2009年12月11日金曜日

常識とはなんだろう。




 『そんなの、常識だろ!』

 友達だった彼が、この言葉を使うとき、なんとなくおかしな感じを受けます。彼には、新たに考えを作り出すとか、誰かの考えを受け入れるとかする事が難しいのです。すでにある昔の考えに従って行動する事しか出来ないのです。まあ、彼に限らず、多くの人はそうですね。

 日本の政治も国も、日本人もそうですね。現在の日本から見た北朝鮮のなんかも、私達日本人には奇異に思えます。違う国の人達を捕まえて自分の国に連れてきてしまうことが、常識では考えられません。しかし、長い人間の歴史の中では、そのような事は沢山あったようです。長い人類の時間の中ではそうなのですけど。

 そのような北朝鮮の奇異に比べて日本はどうでしょう。100年に一度の不景気の中で多くの人々が経済的に苦しんでいます。そんな中で政治が、どのような事になっているかというと。

 『各国を訪問する政治家が、各国からの接待を受けないようにする。用意された車なんかも辞退するようにする。』

 最近ラジオから流れてきたニュースを聞きました。些細な事だと思うのですが。考える事が違うような気がするのです。経済的に溺れている多くの人達がいます。そんな緊急のときに違うことを言っているようなのです。行動をおこしていません。

 世界から見た日本、また、日本人から見た日本が奇異に見えます。平成の天皇が即位したときに、ある儀式を行いました。ほら貝を吹いて、のぼりを風になびかせて。まあ、節分のときのいわしの頭も信心のような感覚なのかもしれませんけど。生き神様の儀式と、テレビでは言っていたように思います。

 多くの日本人が頭を垂れて生きています。多くの日本人が、分けの分からない事で頭を垂れているのです。

 『実るほどに頭を垂れる稲穂かな。』

 日本人は稲穂ではありません。人間です。世界に生きる多くの人達と同じ人間です。胸を張って生きる事が出来るはずです。生活に自分に世界に向かって胸を張って生きる事ができるはずです。背を丸め、稲穂のような姿勢の日本人と常識。

 いいのでしょうか。何か飼いならされた人間の群れのようです。そして、そのことさえも分からなくなっています。

 テレビでは、面白おかしく、ケラケラと笑える番組ばかりが放送されているのだと思います。でも、それは必要かもしれませんが、空しいものです。日々に生活に意欲を持って生きていけるものが必要なのです。真に楽しめるものが。

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