2011年9月22日木曜日

現在の日本に欠けているもの・・・


 『何が本当なのか、今も分かりません。』



 福島県からの花火を購入して打ち上げようとした、愛知県日進市に抗議の連絡が相次いだ。放射能を心配して安全を確認しているのかを、問いただしての抗議だ。震災、原子力発電所事故で生活が困難になっている福島県を応援するつもりで、福島県の花火製造業者から購入したらしいのです。ですが、結果的には裏目で出てしまったのです。応援するつもりが、逆に放射能に敏感に反応した風評被害を広めてしまったのです。安全を確認している事を説明できない、しない体制に問題があるのです。そんな花火の購入に対して、関係者がテレビの画面の中で言いました。日本人はバベルの塔の住人のようになってしまったのです。



 『ひとりもいない、死の街・・・・』



 鉢呂大臣の発言に問題があるとして、辞任を要求されて辞任しました。辞任した後に、普通の発言ではなかったのかと云った、事が言われました。確かに、普通の人が街を訪ねて、街の中に人が誰もいなければ、怪訝に思うでしょう。そして、その原因が放射能であれば、そう考えて言ってしまうのが常識ではないでしょうか?



 何かの力が働いて、事実や当たり前の考えが通らない雰囲気が、現在の日本にはあります。それは、事実や当たり前の事を知らないせいだと思います。そして、当たり前の態度を示せないのです。落ち着いて、堂々とすることが、出来なくなってしまったのです。どこかで、嘘をついているのです。



 中国を始め、アジア諸国が事実を認識して経済発展を続ける中、昔からの考えを改めることが出来ずにいるのです。先に進むためには、現在の自分自身を正確に認識する必要があるでしょう。世界が変わっているのに、一部の人々の認識だけで満足してしまっているのです。



 当たり前の事。人が人として考える事、行うことを躊躇しているのです。親が子を思う、国が国民を思う。人間として、人間である為に豊かな生活を営みたい、そんな当たり前の事が通らなくなってしまっているのです。



 当たり前の事って何でしょう。人間だって事です。リビアのカダフィー政権やシリアの政権が、危機に瀕しているのは、それを認めないからなのでしょう。同じ人間同士なのに対話もなく一方的に決め付けている政策を人間は認める事が出来ないのです。



 なんだか、北朝鮮と日本は、雰囲気がとても似ています。

2011年9月16日金曜日

ブルータスよ、お前もか? 日本国民よ、お前もかじゃあ?


 『あんたなら、1,4000円でいいわ。』




 部屋を探していました。随分若いときです。19歳のときだと思います。駅前からちょっと歩いたところにある、不動産屋に入り、部屋を探していることを告げました。不動産屋の年配の痩せて、前屈みの男の顔や様子を見ると、何だかやる気の無い沈んだ様子が気になりました。駅から15分ぐらいのところにある木造モルタルの2階の部屋を案内されました。 部屋のドアが開いていて、不動産屋と一緒に入ると、太った若くない、大家の奥さんが薄い水色のペンキを壁に塗っていました。



 『こんな感じでいい。』



 不動産屋の男は言葉少なく、うなずきました。不動産屋が帰り、太って若くない大家の奥さんと話をしました。天気の良い秋の日の午後でした。




 『二十歳になってるの?』
 『はい。二十歳です。』



 そんな事で見知らぬ目黒の中目黒にある四畳半に住みつき、独りぼっちの生活を始めました。年老いて太った大家の奥さんの目に映っていた若い男の私は、悪さをするような人には見えなかったのです。たくさんのアパートを持ち、多くのアパート住人を見ているのです。どのような顔の人が、良くないのか分かっているのです。



 子供時分に見るテレビ画面の政治家は、立派な誠実な顔をしていたと記憶しています。与党の総理大臣並び、信じられる顔をしていました。そして、気のせいでしょうか、最近の政治家の顔には、不誠実が現れているようです。確かに昔は、サンプルになる欧米の政治がありました。それで、安心して進むべき道が分かっていたのです。しかし、現在、日本の衣食住は欧米に並んだと、言った人がいました。外見はね。そして、もうサンプルとなるものがないのです。これからは、自分の頭で考えて進めていかなければならないのです。



