2009年10月4日日曜日

夏の朝にしょうちゃんから海の贈り物




 『しょうちゃん来たぞ。』



 私と姉は、庭に出て、あっという間に真っ赤に燃えた炭を入れた七輪に金網を乗せました。しかし不思議ですが、自分が何をしているのか、頭の中では分かっていません。からだの何かが、意識とは関係なく体を動かしていました。



 庭に置いてある大きな木の樽に特大の黒いしおり貝とごつごつした白い岩牡蠣が山盛り入っています。夏の夜に潮が引いて顔をだした岩から、しおり貝や岩牡蠣を、樽に詰めてきてくれたのです。



 しおり貝は、焼けてお湯を吹き、ゆっくり開きます。鮮やかなオレンジ色の大きな身が、顔をだします。割り箸で貝を押さえ、茶色の何本もの繊維質の根っこを持って身を、はがして口にいれます。潮の香りと、ふくよかな触感が口の中に広がります。なんともいえない味と気持ちです。



 『う~ん。うまい!』、『うめえぇ!』



 姉と私は顔を見合って笑っています。心の底が喜びでいっぱいです。夏の真っ赤な太陽の下で、七輪の中で燃え盛る炭の熱など関係ないです。どれぐらいの時間食べ続けたでしょう。お腹いっぱいになって玄関のドアをあけ、ゆっくりした動作で家の中に入ろうとサンダルを脱ぎ足を上げると、寝坊介の弟がしまった、と言った感じで庭に飛び出して行きます。



 『満たされた、幸せな状態です。』

昔住んだ奇妙な場所





 『以前、そこに住んだんだけどさぁ。なんか、おかしなところがあってさぁ。』 



 私は、仕事先の年下の同僚に話始めました。



 『そこ、俺んちの地元なんですよ。』



 話好きの彼は笑顔で、私の話を聞き始めました。そして、いつも口を動かす事を止めたことがない彼が無口になっているのが不思議でした。彼は熱心に私の話に耳を傾けています。彼の目は、何か確信めいた動じない目になっています。



 『どうなのぉ。あそこ、おかしくないの?』



 私は物言わぬ彼に問いかけました。何にも言いません。静かに席から立ち上がりました。



 『ねぇ。どうなの?』



 私は、黙って立ち去ろうとする彼に問い続けました。何も言わずに彼は立ち去りました。 この話題には触れたくないようなのです。そんな場所に私は2年間住み続けました。 そして、2年間、睡眠薬を飲んだ1週間以外は眠れませんでした。それと不思議なのですが、睡眠薬以外にも1日か2日眠れた日が有りました。何故昨日の夜は眠れたんだろうと、翌朝散歩をしていたら、小道の脇に、紫色のなすと緑色のきゅうりに白い割り箸を刺して作った動物の置物がありました。そして、黒い藁の燃やしかすがそばにはありました。そうなのです。お盆の日に眠れているのです。



 『ああぁ! この顔。』



  ここに、引越してきてから、もう2週間眠れない日が続いていました。そんな眠れない夜に、起き出して電気のついてない薄暗いリビングの柱にぶら下げている鏡を覗き込みました。何故眠れないんだろうと。鏡の中には、暗いリビングを背景にして私の顔が映っていました。その目はびっくりするぐらい、かっと見開いていました。それは、まるで猫の目のようでした。そしてあることにハッと、気づきました。この顔は隣のおくさんの顔と一緒です。 顔がふらふらしています。



 『隣に引越してきた、山田です。宜しくお願いします。』



 引越しをすませて、名前の入った熨斗紙を巻いたタオルを、頭を下げて隣近所に配りました。そのとき、家の右隣の家の奥さんの玄関先で、世間話を少しだけしました。なんか、この奥さんの顔がふらふらしてます。なんだろとおもいました。



 『眠れないんだよねぇ。』



 私が、近所にあるスポーツクラブのスカッシュコートの前で、たむろしている仲間に独り言のように言いました。すると、スポーツクラブの女性インストラクターが急にあわてて、話題を変えようとしました。それが、とても不自然なあわてようなのです。何日か前に、私が眠れないことを彼女に話たことがあったのです。そのときの彼女は、とれも不思議がって、同情してくれたのですが。
 


