2010年12月21日火曜日

日いずる国




 日本とは良く考え付けられた国の名前です。太陽が出てくる国です。その国の政治、政策はでのようなものでしょう。なさけなくなるような感じです。下を向いてしまいます。恥ずかしくなります。何故でしょうか?



 世界は変わりました。飛行機、インターネット。そうなのです。世界中の人達が、同じ人間であるという事実をつきつけられたのを知りました。同じ人間だと。



 人間はなにを求めているのでしょうか? 人間がもとめるものは快適な生活です。人間でいる為には快適な生活がかかせないのです。快適な生活を希望しない人間がいるでしょうか? 快適な生活の中で私達は自分自身を発見する時間と考えを持つことが出来るのだと思います。



 人間については、すでに解明されています。ことわざ、歌舞伎、シエークスピア。そうなのです。あとは実行、行動するだけなのです。



 私達は人間らしい生活を求めているのです。天井の高い家、会話のある家庭、学校、会社、社会、世界を望んでいるいるのです。



 なんのために、先人は戦争や苦しみを経験、体験して生き、死んだのでしょうか? その苦しみや体験を繰り返すのは愚かなことです。


 

2010年9月23日木曜日

日本人の生活を快適にする党




 『ノーサイドで、挙党体制で!』


 民主党代表選挙が終わり、菅直人さんが代表に選ばれました。国会議員票は僅差でした。


『1に雇用、2に効用、3に効用!』


 そんな事を菅直人さんは代表戦でマイクを片手に叫んでいました。随分前から雇用がなくなっていたのです。日本の国内には。ですが、そんな事は私達庶民にはつらい事実でも、菅さんを含めた国会議員にはなんでもないことでしょう。ただ単に代表戦や選挙のための見出しのついた文句でしかないのです。けして、私達庶民の暮らしと、雇用問題はよくはならないでしょう。彼らには毎月議員手当ては入ってくるのです。悠々左団扇の、そんな人達が私達の暮らしと生活を真剣に考えるとは思えません。


 私達の生活は私達がよくしていくほかは無いのです。そんなことはあたりまえです。そんな考えをそだてましょう。自分の心の中に。そして、自分のまわりの人達の中に。


 そして、作りましょう。最後まで言えるような党を。日本人の生活を快適にする党と。

2010年8月27日金曜日

ジミー・カーター




 『北朝鮮に拉致されている日本の人達はいつ、日本に戻ってくるのですか?』


 テレビ画面には、小さな子供達が体を寄せ合うように映し出されていました。子供達の中の女の子が、険しい厳しい表情をして、日本政府の大臣に尋ねました。


 『相手が居ることなので、一生懸命がんばっても、なかなかむずかしいのです。』


 小さな女の子の厳しい顔の表情など意に介さないように、にこやかな表情で答える日本国政府の大臣でした。


 北朝鮮に囚われの身となったアメリカ人を救出すべく、北朝鮮の空港に降り立った元アメリカ大統領ジミー・カーター。北朝鮮のNO2と、にこやかに話しをしている姿が、テレビに映し出されました。そして、昨日囚われの身のアメリカ人と一緒に、母国アメリカに帰りました。


 健全な力を見るのは気持ちの良いものです。本当に晴れ晴れとした気持ちになります。そして力の無い者を見るのは、寂しいものです。道端に転がっている名も無い小石のように。

2010年8月17日火曜日

砧公園




 夏の暑い日の午後に、公園の木陰の芝生に厚手の肌色のバスタオルを敷いて寝そべっていました。ちょっと離れたところには、小さな男の子が白い虫取り網を振り回して、赤とんぼを追いかけていました。そして、その男の子を笑顔で見ている体格の良い、おじいさんがいました。捕まえた虫を入れる為の透明のプラスチック製のカゴを片手に持っていました。


 赤とんぼは、つかまる事無く緑の芝生の上を、大空の中を自由に飛んでいました。


 黄色い半袖シャツと白い半ズボンをはいた小さな男の子は、いつまでもいつまでも赤とんぼを追いかけていました。虫かごを片手に持ったおじいさんは、その男の子を笑顔で見守っていました。白い開襟シャツと半ズボンのおじいさんの幸せそうな笑顔が、とても印象的でした。おじいちゃんとお孫さんですね。きっと。


