2009年12月26日土曜日

現在の東京




 夕日がシルエットの効果を出している。4階の窓から見える世界が美しく見えます。昼の日差しの中では、墓標のような実に醜いマンションの建物が、やさしく見えます。レースの白いカーテン越しにいとおしげに映ります。


 現在の東京はどうなっているのでしょう。分けの分からない街のようです。多くの人々が生活していますが、へんてこりんな顔ばかりです。どこに行くのでしょう。添加物まみれの食べ物を食べている人々は、何か恐ろしげです。美しいものは皆無のようです。人の心も、怪物になってしまったようです。以前、部屋捜しをしていたときに、小さな不動産屋の店に入りました。髪の長い、中年の男性がいました。留守番をしていると云うのです。歳の頃、40歳半ばでしょうか、そんな、彼が言いました。


 『へんてんこな顔ばかりじゃない。街を歩いていても。どの人も。』


 どうも、この人には、道行く人が、妖怪のような顔に見えるらしいのです。そんな彼の顔を見ると、やはり何か妖怪とまでは云いませんが、彼の言うとおりです。彼自身も、おかしな顔をしているように見えます。


 目標もなく生活している都市と東京の人々のようです。


 生きているのではなく、ただ生存しているだけの為に。


 若い頃、南の島、小笠原諸島に行った事があります。東京の港区にある竹芝桟橋から、小笠原丸に乗って。小さな小学生達も、たくさん乗っていました。小さな小学生低学年の女の子達の顔が、生き生きとしていました。大きくな目をして、これから南の島で起こる冒険を期待している顔です。冒険が終わり帰りに小笠原丸に乗っている小学生の顔が落ちていました。冒険が終わり、灰色の日常に帰るのです。目も小さく細くなっていました。


 皆さん、日常の中に冒険を探しませんか。いますぐ、新しいこと、わくわくさせることを探しませんか。



2009年12月13日日曜日

出版会社の金儲け方法





 『じゃ、ぎりぎりなんですけど、50万円値引きします。』



 受話器の向こうから、嬉しそうに出版会社の企画部に所属している男の人が言いました。本当に自分の都合だけで、ものを考えている人です。最近の出版会社のお金儲けの手伝いを私が出来ると思っているのです。



 インターネットである大手の出版会社が自社のホームページに原稿募集を掲載しました。そんな事で、プログに記載している、ひとつのエッセイを送りました。すると、早速電話がかかってきました。



 『とても、楽しく読ませてもらいました。』



 楽しそうに笑い声を立てて、受話器から彼が話しました。そして、謝礼として、なんかのカードを送ってきました。いくつか原稿を送って欲しいとの希望の書面も入っていました。そんな事も忘れた頃ですが、封書が届きました。現在の状況を知らせて欲しいとの書面でした。



 『現在はマイペースで暮らしていますけど。・・・・。』



 その後、アプローチが足りないと感じたのでしょう。2度に渡り、本と封書を送ってきました。しばらく様子を見ていました。あらたに封書が送られてきました。原稿を送って欲しいとの催促でした。いくつかピックアップして、プログに掲載しているエッセイをおくりました。審査に通ったとの連絡が来ました。本にするには、200万円だす必要があるとの連絡でした。



 原稿料をもらえるかもとの期待は的外れでした。出版会社もインターネットが世に現れてから、生き残りをかけて違う方面でお金儲けを作り出さなければならないのです。 自費出版で、お金を個人から集めようとの事らしいのです。



 『いま景気が悪くて、仕事もなかなか見つからないのが、私の現状なんです。』



 受話器の向こうの出版会社の企画係は、落ち着いた声で今後の、私の仕事探しに見解を述べました。そして、私の原稿の出版は風と共に去ってしまいました。

2009年12月11日金曜日

びっくりした表情を見せる赤ちゃん




 びっくりした目で私を、彼女は見ました。


 なぜか、中学生の頃、家に赤ん坊が来ました。女の子の赤ちゃんです。そして、どうゆう分けか私が面倒を見ることになりました。布に包まり、顔だけを出した女の子の赤ちゃんを抱いて家を出ました。全然負担にならない軽さに、なんとなく驚いていました。そして、じーっと私を見ている女の子の赤ちゃんの目に恐れを抱きました。そして、私はフラフラしてしまいました。そして、あることを、その女の子の赤ちゃんにしたのです。


 ふっくらとしたホッペにキスをしたのです。赤ちゃんの目に驚きの色がありました。びっくりした表情をしています。そして、それからは仲良しになっていつも一緒に時間を過ごしました。近所にある古い港に行って、海や空の広さを見せたり、田舎道を散歩をして過ごしました。


 幸せな時間だったと思います。

変な裁判官




 『これから取り調べをします。』


 多分、裁判官なのかなぁ。スーツを着ている裁判長なのでしょうか。役所の事務員のようです。何の威もありません。そして、照れ隠しのような取調べを私に対して始めました。なんとも、情けない格好です。


 私はお金を支払わない取引先に対して少額訴訟を起しました。その会社は恵比寿にあり、若い弁護士をやっとって対抗してきました。法律の事等、ほとんど知らない私は裁判の成り行きを見ていました。どうも、訴訟の手続きに問題があり、裁判にならないようなのです。そして、裁判は不幸にも無効になってしまいました。


 その時の裁判長が実に情けない男に見えました。パッパラパーのヘアースタイルをした洟垂れ小僧の弁護士に一言もないのです。そして、その矛先を私に向けて、私の言葉を録音したのです。なんとも、情けなくてどうしようもありませんでした。 なんで私が取り調べをされなければならないのかが、分かりません。 お金を払わない事実を取り上げることも、話をすることもなく、黙っている裁判長?


 しばらくして、家に封書が届きました。下請けの会社に対して、何か不正かごり押しをしていないかとの、内容でした。


 『馬鹿野郎、なさけないことするなあ!』


 私は、そう思いました。社会の不正を裁判で裁くことが出来ずに、封書を送りつけて、何かをしようとする姿勢に腹が立ちました。

添加物顔のカップルの接近




 『?』

 フッと気が付くと、若いカップルが何やら私に接近してきました。とても変な空気です。何かを探しているでもなく、なにか様子をうかがう感じです。そこにとどまって体で雰囲気を感じ取っているようなのです。

 私は、東京は駒沢にあるスーパで買い物を良くしていました。東京の駒沢公園でテニスの壁うちをした帰り道に寄って、果物や、牛乳お菓子等など購入していました。その日は味噌が並んでいるところで、購入しようとする味噌を手にとって選んでいました。

 そんなときに添加物を大量に摂取している目をしたへんちくりんな女性が接近してきました。それは、気味の悪いゴキブリのようでした。そのあとから、カップルの男が付いてきました。じっと2人は並んで立っています。話をするでも、商品を見るでもなく、私の様子を伺っています。

 なんでしょう、この2人は。

 私は、こんな2人と同じような人達に何度となく逢ってきているので、相手にしたりすることは不可能なのを知っているのです。こっちの味噌、あっちの味噌を商品ラベルに記載してある説明文を読みさっさとレジに並んで買い物を済ませました。

 ろくでもないことを考えるときが誰にでもあるものです。それがどのようなことなのかも考えずにです。そのような状態になったら、しょうがないのですが、そのような状態になった人達にあったら相手にしては駄目です。さっさと自分にできる事をして離れてしまいましょう。自分と相手のために。

 日本はどうでしょうか。世界から見て、相手にして良い国でしょうか。

この世にある最高の力、お金の力が見せたもの





 『ああ、あのパンは美味しかったね。』



 そんな話が、私の耳に入ってきます。わかりませんけど、私にまとわりつく若いカップルがいます。しきりにたわいのない、話をしています。どうも、私に興味があるようなのですが、何か良くない興味らしいのです。多分、近所の噂話を聞いたのでしょう。そして、待ち構えていたのかもしれません。



 そこは、横浜にある大手のスーパです。良く、ここで買い物をしていました。毎日のように食事の用意をするために買い物をしました。



 買い物カゴに入った食料を手にして、レジに並びました。もちろん若いカップルも私の背後に並んで、どうでも良い事をペラペラ話しています。しかし、私がレジにお金を払うためにポケットから財布を出したとき、その会話をピッタッと止まりました。



 私の財布には、パンパンに一万円札がギッシリと詰まっていたのです。若いカップルは、それを目にしたんだと思います。そして、自分達がしている事が、以下に無力で愚かなことだと思い知らされたのです。本当に棒切れで、殴られたように黙ってしまいました。



 力なんだなぁ。お金って。

変な目つきをして、私をじっと体を動かさずに見つめるパン屋の店員さんの目





 『?』



 何となく目が合いました。そこは、世田谷区にあるチェーン店のスーパのひとつです。このスーパの中にパン屋さんがあります。まあまあのパン屋さんです。そこの店主でしょうか?結構年配の男の人です。白い制服に白い前掛けをして、白い山高帽子を被って、ジッと私を見ています。体の動きが静止しています。目が変に笑っています。多分、良い年の男が、スーパで米を買うことが、恥ずかしい事だと思っているのだと思います。確かに、どうでも、良い事を考えたり、思ったりしている人って、たくさんいます。立場が変われば、私本人も、その1人になるのだと思います。みんな、そうだと思います。人間は。



 私はビニール袋に入った米を幾つか見比べて購入しようとしていました。こんな私がおかしいのでしょうか? なんでしょうか? とても失礼な気がします。良くそれでパン屋なんかの客商売が務まるものです。



 これが日本人なのです。いつも、つまらない事を思ったりしたりしているんだと思います。そんな事で、私はこのパン屋では、パンを買うことはしません。多分、パンにはそのような変な気持ちのものが混入しているからです。そしてそのようなパンを食べ続けたら、変な人間になってしまうでしょう。



 そして、毎度の事ですが、私が気さくに誰かと話しをしはじめたりすると、サッと態度を豹変させるのです。一瞬のうちに。



 多分、このパン屋さんは、なんらかの恥ずかしい世界に住んでいるのだと思います。なにか、よからぬものをパンに混入せているのでは、と思ってしまいます。昔ワインに、車のラジエターに入れる、不凍液を入れて販売していた大手の酒造メーカがありました。



 心正しき者は、本当にピカピカに光る金だと思います。そして、そのような人がいないのが、現状です。そのような人を作る環境が、今の日本にはないのです。

錯覚していた女性




 『あら?』



 彼女の顔には、そのような表情が表れていました。そこは、東京の世田谷区にあるスーパーのレジです。彼女はスーパーのレジ係りの一人です。レジの女性は黒い2ピースの制服に白いブラウスと赤い蝶ネクタイをしています。



 良く、テニスの壁うちをした後に利用していました。そして、なんの抵抗もなく買い物をしていました。しかし、彼女達の中には、仕事をする以前になにか分からない事を考えている人達もいるようです。その一人が彼女です。異様な感じで私を見る目です。その目は鋭く、何かを用心するような目なのでしょうか?



