2011年7月26日火曜日

勉強し過ぎて馬鹿になっちゃった人と、日本国政府を目指す民主党と自民党、各政党の人達


 『山田ちゃんちの姉さんって、何番ぐらいなの。』
 『5番ぐらいって云ってたよ。』



 中学時代に、良い家の息子である、運動部の仲間が私に聞きました。彼の家柄のせいではないでしょうが、勉強すること、勉強出来る人を意識しているのです。中学校に入ると学業の成績が廊下に張り出されるのです。1番から最終列番まで。確か学年ごとに、300人位生徒がいる学校でした。1クラス40人ぐらいで、7~8クラスありました。昔は、子供がたくさんいたのです。その300人中の5番前後に成績が、あるらしいのです。通信簿をちょっと、覗き見したことがあります。そんな姉さんの、通信簿はオール5でした。



 赤い縁をした眼鏡を掛けて、いつも鉛筆を片手にして、机に向かっている姉を気にすることなく、身近に感じていました。なにが、姉を勉強に駆り立てるのか、分かりません。多分、お袋さんの考えを受け入れて、勉強に打ち込んでいるのだと思いました。朝から、晩までひたすら、勉強していたような気がします。



 そんな姉さんの友達が数人、学校の休みの日に自転車に乗って家に遊びに来ました。そして、ちょっと彼女達と姉さんが話をしている姿を玄関で見ながら、家の中に入りました。何か、友達の空気が読めない姉さんの姿でした。友達は、困った表情をしながら対応していました。誰でもわかるような事なのに、構えている、紋切り型になっている、自然体になっていない。自分自身ではなく、何か違う者になっている姉さんでした。



 勉強し過ぎて馬鹿になっちゃてるのです。人間の自然さや、自分らしさを忘れて、なにかになっちゃているのです。人間は皆、同じです。目は二つ、指は5本、お尻は割れています。そんな、ことも忘れちゃうのです。勉強しすぎるとです。こうあるべきだと、云う人になっちゃってるのです。



 民主党、自民党、その他の政党の方が、法律に詳しく勉強家であることは間違いないでしょう。弁護士や、検察官等の司法試験なんかも立派な成績なのでしょう。しかし、肝心要の人間である事を忘れてしまっているようです。皆、同じ人間です。震災対応や不景気、原発事故対応等、迅速に対応できないのは、人間である事を忘れているからです。法律が人間を規制してはいますが、世の中を動かしているのは、人間なのです。まあ、常識と云うのでしょうか。震災対応にしても、ああだ、こうだで、ちっとも進まない。ああだ、こうだで、なにも出来ずにいる。世界が変化しているのに、ああだ、こうだで、終わってしまって、進めないのです。



 世界が変わっても、人間は変わりません。法律や規則の勉強は大切ですが、人間を忘れてしまっては、何の為の勉強なのか分かりません。日本をどのようにしたいのか、分からなくなっているようです。それは、人間を忘れている証拠です。



 昔、一緒に働いた仕事仲間の1人が、仲の良い同僚を指して云いました。仕事の手を休めること無く、ポツリと。



 『彼は、はじける事ができないのさ。』



 云われた彼は、真面目な人で、良い人間です。お酒を飲んでも、はじゃいだりする事がありません。前にも後ろにも行こうとしません。


2011年7月24日日曜日

放射能汚染より怖い、ぶったくりをなんとも考えていない大家さん


 『お世話になりました。それじゃ、これ、家の鍵です。』
 『なれないうちに引越しちゃって。』



 私は、そう言いながら右手に持った家のドアの鍵を大家さんに渡そうとしました。しかし、大家さん、手を後ろに廻してしまって、受け取ろうとしません。なんとなく大家さんの気持ちが分かるような気がします。そんな急に引越されたら困る、との考えです。借り手を捜すのに時間がかかる、と。引越す意思を大家さんの家に行って伝えたのは、二週間ぐらい前です。そして、引越先と、引越トラックの手配が付き、実行する事になりました。そんな事で、晴れた秋の日の午前中に、大家さんの家の玄関前に来て、短い間ではありましたが、御礼の挨拶をしているのです。鍵の受け取りを渋る大家さんの顔の目の前に、借りている家の鍵が、私の右手に、しばらくぶら下っていました。そして、老いてはいますが、背が高く大きな体の大家さん、どうしょうもなく私の右手から、家の鍵を受け取りました。



 借りている家の部屋で玄関先を眺めながら、引越トラックが来るのを待っていました。引越を決断して、引っ越先の手配や準備を実行した、自分の姿を、妙に頼もしげに感じていました。荷作りは、前日に全て済んでいて、後は、引越しトラックに乗せて、引越し先に行くだけです。涼しく快適な気温で、青空と太陽の陽射しを感じさせる良い日でした。ここは、小さな平屋の戸建ての家で、狭いながらも家の周りには庭も着いています。風呂付、6畳2間台所付きです。見た目は、静かで、こじんまりとして、大変暮らしやすそうな良い感じがします。家の周囲には、庭木の囲いが取り巻いています。そんな小さな家の玄関先に腰を下ろして、引越しトラックが来るのを待っていると、息を切らして玄関先に来た若い男が居ます。



