2011年12月29日木曜日

日本人の考えと、沖縄局長の不適切発言、ルールなき日本の世界

『犯す前に犯すって言うか?』



何日か前に、この言葉を口にして、沖縄局長が更迭されました。オフレコなるルールを元に、新聞記者に話したそうなのです。何やら、昔、沖縄で少女がアメリカ兵に暴行されたのです。随分昔から、アメリカ兵の暴行が沖縄であったことを、目に耳にしていました。しかし、沖縄が日本に返還されてから、事態は良くなってきていると思っていました。そんな、昔の事を思い出させるニュースでした。



しかし、こんなニュースが流れていいのでしょうか? 事件の少女は今も生きて生活してるのではないでしょうか? その家族も、父や母もいるのではないのでしょうか? そんな人々の気持ちも、日々の生活の事も考えずに、この沖縄の新聞記者は大声で叫んでいるような気がします。もっと、違ったものの言い方があるような気がするのです。



政治家が事の大事を忘れて、パフォーマンスに一生懸命になっている姿があります。マスコミが視聴率や、購買を考えて、人の大切にしている事柄を無視して、心を深く傷つけることがあります。それが、政治家であり、マスコミなのです。けして、批難する事で、済ませて終わりに出来ない事実です。



もう政治家を批難したり、マスコミに躍らせられて喜んでいる時代ではなくなったのです。一人ひとりが、対処しなければ、いけなくなったのです。この政治家の利はなんだろうと、マスコミが云っていることで、何がどうなるんだろうと、何を売りたいのだろうと・・・。

2011年12月20日火曜日

金正日の死に、遠い過去にあった風と共に去った甦っる記憶


 『北朝鮮って、面白れえなあぁ!』



 ここは、田園都市線の駅、宮崎台駅近くにある大型のスポーツクラブです。最近通りがかったら、違うスポーツクラブ名になっていました。つぶれて、違うスポーツクラブになっていました。その当時、フロントで、会員カードを渡し、靴を脱ぎ、着替え室に行こうとしていました。すると、顔見知りの大学生が、忙しそうにやってきて、私に声を掛けてきました。靴を脱ぐのももどかしそうに、元気な運動大好き大学生です。その当時、北朝鮮が国ぐるみでやっていることが、ニュースとなり、巷の日本人を脅かしていました。アメリカドルの偽札を作っていたり、覚せい剤を製造していたりしているといったニュースです。



 日本から、よと号をハイジャックして、北朝鮮に亡命した日本人が海外での悪事を働いているニュースも流れました。その当時は日本の経済は良好でしたが、皆が淀んだ水の中で自分を見失っている感じでした。そんな中での、北朝鮮の衝撃とも呼べるようなニュースを目にして、耳にしてハッとさせられていた気がしたのです。



 ですが、チェチェ思想なる考えで、自国を建設しようとしている首脳の考えに基いた政策にしたがっている善良な国民とも思えます。ニュース画面で、金正日氏が死に、泣き叫ぶ北朝鮮の国民の姿を見ると、芝居がかってはいますが、善良な国民は疑うことなく、信じてもいたのでしょう。そして、その姿は、昭和天皇が死んだ時に、日本国民がしていた姿に似ています。



 日本人がしなければなら無い事は、広い住み心地の良い家を建て、快適に生活する事なのです。けして、経済大国になり、不沈空母になることではありません。現在海外の人々が、たくさん日本に来日して、良く話をする機会があります。皆、日本は良い国だといいます。私も、そう思います。ですが、あることを聞くと、皆海外の人は笑い、納得しています。



 『でも、日本人にはなりたくないでしょう。』




 海外の人がうらやむような家に住み、気持ちの良い生活をしていない証拠なのです。建前ばかりの経済大国のようです。なにがなんだか分かっていないのが、日本人のようです。精神論は立派なのですが、・・・・。

