2011年12月16日金曜日

やっている事と、宣伝の内容が、あまりにも違っているある公団

 寂しい思いをする人達がいます。彼らにとっては、それが仕事なのです。そんな人は、どこにでもいます。それが、世の中なのです。ただ、見せ掛けだけの事をするために寂しいことをします。


 働きに行く道の脇に、ちょっと大きな人工の池があります。セメントで作られていて、扇の形をしています。池の深さは30センチもありません。半年ぐらい経つと掃除をします。池の側には、魚や生き物がいますので、入らないで下さいと看板があります。掃除が済むと水も綺麗になり、池の底も見えます。そして、今まで泳いでいたオレンジ色の金魚も、水草も無くなります。ゴミ箱や、下水に流されてしまうのです。そして、いばらくすると、新しい金魚や水草を池に入れます。


 そんな池を管理する管理者から、封書が届きます。とても、事務的で管理者としての都合だけを記述した文面です。そう、管理者に話をする余地はなく、それに従わなければ、下水やゴミ箱に捨てられてしまいます。金魚や水草のように捨てられてしまうのでしょう。


 日本もアメリカのような感覚になっています。アメリカが日本に提案するTPP加入。本当のところは知りませんけど、アメリカではお金がなければ、けが人でも手当を受けられないと聞きます。有無を云わせず、世界から放り出されるような気がします。でも、平和ボケで間抜けな顔をしている大企業のセキュリテイ管理者よりいいかもしれない。巷の現実の厳しさを、いきなりぶつけられている日本の人々です。いまでも、いっているんでしょうか? 銀行員は? 


 『信用してください。』

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