2010年2月25日木曜日

平穏な日々




 なんだろう。この一日は。来て、さっさと過ぎていく。平和でも楽しくも無い。そんな日が、毎日過ぎていく。家族も無く、友達もいない。老後がもうすぐやってくるのに、なんの備えもなく無防備で生活を送っている。なんとかなる。そんな気持ちが、どこか心の中にあって無為に過ごしてしまっている。

 何かを見つける必要がある。それが、なんだかわからないんだけど。自分を完成させるものかも。それは、情熱であったり、自分を動かす動機であるのかもしれない。家族や、仕事への面白い興味かもしれない。

2010年2月19日金曜日

ちび




 中学生時代の、ある日の事です。家のそばにある井戸の近くで、うれしそうな顔をして巻き尾の尻尾をふりながら、となりの家の年老いたおばさんの手をなめているちびを不思議そうに見ていました。



 彼は寂しかったのです。私の家にもらわれてきたのは、彼には災難でした。私の家には、何匹もの犬がもらわれて来ましたが寿命で死んだ犬がいません。最初は近所に捨てられた雑種の犬でした。私が拾ってきて家で飼い始めたのです。何年か家に居ましたが、保健所の人が知らぬ間に連れて行ってしまったのでしょう。私の愛犬えの愛情はどうしたのでしょう。何日か経ってから、保健所の犬を捕らえているオリを見に行きました。いくつかの犬の首輪に付ける鎖があっただけでした。大食いだけしている頭の悪い犬でしたが、愛嬌のある犬でした。



 ちびは茶色の毛並みをした小さな柴犬の雑種でした。首に白い毛並みがあり、足元も白い毛でした。父親の仕事先の同僚の家の雌犬が産んだ子犬でした。そして、どうゆうわけか気持ちが、我が家の住人と離れていました。乱暴にされていたのです。そして、彼にはプライドが在ったのです。夜になるとよく、遠吠えをしていました。愛情に飢えていたのでしょう。



 今、私自身を振り返るとちびは私自身でした。なんの感情もふるさとの父や母には、感じていません。乱暴に育てられたのです。体罰は当然でしたが、言葉による暴力も自然になされていました。暗く寂しい幼少、少年、青年時代でした。そしてこんな自分を涙は流しませんが、なさけなく思っています。



 普通の家庭でしたが、希望も目標も持てませんでした。自分自身に価値を見出すことが出来なかったのです。そんな、家庭であり、時代環境であり乱暴な言葉や威勢の良さを売りにする港町の背景でもあったのでした。



 ちびは、近所の人の知らせで交通事故にあって、道路に横たわっているのを知らされました。母と、弟と私で現場に行きました。



 母が言いました。



 『箱にいれな。』



 困った顔をしながら、ひとつ年下の弟が言い放ちました。



 『気味が悪くて、さわる事ができないよ!』



 緩やかな坂の灰色のアスファルトの上にゴミと一緒に混じって死んでいるちびがいました。雨に濡れたからだは硬直して目を半分閉じて、少し開いた黒い口元から、白い歯と、ピンクの舌が少し出ていました。



 『俺がやる。』



 私は、そう言いながら恐々と硬直したちびの体を両手で抱き上げて、体に触れないように急いで箱に入れました。そのあとの記憶はありません。たぶん、自転車の荷台にダンボールの中に入れた、ちびの死体を地域の墓地の墓の管理人に少しのお金と共に渡したのだと思います。



 いま、日本国もそうです。国民の困窮生活をなんとも思わない人達が政治を行っています。自身のお金のあり方を問われて、うれしそうに国会答弁をしている総理大臣や、民主党の政治家達。美しい日の丸の旗に似合わない人達のようです。間違えているような感じがします。国民が自分の国や自分自身に価値を見出せていない結果なのだとおもいます。それが、投票率の低さに現れても居るのです。



 現在、政治や物事の悪しき面を捉えてものを言うのは簡単です。むしろ理解をして、自分や国の在り方を考える事が出来る事を知るべきなのです。乱暴や考えの無い行動がちびのような寂しい苦い思い出となって現れ、心に影を作るのです。そして、人として飼い主として、ちびに親切にできなかったことをとても、後悔しています。それは、自分自身に対する親切と同じだったのです。対外的に親切に出来ないことは自分にも親切には出来ないでしょう。親切に見せかけることは出来るでしょうが。