 私は彼女のレジを一度も利用したことはありません。そんな事で彼女のレジが空いていて、他のレジに客がいても、客のいるレジを利用します。そんな事で、彼女の考えている事が何なのか良くは分かりませんけど。多分、男に対する用心をしているのだと思います。



 彼女はそんな事で、他のレジに並ぶ私に対して当てが外れてしまったようなのです。



 多くの人達は女性というよりも、人間的に気持ちよく接する事が出来る人を選ぶ権利があることに、気が付きます。

常識とはなんだろう。




 『そんなの、常識だろ!』

 友達だった彼が、この言葉を使うとき、なんとなくおかしな感じを受けます。彼には、新たに考えを作り出すとか、誰かの考えを受け入れるとかする事が難しいのです。すでにある昔の考えに従って行動する事しか出来ないのです。まあ、彼に限らず、多くの人はそうですね。

 日本の政治も国も、日本人もそうですね。現在の日本から見た北朝鮮のなんかも、私達日本人には奇異に思えます。違う国の人達を捕まえて自分の国に連れてきてしまうことが、常識では考えられません。しかし、長い人間の歴史の中では、そのような事は沢山あったようです。長い人類の時間の中ではそうなのですけど。

 そのような北朝鮮の奇異に比べて日本はどうでしょう。100年に一度の不景気の中で多くの人々が経済的に苦しんでいます。そんな中で政治が、どのような事になっているかというと。

 『各国を訪問する政治家が、各国からの接待を受けないようにする。用意された車なんかも辞退するようにする。』

 最近ラジオから流れてきたニュースを聞きました。些細な事だと思うのですが。考える事が違うような気がするのです。経済的に溺れている多くの人達がいます。そんな緊急のときに違うことを言っているようなのです。行動をおこしていません。

 世界から見た日本、また、日本人から見た日本が奇異に見えます。平成の天皇が即位したときに、ある儀式を行いました。ほら貝を吹いて、のぼりを風になびかせて。まあ、節分のときのいわしの頭も信心のような感覚なのかもしれませんけど。生き神様の儀式と、テレビでは言っていたように思います。

 多くの日本人が頭を垂れて生きています。多くの日本人が、分けの分からない事で頭を垂れているのです。

 『実るほどに頭を垂れる稲穂かな。』

 日本人は稲穂ではありません。人間です。世界に生きる多くの人達と同じ人間です。胸を張って生きる事が出来るはずです。生活に自分に世界に向かって胸を張って生きる事ができるはずです。背を丸め、稲穂のような姿勢の日本人と常識。

 いいのでしょうか。何か飼いならされた人間の群れのようです。そして、そのことさえも分からなくなっています。

 テレビでは、面白おかしく、ケラケラと笑える番組ばかりが放送されているのだと思います。でも、それは必要かもしれませんが、空しいものです。日々に生活に意欲を持って生きていけるものが必要なのです。真に楽しめるものが。

2009年12月1日火曜日

100年に一度の不景気が教えてくれたもの



 『ほんとにテレビを見てると、ケラケラ笑っている番組ばかりだけど。景気が良くならないのかねぇ~。』

 幾つぐらいの女性でしょう。もう、働くには老いてしまったような髪も薄く、小柄で痩せた女性です。彼女が私に、気さくに話しかけてきます。本当に深刻な空気を肌に感じています。危険な信号を発している顔を見ると、苦しくなります。多くのメデイアから経済的な打撃を受けている人々のニュースを耳にします。

 どうしたら、良いのでしょう。行動する事が出来ないでいます。話ばかりで前進できずにいます。今は、そんな時期だと諦めるしかないのでしょうか。苦しんで学ぶことでしょうか。このような不景気なときに、苦しんでいる人を誰も助けることはできないでしょう。

 与党である民主党の政治家の人達の政策なる内容がラジオから、流れて耳に入ります。前の与党である自民党と同じような部分的な政策内容で、とても効果があるような話ではありません。もちろん、経済的に苦しんでいる人々を救う事もできないでしょう。

 そんな事で、当たり前ではありますが、経済的に苦しんでいる人は自らの手で、自分自身を助け出すしかないのです。しかし、主権をもつ国民が、彼らを選挙で選んだのです。そして、現在の日本にはリーダーがいない事が分かってしまったのです。それを、教えてくれたのは経済的な苦しみを味あわせてくれる100年に一度の不景気でした。

2009年11月16日月曜日

世界




 不思議な世界。

 『もう、私の時間は終わりに近づきました。』

 そんなんです。私の人生は、後半になりました。残された時間、生活も、残り少ないのです。私には、どれぐらいの時間があるのかは分かりません。今、私の人生、生活を振り返ると、遠慮していたような気がします。何かに、気を使い過ぎて自分でいられませんでした。それは、他人の目なのか、自分が育った環境からくる良心なのか、何なのかわかりません。後悔しているかって、それもわかりません。

 いつも、私の頭上にある青空が黙って私を見ていたのを、確信しています。私の事を不満げな顔をして見ていたのを、感じています。毎日を、日々を自分に正直に生きていないのを、不機嫌な気持ちで見ていたのを感じています。それでも、青空の中に輝く太陽は、やさしく私の不正直を許してくれていました。どうしたら良かったのでしょう、私は。

 色々な情報、人の話や、両親からの教えや、環境からの教え。そんな考えに動いて、心の中の真実を伝える何者かを、信じる事が出来ませんでした。そんな人が何を信じて、生きていくことが出来るのでしょう。

 人は自分で信じる事が出来るのだと思います。自分で決めて、それに従ってです。それが、悪いことでも、良い事でもです。最初は中々思うように心が動かないでしょう。最初にチャッチボールをし始めた、小さな男の子の体の動きのようにです。しかし、続けることにより上手にチャッチボールが出来るようになります。それが、すべてなのです。

 世界が自分に背を向けても、自分には、それが真実なのです。青空が、太陽が、そう言っている事を知っています。年老いている私には、それが真実だと。

2009年11月5日木曜日

自分の尺度で捕らえようとする人





 「山田さん・・・・、つかぬ事をおたずねするようなんですけど・・・・。みなさん、驚いたよ。って言ってましたけど・・。、事故かなんかに合われたのですか・・・。」



 私は、運転席でハンドルを握っている山田さんに、恐る恐る尋ねました。山田さんは、組合の役員らしく顔が広いらしいのです。たくさんの人に、逢ってちょっと言葉を交わしていたのです。ですが、その人達が山田さんの顔を見て驚いた顔をするのです。それで、何となく気になって、話を切り出したのです。



 「俺、癌なんだよ。薬を飲んでるから、髪の毛が抜けちゃってるんだ。」



 ハンドルを握りながら、山田さんが平然とした感じでいいました。確かに、頭の髪の毛はなく、はげています。多分、自分が癌だったら、どうゆう事になるのか想像は付きませんけど。大変な事には違いないと思います。精神的にも経済的にも、肉体的にも。



「そうそう、以前勤めていた会社でも、癌の若い男の人がいて、頭髪がありませんでした。頭に頭巾のようなバンダナを巻いていました。薬の副作用で、やっぱり髪に毛が抜けちゃっていました。」



 私も、平然と山田さんの癌の告白を受け止めて、答えました。そして、それっきり癌の話題はしませんでした。山田さんは、既に癌と呼ぶ事実を受けとめ、自分の中に受け入れたようでした。



 人生には、たくさんの事実があります。好きとか、嫌いとかのレベルでは計れない絶対的な事実です。拒絶しても、受け入れても存在している事実です。



 そんな山田さんが、私の身辺の事を尋ねます。そして、初対面の私を計りたいらしいのです。どのような人間であるのかをです。山田さんとの会話の中で3回ぐらい、彼は私と呼ぶ人間に結論をだしました。その度に、私がお話をするので山田さんは私を、計りかねているのです。彼が出した、私と呼ぶ人間の結論では、私を定義できないでいるのです。



 確かに、彼は癌です。病院にも行き診断され、薬を飲み頭髪も抜けてスキンヘッドになってしまいました。しかし、自分の生活や人生には、まだ結論を出していないと思うのです。癌と呼ぶ事実には、妥協しても自分の生活や人生には、まだ改善する交渉の余地があります。



 人は生きている限り、自分の生活や人生を実りあるものに出来ると思うのです。誰に言われようが、人は自分の生活や人生、そして自分自身をこうありたいと決め、行動するとが出来ると思います。人がどのような尺度をもって計ろうが。

月島であった御夫婦と、頭を切り替える必要がある日本の人達





 『あのね、この人ね。こう言ったんだよ。』



 なにやら、私の後ろから歩いている年配のご夫婦の奥さんの小さな話し声が、私の耳に入ってきます。どうも、私を笑いものにしたいらしいのです。ひそひそと、話をして私の後から付いてきます。私が都市整備公団の案内の女性に尋ねたことを、変に解釈したらしいのです。私は、そんな彼等と同じ人間を嫌と言うほど知っていますし、逢って来ました。そうなんです。これが、大体の日本人なのです。



 『へえ。そうなんだあ。はははは。わははは。』
 『ほほほほ。』



 私と、都市整備公団の案内の女性は、色々と話をして各階の部屋を見て周りました。そのうちに話は、いつもの事で面白可笑しな内容に展開していきました。東京は江東区にある、もんじゃ焼きで有名な月島の新築賃貸集合住宅の部屋を見に来たのです。大変大きな立派な集合住宅の建物です。エレベータで案内の若いアルバイトの女性に各階に下ろしてもらいました。エレベータの中でも、楽しい雰囲気は変わりません。



 すると、私の陰口を言っていた奥さんの方があわてて、都市整備公団の女性に一言二言言いました。



 そうなんです。あまりにも、暗い事を言っていた自分自身を訂正するために必死なようなのです。それで、なんとかそんな事を言ってしまった自分を救い出そうと躍起なのです。そうなんです。あんまり幸せそうじゃない、背中を丸めた姿勢のご夫婦でも、空気は分かるようなのです。いい空気と悪い空気がです。言っていい事と、悪いことを。



 まだまだ、日本人は救いようがあります。アメリカとの戦争が終わって焼け野原から立ち上がった両親を持つ、私達。まだまだ、先に行けますよ。幸せの方に。


民主党の次にくるもの。考えを作り出せる環境を知っている人達でしょう。





 『ハワユー。』



 小さな子供が、大きな声で言いました。日本人の男の子です。そこは、世田谷区の砧にある運動施設です。体育館、屋内プール、テニスコート、野球場等、たくさんの運動施設がある場所の中です。どうも、外国の方々がたくさんいて、何も考えずに言った様なのです。そうですね。海外の方の、この言葉は耳に残りますね。そんな事で、小学生の男の子は、なんとなく面白おかしく言ったのです。



 違う世界から来た人々の言っている事が分からずに、何となく見たり、耳に入った言葉を聞いていたんだと思います。そして、ハッキリと記憶に残った言葉を子供の素直さで発音したのです。



 民主党が政権を取って、与党になりました。確かに民主党は、国民の生活が第一と、言いました。それは、何を意味しているのでしょう。



 『仕事ないんだもの。ハローワークに行ってもさぁ。ほんとにさぁ。』



 白いタバコの煙を口から出しながら、彼が言いました。大きなタバコの吸殻入れを真ん中にして、大の男が数人で立ち話をしていました。小柄で坊主頭の彼が、私達に言いました。60歳だと、彼は言いました。何の隠し立ても必要もないような素直な男の人です。長い間、営業の仕事をしていたそうです。軽トラックや乗用車で営業周りをしていたそうです。 景気が悪く、長年勤めていた会社に仕事がなくなったようなのです。



 景気が悪化していて、仕事がないのです。世界的に景気悪化なのでしょうけど。そんな彼には、民主党の政策や政治家の方達が、遠い存在です。海外の人達と同じようにしか思えません。小さな男の子のハワユー(国民の生活が第一)としか聞こえないのです。政治が自民党から、民主党に変わっても内容が変わるとは思えないのです。やはり、同じ人種の人達が、政治を行うわけです。政治家と呼ぶ素材自体が変わらなければ、出来上がる政治は、また同じではないでしょうか。真に日本の景気、または日本人の生活を変えるには、生活者レベルの意識を持っている者達が参加しなければ駄目なのでは、ないでしょうか。政治の事務的な考えを持つものではなく、暗闇に明かりを灯せるリーダでなければ。



 秋も深まり、あっと言う間に日が沈んでしまう日々になる季節になりました。

2009年10月4日日曜日

夏の朝にしょうちゃんから海の贈り物




 『しょうちゃん来たぞ。』



 私と姉は、庭に出て、あっという間に真っ赤に燃えた炭を入れた七輪に金網を乗せました。しかし不思議ですが、自分が何をしているのか、頭の中では分かっていません。からだの何かが、意識とは関係なく体を動かしていました。



 庭に置いてある大きな木の樽に特大の黒いしおり貝とごつごつした白い岩牡蠣が山盛り入っています。夏の夜に潮が引いて顔をだした岩から、しおり貝や岩牡蠣を、樽に詰めてきてくれたのです。



