2009年4月30日木曜日

ちょっとした会話




 『少々お待ちください。』
 『どれぐらい、かかるの? 2~3分?』
 『少々お待ちください。』
 『どれぐらい、時間かかるの? 2~3分ぐらい?』
 『少々お待ちください。』
   ・
   ・


 どれぐらい同じ事を言い続けたでしょう。多分、私が止めなければ、随分と長い時間続けていたことでしょう。これが、普通の日本人の会話の代表例だと言ったら乱暴でしょうか? 段々と思考回路がおかしくなります。まるで近未来のロボット社会に行ってしまったような気になります。ある銀行大手の支店に電話をしてATMの事について尋ねたのです。そして、段々と電話の相手、仕組みが分かってきて納得した次第です。それはしょうが無い事なのかもしれません。彼女達も生活の為に仕事をしているだけで、決められた事しか応えられないのです。

 どれぐらい前だったでしょう。ペルーの日本大使館人質事件があり、日本中を騒がせた事がありました。日本人の血を引くフジモリさんが、大統領任期のときです。事件は犯人グループを射殺して結末を迎えました。そして、人質側の何人かも犠牲になり死んでしまったと記憶しています。テレビの画面にペルーのフジモリ大統領の笑顔が大きく映し出されて、勝利宣言をしました。

『日本人の皆さん。テロリストとは、けして交渉してはいけません。』

 その後、日本のテレビ番組では決して放送企画はされないだろうと思える放送を、フランステレビが流しました。画面には、ペルー人質犯人のリーダーの、母親の顔が映し出されました。苦しみに打つのめされたような、ゆがんだ顔で彼女はテレビの画面で言いました。

『息子は仲間のために戦って死んだんだ。今は、息子のそばに行ってやりたい。・・・・。』


 ひとりの母親として、ひとりの息子を思う人間的な感情をテレビを通してテレビ視聴者に投げかけました。同じこの時代に人間として生まれ、生活しているものとして、その苦しみは理解出来ました。確かに立場が違うだけで、私達と同じ人間であり仲間です。

 やはり、アラブのテレビの中で戦争で特攻隊の指令で死んだ幼い息子を失った、白い頭巾で頭を被った若い女性の顔が映し出された時がありました。そのそばでは、アラブの黒く日焼けした男性が彼女に問いかけています。

『いいよなあ。また、子供を作れば。いいよなあ。また、子供を作れば。』

 大勢の人々が見ている中で彼女は、椅子に、身動きせずにじっと座っていました。何かに耐えているよう顔で、口を開こうとはしませんでした。その目は何を見ているのでしょう。そして、男の問いには何も応えませんでした。

 イランの国に嫁に行った日本人の女性の話を聞きました。やはり、小さな息子を戦争で無くしてしまった話です。その日本人女性は、イラン国の為に息子が死んだことを平然と受けと止めたと聞きました。詳しくは知らないのですが、日本的な感情の処理の仕方かもしれません。

 仕事、その他対外的な感情の処し方はコントロールされるべきものだと思います。しかし、やりすぎていないでしょうか。私達は人間だということを。家庭や人との付き合いであまりにも、ロボット的になっていないでしょうか。均一人間になっていないでしょうか。自分や人との違いを受け入れる事ができているでしょうか。何故なら、同じ人間なんかいないからです。その人の生い立ちや、考えは全て違っているからです。人の喜びや悲しみ、立場が理解出来たときに、この世界は白黒からカラーになり弾力を持つ世界になるのではないでしょうか? ロボット人間にしてしまう環境に目を反らしていないでしょうか?

 そんな事、分かっているよという声が聞こえそうです。酒飲みは、医者に止められてもお酒をやめる事が出来ません。自分では分かっている。体に悪いことは。それでも、止められないのです。タバコ吸いも、そうです。タバコを止めたいと言っていても、吸いつづけています。

 頭では分かっているんだけど。でも、それが人間です。

 そんな、人間の感情や、生活に関係なく、月日は流れます。今日も一日が終わる合図を窓の外の夕日が遠くの建物に日差しを投げかけています。もうすぐ初夏です。


通信販売には安いものがありますね。



2009年4月26日日曜日

どんな動機から?