 人が幸せになるには家族と生活することが一番ですよね。何も言わずとも信頼の絆で結ばれています。


 今の政治を行っている日本国政府と、国民はどうでしょう。ぶれにぶれています。その場その場の対応に終始しています。何をがんばっているのでしょう。このような政府と首相をどうすれば、応援できるのでしょう。テレビで見る閣僚達は、何かたよりなく、酒に酔っ払っている人のように見えます。見守っているほかは無いのでしょうか?

2010年7月15日木曜日

日本語の先生





 『日本語を教えているんです。』


 そこは東京は港区の神谷町の路地裏です。小さな女性とお話をしました。銀座で買い物を済ませて家に帰る途中なのです。


 『でも、こんなところに住んでいるなんて凄いですね。何をしているのですか?』


 私は、東京のど真ん中である神谷町に住んでいることに興味を持ち尋ねました。すると、年のころは40歳前半でしょうか? この女性は、中国の人達に日本語を教えているのだといいます。そして、銀座に沢山来て買い物をしている中国の方達の傲慢な態度を批判していました。


 『まったく羞恥心がないんです。でも、わたしが日本語を教えている中国の方達は、とても恥ずかしいといっています。同じ中国人として、と。』


 なんとなく分かるような気がしました。お金を持つ者の驕りのようなようなものは、誰でも感じるものです。お金は、ひとつの力の証です。昔からお金を持った者をテレビドラマ、映画や小説では、世の中や人間を描く必要な題材として使われています。そうそう、日本も一昔バブル景気に浮かれて海外旅行に行って、買い物を買いあさっていた時代がありました。フランスやイタリヤで、ビトン等のブランド商品を日本の若い女性の旅行客が、恥も外聞も関せずと買いあさっていたのです。


 そうなんです、みんな。中国が、韓国がと言わずに、みんなそうなんですよ。


 梅雨の合間に青い空が顔をだしました。そういえば、最近、ゲリラ雨なる豪雨が降ります。地球温暖化の影響だと人が言います。あの昔の窓の外で、しとしと、さらさらといつまでもいつまでも音も無く静かに降り続く雨はどこにいってしまったのでしょうか。

2010年7月6日火曜日

変わっていく日本と変わらない日本





 ? あれぇ~。

 ちょっと前の話ですが、私は自転車に乗って近所のくねくねとした灰色のアスファルトの路地の曲がり角をのんびりと走っていました。、そんな私の目に入ったものはゴミ出しのゴミに緑色のネット被せた周りを整理しているのか、柄の短い小さな箒を体をかがめてゴミだし周辺を掃いている大きな体をした男の人でした。通常なら何も気にかけないでそのまま通り過ぎてしまうところです。ですが、その男の人は、青い目をした栗色の頭髪をした外人さんでした。なんとなく、アンバランスな気持ちで曲がり角を通り過ぎていく自分でした。

 最近、普通に近所で外人さんの姿を見ます。カウボーイの帽子を被って自転車に乗っている赤い頭髪の外国の男性とか、通勤途中のスラリとした外人さんとかです。

 『スエーデンの方ですか?』

 私は、金髪で目の大きな背の高い男性に話かけました。港区のスエーデン大使館の前でその外人さんに会ったのです。

 『ドイツ人です。』
 『そういえば、サッカー勝ちましたね。ドイツ。』
 『はい。うれしいです。』

 ワールドカップのサッカーでドイツが強豪アルゼンチンを下して準決勝にすすんだのです。それも、4対0というスコアで圧勝したのです。そんな感じで少しなれない日本語のドイツ人と話ともいえない会話をしたことがあります。考えたら、それも、昨日、今日と違った場所で違ったドイツ人とです。

 そんなことで、日本人の中に、外国の人を沢山見ます。しかし、昔から変わらない日本の柄の短い箒を持って体をかがめて掃除する外人さんでした。何故、柄の長い箒を使って背筋を伸ばして姿勢良く掃除が出来ないのでしょう。そのほうが、自然だし、体にも見た目にも健全です。