 しおり貝は、焼けてお湯を吹き、ゆっくり開きます。鮮やかなオレンジ色の大きな身が、顔をだします。割り箸で貝を押さえ、茶色の何本もの繊維質の根っこを持って身を、はがして口にいれます。潮の香りと、ふくよかな触感が口の中に広がります。なんともいえない味と気持ちです。



 『う~ん。うまい!』、『うめえぇ!』



 姉と私は顔を見合って笑っています。心の底が喜びでいっぱいです。夏の真っ赤な太陽の下で、七輪の中で燃え盛る炭の熱など関係ないです。どれぐらいの時間食べ続けたでしょう。お腹いっぱいになって玄関のドアをあけ、ゆっくりした動作で家の中に入ろうとサンダルを脱ぎ足を上げると、寝坊介の弟がしまった、と言った感じで庭に飛び出して行きます。



 『満たされた、幸せな状態です。』

昔住んだ奇妙な場所





 『以前、そこに住んだんだけどさぁ。なんか、おかしなところがあってさぁ。』 



 私は、仕事先の年下の同僚に話始めました。



 『そこ、俺んちの地元なんですよ。』



 話好きの彼は笑顔で、私の話を聞き始めました。そして、いつも口を動かす事を止めたことがない彼が無口になっているのが不思議でした。彼は熱心に私の話に耳を傾けています。彼の目は、何か確信めいた動じない目になっています。



 『どうなのぉ。あそこ、おかしくないの?』



 私は物言わぬ彼に問いかけました。何にも言いません。静かに席から立ち上がりました。



 『ねぇ。どうなの?』



 私は、黙って立ち去ろうとする彼に問い続けました。何も言わずに彼は立ち去りました。 この話題には触れたくないようなのです。そんな場所に私は2年間住み続けました。 そして、2年間、睡眠薬を飲んだ1週間以外は眠れませんでした。それと不思議なのですが、睡眠薬以外にも1日か2日眠れた日が有りました。何故昨日の夜は眠れたんだろうと、翌朝散歩をしていたら、小道の脇に、紫色のなすと緑色のきゅうりに白い割り箸を刺して作った動物の置物がありました。そして、黒い藁の燃やしかすがそばにはありました。そうなのです。お盆の日に眠れているのです。



 『ああぁ! この顔。』



  ここに、引越してきてから、もう2週間眠れない日が続いていました。そんな眠れない夜に、起き出して電気のついてない薄暗いリビングの柱にぶら下げている鏡を覗き込みました。何故眠れないんだろうと。鏡の中には、暗いリビングを背景にして私の顔が映っていました。その目はびっくりするぐらい、かっと見開いていました。それは、まるで猫の目のようでした。そしてあることにハッと、気づきました。この顔は隣のおくさんの顔と一緒です。 顔がふらふらしています。



 『隣に引越してきた、山田です。宜しくお願いします。』



 引越しをすませて、名前の入った熨斗紙を巻いたタオルを、頭を下げて隣近所に配りました。そのとき、家の右隣の家の奥さんの玄関先で、世間話を少しだけしました。なんか、この奥さんの顔がふらふらしてます。なんだろとおもいました。



 『眠れないんだよねぇ。』



 私が、近所にあるスポーツクラブのスカッシュコートの前で、たむろしている仲間に独り言のように言いました。すると、スポーツクラブの女性インストラクターが急にあわてて、話題を変えようとしました。それが、とても不自然なあわてようなのです。何日か前に、私が眠れないことを彼女に話たことがあったのです。そのときの彼女は、とれも不思議がって、同情してくれたのですが。
 


 運動すれば眠れるだろうと、このスポーツクラブには入会したのです。



 『そこに船の船外機を置くからね。駐車場はべつだからねぇ。代金は。』



 なんか不動産屋から、分けの分からない電話が掛かってきました。そんな電話が2回ほどかかってきました。今思えば、どうも私の様子をうかがっているような電話でした。問題なく私がこの賃貸の一戸建ての住まいに、住んでいるかどうかを確かめていたようです。ここは木立ちがたくさんあり緑豊かで、閑静な住宅地です。見た目はですね。本当に見た目は、とても良いところです。



 『そこは、そうゆうところなんだぁ。不動産屋と相談してくれぇ。うちも引っかかちゃてるんだぁ。』



 電話の受話器の向こうから、年老いた大家の間延びをした声が聞こえてきました。本当にびっくりしました。いままで何故眠れないのか不安だったのです。体が悪くなってしまったのかと、いくつもの病院をたずねました。どの病院でも、どこも悪くないといいます。大きな大学病院にも診察をお願いしましたけど、問題ないといいました。そんな事で大家に、電話をしたのです。住んでいる、ここが問題のないところなのかどうかを、尋ねようとしてです。



 眠れない体と頭の状態で、少し調べてみました。そんなことで、昔この地域と他の地域の住民が決起していることが分かりました。



 『でも、あなたの住んでいる住所は該当する区の住所ではないでしょう。問題のある地域はこちらの区ですよ。』



 区役所の2人の男性が、私に説明してくれます。私は、理由を知りたくて区役所に出向いたのです。どれぐらい話をしたでしょう。何かを隠したいようなのです。協力的に対応はしているのですが、ちょっとある部分に触れたくないようなのです。区の責任への訴訟でも恐れているのでしょうか。次の日の朝、何気なく車が一台通れるかどうかの道を挟んだお隣さんの古い表札を眺めていました。すると該当する地域の区の住所だったのです。真相は、何年か前に区の地域を整理していたのです。



 現在、その地域にはたくさんのマンションが建設されています。そして、何事もないかのように、多くの人達が生活しています。



 確かに触れたくないことは誰にもあると思います。しかし、改善しなければ未来に暗い影を落とすことになるのも事実です。 それとも、これが世の中の常なのだと思いますか?



 現在は事故に遭遇した心境にいます。苦しかった日を思い出すことが、少なくなりました。ほとんど思い出さないと、言ったほうがいいでしょう。生活に追われていて思い出す暇がないのが、本当のところです。健康も、仕事も、貯金も、仕事先も、家財道具一切、持っている物は、全て失いました。 人生の航路を大きくバラバラにされ、狂わされました。



 結局なんだったのかって? ある交通機関が昔から発生させている解決されない、ひとつの目にみえない公害でした。存在はしていますが、それを解明するには多くの時間と抵抗を覚悟しなければなりません。それは、地域住民の闇から闇に葬られた、本当に圧倒的な現実の姿です。 そして、いまだに信じられないのです。そんなところがあり、そんなところに住んで、すべてを失ってしまったことが。



 しかし、やがては真に力と勇気を持ったリーダーが現れ闇から引きずり出して解決するでしょう。世界が時の流れの中で変わるように。

2009年10月2日金曜日




 『ヘン!のろまのおまえにできるかい!』



 何かやろうとすると、私を嘲笑う母の顔と、声が私の中に現れます。そんなものが、心の中に住み着いていた事に気が付いたのは何時ごろだったでしょう。小さい子供時代から、ひどい事を言われ続けましたが、兄弟の多い三男なのでしょうがないとも思います。 軽い冗談のつもりで、言っているのです。ケラケラ笑いながらね。でもね、話を聞くと、どこの親御さんも似たり寄ったりのようですね 。



 そんな事で、親元を離れて生活して、なんの意欲もない日々を送っていました。流れる月日の中で苦しみ、さまよっていました。何度かお金儲けの話に飛びついてみたりもしましたが、空しい蜃気楼のような誤魔化しばかりでした。それが、私の人生でした。しかし、そんな中で、自分と呼ぶ人間に少しずつ気付いていました。そして、自分を変えようという意欲も湧いてもきました。多くの成功している人達の言葉や考えを学習してみたりもしました。継続こそ力なりと。でも、何か根本的なものが足りないようです。 それは、多分自分を動かす動機です。



 こんな自分の志は、自分に正直に生きる事です。嘘つきは誰も信用しませんからね。そして、幸せな人や、成功した人、努力している人に惜しみない祝辞を心からの笑顔で、述べられる人になることです。穏やかな顔で、違った考えや、異なる人を理解して受け入れることが出来る人になりたいのです。何故って、 私自身が、そんな人に逢う度に感謝しているからです。



 そんな自分に出来ることは、自分に言い聞かせることです。何度も自分に言い聞かせなければならないと思っています。言い聞かせたことが現実の姿になるまで言い聞かせる必要があると考えています。暇があれば言い聞かせています。今も。

お父さんとお母さんの動機


2009年10月1日木曜日

海の香り




 とても不思議な人を見ました。それは、ある初夏の日の午後の事でした。



 私は、東京の地下鉄である有楽町線から半蔵門線に乗り換えるエスカレータの階段の上に立っていました。私は、グレーのスーツ姿で顔から流れる汗を厚手のタオル地の青い木綿のハンカチで拭きながら、仕事を探す、言いようのない不安な気持ちで会社の営業を忙しそうにアッチコッチと、毎日歩いていました。



 そのエスカレータは、とても長く100メートル位はあるでしょうか。 そして、様々な服装の男女が、いつも列を成して、そのエスカレータを利用していました。



 私は、薄汚れた赤色のビニール質の手すりに右手をかけ、半蔵門線のホームにつながっている下り方向のエスカレータに乗りました。そして、足元から顔を上げました。その時、反対方向から昇って来るエスカレータに乗り始めた男の人の姿を私の目が捉えました。姿勢の良い立派な体格をした外国の壮年の男の人です。長袖の薄青のワイシャツを着て、グレーのズボンと黒い革靴を履いていました。彼は金髪の白人で、涼やかな目と顔立ちをしていました。そして、彼との出逢いは数分で終わりました。話をすることも、目を合わせる事も、振り返ることもありませんでした。



 しかし、彼を見た瞬間から、私の想いは、遠い昔の日に見た故郷の海と空の中に飛んでいました。幼い子供時代に、毎日のように誰も居ない錆びれた古い港の上を飛び跳ねて遊んだ気ままな自分と世界を感じていました。秋の日の青い空に群れ飛ぶウミネコの騒がしい鳴き声を耳にして、波に濡れた砂の上を素足で歩いている、何者からも解き放たれたような自分を感じていました。 高い空に輝く太陽の光を浴びて、キラキラと金色にさざめくような海の波を、一人古い港の苔むした大きなセメントブロックの上に座って何時までも何時までも眺めていた自由な時間を感じていました。



 彼の目や、鮮やかな顔には大空の下で、ゆうゆうとした青い海の穏やかで厳しい表情が刻まれていました。彼の姿は、水平線に広がる大海原や、波が洗う砂の上を吹く潮風の香りを身に纏っていました。そう、幼い子供時代の環境の中に居た人々と同じ海と潮の匂いを、身につけていました。



 人が生きる人生も海に似ています。大波、小波、荒れたときもあれば、天気の良い凪の時もあります。沈んだり、浮かんだり、泣いたり、笑ったり、怯えたり、時には嬉しさに打ち震えていたりしています。みんな、人生と呼ぶ海に生き、しかしやがては、静かに終わりの日を迎えるでしょう。ちょっと周りを見てください。あなたが見ている人達ですが、100年も経てば、みんなこの世の中から、姿を消して、いなくなるのです。

2009年9月26日土曜日

pips




 『1pipsは1銭です。1万通貨だから、1円動くと1万円です。』

 私の右手に持った電話機の受話器から、耳の中に流暢に説明が流れてきます。でも、私の頭の中では引っかかるものが無く理解出来ていません。そして、あまり何度も聞くのもばつが悪くなります。そして、分からないまま私はさっきから同じことを言っています。