 『ドッカン。』

 何時からでしょう。私がベットに横になると、上の階に住む住人の三角窓が開く音が聞こえます。そして、しばらくすると、床を何やら大きなもので叩く音がします。ちょうど夢の国に行こうとするタイミングです。なにやら、こころえているようなタイミングなのです。どれぐらいの期間続いたでしょう。2ヶ月ぐらいでしょうか。とうとうたまりかねて、次の日の昼間に、上の階の住人のドアのチャイムを押しました。誰も出ません。夕方にたずねた3回目のチャイムに、返事がありました。

『なんでしょう?』

 多分奥さんでしょう。

『下に住む、ものです。ご主人いらしゃいますか?』

 私は、言いました。

『まだ、会社から帰ってきませんが。』

 そのような、返事が返ってきました。

『何時頃帰ってきますかね?』

 私は、落ち着いていました。

『さあ。なんともいえません。』

『いつ、いらしゃいますか?』

『さあ。なんともいえません。』

 ドアから顔を出すでもなく、どのような事で私がたずねたのか聞くでもなくです。


『ドッカン。』

 さあ。今夜も始まりました。私は早速着替えをして、上の階のドアのチャイムを鳴らしました。季節は冬の真夜中です。時計の針は0時を回っています。男の人の声がしました。

『なんでしょう。』

『ちょっと尋ねたいことがあります。私は下に住むものです。』

『もう遅いので。』

『ドアを開けて話をしませんか。』

『今夜は、もう遅いので明日にしてくれませんか。』

 少しの話も出来ません。

『それでは、警察を呼びます。待っていて下さい。』


 電話をかけました。防寒服をきて外で警察を待っていました。パトカーが来て、体格の良い2人の警察官が車から降りてこちらに歩いてきました。私は五階の廊下の通路で、軽く手を振って合図しました。事情を話しました。

『トントンという音ですか?それとも、ドカンドカンという音ですか?うちもやられているんですよ。』

 上の住人の男性が、私に聞きました。変な事を聞くなあと、思いました。叩いていて私に聞くなんてどんな了見なのかと。なんか自分も上の住人に、やられているから、下の階の住人である私にもする。そんな感じの事を言っているような気がしました。警察官は、上の住人の部屋の中に入って、何やら話をして帰っていきました。

『叩く癖がある。そういっていますね。』

 その後、何しにきたんだろう。あの警察官は、と思い、警察に電話しました。すると、電話の向こうで係りの警察官が調書に記述してある事を話してくれました。そんな事はないだろうと、私は思っています。こちらの寝る時間に確信を取るために窓を開け私の部屋の明かりが消えてしばらく待ってから、いきなり大きな騒音を立てる。確信を持ってやっています。なめられたものです。

『うるさかったら、また連絡して下さい。注意しますから。』

 そう、電話の向こうから警察の人は言います。どうなっているのでしょう。このままでは、精神的に参ってしまいます。集合住宅を管理する係りにも、相談しました。

『貸している立場なので、なんにも言えないんですよ。』

 集合住宅の管理者は言います。成る程なあ、と思いました。解決するには、自分でやるしかないのです。それは、当たり前ですね。規則とか法律とは、なんでしょうね。多分、参考程度のガイドラインなのでしょう。 
 ほんと、事件は起こりますよ。裁判所の裁判官が、どうのこうの言って世間を納得させようとしていますが、あほかあ。いいすぎかあ、ちょっと。


2009年4月14日火曜日

目標

『..何故だろう..。』

 フっと、そう思う時があります。『何故、今の自分はこのような境遇にいるんだろう。』、と。たとえば、見知らぬ地に立った時とか、金銭的に困っている時とか、満たされない時です。それは、目標を持っていない時にボンヤリと思っています。あるいは、目標を見失ったときなどに思っています。また、目標を持っていても、その目標を達成出来ない時に思っています。

 目標を達成するには、集中しなければ駄目だと思います。そして、それには、一度にひとつの事をしなければならないと思います。そのひとつの目標が達成するまで、継続しなければ駄目だと思います。