 自分の顔に責任を持ってと、云ったのは誰だったでしょう。添加物まみれの、安価で容易な食べ物を食べているのでは、けして立派な顔にはなれないでしょう。高価な食べ物ではなく、普通のごくごく当たり前の食べ物を食べなくては、普通の状態では居られないはずです。



 一般庶民である私達は、選んで行こうとしています。問題のない食べ物と、問題の無い議員さんと、政治をです。昔、武蔵小山のアーケード街を歩いてくる、今は無き社会党の代議士を見ました。たくさんの人達に囲まれて腰が曲がり、前屈みで、良くない目付きで歩いていました。社会党は消えて当然だったのです。




 弘法も筆の誤りといいます。ですが、弘法は筆を選んでいたのです。右へ倣いするのは、それが普通である事を確認してからしましょう。何も考えずに、回りを見て同じ行動をする事を、ちょっと待ってと。欧米の真似をするのも。

2011年9月11日日曜日

自分の都合で怒り狂う人と、日本国政府と日本国民


 『何故間違うんだ! どうしてなんだ! 駄目じゃないか!』



 彼が、彼の机の前に座っている私に、怒りを爆発させて怒鳴りまくっています。彼は、私の管理者となる人です。ですが、歳が若く、考えも無く、ただ会社の都合で管理者となっている、人間関係の経験の浅い人なのです。拳を振り上げ、自分の立場を固めるように有無を言わせぬ態度を示します。彼は、私の事で、周りの人達から良くない事を云われているのです。昔から彼と一緒に働いている人達からです。既存権益を持つ古くから居る人達です。



 『しょうないんじゃない。なれていないんだから。無理だろ。そんな急には。』



 道理を説く私に、彼の顔が下を向きます。一言もないようなのです。ですが、少し時間が経つと、頃合を計って、同じように声高に叫びだします。しかし、どうしても道理を説く私には歯が立たないようなのです。彼が遠くにいる穏やかではあるが、昔からいる組合の役員に声を掛け助けを求めます。



 『ねえ、そう思うでしょ。山中さ~ん!』



 山中さんが来ました。彼も話の出来ない人なのです。始終ニヤニヤ、ニコニコしている人ですが、組合員を集めた会合でも、ちゃんとした話をすることが出来ずにいます。毎回の会合の席で、ニコニコして、何を言っているのか分からない人です。組合員も了解していて、誰も何も云わずに、彼の気が済むまでニヤニヤ、エヘエヘと言った話をきいています。そんな彼が、やってきて、私の側に座りました。そして、日本人特有の、こういった状況をやり過ごすやり方を私に伝授しました。



 『黙って聞いていればいいんだよ。・・・。』



 そうなんですよね。これが、日本人が何時もやってきた事なんですよ。ただただ理屈も道理もない話を、黙って聞いてやり過ごしてきたやり方なんです。そんな、彼らに、私が言いました。



 『でも、誰が云ったの。それ。名前は分かるの?』
 『知らない。』
 『連絡先は?』
 『分からない。』
 『住所は分かるの?』
 『分からない。』



 そうなんです。電話でクレームが会社に入ったらしいのです。そして、どこの誰かも分からずに、話を聞いて額面道理に私を、日頃昔の仲間からの良からぬ話を耳にして、これ幸いと私を攻めているのです。確認をする事も出来ない、そんな頭も、考えも無い人達なのです。あるし、いるんだよね、こんな会社、会社員。初めて勤めましたこのような会社に。不景気で、仕事ないもの、しょうがないからね。



 『でっ。どうするの? そんな事で、今後の私との関係をどう、修復するつもりなの?』



 私からの話を聞いて、話の展開が全然違うところに行っているのに、何も分からない人達なのでした。周りの人達も、ちょっとあきれています。管理者としての無能さ加減が、露出していまったのです。化けの皮が剥がされてしまった様相です。



 増税路線を強力に推し進めようとしている、野田内閣のニュースが流れていました。財務省の思惑が、野田内閣を通して、現実の姿になるような空気です。



 でも、何故か、日本人の体質を現しています。誰でもいいんだね。何か、道理とか筋道とか、科学的な説明もなく、強引に話をすると、それで後は通ってしまう。誰が言い出したのかも確認しないで、通してしまう。馬鹿でもちょんでも、なんでもいいんだね。



 増税の必要性を説く内閣ではなく、増税しない考えを持つ議員さん、内閣が必要なのです。資源には限りがあります。税も無制限に徴収する考えになってしまっては、カダフィ政権や、シリアのような事情と同じです。



