2011年10月11日火曜日

本当に大丈夫なのか? 日本人? 日本のひとつの狂気。


 城山通りを歩いていた。東京世田谷区に城山通りと呼ぶ通りがある。城山通りは、2車線で歩道が両側に付いている。経堂駅に近いところに、飲食店が何件か並んでいる。最近店が増えたようなのだ。ラーメン屋、エスニックなるアジア系のレストラン、その他、良く分からない店が幾つかある。そんな店の、みんな共通なのが、小さく狭い店内だ。歩道を歩いて目を向けると店内が全て見渡せる。天井も低く奥行きも無い店の中に、男女の大人が窮屈そうに、並んで座っている。




 『なんであんな狭いドラム缶の中で、みんな体を洗っているんだろう。川の綺麗な水で洗えばいいのに。』



 第二次世界大戦のときの話を裕福そうな様子をしたフィリピン人の男が、日本人が代わる代わる、ドラム缶の湯に入っているのを見て思ったそうだ。テレビの画面で、不思議に思った事を思い出しながら話していました。



 『植木は外に出して置けば枯れないよ。』



 どれぐらい前だったか、部屋を探していたときがありました。色々な場所に電車に乗って、休日に駅前の不動産屋の店の中に入り、手頃な物件を見せてくれるように、告げました。東北沢駅の不動産屋が、物件のアパートに連れて行ってくれました。二階の部屋を案内しながら、そう私に言いました。植木を幾つか持っていたので、植木が置ける部屋を見せてくるように希望したのです。ですが、不動産屋の男は、私の顔を見ようとはしません。どうも、私の顔を見たくないようなのです。私は、不動産屋の男の顔を見ました。どうしても、私と目を合わせたくないようなのです。



 部屋はキッチン、風呂付、2部屋の2DKです。しかし、部屋そのものが江戸間と云うのでしょうか。畳が小さいのです。何か凄い違和感を覚える作りなのです。建前は2部屋なのですが、とても部屋と呼べるような広さが無いのです。多分驚いている私の顔を、見ることが出来なかったのだと思います。もちろん、そこには引越すことなく、不動産屋とも、目を合わせる事無く、別れました。



 どうなんでしょう。小さく作るのは良いとしても、限度があります。人が人として居るためには、それなりの限度があります。小さく狭い飲食店に居る男女の客を、店の外から眺めて歩きました。そして、考えました。分かりそうなものだがなぁ、と。

 

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