1.目標を選ぶ。
2.その目標を達成するまで、そのひとつの目標だけを達成する努力をする。
3.時間がかかるときは、継続(毎日、あるいは何回と)して努力する。
4.その、目標を達成した時に次の目標を考える。

 そして頭では分かっているんだが~、と思っていますね。

 生活に目標を持つ事が何故、こんなにも難しいのでしょう。多分、それはアラブの物語のひとつである、アラジンの魔法のランプを手に入れる事と同じだからかも知れません。実現する事の難しさを物語っているのかもしれません。


良い家具を選びたいですね。

2009年4月10日金曜日

小さな世界




 『ペッて、つば入れたんじゃないの。』

 『そんなっ事、してないよぉ。』

 彼からの予期せぬ言葉を聞いて、驚いて返答した。自動販売機からお湯を入れた即席うどんを購入して渡したのだ。帰りに買ってきてくれと頼まれたのだ。彼は、ワルなのだ。社会人になってから、なんとなく話をしだした中学校の同級生である。顔には只者ではない表情が刻まれている。仲間にはそれなりの理解を示すが、仲間でない者にはとんでもない行為をしてしまいます。どのような経緯でこのような男になってしまったのでしょう。中学校を卒業して、横浜に就職しました。赤い髪をして戻ってきました。勤まらなかったのでしょう。

『格好悪かったね。ほんとうに。格好悪かったね。』

 彼がしきりに仕事先の仕事中の事を言います。気持ちは分かりますが、そんな事なんでもないと思います。でも、彼には受け入れられないようなのです。確かに、本人の事情を知らないのでなんとも言えないのですが。彼はひどい乱暴者で、なにか彼の腹の虫に触ると大変な事になります。人から無視されるのがいやなのです。許せないことなのです。そして、相手の事情を、考える事が出来ないのです。まあ、若い人は皆同じです。そして多かれ少なかれ人は皆そうですね。

 自分や家族の事を考える事が出来ない人。学校、会社、地域社会の事を考える事が出来ない人。みんなそうだと思いますと言ったら乱暴ですか。そして、それを考える事が出来るようになったとき、人は本当に心に安心を得られるのではないでしょうか? そして多くの人は感じてはいるんだろうけど、どうしていいのか分からないのです。

 多分、それが分からない人は乱暴に取り扱われたのです。家庭、学校、会社、社会、世の中ににです。人は乱暴な言葉を聞かされたり、扱いをされると自分を喪失します。自分を喪失した人は寂しく悲しい人になります。萎縮し自分で行動する意欲がなくなってしまいます。何かをするために生まれてきたのに、その何かをする為の意欲が萎えてしまうのです。そして、また一部の人は乱暴な言葉や取り扱いをする人になるのです。

 人は乱暴な言葉や、取り扱いが自分自身を取り巻く環境や社会を悪く作ってしまうことを知るべきだと思うのです。そうしないと、家族と離れてしまう子供や、社会にそむく人々が増えるようなるでしょう。何故なら人の自尊心が乱暴な言葉や取り扱いの中に居る事を許さないからです。しかし、人は一人では生きていけないし、社会となんらかのつながりがりを感じていないと鬼になってしまうような気がするのです。

 私の小学校の低学年時代の話なのですが、同級生のある背の高い少女を見ると私の心が痛んだのを覚えています。この子は両親に乱暴に育てられていると直感的に感じていたのです。何の意欲も感動も示さない女の子でした。どうするんだろう。この子は、大きくなったら。どうやって生きていくんだろうと。

 親切で丁寧な言葉を選んで日々の暮らしに用いれば、幸せに毎日をすごせるのではないでしょうか。親切や言葉が習慣となり身体の一部のように使用することができたら。人は例外なく、自然な人が好きです。自然に親切で丁寧な言葉で話してくれる人に敬意を示します。始めは不自然かもしれませんけど、すぐになれるでしょう。ひょっとしたら、それが自分のものになっていなければ、乱暴な人達からの挑戦を受けるかもしれません。





良い家具をじっくりと選びたいですね。

おじさん




 『やまださん、最近良く来るの。』
 『...そうですね。昨日は来ませんでしたけど...。』

 しばらく、世間話をしていました。なんとなく合点がいきました。彼が真っ直ぐ自転車で来るのが視界に入りました。そして、なんとなく変な感じで私に近況を尋ね、話が始まったのです。私はろくでもない噂話の中に入ってしまったようなのです。