 黒いスーツを来て、白いワイシャツに黒い革靴を履いて、ネクタイを締めています。痩せて背が高く、額がちょっと、狭く、目の細い若い男です。ここの賃貸契約をしたときの不動産屋の男です。硬い黒髪のヘヤースタイルが、若さを象徴しています。



 『ハァ、ハァ。大家さんに言われて来たんです。ハァ、ハァ。あなたが引越しちゃうと云ってきたんです。ハァ、ハァ。なにやってんだぁ、って云われて。』



 ここは、横浜田園都市線の青葉台です。とても、たくさんの山や丘があり、緑が多く目にも、肺にも良い空気がある環境に思えて3ヶ月前に引越してきました。しかし、うかつでした。ほんとに、うかつでした。道の両側には、たくさんの緑があり、家々も適度な間隔を置いて建っています。しかし、急な勾配の坂が多いのです。そんな坂の近くに、何件かの貸家が建っていて、その一軒に入居したのです。結果は眠れません。平日祝日を問わずに、夜になると、帰宅する車がたくさん通ります。坂を上るためにエンジンギアを落としてアクセルを踏んで来るのです。エンジンギアが変わる音と、エンジンを吹かす音が仕切りなしに深夜、早朝まで続きます。休日の昼間に不動産屋に案内され、夜の状況など知る由も無かったのです。



 こんな住まいで眠れたのは1日だけでした。轟々と降る雨の日だけでした。雨の降る音に、車のエンジン音、ギアチェンジ音が掻き消されたのです。もう眠れないし、駄目だと思い、引越しを決意したのです。



 どうも、大家さん。引越後の一ヶ月分の家賃と違約金を支払って行けと不動産屋に云ったらしいのです。敷金、礼金は当然、返りません。それは、私自身も、返さないだろうなぁと、思っていました。



 どうなんです。こんな状況を知っていて、引越しを余儀なくされて、敷金、礼金はもとより、引越後の一ヶ月分の家賃を取ろうなんて云う根性をした家主って。



 ちなみに家主の家は、坂から随分離れた所に建っています。訪ねる度に、息子さんや、奥さんは、家の奥の方から姿を現します。陽の射さない、坂から遠い部屋の方からね。



 この話は日本経済がバブルが崩壊する前の時期の話です。



 多分。今でも、同じ事をやっているはずです。皆さん、本当に、気ぉ付けて下さい。


2011年7月21日木曜日

嘘を付く人々と、世の中のしくみ

 『あれなんで。社長って、何を言っても、しても駄目な時があるんで。』



 生まれも育ちも、沖縄の彼が、私に言いました。それが、何となく分かります。理屈や道理ではないのです。彼に言われている社長ですが、会社の事か、自分の事か分かりませんが、面白くないときに、ストレスを社員に対して、発散させます。多分、それに対して、社員からの話や抵抗がないので、益々面白くなくなるのです。沖縄の彼が、困った顔で、不思議を通り越した社長の態度に対して、話をしています。沖縄の彼は以前商社に勤めていて、たくさんの人間に接した商売をしているので、良く人間関係を知っているのです。



 力を持つ者は、とかく自分の力を使いたがります。親が子に拳の力や、訳の分からない道理で追い詰めるようにです。そんな、子が自分を助ける為にする事は、嘘を付く事です。でも、嘘ではなく、言葉を知らない子供は、想像して話しているだけなのです。そして、知識も話す力もある両親に追い詰められていくのです。そこには、何の意義も見出せません。両親も追い詰める事、親の力を示す事で得られる無益な勝利の満足感を、無意識のなかで求めているようです。そして、後年その効能を身を持って体験するのです。自分が子にした話や、態度を老いた自分自身が、育てた子から受けるのです。



 しかし、たくさんの人達と触れ合う生活の中で、嘘を付く人を、どうする事も出来ないのが現状です。何が嘘なのでしょう。彼等の立場からしたら、正当な考えであり、当然の事なのです。事実とは違っている事など、彼らには関係ないのです。彼等の要求を満たすことが、嘘を付かれている人々の義務だと思っているのです。そして、嘘を見抜かれたりすると、更に嘘を重ねて行きます。その、行き着く先は、きっと嘘の大海原でしょう。果てし無い、大海原を付く当ての無い港を目指して泳ぎ続けるのです。



 確実な事から、不確実の世界に人類は旅たったのです。政治不信。何も出来ずにいる国会議員の人達。互いに、相手の政党の失態をなじり有っています。ユーロ危機。ギリシアが債務を支払えないようなのです。ヨーロッパ連合が合意点を見出そうとしています。しかし、アジアの国である日本にも円高なる波紋が来ています。テレビ、新聞、雑誌を見ても、良いニュースを見ることはありません。



 それは、実態のないものに対する話、嘘から始まっているのです。アダムとイブ、キリスト降誕、岩戸の神々。私達に出来るのは、昨日蒔いた朝顔の種や、ひまわりの種が世話を焼けば、必ず緑色の芽を出して、やがては綺麗な花を咲かせ、その後に新たな種になる種を収穫することです。植物、動物、世の中を動かしている法則は、嘘を付かず、必ず事実を私達に伝えてくれます。毎日、太陽が昇ってくるようにです。