 『なるほど、なるほど。』

 そんな会話がどれぐらい続いたでしょう。結局分かりませんでした。為替証拠金取引(FX)をやり始めようとして証券会社に電話したのです。3社の証券会社に電話して同じ事を聞きました。女性が一人、男性が2人と計3名の方が私にpipsの事を説明しました。皆さん同じような内容を説明するのです。しかし、何かが欠けていて私には分からないのです。単位が二つある事が分からないのです。pipsと1万通貨です。つまりは、pipsは相場(レート)の上下の単位であり、一万通貨は通貨どおしの売買単位の事なのです。そしてレバレッジも正確には分かっていません。危険なのか便利なのは、詳しくは。

 昔、こんな記事を見ました。学校の先生が生徒にある計算式を教えました。すると、生徒が分からないような顔をしました。先生は分からないんだと考えて、もう一度教えました。すると、またもや生徒が分からない顔をしました。しょうがないので先生はもう一度教えました。すると、今度は先生が分かったのです。先生が教えた数式は先生自身が分からない数式である事をです。先生は自分が分かっていると思っている数式は分かっていなかったのです。

 こんな事は、私達の世の中には沢山あります。子供の事を分かっていると思っている親御さん、国民の事を分かっていると思っている政治家の方。数え上げたらきりがありません。

 よその国に自分の国の国民がさらわれて、無視している政治家や国。当たり前の事が出来ずにいます。大きな声で言わなくても分かりそうですが。しかし皆そうです。他人事ではありません。

 そんな感じで証券会社の方は、自分が分かっているから問題ないような説明をします。そして、その説明を聞く私には分からないのです。為替証拠金取引は元本が保障されていません。リスク(危険)があります。

 生活を守るにはそれなりの力が要ります。分かりませんでした。ごめんなさいでは、人間としての尊厳を守る事も出来ません。話してに働きかけましょう。やんわりとね。ジョークを交えて。

『ほんとうに分かって言ってるの。』

 そして、理解する努力を続けましょう。生活を快適にする為に。出来るなら良き話し手、聞き手になれた人も。




 

2009年9月19日土曜日

FXセミナーの補習




 『あなたは、基本が分かっていない。あなたには、個別指導します。』

 何やら体格の大きな人が席から立ち上がり、大きな声で私に向かって言います。ここは、兜町にある雑居ビルです。20名ぐらいの男女の人が椅子に座って、静かに一人の女性の説明を聞いています。そこで、彼女が何か質問がありますか、と問いかけたので、色々な疑問を声に出してみました。そして、その疑問にはなかなか即答できないようなので、その体格の大きな人が席から立ち上がったのです。そして、私の疑問は解消されないまま、次の飲み会に移行してしまいました。お酒の席の親睦会で、私の疑問を解消してくださいとの事なのです。

 『寝ちゃうんですよ。1時間足でポジションを取ったら、もう。』

 ビールジョッキやウーロン茶の入ったグラスや、酒の肴である、刺身の盛り合わせ、イカの焼き物、サラダ、鳥のから揚げ等がテーブルの上に所狭しと、沢山置いてあります。そんなテーブルを挟んで1期生である人が私に、教えを説いています。お酒が入った口からでる言葉には説得力があまりないですね。為替証拠金取引のセミナーを受講しているのです。そして、その補習を今日受けに来たのです。でも、日本人特有の会話のパターンから抜け出すことが出来ません。いつもの事ですが、部分部分で話が終わります。

 まあ、セミナーを開催しているこの会社も慣れていないのです。聴衆と会話をする事にですね。そして、空気が悪くなる事を想定して蓋をしようとしたのでしょう。私も、大勢の前で話すことには慣れていません。とりあえず、このまま終わってしまっては、高いお金を出した意味と、ここに来た意味がないのでなんとか納得するような成果を得たいと思っています。ですが、皆さん引いています。私を、ちょっと異端児のような目で見ています。

 そうなんですよね。自分の利益より和を乱す人に距離を置くことを自然にするのが日本の人のやり方です。それは、今後も当分変わらないでしょう。人を理解する事が出来ない、日本の人です。自分と違う背景や考えを受け入れる事が出来ないのですね。答えを用意して上げないと、会話が出来ない人が日本の人なのです。

 ここに来た人達が儲かっているかどうか、間接的に尋ねました。多くの方が儲かっていないようです。私の前にいる地方から来た男性はちょっと儲かっているとの事で、これから仕事とは別にして専門にやろうとしているといいました。フィボナッチなる言葉も口から出ていましたね。

 そして、けして私には個別指導等というものはしないでしょう。それが、彼らのやり方です。それが、実力のない者のやり方なのです。ぶっつけ本番で、何かあると、急いで話を止めて違う方向に行こうとします。それは、考えをもてない、会話をする事の出来ない者のする違った解釈です。そして彼等は、会話の次に姿を現すだろう事実を手にした交渉と名の付けられた者を見ることは決して無いでしょう。

2009年9月12日土曜日

知らない東京




 『ん? なんだろ。』

 東京にある地下鉄のひとつ、日比谷線の人形町駅の方から、様々な形や色に変化する歩道を真っ直ぐ歩いてきました、道の突き当たりにきました。随分歩きましたが、どれぐらい歩いたでしょう。そして、立ち並ぶビルを抜けた横断歩道の前に立ち、まわりを見渡しました。たくさんの車がひきりなしに目の前を走っています。そして、道路の向こう側に立っている歩行者用信号機の信号が青になるのを待っていました。信号が青になり、信号の中の人の歩く姿を確認して、車道の灰色のアルファルトに白いペイントで縞模様にしてある横断歩道を渡りました。ここは緑色の水を満々と貯めた大きな池の堀で皇居を囲んだ内堀通りの歩道です。歩道には等間隔に柳の木が、緑の葉を付けた枝を涼しげに垂れ下がっています。右方向に進もうとしていましたが、左手にチラッと気になる人達が目に入りました。しばらく頭の中で右に行くか左に行くがの葛藤がありました。そして、体は左の方に向いて歩き始めました。

 何人かの外国の人達が、皇居の一部であるなにか案内図を見ています。歩きながら目にすると、なんか外国の方の観光スポットのようです。ここを目標に遠くからあるいてくる外国の方の姿がチラホラと見えます。もちろん、日本の家族でしょう。そのような親子の人達も一家族ではありますが、見ました。お父さんとお母さんに大きな息子さんの3人でした。

 警察の警備官が居る大きな古い門を抜けました。その後に3センチ、5センチ四方のチョット厚みのある白いプラスチックの入門カードを門の窓口で手渡されました。中は広々とした歩道、大きな石で作ってある石垣、緑の芝生と広大な空間が続いています。どれぐらい道案内の立て札に従って歩いたでしょう。左手にしている腕時計の針を見ました。11:30です。そろそろ戻らないと時間がなくなってしまう。食事を済ませて、健康診断の続きをしなければと思いました。

 たくさんの海外の国の方とすれ違いました。実に皆さん姿勢がよろしいですね。欧米人、頭巾を被った、アジアの女性、例外なく堂々とした感じを受けます。畳を広げたような体格のお母さん、娘さんもいました。物静かな空気をまといながら、歩く姿はなんでしょう。自然で、人間の持つ威さえ感じます。

 ここは皇居の一部なのでしょう。そして、観光客に開放された、東京のひとつの広々とした空間でした。そして、日本人である私がここで見たものは、皇居の壮大な石垣や広々とした空間ではなく、海外から観光に来た人々の落ち着いた空気を身にまとった態度と、とても気持ちの良い真っ直ぐ伸ばした体と姿勢でした。

2009年9月11日金曜日

笑いながら付いてくる人




『なんだい。このひと。』

 ふっと、気が付くと茶色い髪の短いヘアースタイルをした外人の男の人が私の歩いている後を付いてきます。にこにこと言うより、ヘラヘラした良くないなあといった笑い顔をしています。私は、用賀にある富士と言うスーパーの2階のフロアをあっちに行ったりこっちに行ったりと忙しく歩いています。目的の買い物を探すために歩いていたのです。フロアは、下着、洋服、カバン、カーテン、色々な雑貨が置いてあります。そして、良く私はこの店を利用しているのです。季節は夏も盛りの暑い、良く晴れた天気の良い日です。そんな日のことでした。

 その外人さんは、同国の連れの女性がいました。そして、見た感じはごく普通の人でした。しかし、私の歩いて行くところをニヤニヤと笑いながら後から、ついてくるのです。まあ、私は急いでいたので、そんなに長い時間はフロアには居ませんでした。多分、その外国の男の人は、何か悪さをしていたのです。そして、そこに私がエスカレータに乗って二階に来ました。そして、自分が仕掛けたその悪さを私が受けたと思って、私を笑ってやろうとして、私の後を付いて回っているのです。しかし、私があっちにいったりこっちに行ったりしているので、充分に私を笑うことが出来ないでいるのです。そのうちに、私がエスカレータで1階に降りて行ってしまいました。エスカレーターを降りるところまで彼は付いてきたのです。そして、下りのエスカレータに乗っているときに思ったようです。

『俺ってなにしてるんだろ?』

 そんな、ことでした。悪さをする人がいるのは、世の常です。そんなときはかまわないほうが良いです。さっさとその場を離れましょう。そして、楽しくなる場所にいきましょう。

理由なく付いてくる人




『なんだい?』


 歩いています。それも、急ぎ足で。まだ、春先の寒い朝の事です。灰色のアスファルトの歩道を靴の音を鳴らして、急ぎ足です。東京は世田谷区にある千歳船橋の駅に向かって急いでいるのです。新横浜にある仕事場に行くためです。ですが、別段時間に遅れているわけではありません。急いで歩く事が、ちょっとした運動になる事に気が付いたのです。大きくまたをひろげて、両手の振りもおおきくなります。


 ふっと気が付くと、ぴったり私の後ろに付いてくる人がいます。ちょっと想像できません。それぐらいの急ぎ足で歩いているのです。変な人です。付いてくる人と私との間隔は2メートルもないでしょう。それぐらい、ぴたりと付いてきます。何か変です。私はそうおもうのですが、後ろの人は何を考えているのでしょう。通勤の人達を次々にやり過ごしています。なんか変です。私と後ろの人は。多分、我を忘れているんだと、思います。私が急ぎ足で歩いているので、何かあるのかと思っているのです。それで、ピタリと付いて歩いているのです。私に言わせると、アホかぁ、そんな感じです。


 改札を抜け新宿方向へのホームに立っています。何事もなく落ち着いた感じで電車を待っています。ピタリと私についてきた人ですか。私を見ています。あれっといった表情です。その目は節穴のような目でした。何か良からぬことを考えていたのでしょう。


 注意しましょう。普通に見える人でも、悪さをするものです。随分昔の話ですが、メキシコオリンピックの銀メダリストであるマラソンの君原健治選手が、雑誌に投稿して、書いたちょっとした自伝の文章の中にこんなのがあります。


 『凡人に暇を与えると、悪をなす。』


 私の歩行にピタリと付いてきた人は、凡人なのです。そして、秘かに私に悪をなそうとして付いてきたのです。ですが、私には、その隙がなく、それが出来なかったのです。そして、彼はその気はなかったのですが、急いで歩いている私を、そう見てしまったのです。悪をなす出来心というやつで見てしまったのです。当然私には、悪をなされる隙はありませんよ。だって、私は、ただ急いで歩きたかっただけなのですから。多分、彼は動物的な弱者を獲物にする本能に従ったのだと思います。大人しい飼い犬が、怖がる人に噛み付く事があります。こんな事を聞いたことがあります。



 『他人の失敗は蜜の味。』



 そして、人はみんなそうだと思います。あなたにも、経験があると思います。多分、こんな事を誰かに言われた事はないですか。そして気が付いたり、我に戻ったことはないですか。


『何を考えてんの?』


 そして、急いで歩く事は止める事にしました。まねをする、多くの人が出現しはじめたからです。

2009年9月10日木曜日

日本橋での食事と、日本人が作り出す変な緊張した空間と、建物





 『激辛でうまいんですよ。これが。』



 その若い男の人は黒いスーツ姿で、幅のあるしっかりした木目のテーブルに、自分の昼食の料理が載っているトレイを置くなり、椅子に座り、そんな事を左向かいに、向かい合って座っている、白いワイシャツにネクタイ姿で、茶髪の外国の男の人に話し始めました。彼ひとりが元気に話しています。外人さんは黙って聞いているのかいないのか分かりません。若い男の顔を見ること無く、黙々と食事をしています。多分、同じ仕事仲間なのでしょう。私と並びの席なのですが3つぐらい、椅子の席が離れています。