 ジーと私を見る目があります。遠慮していない目です。それは、何か真実を探求する目なのかもしれません。しかし、こっちは良い迷惑です。そこは、駒沢公園のテニスの壁打ちをする知る人には知られた名所です。そこに彼はいます。年を老いて、老後をする事もなく趣味であるテニスをしているのでしょう。親切に壁の上にある緑色の金網に引っかかった黄色のテニスボールを取ってくれるときがあります。日に焼け、髪を茶色に染めています。あまり綺麗な服装はしていません。ある意味、とても老人くさい運動姿です。

 多分、私の職業を疑っているのでしょう。私は自営業で気ままに仕事をしています。仕事はあったり無かったりで安定していません。それなので、暇なときには自由に壁打ちをしています。そんな私を怪しんで、強盗か泥棒を見るような、とても危険な目でジッと見るのです。それは、人種差別をするときのような目かもしれません。しかし、親切を装っているところが生理的に拒絶反応を起こさせます。彼は困った人を困らせる善良な市民かもしれません。

 そして、彼の仲間はみんな怪しい感じの人達です。彼らの服装と様子を見ると乞食同然の姿のように見えます。まるで泥棒が集まった感じみたいに見えるのです。そして、ひそひそ何やら話しているらしいのです。彼らの仲間の一人と、偶然にもあるテニスコートでゲームをした事がありました。そして、それを悔やんでいます。私は彼らの噂話のひとつになってしまったからです。知らない人を噂する事は出来ませんからね。そして、その人も実に曖昧な感じの人です。右だか左だか分からない人です。どっちにも転ぶ人のようです。 そして、ある団体に加入していて、隙のある人を言葉巧みに加入させる意思を見せた事があります。本当に巧みだと思います。

 偶然でも、付き合う人は選ぶ必要があるとの教訓ですね。それは、また私自身も人に選ばれるとの事ですね。幸せをもたらす人に選ばれたいと考えます。そして、裕福になるように選ばれるような価値ある人になりたいと思います。更に出来るならば人を幸せにする力を所有する人にもなりたいと願っています。欲張りでしょうか。





良く吟味した家具を。

歯医者さん




 『変な診察をするなあ~。』

 ?、と思いました。最初の歯の診察で女性の方が私の口の中を診る為に私を診察台に座らせました。そして彼女がした事は女性が絶対しないだろう行為でした。それは、私が仰向けにして座っている体をまたいだのです。彼女はしばらく私をまたいだ、蟹股の姿勢で私の口の中を器具を使ってみていました。

『へへへ。』

 しばらくすると、違う女性が現れて私を診察しました。小さな女性歯科先生らしいのです。最初に奇妙な笑い声をして笑顔で私の口の中を診ました。そして、言いました。

『前歯を差し歯にしましょう。』

『いいえ。この前歯のままで結構です。』

 私は言いました。

『このままでは、割れてしまいます。』

 女性歯科先生が言います。 

『いいです。このままで。』

 私は、落ち着いて言いました。

 綱島にある、その歯科医院を出るときに最初に私を診察した女性の顔を見ました。目を伏せています。実に情けない顔をしています。失敗したのです。私の鼻の下を伸ばして、私の前歯を差し歯にする計画は。それから何年経つでしょうか。私の前歯はいたって健全で立派に機能しています。一生このままで役に立つでしょう。

 何故、って、一度新橋の歯医者さんで昔、奥歯をすべて差し歯にされてしまいました。若く、いなかものの私は何も知らなかったのです。それをおもうと悔しいし、怒りも湧いてきます。医者に対する盲目的な信頼は、ほとんどありません。医者も人だし、生活する為にはお金をもうける必要があります。噛み合わせは、目茶目茶にされました。

 同じ新橋の日焼けした、若い女性歯科先生には本当に怒りがこみ上げて来ます。技術も知識も無いのに歯科先生をしています。電子メスを使って無造作に奥の歯の肉を切り取りました。その時の助手の女性の顔の緊張した怯えた顔が忘れられません。