 目標を持って、努力すれば、必ず、その目標を達成できると、云う事です。目標の種を蒔き、毎日水を与えるように、努力すれば、芽が出て、花が咲き、実がなるでしょう。もし、そうではないのなら、努力が足りないのです。ねばりにねばって、努力しましょう。それこそが、事実ではないでしょうか? その間は、嘘と迷いに出逢うのは、しょうがない、これも事実です。



 仕事の依頼の話を聞いて行くと、学校への入学を進める人達がいます。それは、仕事依頼を口実にした学校の入学者集めなのでした。そして、入学金と毎月の授業料を請求されるのです。若い人には、良い経験かもしれませんが、老いた女性にも、それをしているようなのです。嘘も大変、巧妙になりました。



 



 

2011年7月16日土曜日

横浜線のホームで、今にも私に飛び掛り、悪さをするような顔をした女の考え


 凄い形相で私を睨みつける女がいます。背丈は低く、ちょっと小太りで、年の頃は若くなく、老人でもありません。服装は、どちらかと云うと、地味な感じで、風景に溶け込んでいる服装です。私から、目を離しません。何かを狙っているようです。私の目の端に、彼女の姿があります。よくいます。このような女の人に限らず、男でも話をしていると、ごくごく、たま~に見かけたような気がします。そして、その人は、なんか、女性的な感じの男の人ですね。なんでしょうかね。なんというものか分かりませんが、床屋さんの動くぐるぐる回る赤、白、青の置物と同じ感覚で目がいくのでしょうか。話をしている人達に。



 ここは、横浜線のホームです。会社の二人と3人で仕事の打ち合わせで取引先に行った帰りでした。仕事の緊張が解け、リラックスした雰囲気で、どうでも良い話を笑いながらしていました。電車を待ちながら、立ち話をしているのです。ホームには、通勤の時間ではないのですが、結構な利用者が、私達と同じく電車を待っています。しかし、話をしている人達は、私達だけです。どれぐらいの時間、このホームで電車を待ったでしょうか? 結構な時間、ホームに立ってくだらない話をしていました。その間、彼女は一時も、私から目をそらすことをしてなかったとおもいます。なんか、私達の話に窮屈な感じを与えたいようなのです。日本の経済が不調で、IT不況と呼ばれていた時代の頃の話です。秋の日の良く晴れた、涼やかな午後の事でした。



 電車が来ました。3人で、他の乗客に混じって、開いた電車の入り口から乗り込みました。すると、女がスッと私の前から邪魔をするように乗り込みました。そして、それで終わりでした。電車の中でも、私達は立ち話をしていました。女の姿は、見えず、どこかに隠れて消えてしまいました。



 いいじゃないの。立ち話ぐらいと思うのです。昔、ウオークマンと呼ぶ携帯ステレオが、人々の話題になった事があります。電車から発生する轟音の中で聞くと、耳障りな音楽の騒音になるとのことでした。人のしている事が気になるのが人なのです。多分、地獄のような酷い所に、いっても、そのような事を気にしているでしょう。そして、それが人間なのです。私達も、形をかえて、同じような事をしているのです。気が付かないだけで。こんな、俳句があります。



 『秋ふかし、となりはなにをする人ぞ。』



 いいじゃないの。適度に隣りの人を気にして、快適に、裕福で、幸せに暮らしましょう。毎日を。


 大体の平均的な日本人とは、こんな感じの人です。


 『おう。なんだとぉ。うちの品物にいちゃもんつけるのかぁ。』



 ここは、横浜の寝具店です。小さな店で若い奥さんらしき人が、店に居て客の対応をします。でも、なにか片手間に営業しているようなお店です。そんなお店で、毛布カバーを購入しようとしました。しかし、毛布カバーの布地がガーゼで出来ている物ばかりです。そんな事で、木綿で出来た毛布カバーが無いかと、聞きました。すると、店の奥の座敷から、小さなおじさんが出てきました。そして、私に怒鳴りつけるように話しかけました。まあ、喧嘩にもならないような、背の低い小さな、老いたおじさんです。



 『でも、このガーゼの生地で出来た毛布カバーだと、一度洗うと、もう使えないじゃない。』
 『うん。その通りだ。』



 私のガーゼ製の毛布カバーに対する考えを聞くと、すぐに納得して、その後に、一言もなく店の奥の座敷に引っ込んで行きました。考える事をしないのが、日本人なのです。ただ、ただ、誰かの考え、云われた事、問屋から卸された製品を、後生大事に売ることをするのです。それが、どのようなものでもです。結局、その店では、木綿生地の毛布カバーを職人に頼んで作ってもらいました。昔は、毛布カバーはガーゼ生地でしか、生産、販売されていなかったのです。



 そんな事で、時代が変わっても、なかなか考える事をしない日本人だと思います。考える事は、話す事と同じ事です。話をしてみて、考えや、話の良し悪しが分かるのです。違っていれば、訂正することも出来ます。しかし、話をする事が出来ない日本人と、日本人を取り巻く環境があります。狭い家や、会社、学校の建物の中では、話す事なく、その場の空気で事情が分かるのです。ですから、話をする必要もなく、その話の先に行くことも出来ずにいるのです。



