2010年7月15日木曜日

日本語の先生





 『日本語を教えているんです。』


 そこは東京は港区の神谷町の路地裏です。小さな女性とお話をしました。銀座で買い物を済ませて家に帰る途中なのです。


 『でも、こんなところに住んでいるなんて凄いですね。何をしているのですか?』


 私は、東京のど真ん中である神谷町に住んでいることに興味を持ち尋ねました。すると、年のころは40歳前半でしょうか? この女性は、中国の人達に日本語を教えているのだといいます。そして、銀座に沢山来て買い物をしている中国の方達の傲慢な態度を批判していました。


 『まったく羞恥心がないんです。でも、わたしが日本語を教えている中国の方達は、とても恥ずかしいといっています。同じ中国人として、と。』


 なんとなく分かるような気がしました。お金を持つ者の驕りのようなようなものは、誰でも感じるものです。お金は、ひとつの力の証です。昔からお金を持った者をテレビドラマ、映画や小説では、世の中や人間を描く必要な題材として使われています。そうそう、日本も一昔バブル景気に浮かれて海外旅行に行って、買い物を買いあさっていた時代がありました。フランスやイタリヤで、ビトン等のブランド商品を日本の若い女性の旅行客が、恥も外聞も関せずと買いあさっていたのです。


 そうなんです、みんな。中国が、韓国がと言わずに、みんなそうなんですよ。


 梅雨の合間に青い空が顔をだしました。そういえば、最近、ゲリラ雨なる豪雨が降ります。地球温暖化の影響だと人が言います。あの昔の窓の外で、しとしと、さらさらといつまでもいつまでも音も無く静かに降り続く雨はどこにいってしまったのでしょうか。

2010年7月6日火曜日

変わっていく日本と変わらない日本





 ? あれぇ~。

 ちょっと前の話ですが、私は自転車に乗って近所のくねくねとした灰色のアスファルトの路地の曲がり角をのんびりと走っていました。、そんな私の目に入ったものはゴミ出しのゴミに緑色のネット被せた周りを整理しているのか、柄の短い小さな箒を体をかがめてゴミだし周辺を掃いている大きな体をした男の人でした。通常なら何も気にかけないでそのまま通り過ぎてしまうところです。ですが、その男の人は、青い目をした栗色の頭髪をした外人さんでした。なんとなく、アンバランスな気持ちで曲がり角を通り過ぎていく自分でした。

 最近、普通に近所で外人さんの姿を見ます。カウボーイの帽子を被って自転車に乗っている赤い頭髪の外国の男性とか、通勤途中のスラリとした外人さんとかです。

 『スエーデンの方ですか?』

 私は、金髪で目の大きな背の高い男性に話かけました。港区のスエーデン大使館の前でその外人さんに会ったのです。

 『ドイツ人です。』
 『そういえば、サッカー勝ちましたね。ドイツ。』
 『はい。うれしいです。』

 ワールドカップのサッカーでドイツが強豪アルゼンチンを下して準決勝にすすんだのです。それも、4対0というスコアで圧勝したのです。そんな感じで少しなれない日本語のドイツ人と話ともいえない会話をしたことがあります。考えたら、それも、昨日、今日と違った場所で違ったドイツ人とです。

 そんなことで、日本人の中に、外国の人を沢山見ます。しかし、昔から変わらない日本の柄の短い箒を持って体をかがめて掃除する外人さんでした。何故、柄の長い箒を使って背筋を伸ばして姿勢良く掃除が出来ないのでしょう。そのほうが、自然だし、体にも見た目にも健全です。

 日本は時代の流れの中で確かに変わっているのですが、何か悪しきところが変わらないのです。人間の本来の姿に合わせずに、逆らったものですね。その為に苦しんでいるのですが。何故なのでしょう。

 私は東京は世田谷区に住んでいます。東京は今は梅雨空の下に居ます。