 日本は時代の流れの中で確かに変わっているのですが、何か悪しきところが変わらないのです。人間の本来の姿に合わせずに、逆らったものですね。その為に苦しんでいるのですが。何故なのでしょう。

 私は東京は世田谷区に住んでいます。東京は今は梅雨空の下に居ます。

2010年6月28日月曜日

あっち向いてほい。




『平成の脱税王です。』


 あるラジオ番組に、ゲストに迎えられた政治経済雑誌の編集長が言いました。ちょっと前に首相だった、鳩山由紀夫さんのことを言っているのです。ずいぶん多くの議員さんもおなじような事を言っていました。お母さんからの財産を譲り受けたのに、相続税を支払っていないとの事なのです。そのほか、その財産相続の経過を知らなかった等、問題発言などもあるのです。


 どうなんでしょう。親が、自分の子供に財産を譲る。これ普通だと思います。むしろ、税金をあらゆるものにかけてしまう、税務署のほうが、ちょっとなあ~と思います。盗人もこれとやっていることは同じです。税をかければなんでも、お金をとっていいものなんでしょうか? 


 そんな感じで、マスコミがあっちむいてほいと言えば、何も考えずに、そうだそうだで、済ましているような気がするのです。そして、大概の場合それで話が済んでしまっているように思えるのです。なんか日本人は考える、疑問に思う。そんなことをしていないような気がするのです。


 ひと昔、日本人が蕎麦を食えなくてどうすると言って、蕎麦アレルギの生徒に蕎麦を食べさせて、殺してしまった先生のような気がするのです。それぞれの事情があると思うのです。なんか、みんな一緒じゃないと気がすまないようなところがあるんですね。

なるようになるでは、だめだよね。




 『超党派で議論したい。』


 ラジオから、菅直人首相の声が聞こえました。消費税を10%にするとの声明なのです。そして、民主党だけではなく、他の党の人達とも、これについて話し合いたいとの事らしいのです。


 日本はどうなるのでしょう。不景気が続いています。厳しい雇用不安が続いています。そんな中で、どうしていいのか分からないと言った感じで民主党の政策が続いています。子供手当て、事業仕分け。なんだか違う気がするのですが。場当たり的な事に終始している感じです。


 むかし、ロナルドレーガンなるアメリカ大統領の話をテレビで見ました。ウルグアイラウンド。関税に関する国際的な集まりです。各国が互いに貿易の輸入輸出で課している関税を話し合おうというものです。そのときに日本は米の輸入を阻止したいとの思いがありました。そして、各国の話を傍観していました。米の輸入をせまられないようにです。ロナルドレーガン大統領がいいました。


 『関税はなくなれば、世界が平等になる。』


 なるほどなあぁ。納得できる話である。確かに各国のそれぞれの事情があり、関税を一気になくすことはできないでしょう。ですが、最終的な目標を明確に述べられることに感銘を受けました。議論した結果の結論だといえるでしょう。もちろんアメリカ側からの言い分には違いないのですが。


 それに比べて日本の議員達の。


 『議論をつくして。』


 これって、なんでしょうか? 多分議論ではなく、言い争っているだけなのかもしれません。議論の方法が分からないのかも?


おかあさんの怒りと、泣いてあやまる小さな息子




『何やってんだ、 おまえ! 前もそこで遊んで、巻き込まれて怪我したろ!』


『ええ~ん。ごめんなさい~。』


 他を圧倒する怒りの声を発しているお母さんが居ました。仁王のように立ち、目は怒りで釣りあがっています。肌色のワンピースを着ています。御多分に洩れず、お腹が出っ張ったよく肥えたお母さんです。小学2年生ぐらいでしょうか。水色の半そでシャツと白っぽい長ズボンを履いた男の子が、中腰で驚いてお母さんを見ています。そして、泣きながら弱弱しくお母さんに言ったのです。


 そこは、東京は世田谷区にあるスーパーの中です。三階建てのスーパーです。地下一階と2階建ての建物です。広々とした洋服売り場の一階に2階とと地下に通じるエスカレータが動いています。男の子は一階のエスカレータのベルトを掴んだり放したりして、遊んでいたのです。