2011年12月17日土曜日

スーパマーケットで見る、奇妙な顔、姿形をした日本人達


 『うちのスーパのカードをお持ちですか?』
 『いいや。持ってないんだけど。』
 『失礼しました。』



 近所のスーパマーケットのレジに並んで、自分の順番が来たので、緑色の買い物カゴを清算機の前に立っているレジ係の女性の前に差し出した。すると、いつものように店のカードを持っているか尋ねてくる。カードを差し出すと、買い物の値段の5%が、カードに加算され記憶される仕組みなのだ。カードに加算された金額は利用者が要求すると、後で払い戻しがされ、買い物の値引きとなる勘定だ。



 『あっ。お米の袋が破れていますね。取り替えますね。桜井さ~ん!』
 『どこ? あっ。ほんとうだ?』


 どうも、私が購入した5kgのお米袋に小さな穴があいて、白い小さな米粒がもれているようなのだ。緑色のスーパーの買い物カゴの中に、数粒白い小さな米が袋の側に落ちています。すると、後ろに並んでいる奥さん達の顔、姿が自然に目に入ります。その顔の表情や姿からは、生気を感じる事が出来ません。云っては悪いんですけど、歩くミイラのようです。多分、テレビばかりを見て毎日を過ごしているのでしょう。そして、なんだか私は顔に汗が滲んできます。何故汗が滲んでくるのか、はっきりとは分かりません。恥ずかしくなって顔を赤らめていくようなのです。


 何か昔、知人と錦糸町で飲んだとき、酔っ払いのホステスさんが云った事が頭に蘇ります。相当酔っ払って言いましたね。彼女。何人かホステスさんがいて、中国の女性のホステスさんも二人居ました。珍しいなあ~と、私は中国女性のホステスさんを見て思っていました。


 『酔っ払ったほうが勝ちよ。』


 確かに、雑居ビルの何も無い部屋で飲んでいるのです。正気ではいられない雰囲気です。酔っ払って正気を失くさないと座っていられません。そんな酔っ払いに、順番に店の強面のマスターが話しかけています。私のところにも来ると、ホステスさんは言いましたが、私のところには、ついにきませんでした。


 何か、昔のソ連では、3本指を胸に立てて、ウオッカを街中で飲む仲間を集ったそうでした。3人で1本のウオッカを酒屋さんで購入して、玉葱をかじってウオッカを飲み酔っ払う事が仕事を終えた労働者の習慣のようでした。やっていられないのをウオッカを飲んで忘れようとのことだったと、何かで読みました。


 スーパーマーケットのレジに並んでいる、奥さん達の顔を見ると、テレビ三昧で考える事を忘れてしまっています。多分、考えても、しょうがないと観念しているのだと思います。そして、ミイラのような顔、姿になっていまっているのです。考える事、話し合うことを放棄してしまったように思えます。家族や、他人とも、自分自身ともです。


 考えないほうが、勝ちよ。と。

2011年12月16日金曜日

やっている事と、宣伝の内容が、あまりにも違っているある公団

 寂しい思いをする人達がいます。彼らにとっては、それが仕事なのです。そんな人は、どこにでもいます。それが、世の中なのです。ただ、見せ掛けだけの事をするために寂しいことをします。


 働きに行く道の脇に、ちょっと大きな人工の池があります。セメントで作られていて、扇の形をしています。池の深さは30センチもありません。半年ぐらい経つと掃除をします。池の側には、魚や生き物がいますので、入らないで下さいと看板があります。掃除が済むと水も綺麗になり、池の底も見えます。そして、今まで泳いでいたオレンジ色の金魚も、水草も無くなります。ゴミ箱や、下水に流されてしまうのです。そして、いばらくすると、新しい金魚や水草を池に入れます。


 そんな池を管理する管理者から、封書が届きます。とても、事務的で管理者としての都合だけを記述した文面です。そう、管理者に話をする余地はなく、それに従わなければ、下水やゴミ箱に捨てられてしまいます。金魚や水草のように捨てられてしまうのでしょう。


 日本もアメリカのような感覚になっています。アメリカが日本に提案するTPP加入。本当のところは知りませんけど、アメリカではお金がなければ、けが人でも手当を受けられないと聞きます。有無を云わせず、世界から放り出されるような気がします。でも、平和ボケで間抜けな顔をしている大企業のセキュリテイ管理者よりいいかもしれない。巷の現実の厳しさを、いきなりぶつけられている日本の人々です。いまでも、いっているんでしょうか? 銀行員は? 