 そして、私達の右斜めには、幅2m、縦1.5mぐらいある、大きな液晶テレビの大画面が床に於いてあり、アメリカの大リーグの野球の中継を放送しています。もちろん、テレビ画面の中では、赤茶色のグランドと綺麗な緑色の芝生の上で、カラフルなユニフォームを着たアメリカ人が、グラブとバットを持って野球をしています。外野を守っている、日本の一郎選手の顔もアップで映し出されました。



 ここは日本橋にある黒灰色をした大きなビルの1階です。聳え立つような、40階建てぐらいの大きなビルです。1階には、いくつかの飲食店が、入っています。二つの自動ドアの左の入り口から入って、やはり左にあるひとつの飲食店に入りました。今日始めて、このビルと、この飲食店に入りました。その飲食店の中には、カウンタがいくつかあり、それぞれの料理を出していました。中華、洋食、サンドイッチ、どんぶりもの、和食等がカウンタごとに分かれていて、カウンタ越しに注文できます。カウンタごとに分かれている、たくさんの料理人が、それぞれのユニフォームを着て、いそがしそうに、手足と口を動かしています。



 『いらっしゃいませ。御注文お伺いします。』



 それらたくさんのカウンタを一回りして、好みの食べ物を探しました。中華料理は、また、離れた厨房とテーブルを持つホールにありました。和食カウンタに並んでいる、秋刀魚定食を食べたいと思いましたが、どうしてかチキンフライ定食を注文してしまいました。多分、魚に使用してあるかもしれない鮮度保持剤の散布を心配してしまったのでしょう。



 カウンタから渡された黒いプラスチック製のトレイの上には、いくつかのお皿とカップがのっています。大きな白い皿にはきつね色の皮付きポテトフライが5、6本、茹でてある一切れの小さな赤い人参と3本の緑色のインゲン、そして程よい大きさの茶色ソースを身にまとったきつね色のチキンフライが目玉焼きを乗せて、盛り付けてあります。中皿には白い御飯を平たくして盛っています。少し油が浮いた薄茶色のスープが入った白いカップと、緑のレタスと一切れの赤いトマトを盛ったサラダが入った小皿。アメリカ映画の社員食堂のイメージのような感じの食堂です。洒落た感じがします。厨房のカウンタ群と、食事をするテーブルが置いてあるホールを分けている壁に立っている、黒い服を着たウエイトレスが食べ終わった後にテーブルに置かれたトレイを下げています。



 カウンタから料理をもらうと、カウンタと反対の後の壁側にあるテーブルの上に備えてあるナイフ、フォークをトレイに乗せて、小さなサラダにフレンチドレッシングをかけました。透明なガラス製の水のみグラスを取り、イオン水なる水を黒いプラスチック製の給水機からコックをひねって音を立てて入れました。気をつけて、トレイを両手に持ち、座る席を探しました。席数には余裕があり、なんなく座れました。ナイフとフォークを動かしチキンと御飯を口に運びます。でも、なんか窮屈な感じがします。回りは、ビル内で働いているサラリーマンがほとんどでしょう。会話もなく黙々としています。それに、天井が低いのでなんか、抑えられている感じを受けます。



 異常な感じがします。黙々と食事をする多くのサラリーマン。もう外人のサラリーマンが普通にいますね。そして、このなんだろ、レストラン風の食堂には、食事の楽しさを見出すことはできません。



 先程の3つ隣の席に座っていた外人さんが食事を終え黙って席を立ちました。それで、話していたサラリーマンの彼も話をするわけにはいかなくなりました。しかし、食事をしていて、どうして気持ちよく食事が出来ないのだろうと思っています。この飲食店には変な緊張感があります。多分、窓も無い天井の低い所に大勢の人間がいること自体が異常なのです。そのためには、天井を高くするなり、吹き抜けを作るなりする考えが必要なのです。日本人の悪いところです。人間を無視した空間にしてしまう裁量の無さです。人も動物の一種なのですから、その辺を少し考慮して欲しいところです。



 季節は夏から秋になる日の頃です。半袖シャツにネクタイをして歩いていても、汗をかきません。爽快な温度です。それにしても、不景気でも、多くの人が仕事を持っていて働いているんだなあ。と、感心しました。

2009年9月5日土曜日

日出る国




 『一番良いのを持ってきて。一番良いのね。』

 ある日の正月の事です。母である彼女が冷たく寒い、玄関に置いてある黒い昔の電話の受話器を持って受話器の向こうに居る相手に言いました。何度も何度も嬉しそうに念を押していました。離ればなれになって暮らしている家族である息子や娘が年に一度、生まれ故郷に戻ってきたのです。彼女の赤ちゃん達が彼女の元に帰ってきたのです。そして、そんな家族に最高のもてなしをしたいと思っています。そんな事で近所にある一番良い寿司屋さんに電話を掛けました。日本人の最高の食べ物である寿司の出前を頼んだのです。

 ここは、東京から遠く離れたところにある小さな港町ですが、東京の築地にある寿司屋さんもぶっ飛んでしまうような味と生きの良さが無いと居られないところです。こと商売をしている店で張ったりや建前が通用しない港町です。母である彼女が扱っている家計は、けして具合はいいはずはないのです。でも、1年に一度家族が顔を合わせる、そんなときにどのようなもてないしをしたらいいでしょう。そうです。最高以上のもてなし以外にあるでしょうか。最高以上のもてなし以外に。
 
 どうですか?あなたは、今日の自分に言えますか。自分にあったもてなしを出来ますか。厳しい現実や刺激いっぱいの世界に、今日もしょげながらも、けなげに生きている自分自身に。最高のもてなしを。

 これから日本の国を動かそうとしている民主党の政治家の人に言います。この国は日出国ですね。最高の国にして下さい。この時代に生きている人に、世界中の人に最高の国を見せて下さい。キラキラと眩しい日が昇るような国を見せて下さい。

 サラリーマンの過労死の知らせは随分聞きました。自分を賭けて仕事に打ち込む、命を掛けて目標を達成したい、そんな気持ちの人もいると思います。そんな人達は、本当に素晴らしいと思います。でもね、そればかりではなくて幸福な家族や人々の笑顔をごく普通に巷でたくさん見たいと思うのです。そして強い国でなくても良いと思います。他の国に捕らわれの身の日本の人達を救い出せる、あたりまえの考えと力を持っているならと思うんです。安心して生活に情熱を燃やしている、キラキラと輝く顔をした日本の人々を見たいと思うのです。

2009年9月3日木曜日

無責任に、がんばってくださいと言う人々




『がんばってください。』

『うるさぁあい!』

 彼女は、ちょっとびっくっとしたようです。私と仲良しのスポーツクラブの女性インストラクターです。私から何故そのような事を言われるのか分からないのです。我慢にも限度があると思いました。少しずつ積み重ねられていたのです。本当にちょっとづつ、ちょっとづつ積み重ねられていました。チリも積もれば山となるです。そして、堪忍袋の緒が、ぷつりと切れました。

 ここは神奈川県の川崎にある結構大きなスポーツクラブです。若い男女のインストラクターがたくさんいます。紺色の厚手の短パンに白やピンク色の半袖のスポーツトレーナーと運動靴を履いた軽装も見ていると、爽やかな感じを受けて、なんか気持ちが和みます。そして、とても気さくに話を聞いてくれます。まあ、商売ですから当たり前ですね。利害関係のない人々がダンベルを上げたり、スクラッチをしていたり、エアロビックスをして朝から晩まで気持ちの良い汗を流しています。

スポーツクラブの受付に会員証のプラスチックのカードを渡します。

『がんばってください。』

 受付のアルバイトの女性が、私に言います。

『どうも。』

 私も、何気なく応えます。とりあえずロッカールームで着替えをします。すると、男性のインストラクターと顔を合わせます。

『がんばってください。』

 私も、応えます。黙っているやり過ごすわけには行きません。

『どうも。』

 マットを敷いてストレッチをして、体を柔らかくします。足を広げ、腰を曲げて右に左に屈伸運動をします。たくさんの男女のインストラクターと顔が合います。

『がんばってください。』

 私もなにげなく言います。黙っていると気を悪くすると思ってです。

『どうも。』

 運動の合間に、インストラクターをたわいない会話をします。会話が終わると必ず彼等は私に言うことがあります。それは、それは、毎度の事です。

『それじゃ、がんばってください。』

 運動は毎日しないと体がなまります。毎日、スポーツクラブに行くと、何人ものインストラクターに言われます。それも、同じインストラクターが何度も言います。顔を合わせるたびにです。

『がんばってください。』

 スポーツクラブの支配人と世間話をしました。スポーツクラブの会員数の話になりました。

『ここのスポーツクラブの会員数は、現在は4000人ぐらいですね。でも、毎日100人ぐらいの人が退会していくんですよ。だから、キャンペーンをして会員を入会させないと駄目なんですね。』

『ええ! 毎日100人も退会するの?』

『ええ。仕事の関係で引越したり、色々な関係でですね。』

『へえ。そうなんだぁ。』

『でも、がんばってくださいと、言うと会員が退会するのを引き止めることが出来るんですよ。』

 なるほどなあ。スポーツクラブのセールストークなんだと納得しました。でもね、毎日毎日、たくさんのインストラクターが顔を合わせる度に言われるんですよ。耳にたこができてる、こっちの身にもなって下さいよ。いやになるよお。お前たちは同じ事しか言えない、物まねをするオームかあ、とね。もっと、なにか違った事がいえないのかあ。ってね。ある日、ある男のインストラクタに頼むから、もう言わないでよぉって言ってみました。

『仕事なんですよ。』

 そう言われました。そっか、人が嫌がっているのに、それが仕事だと言います。どうしょうもないです。

 昔、仕事先の人に言われました。がんばってくださいと言うのは自分に言う言葉で、人に言う言葉ではないとね。もう、スポーツクラブには行っていませんが、たぶんスポーツクラブの会員の人は今も言われているでしょう。

『がんばってください。』

2009年9月2日水曜日

母親と息子




 『ほら! かずお!』

 何度この言葉を聞いたでしょう。高校の時に、よく近所の友達の家に遊びに行きました。高校生になると何となく気の合う友達が分かってきて、色々と話をするのが楽しくなります。彼はそんな友達の1人でした。そして、笑顔や笑い声の中で友達数人で楽しく話をしていると必ず、彼のお母さんが、険しい声で彼に冷たい水でも浴びせかけるような感じで言い放ちます。そんな時に決まって、彼は判で押したように同じ返事をしていました。声を荒げて、怒った表情をしてです。

『分かってる! 今やろうとしているところなんだ!』

 そうなんですね。いつも追われるように言われているのって辛いんですね。仕事でもなんでもそうですよね。自分から進んでやるのは、なんでもないのですが、人から強制されると興味をなくしてしまんですね。辛い作業には早代わりしていまうんです。

 それは、会話が出来ないからなんですね。ただ自分の言いたい事を言いあうのは会話ではないと思うのです。ワンちゃんたちのワンワン吠えるのと一緒だと思います。やはり会話をするには、自分自身と相手の状態や希望を了解してお互いに会話相手が満足するような話の内容にする事と、そのような話方をしないといけないと思うのです。

 それは、この世の中にいる家出少女が何故、家出をしなければならないかの原因のひとつです。まだ若い娘さんが、両親から冷たい言葉を言われなければならないことをしていまったとしてもです。どのような人間にも自尊心があります。その自尊心が傷つけられれば、明日の生活の事等、考えずに家を飛び出してしまうでしょう。その後には、娘と両親である会話相手の互いの後悔だけが残ります。