 人は生まれたときから、さまざまな争いをしています。そのたびに、争いをおさめなくてはならないか、あるいは、争いから遠ざかって生きています。


 その争いに自尊心を賭けていれば、どちらかが辱めを受けなければなりません。衣類を剥ぎ取られ、重い十字架を背負わされ、多くの人達の前でその苦しみを見せなければなりません。更に、わき腹に槍を差し込まれて死なねばなりません。


 『神よ、彼らを許したまえ。彼等は、自分のやっていることがわからないのです。』、と。


 ちいさな男の子は立派です。おかあさんに、折れて勝ちを譲ったのです。

2010年6月24日木曜日

記憶の連鎖




 映画を見ました。日本の映画です。子育てごっこなる題名の映画でした。若い夫婦が地方の学校で先生をするストリーなのです。御かみさん役で栗原小巻さんですか? そんな事で遠い日の事を思い出しました。

 田舎のバスに乗っていました。地方の都市に遊びに行った帰りです。高校を卒業して家で就職もせずに遊んでいたときの事です。バスの緑色のソファーに座っていました。家までのバス停までは、は30分ぐらい時間が掛かります。バスに揺られていると、ふっと気が付きました。私の座っている席の前に中学の同級生の女の子が立っています。クラスは違っていますが同じ同級生です。話したことも、普段顔を逢わせる事もありません。ですが、彼女は私を知っていたのです。私の事を、今思えばですが。女性達の会話の中に登場していたのでしょう。ドジでまじめな愉快な男の子としてです。その彼女は、そ知らぬ顔ですまして立っています。

 おなじ同級生の男の子に人気のある女の子でした。たしかに、なんか違う女性です。普通の女の子以上の存在感がある子です。なんか私は、恥ずかしくてどうしようもなく、座っていました。

 記憶とは不思議なものです。もう、40年も前のことなのに。それも、ずいぶん昔の日本映画を見て、思いもしない記憶がよみがえるのですから。それも、一度も思い出しも、考えたこともない事をです。女優さんの名前と一字が同じであるということだけでです。

 人を作るものとは、このような記憶なのだとおもいます。できたら、良い思いでを沢山つくることが人のできることではないでしょうか。時代もそうです。昭和、平成と国が出来ることを見ています。先の未来の人達はこんな私達をどう思うのでしょうか。

 梅雨のなかで、パソコンテレビを見ています。そとは、雨が上がっています。

2010年6月17日木曜日

嘘つきたち




『マニュフェスト違反である。』


 車に備え付けのラジオからは、民主党のマニュフェストに対して、どうやってもその実現が不可能であるとの説明をする自民党の議員がいつまでも話続けています。マニュフェストを実現する財源がないとのことらしいのです。


 どれぐらいの時間ラジオから、そのような話ばかり流れたでしょうか? 沖縄の米軍基地撤退の話。いつまでも、いつまでも話しています。


 そんなことで、嘘つきが、嘘つきを、嘘つき呼ばわりしているようにしか、聞こえないのですが。


 面白うて、やがて悲しき鵜飼かな・・・・。


 あなたは? 自分はどうです。人に嘘をついかことはありませんか? では、自分に嘘を付いてはいませんか?


 みんなそうなのでは。それが人間なのではないですか?

2010年6月14日月曜日

不景気のものさし




『厳しい雇用不安が続いています。』


 車のラジオからは、いつごろからでしょう。聞きなれた放送内容が聞こえてきます。そうなんです。100年に一度の不景気は、まだまだ、日本の地からはさっていません。景気は回復基調に入ったと言った事も、何度かラジオでは言っていました。ですが、現実は厳しいさを通り過ぎているようです。確かに食べられずに餓死して道に倒れている人は目にはしていませんが。


 住んでいる集合住宅の沢山のポストは緑色のガムテープで封がしてあります。家賃を払えずに出て行った人達です。


 近所のスーパで売っている黄色いバナナが如何に小さくなってしまったことか。なんと希望の明かりを灯すことができない日本政府なのか。暗く寂しい日本の政権を取って何になるのか。6月のなんと寒々しい日が続くのかと。