 店の製品が悪かろうが良かろうが、日本の国が間違えようが、先に進めないのです。狭い環境で自己満足している限りは。多分、自己満足が気持ちよくて、痺れて動けないのです。



 あるいは、日本人は良い人ばかりと思っているのかもしれません。そういう教育を受けていて、現実を見ないのかも、あるいは見えないのかもしれません。スポーツクラブで会った、弁護士をしているいう、親切でいかにもアメリカ人といった彼の顔と言葉が、頭の中に浮かびました。



 『悪い奴いるよぉ。』



 多分、日本人には分からないのだと思います。小さな島国にいるので、世界の広さや、世界の現実が・・・。目や頭では分かっても、実際の現実を分からないのです

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2011年7月14日木曜日

出版社の金儲けである自費出版の勧めについて思う


 『楽しいから書くんだと思います。そうでしょ。』



 電話が掛かって来ました。受話器を取り上げて、相手の男と話をしました。以前、私に原稿を要求した出版社の人でした。どれぐらい、電話口で話をしたでしょう。1時間近く話しをしたような気がします。再度自費出版の勧めをする為に、電話をしてきたのです。



 『今回、新しい企画を立てたので、御案内として紹介したいのです。山田さんは、郵便物を見ましたか?』
 『いや。まだ、みていないですけど。』
 『新しい企画を紹介する説明書が入っているんですよ。』
 『そうですか。じゃ~、見てみますよ。郵便ポストの中を。』



 郵便ポストの中を見ると、確かに出版社の分厚いA4サイズの封書が入っていました。しかし、封書の封が閉じてありません。なんか、雑な感じを受け、ちょっとガッカリしました。以前には、電話で自費出版を勧める人は、ちゃんと封書の封を閉じてくれました。それに、新しい世界があるような希望を話の中に、ほのめかせる事も出来たような気がします。今度、自費出版を勧める人は、内情を話してくれましたが、諦めも速いようです。その後、電話はありませんでした。



 出版社の維持、存続を考えた、自費出版の勧めなのです。何か、今まで、社会的使命を持った崇高な感じを出版会社に持っていましたが、安っぽいイメージに変わってしまいました。そんな事を気が付くはずもなく、自費出版を勧める出版会社でした。



 愛も必要なんでしょうけど、お金も大切なんですね。共に、世の中にあり、手をつないで歩めたらと思います。愛とお金が仲良く。


2011年7月12日火曜日

ドロップアウトした奴の踊る踊りの迫力と、日本の行く末


 『山田。覚えろよ。』



 腕を振り、ステップを踏み、膝を曲げ踊る彼を見ていました。何か凄い迫力です。フラメンコギターの掻き鳴らすメロデイの中で踊るフラメンコのような圧倒的な空気が回りを支配しています。彼は、不良と呼ばれる人なのです。東京に働きに行き、田舎に帰ってきました。自分も、周りも、如何することも出来ずに悪の道に入り歩いて来たのです。彼が成り行きで生きている事に、人や世間に何が出来るでしょう。行き着くところまで、行き着くしかないのです。そんな彼が、東京のデイスコで覚えたステップを披露してくれます。ステップは、日常の、どこにも捨て場のない想像を絶する怒れる思いと、やり場のない苦しみを、ダイナミックなリズムと華麗なバランスで表現していました。まさに地の底、悪でしか生きられない、悪の権化のような踊りでした。チャラチャラした、善良な悪ぶる若者の退廃的なデイスコダンスではありませんでした。けして一般人が見ることや、陽の当たる場所で見ることの無い掟を持つ、ステップでした。



 そんな日から、何年と随分時が経ちました。そして、彼が踊るステップと同じステップを踏んで踊っている女を見ました。女と目と目が合いました。私の顔を見て、何やら、ハッとしたようです。同じ空気を持つ人間だと分かったのです。もちろん、この女性とは会った事がありません。そして、この女性も、悪い道を歩いてきたのです。どうしようもなく、今の自分を生きているのです。



 現在の日本も、行き着くところまで行くしかないのかもしれません。何かを無くしてしまったのです。無くしてしまったのは、指導者なのか、お金なのか、何なのか分かりません。相撲界でも、大企業でも、代表は外国の相撲取りであり、外国のCEOです。日本人の相撲取りは、仲間内で八百長をする事に夢中のようです。多分、そんな構造になってしまったのです。それは、淀んだ水が腐るのと同じなのでしょう。正義がなされず、一部の既得者だけの権利を守るだけの社会構造なのでしょう。