 『信用してください。』

用賀の鯛焼き屋の鯛焼きを2匹買って食べ歩きをして思う、不景気

 暗闇のアスファルトの道を歩きながら、小さな白いビニール袋に入れた白い紙袋に入った鯛焼きを右手に持ち食べ始めた。用賀駅の近くにたこ焼きと、鯛焼きを売る小さなお店がある。小さな店の中に、3人の男女が、焼けた鉄板を前に立ちながら、働いている。黄色いユニファームに赤い前掛けを腰に巻いている。頭には白い頭当てを被っています。



 鯛焼きですが、あまり焼きが入っていません。薄いクリーム色の白っぽい色をしています。裏と表の継ぎ合わせが、でこぼこです。まあ、熟練していない鯛焼きの焼き方なのです。どうでもいいや、と言った感じの鯛焼きです。小豆あんこは、十分入っています。ですが、まっ、いっか、と云った鯛焼きです。


 まあ、しょうがないのです。分かります。従業員として働いているのです。客が喜ぼうが、嫌がろうが、分からないのです。どうでもいいのです。時間まで働くことしかないのです。


 近くには、大判焼なる丸い似たような今川焼きのような店があります。こちらは、色も味もいいものです。ですが、無愛想な親父がやっていて、喜んで買おうとは思わない店です。


 今、何か販売者も購入者も、何かかみ合っていないような空気があります。大戸屋と呼ぶ青い看板に白抜きの文字をした定職屋さんがあります。商売も安定しているようで、良く見る店です。そんな大戸屋を、まねして、ひとつの定職屋さんが現れました。おはちと呼ぶ定職屋さんです。オレンジ色の看板に白い丸を描いた店です。ですが、このおはちと呼ぶ、定職屋さん、今はどこにいっても見ません。当然だと思います。


 おはちと呼ぶ定職屋さんに、入って定食を注文しました。世田谷区の千歳烏山の店です。目抜き通りの雑居ビルの2階にありました。前のテーブルに置かれた定食を前ににして、箸をつけずに黙って店をでました。それいらい、一度も入ったことがありません。そして、いつのまにか、千歳烏山の雑居ビルにはなくなりました。そして、どの街でも、見かけなくなりました。



 確かに、なくなる店ってあります。店の都合だけを考えた商売をしているんですね。日本が現在、国難を呼ぶ状態にいるのも、世界が変わっているのに、その状況に対応していないのです。ヨーロッパやアメリカも経済がうまくいっていません。世界の状況にあっていないのです。



 当たり前の事ですけど、自分がうまくいっていないのは、自分の事を考えていないのです。怠け者か、間違った考えに従った事をしているのです。あるいは、やっていないのです。大体がやればいいのに、やらないのが、原因だと思います。明日やろうとか、今度にしようとか、問題先送りとかですね。


 民主党って、どうでしょう。マスコミのニュースを見たり聞いたりしているところ、自分の都合だけを考えてやっているような感じを受けます。庶民と約束したこと、やって欲しいことは、出来ないでいるようです。やらないでいいような事を、一生懸命しているようです。

2011年12月15日木曜日

ぼんやりとした不安、何か分かるような気がする。芥川龍之介の気持ち

『これは、宿命だと思っています。私も、野田総理も・・・・。』


 ニュース画面で安住財務大臣が消費税の増税について、沢山のマイクを前に落ち着いた感じで話していました。そんなさなか、小沢議員周辺が、4年間は消費税は上げないとのマニフェストを守らないことに抗議して、野田総理に進言しているとの事らしい。


 生活保護者が206万人になったとのニュースをこのあいだ見ました。確かに1ヶ月ごとに1万人ずつ増えています。単純計算で、100人に2人が生活保護を受けている計算になります。世間には雇用も、あまりないようです。


 政府には政府の活動があるとは思いますが、もの凄く一般庶民の不安を掻き立てるようです。東日本大震災前から、国難と云われてどれぐらいのときが流れたでしょう。景気も、雇用も、何もかも改善していません。増税して何か良くなるのでしょうか?