 会話は少しずつ良くなるか、悪くなるかの方に進んでいきます。ですが、ほとんどの人々は悪くなるほうに行ってしまいます。人の会話はそのように出来ているのでしょうか? 幸せな家庭や会社には、必ず考えのある会話があります。

 多分、今も彼ら親子は、毎日同じ会話と呼べない会話をしている事でしょう。望むような生活をするには、自分の希望と相手の希望を両立させた話の内容と話方を会得しなければなりません。そして、一番の話相手は自分自身です。自分自身の希望を達成すれば、いかに自分自身を誇りに思えるか、好きになるかを自分自身に話すのです。

2009年9月1日火曜日

民主党が勝った。




 『どんな国になるんだろう。』


 昨日の衆議院選挙の結果により自民党が負けたそうです。民主党が政権交代の準備をしているとのインターネット掲載のニュースを見ました。以前、駒沢公園で知り合いを前にして言った事があります。

『もう、自民党は駄目だよぉ。』

 私には確信はないのですが、言葉にしたことが現実になります。ソ連が解体して各国になる1年前にソ連の書記長だったゴルバチョフ書記長がクーデターに合い捕らわれの身になった夢をハッキリと見ました。そのときは変な夢を見たなあ、ぐらいにしか思いませんでした。その夢の1年後に、それが事実になったときには、驚きもしませんでした。そういえば1年前に、そんな夢を見たなあ、ぐらいの感覚でした。また、私がしたことが、流行になることもあります。それが私がしたことで流行になったのかはわかりませんが。たとえば、Tシャツを裏返しに着る流行がありました。私は裏返しのような生地の7部袖のトレナーを愛用して着ていたのです。また、最近のズボンをずりさげて履いている流行もそうです。流行る前に、私はバンドが無くてズボンをずりさげて履いていた日がありました。最近のカバンを持つ人はカバンにバンドをつけてたすき賭けのように斜めに肩から下げて腰のところにカバンがくるようにしていますが、私が始めたときは、みんな肩にかけていました。たすきかけをしている人はほとんどいませんでした。

 いつでしたか、やはり1党ではなく自民党と連立した政権があったような気がします。そのときも新しい首相に期待していた国民がいました。そして、その首相が言った事は以下のようなものだったそうです。

『当分は自民党と同じです。』

 まあ、会社の人の言った事を聞いただけなので、その真意はわかりません。それぐらい、私は政治には無関心だったのです。今回はどうなのでしょう。あるスポーツに熱中する人がいます。その理由は、その人しか分かりません。政治もそのようなジャンルに入ってしまっています。一部の人のものになっています。

 もう食べ物が無くて貧しい国ではありません。苦しい生活を抜け出すような国ではありません。苦しいから働くのではなく、楽しいから働く。そのような国民生活が出来る政治を目指して欲しいですね。じゃああ、おまえがやれようお。と仕事仲間に言われたときが金沢の飲み屋さんでありました。

『どけどけどけえ。俺がやる。』 

 そのときは、そう応えましたね。

お金儲けの話




『それよお。もっと味わって飲めよう。高いんだから、そのトマトジュース。』

 大柄な彼が、私に言いました。ここは、東京の茅場町にある喫茶店です。彼は、私の得意先の社長さんです。国立大学初のプロゴルファーを目指した彼です。でも結局はプロにはなれなかったようです。

『本当に、練習したぜえ。』

 彼から呼び出しがあり、2人で仕事の話をしています。彼が私を良く呼び出して、お酒を飲んだり御馳走を食べたりしています。私には何故なのか分からないのですが、彼に好かれているようなのです。気の合う仲間なのでしょう。彼から見た私は。互いの話の内容に警戒感を持つ事はありません。くだらない冗談が話の大半です。お互いに言いたいことを言いあっています。

『黒酢を売るって言う話があってさあ。こっちの条件を飲んでくれないと駄目だって言ったんだよぉ。そしたらさぁ。その話が通っちゃってさぁ。』

 そんな感じでいつも、お金をいかにして儲けるか。そんな話が私達ふたりの話題です。でも、どちらかと言うと冗談半分です。ひょうたんから独楽を期待しているのが本当のところです。

『F1の車に張ってあるメーカのCM料って2億円ぐらいするんだってね。だったら、私の体にはってくれえ。』

 私も冗談交じりで、お金にまつわる話をします。

『やっぱさぁ。ほら、俺は東京で一応会社を立ち上げて成功している。って話でさぁ。それがあるから、こっちの条件をさぁ。飲んでくれたんだよぉ。』

 そんな話をしていました。そして、ふっと喫茶店のカウンタに目を向けました。カウンタの中にいる2人の男女が身を乗り出して、私達の金儲けの話を聞いている姿がありました。本当に身を乗り出していました。

 やっぱ、世の中金かあ。

たがやのじっちさん



 『たがやのじっちさんは怖いんだからな! 近ずくな!』

 母である彼女が怖い顔をして、私の顔を見て脅かします。私はまだ小さな子供で小学校の低学年です。1年生ぐらいかもしれません。それぐらい遠い昔の話です。そこは、私が住んでいる家の隣近所にある平屋の家です。私の家族が住んでいた家の玄関を出たすぐ前の階段を降りたところに建っていました。いつも開け放たれた、その家に、たがやのじっちさんとばっばさんは住んでいました。じっちさんは、老齢の年寄りで頭には頭髪が一本もありません。背中は丸まっています。インドのマハトマガンジーのような風貌です。そんなおじいさんが座っている北側の縁側に、小さな私と弟は遠慮がちに並んで座っていました。なんとなく嬉しくなって、時々じっちさんの顔を見たり、足をばたばたさせていました。じっちさんは、話をするでもなく聞くでもなく、なんとなく始終笑顔で私達、兄弟と一緒に座っていました。小さな子供ですから、話をする事もできませんでした。ただ、タモと呼ぶ、さかなや、昆虫を捕まえるときに使う網をじっちさんが直してくれたのです。私達兄弟が座っていることを嬉しく思っているようでした。

 たがやのばっばさんは、じっちさんより若く足腰がしっかりしています。そして、家事をしている姿を良く見ました。ですが、おじいさんのほうは、外に出歩く事もなく家に中にいることがほとんどです。病気をすることもなく毎日をおばあさんと平和に暮らしているようでした。そして、たがやのじっちさんがいつ死んだのか記憶にありません。

 たがやのじっちさんは、寂しい毎日を過ごしていたのではないでしょうか。子供もなく、おばあさんと暮らす毎日です。そんなところに、小さな元気な男の子が2人が接して来たのです。しかし、私と弟は母の言う通りにたがやのじっちさんと一緒に座ることを止めました。

 どのような考えで母が、そのような事を言ったのか今となってはわかりません。たがやのじっちさんの若い頃の姿を知りませんが、母には怖い人だったのでしょうか。今、彼と話しをする事が出来なかったことを、ちょっと後悔しています。小さな子供でしたが、母の言うとおりに無関心を装って隣の人と接しなかったのは、自分に嘘をついてしまったことに他ならないからです。そして、たがやのじっちさんは自分が小さな子供に無視されたことを少なからず知っていたはずなのです。そして、それを黙って受け入れたのです。

 そんな事を思い出したのは、何故なのかわかりません。確かに私の心の中には、今も白い服を着た、丸まった背中のたがやのじっちさんの穏やかな姿がハッキリと存在しています。

 そして、たがやのじっちさんとばっばさんの家の裏には畑があって、毎年夏みかんの木が大きな黄色い実をたくさん付けていました。そして、何故たがやのじっちさん、ばっばさんと言うのかの意味も知りません。家についているやごには違いないのですが、私の両親は昔の人で尋ねられる事をとても嫌がるのです。そして、彼ら両親がどこの誰なのかも、どのような人なのかも私はあまり、知りません。何を聞いてもヘラヘラしています。強く聞こうとすると腹を立てます。そんな感じでたがやのじっちさんの事を思い出すと、寂しい気持ちで胸がいっぱいになる私です。そして、日本の家庭や人々の多くが会話をしないことを悔しく思っています。

相談係




 『引越した方がいい。引越しなさい。』

 これが、区の相談係の回答でした。なんと知恵も考えも無い相談係なのでしょう。彼女の言った、そのことについて、私の考えている事を正直に、相談係の女性に伝えました。

『そんな事は誰でも考える事じゃないですか。何の為の相談ですか? もっと ・・・・!』

 彼女は大変な怒りようでした。しかし、随分たくさんの話をしました。困っていること、快適な生活がその事情により破壊されてしまったこと。何を聞いていたのでしょう。電話の受話器の向こうで私と話している、この相談係はどのような人なのでしょう。人は外見では無いと思いますが、ひょっとしたら、どうしようもない外見の女性かも知れません。見たら相談しようなどと言う了見なんか、吹っ飛んでしまう人かもしれません。お金さえあれば、とうの昔に快適な移住環境を持つ住居に引っ越しています。おろかな自分の怒りを静めるのに時間がかかりました。顔も見えない人に相談する自分の愚かさにです。実は住んでいる集合住宅で困り果ててしまって、電話の受話器を取り上げて区の相談係に通じる電話番号を回したのです。

 その職業がどのようなものであれ、すべての人々はわが身と、その職業を守るためその仕事に従事しているのです。けして、人の困った事などの相談を聞いてやろうなどとはしていないのです。また、そのような力もないのです。それが国を動かす日本の政治家でも例外ではありません。社会の秩序をを守る警察官でもです。しかし、人の事は言えません。人間は、みんなそうなのです。 歌舞伎やシェックスピアを持ち出すまでも無く、それが人間なのです。

 こんな人間達の色々な考えの中から本当のものを見つけるのは大変な事です。人が本当に大切にするものとは、なんでしょうか?

 家族と暮らすことであり、家族を信頼する事ではないでしょうか? そして、相談係にも家族があり、家族と一緒に暮らしているのです。立場が違えば、私達もこの相談係と同じ事を言ってしまうでしょう。人の事など考える暇が無いのが人間なのです。

 しかし、その職業についていられなくなったり、家族に迷惑を掛けたりしたらどうでしょう。けして、平気ではいられないはずです。人は自分と同じ人間なのです。人は自分と同じ家族を持っているです。人が困る事とは、自分や家族がやがて同じ経験をする可能性を示しているとの事ではないでしょうか。

 いまや、自民党が与党である日本政府もこのような相談係と一緒かと、私には思えます。機能していません。そして、私達国民は、そのことについて目をつぶっています。何故でしょう。どうしてなのでしょうね。

話が滑ってる人




 『は~い! 宜しくお願いしま~す。』

 電話機の受話器から元気な声が聞こえてきます。その声は彼女の周りの対外的な人達を考慮しての話方です。話相手の私の事等、二の次です。そして、彼女が言っている事があまりよく分かりません。彼女自身も分からないで説明をしているようです。FXのインターネットセミナーを受講しました。大変、高額な授業料を支払いました。そのセミナーからシグナル情報がメールで届きました。どのようなものなのか、どのように利用するのかを尋ねる為に電話をしました。夏も終わりが近づいた9月のはじめの晴れた日の午後の事です。

 滑っちゃっています。話が、声が、小さな子供達が公園の滑り台で滑って遊んでいるようにです。頭と顔の周りに蜂がブンブン飛んでいるような感じでお話をしています。アッチ、アッチと言った感じです。聞いていると、やたらうるさいと言った感じで説明を聞く事ができません。落ち着いて話してくれると助かるんだけど。なんか、大変な職場みたいです。声そのものはアナウンサーのようなハッキリした声音なのですが、耳ざわりな感じで話を聞く事が出来ません。ほうほうの体で電話の受話器を置きました。

 そうですね。そうのような環境にいるとそうなってしまいます。狼少年は狼に育てられた為に、人間のようには生きられませんでした。人が人らしく話しをする為には、人が人らしく話せる環境でなければ、人らしく話せないはずです。そんな環境を作るには、人が人である事を自覚しなければなりません。