吐血した老い肥えた女性と、泣き崩れる、お洒落な若い女性と、老い独りぼっちのお母さん


 『もっと長く生きていて欲しかったわ。』



 彼女は言います。旦那が死んで、1人暮らしをしているのだそうです。旦那の年金があり、何一つ不自由はしていないのだそうです。年金も普通の人の年金より高く立派な金額なのだそうです。しかし、毎日を悶々と暮らしていたのだそうです。そして、それが、体に良くないのだそうです。深夜、ベッドに大量の血を吐いてしまったそうなのです。救急車で病院に運ばれ、2ヶ月間入院したそうです。窓から見える、東京タワーを眺めていたそうです。今は、旦那が生きていたときに、見学して気にいったので、購入したマンションに住んでいるのだそうです。彼女、顔も体も、丸々と肥えています。今、ひとり暮らしになり、死んだ旦那を想って生活しているような事を、言います。



 『ワアー。』



 何か大声で叫んでいる日本人の女性がいます。手に持っている大きなバッグを、男に殴りつけるように振り回しました。深夜の横断歩道の脇で、泣き崩れました。男が女性を抱きかかえて、起しました。何か、一言二言話をしています。また、女性がバッグを男に、振り回してぶつけようとしました。夜の暗闇の中、男は、黙って立っています。再び泣き崩れる女声です。男は精悍な顔立ちをした、中東の男らしく、逞しい体をしています。お洒落な服装をして、夜の六本木に遊びに来たのでしょう。



 この間、旦那が死んで、1人暮らしをしているお母さんに会いました。息子が二人いるのですが、一緒には住んでおらず、凄く寂しそうでした。自分自身を喪失しているように見えました。



 アメリカ人の女性が、日本の若い女性を見て言った事を、フランスの社会問題を取り扱っているフランスの女性ジャーナリストが本に書いていました。



 『駅の近くで、ケラケラ笑っている日本の女性を見ると、日本の女性が分かりません。アメリカの女性は悩み、苦しみ、精神的、経済的に自立していくのに。』

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客の注文した、ワイングラスに入れたロゼワインに指を入れ、かき混ぜるレストランチーフと、多くの人々の問題


 『ロゼワインを、お願いします。』



 体の小さな、小太りで赤い口紅を付けたホールマネージャーの女性が厨房の脇の通路に歩いて入って、大きな声で客の注文を言いました。すると、白いワイシャツに黒い蝶ネクタイを締め、黒ズボンに白い前掛けをした料理人のチーフが、赤いロゼワインが入った、ワイングラスを左手に持ち、右手の人差し指をワイングラスに入れて掻き混ぜています。そして、その人差し指を口の中に入れて、その後にまた、ワイングラスに入れて掻き混ぜました。



 こんな安いチェーン店レストランでワインをグラスで注文する客を、生意気だと思っているのです。かっこつけるな、と言いたいのです。そんな時代であり、日本人は日本酒を飲むのが普通であり、ちょっとした事でも異端児される時代背景でした。また、半製品から作る料理で、自分の仕事に敬意を持って接する事が出来ないのだと思います。そんなレストランなので、たくさんあった店舗は現在は店を見ることがなくなりました。



 そんな、ワイングラスを料理人のチーフから黙って受け取り、ホールに向かって歩いていくマネージャーです。女性のマネージャーは、黙って、そのワイングラスを、注文した客のテーブルの上に置いたはずです。その客が、どのような顔をして、そのワインを飲んだのかは見ていません。



 人は、そのような事をする生き物なのです。そのような事をしないようにする事を強制する事よりも、出来ないようにするべきです。爪楊枝が一本一本紙袋に入っているのを、飲食店で見ます。多分、そのような行為をする人達を、考慮して考え、作り出されたのだと思います。日本人に限りません。人が争いを止め、平和に豊かに、愉快に、快適に生活するように考えて、物事を作り出すべきです。



 日本の不景気、震災復興に於いて、日本政府が何も出来ずにいるのは、そのような出来ないように成っているのです。速やかに景気回復、復興を出来るようにするべきなのです。そして、それが、出来ない人達なのです。じゃあ、如何したら良いというと、人頼みではなく、震災者、景気に喘いでいる本人が、自分ですることなのです。自分の心のドアを叩き、求めよ、です。



 『どうしたら良いんだろう。どのように考えたら良いんだ。今、何が出来る。そうだ、今、行動しよう。』



 云うは安し、行うは難し。大変ですよね。

放射能汚染と、マグロの水銀汚染


 『うちの会社、つぶれるんじゃねえか?』



 築地で働く知人が、昔、私に言いました。築地でマグロの競りが行われているのは周知の事実です。ですが、そのマグロが売れないのだと、言うのです。何か、マグロから水銀が検出されたのです。大海原を自由に泳ぎ、海の中に水銀が含まれていて、その水銀を体内に取り入れてしまったのです。人間の工業施設から、垂れ流される工業廃棄物のひとつが、水銀なのでしょう。アフリカの個人の金産出業者が金を精製するために水銀を使用して、その使用後の水銀を川に廃棄している映像をテレビで見たこともあります。どれぐらい前か、新聞、テレビ、人々の話題になったニュースです。



 しかし、今現在そんな事など気にしている人はいないようです。普通に寿司屋さんで、マグロ寿司が握られ食べられています。スーパや魚屋さんで、なんの抵抗もなく売られ、買われています。別段、マグロから水銀が検出されなくなったとのニュースも聞いていません。どこに行ったのでしょう。あの、マグロの水銀は。