2011年12月4日日曜日

82歳の奥さんの感覚って、日本人の偽らない姿なのかも知れない。

 『ええ! 日本の電気代って世界一高いの?』
 『ええ。そうですよ。ほら、この間の福島原子力発電所事故で、色々調べたら、日本の電気料金って、世界一高い事が分かったんですよ。』



 年老いた奥さんと、お話をしました。彼女は、自分は82歳だと言います。そして、自分はのんびりしていると言います。これから、運動場に行って運動をするのだといっていました。ゆったりした体の動きをしながら、おぼつかない足取りで運動場に向かって歩いていきます。



 『そうなの、知らなかった。請求書が来れば、何も考えずに払っちゃうから。』
 『多分、調べてみたら何でも高いんじゃないんですかねぇ。』



 彼女は昭和初期の生まれだといいます。戦中、戦後を体験して今は何でもあるといいます。そして、いつ自分は亡くなっても良いと言います。



 『私はのんびりしているから。でも、男の人は大変よね。』



 そのとおりだと思います。意識するしないは別にして、男は家族を守るために、命を賭けるのです。 でも、何か違いますけど、何も考えずに自分の家に届いた請求書の金額を支払ってしまう。それが、日本人の普通の人々ではないでしょうか? 電気代、ガス、水道、電話、社会保険、年金保険、某国営放送、携帯電話代、インタネット代、家賃。ええとあとなんだろう。むしられても、むしられても、しぼりとられても払い続ける国民性なのでしょう。

2011年12月1日木曜日

橋本さん大阪市長当選により、大阪都構想が背景となって、なんだか見えてしまう日本の政治と政治家の議員さんたちの考え

 『20万票の大差をつけて橋本市長が誕生しました。』



 ニュース画面の中で万歳三唱をしている大阪維新の会のメンバーの姿が放映されました。両手をあげ、どの顔も満面の笑顔のようでした。大阪都構想なるタイトルを掲げて、大阪市長選挙に当選したのです。橋本市長当選により、コメンテータが今後の日本の政治に、どのような影響を与えるのかを、コメントしています。


 新しい試みではないでしょうか? いままでの議員さんに比較して、違った旗を掲げています。いままでの議員さんは、既存の法律の枠組みの中で、どうでも良いようなことを言っていたような気がします。そして、結局何をどうしたいのかわからないまま、現在にいたっています。政治空白と呼ぶ、10年間、20年間と、誰かさんが言っています。


 そんな事をニュースで見ていると、昔のアメリカの名のある俳優であるカーク・ダグラスやバート・ランカスターの、盛りを過ぎた、その後の映画を見たような気がします。その映画は気の抜けた、ストーリーで、ちっとも面白くも、ためにもならない、時間の無駄をしたようなものでした。やはり、ちゃんとしたシナリオを書ける人が居ないと、どのような俳優でも、駄目なのです。そして、現在の日本には、そのような事を考えている人がいないのです。やる事といえば、入場者数がめっきる減ってしまったといっている相撲界の仲間内の八百長や、国会での、各政党間の問題責任を問うことばかりです。



 いったい日本はどうなっちゃたのでしょう。現在、多くの人々が、不景気の中で苦しんでいます。ブータン国王が日本に来たのは、つい先日でした。国民の幸福度99%と、見知らぬ奥さんが、ブータンの事を私の耳に聞こえるように云いました。なんでしょうね。これって。