 何度も歯医者には行きました。そのたびに危ない目に遭ってきました。前歯を割られてひびが入ったり、必要の無い、差し歯を強要されて高い治療費を聞かされたりです。 無責任な歯科学校を卒業すると歯科医者になれる制度があるのでしょう。困ったものです。

 歯科以外の医者はどうなんでしょう。幸い、小さい頃にもうちょの手術をしただけです。事実を知っている政治家の方が海外の医者で治療するニュースをテレビで見たことがあります。政治家の方は知っているのです。見聞の広い事から日本の医者の実態をです。

 ああ、神様、私をお守りください。技術も知識も責任も持たない医者から、私の体のすべてを。

 ...わかんだけどさあ..。彼らにも生活があるのは。生活費が必要だよね。誰でも。でもなあ...。ちょっとなあ...やり過ぎだよ。




家族のような家具。

東京の生活




 東京に出てきた30年が経ちます。どうなんでしょ。生活は苦しいときもあり、楽なときもあります。なんとなく月日が過ぎて生きます。その中で人との付き合いは仕事関係ばかりです。

 『そうなっちゃうんだよね。何回もそうなんだよ。『家に遊びにおいでよ。』、ってね。最初はそうなんだけど、駄目なんだよね。』

 早稲田大学のスポーツ関係の仕事をしている筋肉男が言いました。スポーツクラブで知り合う人達が親しくなって、親交を深めるような付き合いを始めるようなのです。でも、その結果は必ず破局を迎えるとの事なのです。なにがそうさせるのでしょう。多分スポーツをしているうちに心身ともにリラックスして周りの人と打ち解けるのでしょう。そして、それが楽しい会話なのでしょう。その、延長を自分の家庭に、生活に持ち込もうとするのでしょう。そして、普段の自分で付き合うのでしょう。すると、そこにはスポーツでリラックスした自分達と違う人間の付き合い、軋轢があるのでしょう。東京はストレス社会です。競争を強いられています。歩いていても、自転車に乗っていても、追い越そうとする人がいます。散歩コースを歩いていても、一生賢明歩こうとしています。人と仲良く出来ない環境の中に居るような気がします。

 何がそうさせるのでしょう。狭い生活空間、仕事空間でしょうか。人間とはそのような生き物なのでしょうか。弱肉強食の世界に身を置いているのは確かだと思います。そして、多くの方が生活に余裕が無いのは確かです。毎日の生活の中で美味しい食事を楽しんで、たらふく食べている人が見苦しく早食いをしないと思います。生活を楽しんで満足している人が意味の無い、苦しい競争を求めるでしょうか。家族や知人に信頼されている人が、家族や知人の前で見苦しい競争するでしょうか。あるいは、競争を条件付け、習慣付けられてしまっているのでしょうか。パブロフの犬のように。
 でも、なんらかの意味で競争は必要として、この世の中に存在しているのは確かだと思います。生物学者さんに言わせると、適者生存の競争なのでしょうか。
 良い意味の競争もあるはずですよね。沢山。それを見つけた人が豊かに人生を送ることが出来るのではないでしょうか。




温もりのある家具。

プログラマー




 『凄い、ストレスが貯まっているね~。』

 そこは、結構大きなスポーツクラブです。ラケットコート3面、スカッシュコート3面、その他、プール、各施設等。いつも通っているスカッシュコートのコート前の段に腰掛けて話掛けました。彼はコンピュータエンジニアです。見るからに別人です。また、彼の友人もその類の人達ばかりです。なんか人間が機械になったような顔をしています。大きな圧力を掛けられて柔らかな雰囲気、人間的な感覚を無くしてしまっています。

『嫌われているんだよね。若い人に。きついって。』

 そこは、府中にある電気メーカの工場内です。広々とした敷地に背の低い建物が並んでいます。工場に取引先の方と仕事で来ました。目的の建物にふたりで向かって歩いています。彼もコンピュータエンジニアです。ストレスが貯まっていて、凄く攻撃的な性格に変身しています。人はこんなに変わってまで、仕事をしなければならないのです。 その彼から会社に入社する若い人達がいない事を聞かされました。そうですね、人は違った人になってまで仕事をしようとする人は少ないと思います。

