2020年7月8日水曜日

七夕の短冊に書く日本人の願い



 七夕といえば、昔、田舎で暮らしていた子供のとき、近所の平屋にインドで非暴力を唱えた今は亡きマハトマ・ガンジーにそっくりなおじいさんが住んでいた。頭には頭髪が一本もないつるっぱげで腰も背中も曲がっていた。そして、いつも体には上下白い簡単な甚平のような和服を着ていた。おじいさんの家の後ろには畑があって、おじいさんが腰を曲げて畑を見た後に家に入る為に歩いている姿を見るときがあった。そして、私の家の家族は、平屋に住んでいる二人をたがやのじっちさんと、ばっばさんと呼んでいた。そして、七夕にはたがやのじっちさんとばっばさんの家にも通りに面した場所に七夕の背丈の低い笹竹を立てていた。笹竹にはピンクや青、灰色をした短冊がたくさん付けられて短冊には黒い墨の文字で願い事が書いてあった。そして、短冊だけがぶら下がっている笹竹が夏の陽の光の中でそよ風に吹かれて揺れていた。笹竹には短冊しかぶら下がっていなかった。

 そして、ある日、子供時分の私と弟のふたりがたがやのじっちさんちの開け放した平屋の裏の廊下の隅に並んで坐っていた。私が始めてたがやのじっちさんと接した日だった。私は満面の笑顔をがやのじっちさんに見せていた。たがやのじっちさんも年老いた顔に笑顔を浮かべて見せながら私達兄弟と一緒に坐っていた。そして、なんの言葉も交さなかったけど、互いに仲良くしたい気持があった。たがやのじっちさんは、手で私が持っていた虫をつかまえる昆虫捕獲網を直してあげる素振りを見せて、私の持っていた昆虫捕獲網を手に取り穴の開いている箇所を漁師が魚網を修理する道具と糸を使って修理してくれた。私と弟は幼稚園児だった。そして、言葉も会話もなく互いに笑顔を見せ合っているだけだった。そして、たがやのじっちさんと接したのはそれが最初で最後だった。

 おふくろさんが、私に、怖い顔をして言ったのだ。こんな風にさ。

 『たがやのじっちさんは怖いんだぞ!!、もう、たがやのじっちさんのところに行っちゃだめだぞ!!、いいな!!』

 そして、たがやのじっちさんと顔を合わせても用心する目でたがやのじっちさんを見た。たがやのじっちさんも、そんな私の目を見て了解したようだ。そして、そんな事も忘れてしまって時が流れたある日、葬式があった。小さな子供ではあったけど、たがやのじっちさんが死んだんだと思った。子供もなくたがやのじっちさんはばっぱさんとふたりで暮らしていたんだ。そして、私と弟の小さな兄弟を見てたがやのじっちさんは自分にも子供がいたらなあと思ったに違いないのだ。七夕になると、ふ、っとそんなたがやのじっちさんとばっぱさんを思い出すことがある。そして、こんな事を言っている人達ってどんな人達なんだろうと思う。

 『日本は凄い。』
 『日本は素晴らしい。』
 『世界が日本に驚いた。』
 『世界中の人達から愛される日本って素敵だと思いませんか?』
 『天皇の権威は世界一だ。』
 『日本は自由で豊かだ。』

 違う感じがするんだ。GNP世界第3位の国とはとてもおもえない寂しい国だよなあ。日本国民が豊かに暮らしているような街や人が住む家や人々の顔には見えないよ。何か間違っているような気がする。現実の日本と呼ぶ国の事実や、日本人が人間らしく家族と暮らす願いや思いや当り前の事実から日本国民を引き離そうとしているように思えるよ。そんな事から、短冊に書くように、コメントを書くと、普通の国に日本がなりますように、日本人が普通の国民になりますように。そんな願いを七夕の日にコメントしたい。

 令和2年7月7日(火曜)曇り 25℃ 午後14:17 世田谷区より。