 放射能が段々、巷に私達の生活の中に近づいています。昨日、南相馬市が出荷した、肉牛から放射能が検出されたと、ニュースが流れました。関係者が、事実関係を調査しているとの事でした。検出前の肉牛は、放射能検出を調べることなく市場に出荷されたとの事でした。放射能汚染された野菜の出荷ニュースも以前に流されました。ニュース画面の中で枝野官房長官が、言いました。



 『自主規制するように。』



 スリーマイル島の原子力発電所事故が起こり、その近所に住んでいる人達の写真をグラビア雑誌で見たことがある。3人の彫りの深い顔をしたアメリカ人です。そして、となり近所の人は、すべて癌になり死んだとコメントが記載してありました。



 日本政府、東京電力会社を責めても、結局は地域住民の放射能汚染事実は変えようが無いとの事かと考えるしかない。だけど、どうしても人の心は、時の経過の中で、無関心の方向に流されてしまう。



 最近の話題のひとつである、大相撲の八百長問題も、そうだ。以前にも八百長相撲があり、そのときは八百長の事を、注射相撲と呼んでいた。多分、その注射相撲の前にも、八百長はあったのだろう。



 そういえば、こんな事を言って日本人を表現している時代がありました。一時的に我慢すれば、問題ないとの考えです。



 『地震、雷、火事、親父。』



 しかし、放射能は一過性では済まないよ。






2011年7月10日日曜日

菜っ葉に塩をふり掛けたような社員のしおれた顔と、勢いのある元気な声の社長


 『見てくれ、休みだって云うのに出社して仕事をしているんだ。』



 社長が嬉しそうに、グレーの机と椅子に座っている若い男女の社員を見ながら、私に言います。心持ち顔を私に向ける若い女性社員です。でも、社長の少し血走ってやる気満々の大きな目と声の調子とは、裏腹に、萎びて萎れているような顔に私には、若い社員達が見えます。小さな会社なので、有無を言わさぬ雰囲気なのだと思います。若い人達には、物事の良し悪しよりも、体制に逆らえぬ傾向もあります。歳を経て経験を積んで、色々な視点を持つ事が出来るのだと思います。



 社長さんは、分からないのです。気を使う事なく体を動かし、話が出来て、会社生活に負担が無いのです。社員は、社長や会社が命令するなら、万歳岬から飛び降りなければならないんです。そんな事、そんな立場を考える事が出来ないのが、社長の立場なのだと思います。休みの日に、充分に休める仕事をしようと云う考えを持とうとは、思ってもいないのです。前進あるのみなのです。仕事を楽しもうとは、考えてもいないのです。



 民主党の代表選挙で、菅直人首相が言いました。



 『全員野球で。適材適所で。』



 そうするには、上の立場の人間に高いヒューマンリレーション技術と徳が備わっている必要があるようです。東日本大震災の復興が、4ヶ月経つのに民主党は、現在復興計画を策定すると言っています。2ヶ月前には、2ヶ月も風呂にも入れない被災者がいました。今もそうなのか、どうかは分かりません。



 多分。被災者は自分達でやらなければ、ならないと気が付くのだと思います。政府や民主党、議員さんを批難しても何も変わらないのに気が付くのです。




立ち尽くし、目から涙を流し、私を見送る年老いた女性


 『今までは、夫が運転して私は車に乗っているだけで、どこでも行っていたから・・・。』



 彼女の話方が、ちょっと気になってきました。笑いながら、彼女に聞きますが、要領を得るような話にはなりません。どうも、高齢の為なのか話に集中出来ないような感じです。しばらく、堂々巡りをしていましたが、彼女に住所が分かる持ち物を、持っているか尋ねました。すると、黒いバック入れから皮の財布を出して、何枚かのプラスチック製のカードを出して来ました。病院のカードを受け取り、名前と住所を見ました。



 『息子は江戸川で働いているから・・・。』



 どうも、息子さんが江戸川区で働いているらしいのです。二日毎に杉並区の彼女の家に来るらしいのです。北海道の息子さんも、今度、奥さんを連れて尋ねてくれるらしいのです。ですが、現在は1人で暮らしているらしいのです。旦那さんが、最近死んでしまったらしいのです。家には、ホコリも被っていない新しいタイプの新車のワゴンカーが門の中にありました。なかなか玄関のドアを開けることが出来ずにいました。ドアには3つぐらい鍵が付いていて、鍵を差し込んでは、ノブを廻すのですが、閉まったままです。



 彼女の家に、彼女をやっと連れてくることが出来ました。玄関の鍵も開き、暇乞いをしました。すると、彼女が家には入らずに立って私を見送ります。家に入って下さいと、言っても、玄関からの短い小道を歩いて私を見送ります。その目には涙が流れていて、左の手で拭っています。どうも、凄く寂しい生活をしているらしいのです。一人で生活している事が、大変辛いらしいのです。



 玄関を開けている最中でも、足元がふらつき、よろけていました。私に飲み物を、と言う彼女ですが・・・。ふらついて、玄関の門によろけ、しりもちをついて、後ろの車に後頭部をぶつけてしまいました。慌てる私に、彼女が言います。