 チョット性質が違うと思いますが、またぎのようです。あるテレビの番組で山奥で暮らすまたぎの生活が放送されました。またぎの人が放送のインタビューに応えて言います。

『またぎの意味は、おやじから聞いたのは、『また、鬼になる。』 と言う事を聞いています。』

 なにやら、普段は温厚な生活をしている人が、月日の流れの中で定期的に獣を狩る凶暴な人になってしまうらしいのです。それも、本人の意思とは関係が無いらしいのです。

 コンピュータエンジニアや、またぎに限らないと思います。狭い国土や、有効に活用しない空間ではないと思います。広大な人間の心を小さな世界に無理やり当てはめてしまうと、人間は違う人になってしまうのでしょう。

 私達も小さな世界に当てはめていないでしょうか?地震が多い国だから、とか。国土が狭いから、とか。島国だから、とか。もう、いい歳だから、とか。女なんだから、とか。それで、話や考えを締めくくっていないでしょうか。ヘレンケラーはどうだったでしょう。エジソンもいました。





デジタルの便利さと快適さを。

2009年4月7日火曜日

百年に一度の不景気




 駒沢公園のサイクリングコースを自転車でのんびり走っています。今日は日曜日の休日です。色々な服装をした人々が、サイクリング、ジョギング、散歩をしています。あまり派手な服装の人はいません。日本人の特質でしょうか。現在は、百年に一度の不景気だと言います。現に私も、現在仕事をしていません。ですが、のんびりしたものです。また、公園の空気もどこかのどかな感じがします。冬が過ぎ、春を迎えているのです。ピンク色の桜の花が満開です。八重桜はまだ花は咲いていません。空は晴れ、空気は緩んでいます。人の心の中にある百年に一度の不景気。この事態に遭遇したことは、ある意味で勉強になります。苦しい事には違いはないのですが。どこまで続くのでしょうか。この不景気は。でも、街中にはアルバイト募集の張り紙を良く見ます。正規の仕事でなければ、それなりに仕事はあるようです。実を言うと私も、現在正規の仕事ではなく、アルバイトをしています。900~1125円の時間給です。

 百年に一度の不景気。時代が変わっています。なにか節目に来ているようです。でも、人々の生活は、人々が変えようとしなければ変わらないです。好きで貧乏したり、苦しんでいるのです。多分。





技のある、良い判子を。

2009年4月6日月曜日

ファーストフード店




 『彼氏のは、いじめだな。』

 そこは東京の20号線沿いにあるファーストフード店です。そこでアルバイトをし始めました。前回とは打って変わって、様々な指示が私に浴びせかけられます。戸惑い問い返し指示の確認をします。それの繰り返しが、どれぐらい続いたでしょう。若い作業員に混じって年配の私は明らかに違っています。

『今日は厳しくいきますからね。』

 彼氏が言いました。

『仕事ですからね。どうぞ。』

 しょうがないなあと、思いながらも、その声に応える私でした。

 若い作業員達の顔が、笑いを押し隠した顔になっています。しかし、ひとりだけ違った顔があります。私の顔から何かを読み取ろうとしている顔です。なんの遠慮もせずに私の顔を見続けています。本人は意識していませんが、危険なサインを送っている顔です。まわりの空気は健全なものでは、ありません。陰険、陰湿な空気です。若い人達は時として限度を超えてしまうものです。

 彼氏の指示で、ゴミ捨てに後ろからゴミ袋を持ってゴミ捨て場所に行きました。そこで、私が言いました。彼氏が問い返します。

『どうしてですか。』

 その顔は、笑っています。

『感情的になっているからです。』

 私は応えました。

 私達の持ち場に戻ってきました。私は言いました。

『なにも出来ないじゃないですか。私は。お金をもらっているのに。』 

 私達の周りには高温の油が熱せられている揚げ物場、ビーフパテを焼くこれまた、高温の鉄板群。滑りやすい足元。冷静に行動しないと事故になる可能性を持つ場所です。そんなところで分けの分からない指示を受け、冷静さを失っています。注文はどんどん入ってきます。私は声を上げて言いました。

