナリオを書いて逮捕拘留してしまった検察庁、検察官の支持にしたがって、調書を書き換えたり不祥事続きの警察官、女性受刑者に猥褻な事を強要しようとした裁判官、事実よりも、視聴率や出版物販売を目的とする報道関係者達。現在、こんな世の中で、こうなんだと云える人はいないでしょう。



 しかし、今ほど、一般庶民が政治に興味を持ったことがあったでしょうか? ドキドキ、はらはらしながら日本国の行き先を眺めています。でも、こんな時代でも、同じ事を云っている人達もいます。無造作に煙草の白い煙を口から、吐き出しながら、全然興味なさそうに・・・。



 『誰がやっても、日本は変わらないよ。同じだよ。』



 現在も居るんだろうなぁ。肩に居心地の悪そうにバッグを掛けて、目の小さい、ろくでもないことを考えて、つまらない悪さをする街中を歩いている会社員の人達がたくさん。右なのか、左なのか・・・。どっちなの日本は・・・。

2011年10月12日水曜日

多くの命が救われたはずだと・・・・、今頃遅いよ、GPS波浪計。いつもなんだけど、どうしてなんでしょう?


 『多くの救われる命があったと、思うんです・・・。』



 東日本大震災が起こってから7ヶ月の月日が流れました。そんな中で、震災に対する防災手段は、どうなっていたのかのニュースが時おり流れる事があります。気仙沼沖に浮かんでいる、黄色いGPS波浪計が機能していたが、通信回線が震災により切断されて、利用出来なかったらしいとのニュースだ。



 部分部分は、素晴らしいと思うのです。機能していると思うのです。ですが、それを人間の生活、営みに生かせているかというと、決してそうは、働いていないのです。何故? システム、全体を考える人が居ないんですね。日本には。責任を取れないという事でしょうか? どこかの国からの圧力を受けているのでしょうか・・・。



 ペルーの日本大使館人質事件があったのは、結構遠い昔の日になってしまいました。そのときに、いかに日本人の危機管理が危ういものかと、日本に居る誰もが思いました。テレビの画面に映る日本の大手企業の危機管理者の顔の、なんと危機意識の無い顔が、いくつも映し出されました。どの顔見ても、平和ぼけしている顔でした。そんな平和ぼけした、顔が危機管理を作文を読むように話していました。



 そうなんですね。頭では分かっていても、それが出来る事とは、違うんです。簿記を勉強して簿記試験に合格しても、ちゃんと簿記を付けることが出来ないと云います。簿記に限らず、そんな事を良く聴きます。事実その通りです。実際に簿記を付けないと、書かないと出来るようには、ならないのです。



 自分の事は、自分でやって、初めて物事が動き出すのです。自分の国を自分で、守って初めてシステムが動き出すのです。アメリカと云う国が、世界で果たすリーダーシップを手放さないのは、それを知っているからなのだと思います。働き機能する為には、自分が実行しないと駄目なのです。それは、計画され実施されべきなのです。



 京都にある人が住まない金閣寺や銀閣寺も大切でしょう。円滑に物事を進める為には、建前も必要ですよ。ですが、人が人としているための生活は、実行する営みが大切なのです。日々を感じる生活する事が。



 『命を大切にする。』、『最小不幸社会。』、『国民の生活が第一。』。・・・・違うなぁ、何か・・・・。・・・実態の無い、妙な寂しさを、ちょっと感じるのですが・・・。

2011年10月11日火曜日

本当に大丈夫なのか? 日本人? 日本のひとつの狂気。


 城山通りを歩いていた。東京世田谷区に城山通りと呼ぶ通りがある。城山通りは、2車線で歩道が両側に付いている。経堂駅に近いところに、飲食店が何件か並んでいる。最近店が増えたようなのだ。ラーメン屋、エスニックなるアジア系のレストラン、その他、良く分からない店が幾つかある。そんな店の、みんな共通なのが、小さく狭い店内だ。歩道を歩いて目を向けると店内が全て見渡せる。天井も低く奥行きも無い店の中に、男女の大人が窮屈そうに、並んで座っている。




 『なんであんな狭いドラム缶の中で、みんな体を洗っているんだろう。川の綺麗な水で洗えばいいのに。』



 第二次世界大戦のときの話を裕福そうな様子をしたフィリピン人の男が、日本人が代わる代わる、ドラム缶の湯に入っているのを見て思ったそうだ。テレビの画面で、不思議に思った事を思い出しながら話していました。



 『植木は外に出して置けば枯れないよ。』



 どれぐらい前だったか、部屋を探していたときがありました。色々な場所に電車に乗って、休日に駅前の不動産屋の店の中に入り、手頃な物件を見せてくれるように、告げました。東北沢駅の不動産屋が、物件のアパートに連れて行ってくれました。二階の部屋を案内しながら、そう私に言いました。植木を幾つか持っていたので、植木が置ける部屋を見せてくるように希望したのです。ですが、不動産屋の男は、私の顔を見ようとはしません。どうも、私の顔を見たくないようなのです。私は、不動産屋の男の顔を見ました。どうしても、私と目を合わせたくないようなのです。



 部屋はキッチン、風呂付、2部屋の2DKです。しかし、部屋そのものが江戸間と云うのでしょうか。畳が小さいのです。何か凄い違和感を覚える作りなのです。建前は2部屋なのですが、とても部屋と呼べるような広さが無いのです。多分驚いている私の顔を、見ることが出来なかったのだと思います。もちろん、そこには引越すことなく、不動産屋とも、目を合わせる事無く、別れました。



 どうなんでしょう。小さく作るのは良いとしても、限度があります。人が人として居るためには、それなりの限度があります。小さく狭い飲食店に居る男女の客を、店の外から眺めて歩きました。そして、考えました。分かりそうなものだがなぁ、と。