履き違えている日本の人達




 『連方さんの家がここですよ。』
 『へええ。そうなんだあ。あっ! 本当だあ。選挙ポスターがはってある。』



 壁には赤を貴重とした、連方議員の顔写真のポスターが何枚かはってありました。



 今の不景気に限りません。何か時代に逆行するような事をしているきがします。日本人はね。行政の事業仕分け、子供手当て、高校の無料化等等。単なる選挙目当ての政策ともいえぬものに、注目が集まっています。何か根本的なものが欠けているいるような気がします。



 金は天下の回り物。事業仕分け等によりお金を抽出するような行動は、お金を締め出すようになってしまうと思うのです。それぞれに、ゆとりがあってお金は世の中を回れるのだと思うのですが。



 子供手当て。気持ちは分かるのですが、どうなんでしょう。パンダでも、ゴリラでも人間が彼らの赤ちゃんに手をだすと育児を放置してしまいます。勝手にしてくれと、言わんばかりにです。



 何を考えているのでしょう。多分何も考えていません。物事の本質を見ることを忘れているのです。また、出来なのだと思います。平和に暮らしているうちに、本当の世界を忘れてしまったのです。人間の本質を見ようとしなくなってしまったのです。



 どのような力が働いて、このような日本と日本人になってしまったのでしょう。もちろん、悪い所ばかりではないのですが。



 外は雨降りです。さらさら、さらさらと音もなく降り続いています。

罰当たりな人




 『石村さんと話した後って、事務所の人達とギスギスするんだけど?』


 そんなことを私は彼に言いました。彼は私の顔も見ずに、歩き去っていきます。何故か、彼は、私と話を沢山します。面白可笑しな話ばかりです。ですが、割合からいうと、7割がた、わたしが話しています。内容は、政治、まわりの出来事、ありふれたものばかりです。


 いつごろでしょうか? 事務所の人達が私を特別視しはじめました。


 『あなたが、あなたが・・・・。』


 とても他人行儀な話方で、私に話し始める事務所の若い事務員。あるいは、ぽつりと突然意味不明なことをつぶやく事務員。あるいは、不明な笑みを顔に浮かべて私を見る事務員。


 しかし、相変わらず彼と私は顔を合わせる度に沢山の話をしています。そうなんですね。彼が、私を陥れるために事務所の人達によからぬことを言っているようなのです。ですが、平気な顔で事務所の人達とも話しをしながら笑っている私に恐れをいだきはじめたようです。


 彼が怯え始めました。彼の話方が滑り始めました。そんなことが、ちょっと気になり始めました。そうなんですね。小さな世界に住んでいるんです。彼は。そして、試しているのです。私を。


 日本人なんです。これが、現在の。彼ばかりではせん。ほとんどの日本人が自分一人では精神生活をすることが出来ないのです。

2010年6月4日金曜日

鳩山首相の辞意表明




 『私も首相の職を退きますが、幹事長も幹事長の職を退いて下さい。わっははははは、一人で止めれば良いのに。なんだよぉ。幹事長も道連れだよぉ。かっかかっか。』



 冗談口を叩きながら、私達2人は空に顔を向け笑っています。



 仕事も終わり、仕事仲間と冗談半分で今日の出来事を話しています。民主党の議員の鳩山由紀夫首相が、ラジオで辞意を表明したニュースを聞きました。そして、ラジオからは沢山の解説者が、いろいろな事を話していました。辞意を表明した事の原因、今後の事、など等です。



 首相は自分だけの辞意を表明しただけでなく、小沢一郎幹事長に幹事長職を辞めるように言い互いに職を辞することを言いました。そして、不正なお金を受け取った一人の議員にも職を辞するように希望するようにいいました。



 『クリーンな民主党にする為に。』、と。



 そうなんです。彼等は今は民主党の議員さんなのですが、元々は自民党の議員さんなんです。そうなんです。昔、収賄や金にまみれて世間をあきれさせた自民党の議員さんと同じ党にいた議員さんなんです。そして、その昔、お金の勘定ばかりしている自民党の議員に世間様があきれて口をあんぐりあけていると彼等は、金に縁の無い議員をさがしだして首相にしました。錆びたトタン屋根の平屋を自宅に持つ議員さんをです。そして、そのときの世間様の目を欺いたのでした。



