2011年9月4日日曜日

会話の無い世界、日本


 『ちょっと待って下さい。出しますから。』




 ここは、東京世田谷区にあるスーパマーケットのレジの前です。入浴石鹸と洗濯石鹸を購入して、代金を支払おうとしています。小銭があると思って、四角の青いプラスチック製代金トレイの上に、銀色の百円玉を4枚に50円玉1枚と黄色い真鋳製の5円玉1枚にアルミ製の1円玉1枚を黒い皮製の小銭入れから、出していました。小銭入れの中を覗きこんでも、あと40円足りません。半ズボンの後ろポケットから、黒い皮製の札入れを取り出して、代金トレイの上に置いた小銭を取り、代わりに千円札を、乗せました。



 『はい、ありがとうございます。』



 今日は、日曜日のせいで、スーパマーケットには、たくさんの買い物客がいます。そんな中を歩いて、スーパマッケットを一周しました。そして、そのスーパマーケットの中では、ほとんどの買い物客の口から出る声を聞く事がありません。みんな、黙って静かに買い物をしているだけです。子供も、大人も、ただただ静かに歩き、買い物カゴに自分たちが求める品物を入れてレジのカウンターで会計を済ませています。



 スーパーマーケットの周りにはたくさんの自転車が所狭しと、置かれています。次から次に買い物客が自転車で押し寄せてきます。若い奥さん、若くない奥さん、家族ずれ等などです。ですが、本当に静かにスーパマーケットの中を外を日本人は、会話をする事なく歩き、自転車のペダルを踏み、買い物を済ませています。



 無声映画を見ているようです。たまには、元気な家族の小さな子供の声を聞きたいと思うのです。生活している証のような話声を聞きたいと思うのです。昔の日本を映した映画を見ると、やはり日本人が話している映像を見ることがありません。連綿と続いているのだと思うのです。



 『雉も鳴かずば、打たれまい。』



 中東でリビアのカダフィ政権が事実上崩壊したとのニュースをインタネットニュースサイトで見ました。リビアの人々が喜びに湧いているような映像です。どの顔にも笑顔が浮かんでいました。民主化を民衆が望んだのです。そして、民衆が民主化を得ました。多分、日本には、永遠にこのような事がないような気がします。それが、日本人の細胞に刻まれた宿命なのかもしれません。中学生、高校生が遠足で訪れる、栃木県日光市の東照宮の3猿が、それを表現しています。



 『見猿、云わ猿、聞か猿。』



 なんでしょうか。この日本を取り巻く閉塞感は。前の、民主党代表選挙に立候補した小沢一郎氏に、築地の卸し問屋の職人が、卵焼きを進めて、卵焼きを頬張っている彼に言いました。



 『この閉塞感を打ち破って下さい。』



 遠い昔の小さい頃の日に、家族がそろって食べていた夕食の食事のとき、お袋さんに元気な声で尋ねた事がありました。なんでも無い事を聞いたのだと思います。



 『いいから、黙って食べな!』



 家族や両親の事を今、思ってみても、人間として関わりのある関係をだったのか分かりません。毎日顔を合わせていましたが、話をする事がありませんし、いっしょにいただけだったような気がします。家庭の中にまで浸透している日本人の閉塞感なのでした。

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