 『足元がふらつくの。』



 そんな年老いた彼女の、私を見送る姿が、いつまでも、彼女の家の玄関先の道にありました。昨日の事でした。


2011年7月6日水曜日

両親と子供、日本人と白い車は嫌だ、白いハングライダーは購入したくないと言いながら、白い車と白いハングライダーを購入した奴


 『白は嫌だぁ。白い車は、買いたくない。』



 そんな事を彼が言います。彼は会社の同僚で、お金持ちのボンボンです。富山あたりの大地主のおぼちゃまなのです。実は、ハングライダーをやらないとの誘いを受け、二つ返事でOKをだし、喫茶店で話し込んでいるのです。東京目黒は中目黒の商店街にある、入り口から縦にテーブルが並んでいる、なかなか感じの良い小さな喫茶店です。壁には小さなグラビアや写真が張ってあり、柔らかい緑色の小さな観葉植物の鉢が所々に於いてあります。



 彼が、ハングライダーの雑誌を持ってきていて二人で雑誌の記事や写真を眺めながら、今後二人がするハングライダーライフを話していました。若い二人は、とりあえず、行動しようと言う事になりました。明日にでも、澄み切った空気と緑豊かな山々にハングライダーの翼を広げて大空を飛ぶ夢を頭の中で描いています。



 『とりあえず、車が必要だよね。ハングライダーを積んで山にいかなきゃならないから。』
 『そうですね。どこか、車を購入するとこあります。』



 目黒通りにある車の中古屋さんに来ました。二人の年配の男達が、私達の相手をしてくれます。笑顔を絶やさずに、以下にも愉快で楽しい雰囲気を作り出しています。そして、二人の進める車は白い車なのです。彼が、白い車を購入する意思を示しました。それに、対して、先程喫茶店で話し合った事を私が彼に言いながら、思い直すように言いました。すると、彼が言います。



 『白は嫌だって、言ってたじゃない。さっき。』
 『山田さん。いいですよ。いいじゃないですか。山田さん。じゃ、この車購入します。』



 何となく雰囲気に呑まれて購入をした彼です。何となく分かるような気がして、車の話は決着が付きました。次は、ハングライダーです。疲れをしらない若さ溢れる二人です。雑誌に掲載しているハングライダー販売店に行きました。その道すがら彼が何度も、何度も私に言います。



 『白は嫌だぁ。白いハングライダーは買いたくない。』



 ハングライダーの販売店には、私達と同じような年代の男が二人で営業をしていました。ちょっと、私達より年齢が高い男が、笑顔を絶やしません。そして、私達に勧めるのは、白いハングライダーでした。沢山束になっているハングライダーを置いてある場所で、私達二人と、販売店の男二人は、色々な事を話していました。彼が、白いハングライダーを購入する意思を示しました。それを聞いた私は、先程の彼からの意見を繰り返して、思い留まるように話をしました。若い方の店員が、顔や態度で、精神的に、ちょっと変に私にぶつかっています。彼等は分かっているのです。私達の頭はハングライダーで大空を飛び回っているのがです。長いこと売れないで困っている白いハングライダー、こいつらなら購入するはずだ。問題ないと。



 『ちょっと待って。白い色は好きじゃないって言ってなかった。』
 『いいじゃないですか。いいですよ。白で。』



 彼が嬉しそうな笑顔で、私に応えました。結局嫌がっていた白い車と、白いハングライダーを購入していまいました。車の中古屋さん、ハングライダーの販売店の男達二人に、右に左に分投げられて良い様にされてしまったのです。誰も購入しようとしない白い車とハングライダーを若い彼は購入するようにされてしまったのです。



 日本の人達も、良い様に右に左に分投げられているのです。自分の生活を忘れて、目的を変えられているです。GNP2位。世界一速いスーパコンピュータ。G7首脳会議。アメリカが要望するTPP。それは、日本人の生活や、環境を考えない結果でしかないのだと思います。貧しい国への援助。分かるような気もします。でも、ズボンぐらいはいてから、しましょうよ。なんか、パンツだけ履いている姿でやっているような気がするのです。



 本当に痛い目に遭わないと骨の髄まで懲りないと駄目なのです。ですが、日本人には、それを会話にして後から続く人達に継承する技術が一部の人にしかありません。親が子供を殴って教えるような躾しかないのです。そんな事で、気が付いたら日本から生まれ、育った大企業の社長はほとんどが、外国の人達です。一枚も二枚も上手の上手です。そんな日本の人達と、日本国政府の人達を、お天道様が黙って、見ています。




2011年7月3日日曜日

菅政権と、何故か似ているオートバイ免許試験場で始めてオートバイを運転しようとした奴


 『今日、初めて運転したんだって。』



 1人の男が私達が不思議がって見ているところに、駆け寄って来て自分の仲間に言っている話が耳に入りました。ここは、田舎のオートバイ免許試験場です。学科試験を合格した者達が、実際にオートバイを運転して、試験コースを一回りして、管制塔の中で見ている試験官に実技でも問題なくオートバイ免許を取得出来るか判定するところです。殆どが16歳からの男の若い者達ばかりです。そんな若い男達が、自分の番を待って、大きな屋根のある待機所で列を成して待っていました。そんな待機所の前から、少し離れたスタート地点で、オートバイのエンジン音を異常に高く出している男がいました。マフラーからは、白い排気ガスがもくもくと出ています。寒い冬の日の朝の事でした。