 そうなんです。今回も同じ事をやっているのです。



 『クリーンな民主党にする為に。』、と。



 初夏の天気の良い日差しの中で、自分達の貧しい生活も忘れて平和ボケした日本の地に立って笑っている2人でした。

2010年5月20日木曜日

自民党と民主党




 ユーチューブにアップロードされている動画を見ました。動画の中で自民党の議員と民主党の議員が互いに譲らない主張を言い合っています。どちらも紺色のスーツに白いワイシャツを着てネクタイを締めています。半円形の机に手を組み、椅子に座って向き合っています。

 自衛隊がアメリカから購入する戦闘機があまりにも正規の価格から離れて高価すぎるとの話をしている民主党議員。グアムに建設する米軍の住宅を日本政府が払う金額が高すぎるとの民主党の議員。それに対して説明をする自民党の議員。

 彼等は元々は同じ自民党の議員だったのです。だから物の考えも、言い方も同じなのです。

 民意を反映した国民の指示をえる与党とは、いつ現れるのでしょう。



2010年4月18日日曜日

おまわりさんの、?。




 『どうして? おかしいと思わないの? ええ。 だってさあ。・・』

 ここは、東京の土橋の交差点である。私は、深夜におまわりさんと話をしていました。どうしても、納得がいかないのです。若いおまわりさんは、私に色々と説明をします。標識のあるところまで、私を連れて行き、白い手袋をした指で差し示して説明します。どれぐらいの時間、この若いおまわりさんと話したでしょうか。仲間のおまわりさんが、私を不思議がってみています。

 彼らには、想像が出来ないのです。自分達が何をしているのかをです。そして、警察官に道理を説明する私がです。沢山の車が後から後から、捕まっています。それこそゴキブリが、ゴキブリホイホイの罠にかかるようにです。そして、車のドライバーは、反論することなく静かに違反切符を切られています。

 白バイ乗りのおまわりさんが、青い制服に白いヘルメットとⅴの字の胸飾りと黒いブーツを着用して何人もいました。一人が赤い発光棒を顔の前で右左に振っていました。それは、ここに障害物があるとの合図であることを示します。その横では、両手を使って、ここに車を停止しろとのジェスチャーをしています。当然、ドライバーは、おまわりさんの指示に従い車を入れます。何かの検査をしているのだろうと思ったのです。ですが、実は、右折禁止のところを右折したとの、話をされました。おまわりさんが誘導したから、右折をしたのです。

『ええ。そうでしょ。おまわりさんが、誘導したんですよ。だから、右折して、指示通りに、あそこに車を止めたんです。そうでしょ。』

 いくら、はなしてもらちがあきません。そして、道理を話している私を、不思議に見ているおまわりさんの仲間を、見ました。自分達が何をしているか分からないのです。 交通違反をするように誘導している事が分からないのです。赤い発光棒を左右に振っている工事中の場所は、東京のいたるところにあります。ここは障害物があるから、避けて下さいと。そして、こちらに車を通過させてくださいと。

 おとなしい日本の人を当たり前に見ている警察官達です。多分おとなしい、言うがままの人達を、おれおれ詐欺の主犯、あるいは政治家の人達は、けらけら笑って見ているはずです。

 結局は違反切符をもらいました。その後私は、110番して、新米の白バイ警官が何をしているのか110番の受付に説明しました。110番の人は、分かっているようでした。警察官でもなれない新米の人達がいることをです。そして管轄の警察署に連絡するとの話をしました。


 些細な事なら、大袈裟に捉えるより、しょうがないと思えば大人でしょう。しかしなあ。こう完全にやりたい放題では、黙っているほうがおかしいと思うのですが。

2010年2月25日木曜日

平穏な日々




 なんだろう。この一日は。来て、さっさと過ぎていく。平和でも楽しくも無い。そんな日が、毎日過ぎていく。家族も無く、友達もいない。老後がもうすぐやってくるのに、なんの備えもなく無防備で生活を送っている。なんとかなる。そんな気持ちが、どこか心の中にあって無為に過ごしてしまっている。