『ぶっつけ本番でやろうとしたの。私は何も出来ないじゃない。みんなの邪魔になっています。』

 ハンバーガ、マックポーク、注文の品物を作っている作業員達の中で、私はトレーナーの彼氏の応えを待ちました。

『いいんですよ。最初は。出来ないのが当然です。』

 彼氏が言いました。

『でも、それだとみんなの邪魔になるじゃないですか。』

 私が言いいました。

 それから、私はひと通りの話をしました。若い人達の顔がばつの悪そうな顔に変わっています。そして、とうとう問題の無いことを彼が白状しました。 いじめが失敗したのです。

『今作業をしている人達と私達は別なんです。今、私達はトレーニング時間で彼らの手伝いをする必要はないのです。じゃあ、勉強しましょう。』

 どうも、会社側は冷静にトレーニングを設定したようなのです。ですが、若い彼らは会社の考えとは別に、ひとつの作業設定をしてしまったようなのです。危険な作業場所も考えない思量のなさにチョット驚きます。それを聞いて私も冷静さを取り戻しました。個人の個性、人種、年齢を差別しないのが私達の強みです。フレンドリーな私達の職場。との謳い文句とは大変な違いです。

 どんなに世間から見られて売れていようと、その実態は違うとの事ですね。人間がしている限り、その実態は同じだと言うことですね。





落ち着きのある家具を部屋に置きたいですね。

2009年4月5日日曜日

人の目




 目と目が合いました。

 ここは世田谷の砧にある屋内プールです。私はプールの中でビート板を両手にもって騒がしくバタ足をして白い水飛沫を上げています。彼女はプールのそばにある突起椅子に腰を下ろして座っています。その目は私を笑っている目です。ふっくらと太めの女性です。黒い水着をきています。彼女の目が言っています。天気の良い真夏のある日の事です。

『あはは、泳げないんだ。ははは。』

 彼女は私から目を離そうとしません。本当に『目は、もの言う。』、と言います。そのとおりです。私を笑い者にして、笑って自分を慰めたいらしいのです。本当に嬉しそう顔をして喜んでいます。久しぶりです、こんな嬉しそうに無邪気に笑っている顔を見るのは。良かったね~。

 十分にバタ足の練習をした後に、平泳ぎをしました。次に背泳ぎをし、クロール、バタフライと続けてプールを往復して泳ぎました。彼女の姿は、見えません。そうです、私も人に笑われながら4種目を泳げるようになるように練習したのです。平泳ぎ、クロールはなんとなく小さい頃から泳げました。背泳ぎ、バタフライが出来ませんでした。なんとなく練習しはじめました。背泳ぎです。プールの椅子に座りながら、明らかに私を笑っている顔があります。子供達、女性達です。声を出して笑う人もいます。でも、かまわずに練習しました。2週間ぐらいでなんとか格好が付きました。背泳ぎが出来るようになったのです。笑っていた人は、もういません。次にバタフライを練習しました。やはり、笑う人が出てきます。声を上げあきらかに、笑っています。『変なバタフライ。』 と、言った声が聞こえてきます。みんな笑っています。でも、段々形になってきました。すると、突然、今まで笑っていた人達の中にひとり太った人がいたのですが、私と同じようにバタフライを練習し始めた人がいます。彼もバタフライが出来なかったのです。そして、私と彼はバタフライを泳げるようになりました。

 多くの人が目標を持って行動する人を笑います。そして、それがほとんどの人ではないでしょうか。目標を持つ人と、持たない人。私の小さい頃の家庭もそうでした。母の話は人を笑うような話ばかりです。それを聞いて笑っている父と兄弟と私。むなしい笑いではないでしょうか。もちろん、冗談で悪気で笑っているのでは無いのですが。