 運動すれば眠れるだろうと、このスポーツクラブには入会したのです。



 『そこに船の船外機を置くからね。駐車場はべつだからねぇ。代金は。』



 なんか不動産屋から、分けの分からない電話が掛かってきました。そんな電話が2回ほどかかってきました。今思えば、どうも私の様子をうかがっているような電話でした。問題なく私がこの賃貸の一戸建ての住まいに、住んでいるかどうかを確かめていたようです。ここは木立ちがたくさんあり緑豊かで、閑静な住宅地です。見た目はですね。本当に見た目は、とても良いところです。



 『そこは、そうゆうところなんだぁ。不動産屋と相談してくれぇ。うちも引っかかちゃてるんだぁ。』



 電話の受話器の向こうから、年老いた大家の間延びをした声が聞こえてきました。本当にびっくりしました。いままで何故眠れないのか不安だったのです。体が悪くなってしまったのかと、いくつもの病院をたずねました。どの病院でも、どこも悪くないといいます。大きな大学病院にも診察をお願いしましたけど、問題ないといいました。そんな事で大家に、電話をしたのです。住んでいる、ここが問題のないところなのかどうかを、尋ねようとしてです。



 眠れない体と頭の状態で、少し調べてみました。そんなことで、昔この地域と他の地域の住民が決起していることが分かりました。



 『でも、あなたの住んでいる住所は該当する区の住所ではないでしょう。問題のある地域はこちらの区ですよ。』



 区役所の2人の男性が、私に説明してくれます。私は、理由を知りたくて区役所に出向いたのです。どれぐらい話をしたでしょう。何かを隠したいようなのです。協力的に対応はしているのですが、ちょっとある部分に触れたくないようなのです。区の責任への訴訟でも恐れているのでしょうか。次の日の朝、何気なく車が一台通れるかどうかの道を挟んだお隣さんの古い表札を眺めていました。すると該当する地域の区の住所だったのです。真相は、何年か前に区の地域を整理していたのです。



 現在、その地域にはたくさんのマンションが建設されています。そして、何事もないかのように、多くの人達が生活しています。



 確かに触れたくないことは誰にもあると思います。しかし、改善しなければ未来に暗い影を落とすことになるのも事実です。 それとも、これが世の中の常なのだと思いますか?



 現在は事故に遭遇した心境にいます。苦しかった日を思い出すことが、少なくなりました。ほとんど思い出さないと、言ったほうがいいでしょう。生活に追われていて思い出す暇がないのが、本当のところです。健康も、仕事も、貯金も、仕事先も、家財道具一切、持っている物は、全て失いました。 人生の航路を大きくバラバラにされ、狂わされました。



 結局なんだったのかって? ある交通機関が昔から発生させている解決されない、ひとつの目にみえない公害でした。存在はしていますが、それを解明するには多くの時間と抵抗を覚悟しなければなりません。それは、地域住民の闇から闇に葬られた、本当に圧倒的な現実の姿です。 そして、いまだに信じられないのです。そんなところがあり、そんなところに住んで、すべてを失ってしまったことが。



 しかし、やがては真に力と勇気を持ったリーダーが現れ闇から引きずり出して解決するでしょう。世界が時の流れの中で変わるように。

2009年10月2日金曜日




 『ヘン!のろまのおまえにできるかい!』



 何かやろうとすると、私を嘲笑う母の顔と、声が私の中に現れます。そんなものが、心の中に住み着いていた事に気が付いたのは何時ごろだったでしょう。小さい子供時代から、ひどい事を言われ続けましたが、兄弟の多い三男なのでしょうがないとも思います。 軽い冗談のつもりで、言っているのです。ケラケラ笑いながらね。でもね、話を聞くと、どこの親御さんも似たり寄ったりのようですね 。