 まだ、この言葉は生きているでしょうか? 寝て半畳じゃないか、人間は。と言った言葉です。つまり、人間はどんなにあらがっても寝れば畳一畳でしかないと言う意味らしいです。人間が人らしく生きるには畳一畳では生きられないのです。大きな青空が必要であり、たくさんの言葉や食べ物が必要です。人らしく生きるにはです。彼女の話が滑ってしまうのは、そのような何かが不足しているのです。自分に他人にたいする距離であり、思いやりです。対外的な格好だけでは、困ります。

 狭い空間で生きていこうとする日本の人です。畳一畳で足りると思っている日本の人なのです。


 

2009年8月30日日曜日

先生達の正反対の教え




 『仕事についたら、あんまり手をだ出さない方がいい。』



 彼は、とても大きな体をした体格の良い先生です。顔つきもどこか精悍な顔をしています。私達のクラスの教科の一科目を教えてくれます。私の学んだ高校の卒業が近くなって、それぞれの先生が社会に出る私達に教えを説いてくれているのです。とても、消極的な考えです。でも、慎重に仕事に付いていけとの事と受け取りました。この先生の科目は、あまり人気のあるものではありませんでした。どのような教科であったのか今思い出そうと思っても思い出せません。そんな彼が、生徒達と精神的にぶつかったときがありました。それが、私には良く分からないのです。なんか、気に食わなかったようなのです。なにが、どうなっていたのか。



 『川崎、どうなんだ。』



 クラス担任の先生が教室の前にある一段高くなっている教壇の上から、生徒の一人に尋ねました。どうも、彼が担任の先生に苦情を言ったらしいのです。それで、直接担任の先生が、クラスに来て生徒に尋ねたのです。



 『へんなんだよね。何様のつもりなんだろ一体。えらそうにさぁ。』



 生徒の一人が、担任の先生の問いに答えます。そんな先生でした。



 『仕事についたら、どんどん積極的に自分から進んで手を出して行け。』



 卒業を目の前にして、眼鏡をかけた体の小さい副担任の先生がいいました。担任の先生が声も大きく強烈な個性をもつ人でした。その影に隠れて、目立つことのない副担任の先生が言った正反対な事です。



 『副担任の先生って良い人なんだよねぇ。』



 同じクラスの同級生が、とても落ち着いた声で私に言いました。同級生は体は小さいのですが、とても男らしい人です。そんな彼が目立たない副担任を認めたようなことを言ったのです。私達の学校は実習が卒業前にあります。クラスが半分に分かれて何ヶ月も実習をするのです。同級生は、そのときに副担任と一緒に実習をしてきたのです。



 社会に出て、もう随分経ちます。その通りですね。積極的にトライする事が肝心のようです。ですが、手をださず黙っていれば誰も、悪く言う人はいません。そして、ほどんどの人があまり手を出して積極的に仕事をしていないようです。そのうちに、消極的な傍観者になってしまうようです。

分かってない人




 『ええ!こんなに安いのぉ!モッタイナイわい。持ってきてよ。』



 彼女は年配の女性です。社長のお母さんです。眼鏡をかけていて、痩せて少し神経質そうな感じの女性です。歳は老いていますが、まだまだ、しっかりしています。そんな、彼女が店先に置いてある何鉢かの植木鉢のひとつのボケの花を見て言いました。確かに赤い花びらを沢山枝に付けて咲き誇っています。値段も、植木鉢を見た感じでは格安に思えます。私は、彼女の言いつけに従い、ボケの植木鉢を持って彼女の住んでいる4階に向かって急な階段を上がっていきました。彼女の言いつけ通りの場所にボケの鉢を置きました。ボケの植木鉢はさっきの店先の全然陽が当たらない場所から、4階の素晴らしく日当たりの良い場所に置かれました。



 私は東京の港区にある花屋さんで働いたことがあります。若い頃ですね。新聞の3行求人欄を見て応募して採用されたのです。そして、あるホテルで活けた花を運んだり、花屋の店の中で花の水揚げとあっちに行ったり、こっちに行ったりと働いていました。



 4階には、たくさんの植木鉢が置いてあります。とても気持ちの良い空間です。そんな事で、やれやれと急な階段を上ったあとで、ほっとして店のほうに足を向けようとしました。すると、背後から社長の声が聞こえます。



『ああ、大変だ。花の咲いている今、売らないとだめだ。早く下に持って行って、店先に並べてくれ。』



 私は、黙って社長の言いつけ通りに、さっき持ってきたピンクとオレンジの花弁をのんきに開いているボケの花の植木鉢を持ち上げて、急な階段を下りていきました。そして、さっきボケの花の植木鉢が置いてあった日の当たらない店先の灰色のアルファルトの歩道の上に、桜草等の植木鉢と一緒に並べて置きました。



 若い私は、こんな事もあるようなあと思いました。何年も花屋の売り上げで暮らしている、人でも分からないものなんだなぁ、と。



 人も同じですね。人類は、もう何千年も生きてますけど、まだ人間て分かっていないですものね。近所の隣の人や、家族、そして自分自身さえも分かっていないと、思うのです。

2009年8月29日土曜日

心頭滅却な人




 『ばっかやろう! 何度だと思ってんだぁ!』

 そこは、東京は馬喰町の集合ビルの5階に、オフィスを持つ会社です。30名ぐらいのこじんまりした人数の会社です。ですが、常時会社に居る人達は8名ぐらいです。あとの社員は取引先であるメーカに出向しています。そんな会社のある日の午後に、会社の社長が久々にオフィスに顔を出しました。そして、オフィスの部屋の温度に驚いて、思わず叫んだのです。しかし、誰も社長の言葉には動じません。何も聞こえないようにパソコンの画面を眺めています。社長もそんな社員を気にすることなく、空調の温度パネルを操作しています。

 実は私は、その会社に営業をして仕事をもらいました。そして、この会社に出向して働いていました。確かに暑いです。夏ですからあたりまえなのですが、オフィスの温度は異常に高いのです。顔が汗ばんで首筋に流れていきます。ですが、私が座っているデスクの左前に向かい合って座っている女性は冷え性なのか、軽い感じのひざ掛けを膝にかけています。

 そうなんですね。思い込んじゃっているんですね。夏は空調が利きすぎて冷えてしまうという考えにですね。そして、一日中ブラジルのような熱帯の国にいるような温度の中で平気な顔をして椅子に座って働いているのです。けして、気が付くことはないでしょう。小さな子供が来て、正直にこの女性に向かって部屋の温度の異常さを訴えるまでは。

 私には言えませんでした。仕事先のオフィスの温度ぐらいでは、出向先の会社の社員が黙って働いているのですから。

 そんな事で、思っちゃっているんですね。どんな異常な事でも、思っちゃっているから平気なんですね。そして、会社だから仕事だから異常でも我慢しているのが当たり前だって、思っちゃってるんですね。

まねる人達の行き着くところ?




 『比叡山は天下の仏法にて御座います!』



 口角泡を飛ばし家来である、侍が綺麗に着飾った着物を着て、座りながら殿に申し上げています。随分昔のテレビ番組の内容を思い出しました。豊臣秀吉が活躍する時代劇です。何度も何度もテレビ放送されています。小さい頃から何回見たでしょう。日本人の金字塔のようなテレビ番組になっています。実に上昇志向の人の精神を育て上げるような番組です。太閤記と呼ぶ時代劇ストーリーですね。



 『かまわぬ、焼き払え、打ち殺せ!何が天下の仏法だ。女を抱き、肉を喰らい、そんな坊主はいらぬわぁ!』



 ボスである織田信長が怒鳴り散らします。家来の進言に耳を貸すことなく言い放ちました。そして、戦乱の時代の日本の各地を統一する手始めになりました。



 今、日本の多くの人達はどのような仏法を持って生きているのでしょう。それは、考えを持っていても表現しない、考える事をしない。隣の人を見て隣の人の真似をする。それが、現在の日本人の仏法ではないでしょうか。



 『息子にも会社を辞めさせて、家の手伝いをさせたけど。止めさせなければ良かった。』



 九州は佐賀の彼が近所の人の話をしました。最初はハウスみかん栽培が大変もうかったそうなのです。それで、会社勤めの息子を会社退職させて、家の手伝いをさせ始めたそうです。ですが、近所の農家も真似をしだし供給過剰で、現在全然もうからないのだそうです。そして、現在ハウスみかんの栽培の仕事を辞めたくても色々事情があって辞められないのだそうです。



 そういえば、随分昔に川崎の溝の口にあるスーパーで赤い化粧箱に詰められた小さなハウスみかんを購入した事があります。箱には小さなオレンジ色のハウスみかんが25個ぐらい入ってたと思います。季節は真っ赤な太陽がカンカンと照りつける真夏のある日の事でした。自転車に乗り、川崎側の二子玉川の川沿いを走って、そのハウスみかんを食べました。休日に野球やバーべキュウをしている人達を眺めながら、柔らかい薄皮の小さなみかんを頬張っていました。ほっぺたが落ちるほど美味しい味でした。金額は1,800か、2,800円だったと思います。ビタミンが豊富に入っているようで、実に美味でした。そのハウスみかんはニュージランドで栽培されたものでした。実にニュージーランドの人達の戦略に関心しました。みかんの産地である日本に季節はずれのみかんを輸出する大胆な構想と考えを。



 そうなんです。そのニュージーランドのハウスみかんを佐賀の人達は真似して栽培し始めたのです。そして、隣の農家はまた、真似た人を真似たのです。



 こんな、日本人の隣の人を常に真似ることを思っている人達を止めさせるには、織田信長のような力を持つ位置と、強烈な意志が必要でしょう。



 そして、今度の衆議院の立候補者も隣を真似る事を思っちゃっている人達なんですね。

2009年8月28日金曜日

対人関係で必要なもの





 『愛なんだよ。伸ちゃん。愛。』



 東京は中野にある居酒屋さんで、知り合い社会人学校の仲間、5人でお酒を飲んでいます。九州生まれの彼が言います。大きな体をしている彼は、本当に良い人です。でも、あまり付き合い始めて日も浅いので、本当の彼を知りません。彼は電子部品の問屋に勤めています。彼と知り合ってから、良くお酒を飲むようになりました。いつも、御馳走してくれます。そして、今日も彼がお金を払ってくれるものと思ってる連中が付いてきてお酒とツマミを食べ飲んでいます。彼が主役です。彼が最初から最後まで話をしています。楽しい雰囲気で、笑顔と会話が絶えません。対人関係の難しさを、私が言いました。そのとき彼が嬉しそうな顔をしながら私に言ったのです。彼の言葉を聞いて、そうかもしれないなあ、と納得していました。テレビの連続ドラマのストリーの結末を思い出すようにです。しかし、そんな彼が仕事先のある特定したお客さんの話になると豹変しました。



 『あんの野郎、ぶっ殺してやりたいよぉ。』



 本当に憎らしそうな顔をして言います。いつも、笑顔を絶やしたことのない温厚な人です。ですが、憎さ溢れる怒りの表情を顔満面にみなぎらせてました。



 そんな事を思い出しています。でも、本当に必要なのはお金かもしれません。愛があっても誰も食べ物も家賃を払ってはくれないでしょう。彼がご馳走してくれるとのことで、彼について来ている人がいます。お金が無ければ相手になんかするかい、と言った見え見えの人です。振り払っても振り払っても付きまとってきます。お金の力ですね。



 お金大切ですよね。

何かを思っちゃっている人




 『?。 ん?。』

 そうなのです。いつもこんな感じで気が付くことがあります。なんだろう? 目を反らしません。ジッと私を見ています。私に興味があるようなのですが、どのような興味か分かりません。なにか思っているようです。ですが、けして良い事を思っている目ではありません。