 増税する必要性を誰もが、納得出来る説明が無いのが、現在までの日本国政府です。ニヤニヤ、エヘエヘ笑って、組合の会合を説明する組合役員では、駄目なんだよね。ちゃんと説明する能力が無いと、自分の国は自分で守れないと、拉致された人は、ちゃんと返してもらわないと駄目なんだよね。ただただ、増税すれば、良いんだの考えだけでは、駄目なんだよ。一部の人達の都合だけで、納得するような考えだけでは・・・。



 福島原発事故の放射能漏れは、広島原子爆弾の何百倍だってえ・・・。これからも、続くんだろ、放射能汚染は・・・。



 一時が万事のような感じの日本のような気がする。最近話題が震災復興、原発事故、台風災害にありますが、前には、国難と呼ぶ、不景気があって、いまもその不景気の中にいる日本なのです。



 ひとりひとりが、ちゃんとした地についた話をしないと駄目なのです。親と子が、隣人が軽い感じで、話を始めないと、始まらないのです。

2011年9月4日日曜日

会話の無い世界、日本


 『ちょっと待って下さい。出しますから。』




 ここは、東京世田谷区にあるスーパマーケットのレジの前です。入浴石鹸と洗濯石鹸を購入して、代金を支払おうとしています。小銭があると思って、四角の青いプラスチック製代金トレイの上に、銀色の百円玉を4枚に50円玉1枚と黄色い真鋳製の5円玉1枚にアルミ製の1円玉1枚を黒い皮製の小銭入れから、出していました。小銭入れの中を覗きこんでも、あと40円足りません。半ズボンの後ろポケットから、黒い皮製の札入れを取り出して、代金トレイの上に置いた小銭を取り、代わりに千円札を、乗せました。



 『はい、ありがとうございます。』



 今日は、日曜日のせいで、スーパマーケットには、たくさんの買い物客がいます。そんな中を歩いて、スーパマッケットを一周しました。そして、そのスーパマーケットの中では、ほとんどの買い物客の口から出る声を聞く事がありません。みんな、黙って静かに買い物をしているだけです。子供も、大人も、ただただ静かに歩き、買い物カゴに自分たちが求める品物を入れてレジのカウンターで会計を済ませています。



 スーパーマーケットの周りにはたくさんの自転車が所狭しと、置かれています。次から次に買い物客が自転車で押し寄せてきます。若い奥さん、若くない奥さん、家族ずれ等などです。ですが、本当に静かにスーパマーケットの中を外を日本人は、会話をする事なく歩き、自転車のペダルを踏み、買い物を済ませています。



 無声映画を見ているようです。たまには、元気な家族の小さな子供の声を聞きたいと思うのです。生活している証のような話声を聞きたいと思うのです。昔の日本を映した映画を見ると、やはり日本人が話している映像を見ることがありません。連綿と続いているのだと思うのです。



 『雉も鳴かずば、打たれまい。』



 中東でリビアのカダフィ政権が事実上崩壊したとのニュースをインタネットニュースサイトで見ました。リビアの人々が喜びに湧いているような映像です。どの顔にも笑顔が浮かんでいました。民主化を民衆が望んだのです。そして、民衆が民主化を得ました。多分、日本には、永遠にこのような事がないような気がします。それが、日本人の細胞に刻まれた宿命なのかもしれません。中学生、高校生が遠足で訪れる、栃木県日光市の東照宮の3猿が、それを表現しています。



 『見猿、云わ猿、聞か猿。』



 なんでしょうか。この日本を取り巻く閉塞感は。前の、民主党代表選挙に立候補した小沢一郎氏に、築地の卸し問屋の職人が、卵焼きを進めて、卵焼きを頬張っている彼に言いました。



 『この閉塞感を打ち破って下さい。』



 遠い昔の小さい頃の日に、家族がそろって食べていた夕食の食事のとき、お袋さんに元気な声で尋ねた事がありました。なんでも無い事を聞いたのだと思います。



 『いいから、黙って食べな!』



 家族や両親の事を今、思ってみても、人間として関わりのある関係をだったのか分かりません。毎日顔を合わせていましたが、話をする事がありませんし、いっしょにいただけだったような気がします。家庭の中にまで浸透している日本人の閉塞感なのでした。