 そんな事で、親元を離れて生活して、なんの意欲もない日々を送っていました。流れる月日の中で苦しみ、さまよっていました。何度かお金儲けの話に飛びついてみたりもしましたが、空しい蜃気楼のような誤魔化しばかりでした。それが、私の人生でした。しかし、そんな中で、自分と呼ぶ人間に少しずつ気付いていました。そして、自分を変えようという意欲も湧いてもきました。多くの成功している人達の言葉や考えを学習してみたりもしました。継続こそ力なりと。でも、何か根本的なものが足りないようです。 それは、多分自分を動かす動機です。



 こんな自分の志は、自分に正直に生きる事です。嘘つきは誰も信用しませんからね。そして、幸せな人や、成功した人、努力している人に惜しみない祝辞を心からの笑顔で、述べられる人になることです。穏やかな顔で、違った考えや、異なる人を理解して受け入れることが出来る人になりたいのです。何故って、 私自身が、そんな人に逢う度に感謝しているからです。



 そんな自分に出来ることは、自分に言い聞かせることです。何度も自分に言い聞かせなければならないと思っています。言い聞かせたことが現実の姿になるまで言い聞かせる必要があると考えています。暇があれば言い聞かせています。今も。

お父さんとお母さんの動機


2009年10月1日木曜日

海の香り




 とても不思議な人を見ました。それは、ある初夏の日の午後の事でした。



 私は、東京の地下鉄である有楽町線から半蔵門線に乗り換えるエスカレータの階段の上に立っていました。私は、グレーのスーツ姿で顔から流れる汗を厚手のタオル地の青い木綿のハンカチで拭きながら、仕事を探す、言いようのない不安な気持ちで会社の営業を忙しそうにアッチコッチと、毎日歩いていました。



 そのエスカレータは、とても長く100メートル位はあるでしょうか。 そして、様々な服装の男女が、いつも列を成して、そのエスカレータを利用していました。



 私は、薄汚れた赤色のビニール質の手すりに右手をかけ、半蔵門線のホームにつながっている下り方向のエスカレータに乗りました。そして、足元から顔を上げました。その時、反対方向から昇って来るエスカレータに乗り始めた男の人の姿を私の目が捉えました。姿勢の良い立派な体格をした外国の壮年の男の人です。長袖の薄青のワイシャツを着て、グレーのズボンと黒い革靴を履いていました。彼は金髪の白人で、涼やかな目と顔立ちをしていました。そして、彼との出逢いは数分で終わりました。話をすることも、目を合わせる事も、振り返ることもありませんでした。



 しかし、彼を見た瞬間から、私の想いは、遠い昔の日に見た故郷の海と空の中に飛んでいました。幼い子供時代に、毎日のように誰も居ない錆びれた古い港の上を飛び跳ねて遊んだ気ままな自分と世界を感じていました。秋の日の青い空に群れ飛ぶウミネコの騒がしい鳴き声を耳にして、波に濡れた砂の上を素足で歩いている、何者からも解き放たれたような自分を感じていました。 高い空に輝く太陽の光を浴びて、キラキラと金色にさざめくような海の波を、一人古い港の苔むした大きなセメントブロックの上に座って何時までも何時までも眺めていた自由な時間を感じていました。



 彼の目や、鮮やかな顔には大空の下で、ゆうゆうとした青い海の穏やかで厳しい表情が刻まれていました。彼の姿は、水平線に広がる大海原や、波が洗う砂の上を吹く潮風の香りを身に纏っていました。そう、幼い子供時代の環境の中に居た人々と同じ海と潮の匂いを、身につけていました。



 人が生きる人生も海に似ています。大波、小波、荒れたときもあれば、天気の良い凪の時もあります。沈んだり、浮かんだり、泣いたり、笑ったり、怯えたり、時には嬉しさに打ち震えていたりしています。みんな、人生と呼ぶ海に生き、しかしやがては、静かに終わりの日を迎えるでしょう。ちょっと周りを見てください。あなたが見ている人達ですが、100年も経てば、みんなこの世の中から、姿を消して、いなくなるのです。