 何かを見つける必要がある。それが、なんだかわからないんだけど。自分を完成させるものかも。それは、情熱であったり、自分を動かす動機であるのかもしれない。家族や、仕事への面白い興味かもしれない。

2010年2月19日金曜日

ちび




 中学生時代の、ある日の事です。家のそばにある井戸の近くで、うれしそうな顔をして巻き尾の尻尾をふりながら、となりの家の年老いたおばさんの手をなめているちびを不思議そうに見ていました。



 彼は寂しかったのです。私の家にもらわれてきたのは、彼には災難でした。私の家には、何匹もの犬がもらわれて来ましたが寿命で死んだ犬がいません。最初は近所に捨てられた雑種の犬でした。私が拾ってきて家で飼い始めたのです。何年か家に居ましたが、保健所の人が知らぬ間に連れて行ってしまったのでしょう。私の愛犬えの愛情はどうしたのでしょう。何日か経ってから、保健所の犬を捕らえているオリを見に行きました。いくつかの犬の首輪に付ける鎖があっただけでした。大食いだけしている頭の悪い犬でしたが、愛嬌のある犬でした。



 ちびは茶色の毛並みをした小さな柴犬の雑種でした。首に白い毛並みがあり、足元も白い毛でした。父親の仕事先の同僚の家の雌犬が産んだ子犬でした。そして、どうゆうわけか気持ちが、我が家の住人と離れていました。乱暴にされていたのです。そして、彼にはプライドが在ったのです。夜になるとよく、遠吠えをしていました。愛情に飢えていたのでしょう。



 今、私自身を振り返るとちびは私自身でした。なんの感情もふるさとの父や母には、感じていません。乱暴に育てられたのです。体罰は当然でしたが、言葉による暴力も自然になされていました。暗く寂しい幼少、少年、青年時代でした。そしてこんな自分を涙は流しませんが、なさけなく思っています。



 普通の家庭でしたが、希望も目標も持てませんでした。自分自身に価値を見出すことが出来なかったのです。そんな、家庭であり、時代環境であり乱暴な言葉や威勢の良さを売りにする港町の背景でもあったのでした。



 ちびは、近所の人の知らせで交通事故にあって、道路に横たわっているのを知らされました。母と、弟と私で現場に行きました。



 母が言いました。



 『箱にいれな。』



 困った顔をしながら、ひとつ年下の弟が言い放ちました。



 『気味が悪くて、さわる事ができないよ!』



 緩やかな坂の灰色のアスファルトの上にゴミと一緒に混じって死んでいるちびがいました。雨に濡れたからだは硬直して目を半分閉じて、少し開いた黒い口元から、白い歯と、ピンクの舌が少し出ていました。



 『俺がやる。』



 私は、そう言いながら恐々と硬直したちびの体を両手で抱き上げて、体に触れないように急いで箱に入れました。そのあとの記憶はありません。たぶん、自転車の荷台にダンボールの中に入れた、ちびの死体を地域の墓地の墓の管理人に少しのお金と共に渡したのだと思います。



 いま、日本国もそうです。国民の困窮生活をなんとも思わない人達が政治を行っています。自身のお金のあり方を問われて、うれしそうに国会答弁をしている総理大臣や、民主党の政治家達。美しい日の丸の旗に似合わない人達のようです。間違えているような感じがします。国民が自分の国や自分自身に価値を見出せていない結果なのだとおもいます。それが、投票率の低さに現れても居るのです。



 現在、政治や物事の悪しき面を捉えてものを言うのは簡単です。むしろ理解をして、自分や国の在り方を考える事が出来る事を知るべきなのです。乱暴や考えの無い行動がちびのような寂しい苦い思い出となって現れ、心に影を作るのです。そして、人として飼い主として、ちびに親切にできなかったことをとても、後悔しています。それは、自分自身に対する親切と同じだったのです。対外的に親切に出来ないことは自分にも親切には出来ないでしょう。親切に見せかけることは出来るでしょうが。