準備万端で引越したいですね。

2009年4月4日土曜日

様々な奥さん達




 『アハハ..ハ..。』

 ここは東京の中目黒にあるひとつの豪邸ではないですけど、裕福な家です。私は、酒屋さんのアルバイトでビールを配達に来ました。小さな奥さんが私に広い庭のあっちこっちにビールを置く場所を指示します。あっちに置いたり、こっちに置いたりしています。何度、ビールのケースを置く場所を変えたでしょう。若い私には、この奥さんの意図が分かりません。凄く意地悪そうな目で私を見つめています。キッと怒っているかと思えば、次には笑っています。怒ったり笑ったり泣いたり忙しい奥さんです。初めてこのお宅に来たのです。この奥さんとも初めて顔を合わせました。なんかこの奥さん変です。まるで私を見下して楽しもうとしています。そして私が、そんな事全然気にしていないのが、面白くないようです。それで、最後にはとうとう諦めて弱弱しく笑い出しました。夏も終わりに近くなった、ある日の午後の事です。

 『そこに置いて下さい。』

 やはり中目黒のお宅にビールをケースで配達しました。玄関の中にビールをケースごと置きました。代金を貰い、領収書を渡しました。この奥さん、何か怯えています。なんだろうと思います。酒屋さんの奥さんが言うことには、旦那さんが技術者だそうです。とても、不思議です。

 多分ひとつの世界、家庭に入っていると世間と調和が取れなくなってしまうのだと思います。世界の中の日本はどうでしょう。そのような事にはなっていないでしょうか。テレビ、インターネット、様様な情報メデイアがあります。でも、私達に提供される情報は生の情報でしょうか。食品のように加工して添派物が混入したり本来の要素が除去されていないでしょうか。自然な感覚を維持する為には自然な情報が必要です。
 
 以前、昭和天皇がこの世を去ったときに、北朝鮮の人々に似ていると海外のメデイアは日本人を報道したことがあります。確かにどちらも変てこなところがあります。それは、どこの国でもあると思います。多少はね。しかし、日本人が皆が裕福な様子をして、立派な家に住んでいたらどうでしょう。それぞれの家には家紋があり、リラックスした楽しい生活をしていたら、海外のメデイアがなんと言ったでしょう。

 窓を開け環境の為にたまには新鮮な空気と入れ替えましょう。扉を開け新しいチャレンジに一歩踏み出して見ましょう。




ドラッグストア商品はいつでも手軽に選びたいですね。

2009年4月2日木曜日

佐賀から来たと言っていた陶器屋さん




 『佐賀から来たの。』 

 そこは川崎駅の地下にある広場である。広場にはエスカレータで下りていきます。たくさんの出店が中央に寄せ合っています。その女性は、何やら鋭く周りに目を配りました。そして、はっきりとそう言いました。佐賀と言えば、陶器で有名だよなあ、と私は思いました。しばらく、その女性が勧める陶器や茶碗を見ていました。

『さっきのお客さんなんか、『あら、安いわね。』って言って2つ買ってたわよ。それと、模様にも意味があるのよ。かぶの絵柄が書いてある茶碗は株が上がるってことなのよ。』 

 その女性が勧める茶碗を見ると、どう見ても良くないものである。どうも、頭の悪い人が作ったと思えるような品物なのである。それを、しきりに私に売りたがるのです。ひとつ3,500円だと言います。

『いいですよ。私はこっちの500円の茶碗で。』 

 そういいながら、綺麗な絵柄の安価な茶碗を購入した。そんな日から、どれぐらいの月日が流れたでしょう。そんな事を思い出しもしませんでした。そして、近所のスーパーで買い物をしていたときです。目の端に見たことのあるような赤い花柄の模様の花瓶が入りました。そして、いたのです。佐賀から来たと言っていた女性が、そこに。
 このスーパーには、この陶器屋さんは昔から店を開いています。川崎にはなんらかの事情でお店の物を持っていったのでしょう。 あぶなく引っかかるところでした。

 この女性に限らないですよね。ところ変われば品変わると言います。人も一緒だと言ったら乱暴でしょうか。でも、場所や事情によって自分に嘘をつきたくないなあと思います。自分の行動への動機が弱くなると思います。快適な生活をする為に動機を明確にしたいと思います。そして、どこに居ても変わらない人がいます。自分自身でいられる人です。その人はキラキラ輝いて見えます。純金が輝くようにです。本当に不思議です。ダイヤモンドのように。

 正直になりましょう。自分自身に。どのような人間なのかと。自分は。おてんとうさまは見ています。本当にね。




家具は生活の一部ですね。