 ある会社の社員食堂を一人で利用していました。仕事仲間とも一緒に食事をする事もあるのですが、よく一人で食事をします。そんなあるとき、フッとこちらを見ている目があります。暗いほろ穴からこちらをうかがっているような目です。眼鏡をかけ、どうでも良い様な顔形をした男の人です。何を考え、思っているのでしょう。わかりません。ある日、一人で食事をしていました。彼が社員食堂で一人で座っていました。そして、私を見ました。それから、そわそわしながら仲間が来るのを今か今かとしきりに待っています。それは、あなた大丈夫ですか、どうしちゃったの、普通じゃないよと言った感じに見えます。首を伸ばして顔を右に左に動かしながら。なんか恥ずかしくなってきます。一人では食事を出来ない人らしいのです。それで、一人で食事をしている私が、どのような感じなのか様子をうかがっているとのことらしいです。察するとですが。

 東横線の学芸大学駅の喫茶店でコーヒーを飲んでいました。フッと気が付くと私を見ている目があります。窓を背にして、テーブルに身体を丸めるようにかがんで、こちらを見ています。なんでしょう。よく汚い、野良猫がジッ、様子をうかがっている感じの目です。ビジネスウーマンのような、黒っぽい洋服を着た中年の女性です。あまり見ない雰囲気を持つ感じの人ですね。どれぐらい、その喫茶店にいたでしょう。待ち合わせの時間つぶしに入っただけなのです。30分ぐらいでしょうか。その時間、けっして私から目を離しませんね。病院の患者が健康な人の健康をうらやんで見るような目でしょうか。


 新横浜駅のレストランに入って注文が来るのを待っていました。雑誌から、フッと顔をあげると目と目が合いました。がっちりした体格のサラリーマンでしょうか。こちらをうかがっています。目を離しません。夏の暑い日なのにブレザーを着ています。こちらは半袖シャツ一枚です。なんか暑苦しそうな感じの人です。やはりあなぐらからこちらの様子をうかがっているように見えます。どれぐらいの時間でしょう。不思議に思って見返していると、目線を反らせました。そのうちに仲間が来て食事をし始めました。でも、なんとなく見るとやはり、こちらをうかがっています。私って誰なんだろう。

 東横線に乗って座席に座っていました。フッと前の座席に座っている若い男が私を見ていることに気が付きました。目と目が合いました。こまるなあ、こんな人。ポケットからハンカチを出しました。自分の目に前に持ってきて、右に左に動かしました。彼の目はハンカチを追っています。大きく円を描くようにハンカチを動かしました。彼の目がハンカチをやはり追っていました。そして、急に恥ずかしそうに目を反らしてしまいました。何も考えていないのですね。多分。

 多分、思っているんですね。こうなんじゃないかって。


 

パターンから脱出できない人




 『沈みゆく日本』

 ここは東京は経堂にある東京農大の前にある馬事公苑の近くにある集合ビルです。色々な店が入っています。喫茶店、本屋さん、飲み屋さん、ダーツ、ビリヤード等。夏も終わりに近い日の夕刻まじかに、その集合ビルの本屋さんで、一冊の雑誌の表題を目にしました。手に取り、パラパラとページをめくりました。確かに今の日本は、景気が悪くて救いようがないようです。まさに日本は、どこかに沈んでいく空気をしています。

 今度の日曜に衆議院選の投票日があります。なんの期待も意思も感じる事が出来ません。それば、事務的な感じです。誰の顔にも希望を見ることが出来ないでいます。立候補者の誰にも覇気のある顔を見出すことができません。飼いならされた、ワンちゃんのような顔ばかりです。

 以前バングラデッシュの子供達の事をチョット記述した記事を見たことがあります。ご存知のように、あまり裕福な国ではありません。その国の子供達の目が成長していくにしたがい、どうしょうもなく暗い目になるような事を書いていました。今の日本も、そのような感じではないでしょうか?

 『どうしてなんでしょうね。』

 マクドナルドの若いマネージャが私に、尋ねた事がありました。そうなのです。日本の人って、みんな思っているのです。そして、その事をしているのです。あるいはしていないのです。

 一昔前に、ある学校の先生が蕎麦を食べれない生徒に蕎麦を食べさせて死なせてしまったと言う事を情報媒体が言っていました。

『日本人が蕎麦を食べれなくてどうする?』

 そのような事を言って生徒に蕎麦を食べさせたそうです。生徒は蕎麦アレルギーだったそうです。そして、アレルギー症状が出て死んだそうです。人の事情を聞く事をしないで、思っているんですね。こうなんだって。

 やはり、一昔前にある高校の事故が報道されました。校門圧死事件です。一人の女子生徒が学校の校門を通るときに遅刻厳禁とのことで無理やり先生が校門を閉めました。その校門に挟まれて死んでしまったのです。色々な事情、人達がいることを理解しようとしないのです。思ちゃっているんですね。

 蕎麦アレルギーや遅刻の事情、様々な事柄を受け入れない絶対の考えを思っちゃっているんですね。

 世界の競走馬の関係者達は、日本は名馬の墓場だ、と言っています。日本は世界中の名馬を高額の金額で何頭も購入しています。そして、その名馬達は日本で死んでいるんでいます。理由は馬そのものの本質を無視して殺してしまっているらしいのです。思っちゃっているんですね。こうなんだって。多分ね。

 そんな事で、大変たくさんの日本の人達が、思っちゃっているんですね。そして、その思っちゃっているところから日本は抜け出せないのです。時代が移り変わっているのに思いが変わらないので、移り変わりゆく時代から取り残されて、沈んで行くように見えるんですね。衆議院の立候補者の人達も、思っちゃっているですね。こうやらなければ駄目だって。

2009年8月27日木曜日

母親と世界の重要人物達




 『あっ。ここにも居た。』

 心に潜んでいる者を見つけました。東京は大根踊りで有名な農大が近くにある小田急線の経堂駅の近くの本屋さんの本の中に居ました。戦後の写真集のような大きな本を見ていました。そこに、居ました。それは、戦後食料がないときの時代の事でした。お腹を空かした赤ん坊を見ている母親の中に潜んでいました。自分の赤ん坊がお腹を空かしているのを見て、その母親は何を考え思ったのでしょう。それは狂おしい怒りなのかも知れません。そして、行動を起したのです。ある張り紙を街の中に張ったらしいのです。その張り紙には、このように書いてありました。

『朕はおなかいっぱい食べてるぞ。』

 戦後の食料が無い時代の事です。誰も彼もが飢えに苦しみ、赤ん坊でさえも例外ではなく飢えて泣いているときです。そんなときでも、天皇陛下は御飯を食べているとの意味らしいのです。そして、それを見たアメリカの占領者は驚いて危機を感じたそうです。絶対的な日本人のシンボルである天皇を恐れぬ大胆不敵な張り紙の内容です。それは、日本人が日本人ではなくなってしまうとの信号です。生身の人間の姿をした人間になってしまうとのことです。コントロールの出来ない人間の姿になってしまう。そんな恐れから、食料を日本に持ってきたと、その本には書いてあったように思います。天皇陛下であれ、戦勝国であるアメリカであれ、お腹を空かした赤ん坊を思う母親の気持ちを堂々と恐れることなく世の中に問いただしたときには、道を譲るしか方法はないのを知っていたのです。そんな母親の決心の前には世界が道を譲るでしょう。そして、その母親は名もない、どこにでもいるような赤ん坊を抱きかかえた母親でしょう。

 どこにでもいるよう人でも、決心したなら、世界を変える力がこの世には存在する証です。あなたにも、わたしにも、その力は自分自身のどこかに潜んでいて出番を待っているのです。尊厳をもつ人間として。




2009年8月26日水曜日

若さが持つ、危険な無知




 『奴のところでお茶を飲んだんだ・・。そしたら、みんな急にううって腹が痛くなったんだ・・。どうしてだと思う?』

 同じ田舎出身の友達である彼が、私の顔を見ながら言いました。そして、じっと私の応えを待っています。彼はとても、男らしい男なのです。身体は小さいのですが、勇気も正義感も持っています。誰からも好かれる彼です。とても、綺麗な目をしています。そんな彼が私の顔を見て、私の答えを待っています。

『さあー、なんで?』

 そう言いながら首をひねっている私に、彼が待ってましたとばかりに言います。言わずに済ませるもんかと言った、雰囲気です。

『1年前に入れたお茶があったんだって。そして、その1年前に入れたお茶を出したんだって。』

『くっく。ははは。』

 私はおかしくなって笑いました。まだ、田舎から東京に出てきて頻繁に田舎の友達に会いに行く事が多かった時期の話です。そして、なんとなく納得しました。いままで母や父に育てられていて、みんな世間や家事の事等、何も知らないのです。食中毒等のような事故にならなくて良かったのが幸いでした。そんな彼らとは、もう何十年と逢っていません。

 若い人を笑えません。いい年をした人達が間違った事をして新聞のニュースに載っています。

なにも知らずに、命を賭けてしまった若い人の無知




 『うわあぁ!』

 私は、車のハンドルを握りながら、叫んでいました。突然車のコントロールが利かなくなったのです。ドスーン、ドスーンと何回ぐらいでしょう。片方のタイヤが浮いた状態の片輪走行を右に左に幾つかしました。最初はどちらの側のタイヤが浮いてしまったのか記憶にありません。時間にして数分ぐらいだと思います。以前テレビの画面でスタントマンがショウビジネスで片側だけの二つのタイヤで車を走らせるのを見ました。それを一般の公道でしてしまったのです。それも、右に左に交互にしてしまいました。夜も遅い時間に、トヨタの緑色のカローラに友達4人で乗っていました。緩やかな左カーブを70キロメートル近くのスピードで家路に向かって走っていました。

『やめろよぉ。あぶないよぉ。』

 私は、助手席にすわっている友達に言いました。

『へへへぇ。』

 彼は、嬉しそうな顔をしています。無邪気な小さな子供のような顔です。ふざけるのが好きなのです。いつもおかしな事を言ったり、したりして私達を楽しませてくれます。その彼が、助手席に座って勝手に車のギアを変えてしまっています。ニュートラルに入れたり、ギアのレバーを握ってしまいます。そんな彼が車がカーブを走っているときです。突然、私の握っているハンドルに手を掛けて、『あっ!』、と思うまもなく、グイっと動かして戻しました。夜も遅い時間なので車の通行はほとんどありません。スピードが出ています。私はハンドルを握っていましたが、何をしたのか分かりません。多分何もしなかったのだろうと思います。車は荒れ狂う状態から静かに何もなかったように走っています。

『やめろよぉ。あぶないよぉ。』

 危機を脱した状態から、ふわふわしていました。私は、得たいの知れない感情が湧き上がってくる前に、押し殺した小さな声で言いました。どのような感情が心に湧きあがったのでしょう。あっという間に来て去っていった恐怖です。そして、その恐怖の影には死神も隠れていたはずなのです。もし、対向車がいたり、運がなかったら大変な大事故になっていました。車は大破していて、乗っていた4人は大怪我どころの騒ぎではないでしょう。また、対向車に家族連れの人達が乗っていて正面衝突にでもなったら、どうなっていたでしょう。なんの罪もない、幸せな家族に不幸を押し付けるだけではありません。私達の家族も人様の家族に不幸を押し付けた事で深く傷つくことでしょう。事の重大さを知る事も出来ない若い私達です。何事もなく車が走っているのが奇跡でした。本当に不思議です。

 私の苦情に彼が言いました。

『じゃあ。暴走族はどうするんだ!』

 ちょっとハンドルを動かしたぐらいで大騒ぎするなと、言いたいらしいのです。暴走族の車の運転を見習えと言いたいらしいのです。

『あぶたいよぉ。』
『そうだよぉ。』

 後ろの座席に乗ってるに2人が小さな声で私に加勢します。実に、小さな小さな声です。そして、悪さをした彼も分かっているけどふざけ半分で、してしまったのです。生死をかけたふざけ半分でした。そして、あまり強く言うと喧嘩になっていまいます。その辺の事は良く分かっている私達でした。

 良く正月や夏の行楽シーズンに電柱に正面衝突等の若い人達の事故のニュースを見ます。どうしょうもないのです。防ぐことはこれからも出来ないでしょう。実に残念です。