 オートバイを運転するスタート地点は3箇所あります。3台のオートバイを使って試験をしていました。自分の順番が来たら、前の人間が止めたオートバイの所にいって、止めてあるオートバイのエンジンを掛けます。その後、カーブや直線、上がり坂、下り坂、踏み切りの一時停止をしながら試験場を一周し、元のスタート地点に戻ります。掛かっているエンジンをキーを廻して停止させ実技試験の終了です。そのスタート地点で、エンジンの轟音とマフラーから白い排気バスをもうもうと出している男がいました。他の試験者とは違い、アクセルを吹かし、そして、それだけをしています。みんなが注目しています。なんだろう、と。



 どうも、学科試験の勉強だけしてオートバイの免許を取得するつもりだったらしいのです。確かに公道をオートバイを走らせたら、赤信号とか、標識の意味を知らなければ、大変危険です。ですが、オートバイ免許を取得する為の予備知識として、運転実施がある事を知らないで来たはずないのです。オートバイを実際に練習で乗って実技試験に備えてこないはずないのです。しかし、そんなオートバイ免許取得の常識を見事に覆す男でありました。



 『ガッギン!』



 この男、確かギアを入れてアクセルを廻したまでを、見た記憶があります。そして、ギアを入れた時に、通常はしないだろう凄い音がしました。二人の試験官らしき人が、男のそばにいます。ギアを入れてクラッチを放しながら、アクセルを廻せとの指示を出したようです。オートバイが飛び上がるようにちょっと動きました。そして、何度か同じような事をしました。本人が諦めるまでやり続けていたような気がします。



 そんな、男を横目に、試験コースを一周して、試験官の合格の声を耳にして、試験場を後にしました。



 そんな日から随分月日が流れました。民主党の菅直人首相率いる、菅政権は、オートバイの実技が出来ないのにもかかわらず、オートバイの実技試験場に現れた、この見知らぬ男のようです(ニュースを見た限りでは・・・、実際はどうなのでしょう・・)。でも、菅政権に限らないようです。日本全体が前に進んでいないような気がします。個人の生活も、会社も、社会もです。今まで、他を見て自分に当てはめて来ていたのだと思います。今、サンプルになる国も人もなく、進めないのだと思います。自分で試行錯誤して、進むときが来たのだと思います。自分の頭で考えて、話、行動する地点にいるのだと思います。隣りの百姓から変貌する時期にいるのでしょう。

2011年7月1日金曜日

生きて行く為に必要なもの、小さな、お金儲け


 『売ってくれ。50円で。』



 とっちゃんが、そう言った。彼のポケットには、もうベーゴマが無くなったのだ。彼は私より年上である。近所に住む子供達が集まって、ベーゴマで遊んでいたのだ。彼は中学生で、地域にあるゴルフ場のキャデイのアルバイトをしていて、結構お金を持っている。私は、ベーゴマ遊びをしていて、こんな申し出を受けたのは始めてである。心の奥底で不思議な感覚が動いたのに気が付いた。そして、次々と俺にも売ってくれとの申し出が続いた。近所の遊び仲間の4人から一人勝ちで、皆のベーゴマを取り続けた。そして、仲間の小遣いである小金を、むしりとり儲け続けた。



 随分、小さい頃の話で、もうはるか昔の話である。その当時のちいさな子供達は、学校が終わると、ベーゴマ、ビー玉、ぶっつけ(メンコともいうらしい)の勝負をして取り合って遊んでいた。ベーゴマとは、鉄で作られた独楽の一種で、表は野球選手の名前や、その他のスポーツ選手の名前が漢字、ひらがな、カタカナで、彫られている。裏面には、それぞれの工夫をして独楽が回りやすく、強くなるようにヤスリで削ったり、セメントでこすったりしている。そのベーゴマを手ごろな大きさの桶の上にゴムのシート乗せ、その上で回してぶつけ合って遊ぶのである。ぶっつけ合って桶の外に飛び出した独楽が負けである。飛び出した独楽は、ぶっつけあって残っている独楽の相手のものになる。勝った相手は猫が、ネズミに飛び掛るように負けた相手のベーゴマを拾い、自分のズボンのポケットに押し込んだ。そして、夢中になって次の勝負にいそしむのである。



 家に帰って、家族との食事のときに500円札を家族の皆に見せた。当時のお金でラーメンが10杯分、食べられる金額である。そのお金は狡賢そうな母の目と共に、彼女の財布の中に納まってしまった。そして、それを、全然気にしていない小さい子供の自分でした。たぶん、お金を稼いだ事が得意であり、お金そのものよりも自分の得意な心が嬉しかったのだと思います。



 こんな事ってあると思います。スポーツ選手は、好きな事をしてお金を稼いでいます。音楽活動をしている方もそうでは、ないでしょうか。その他にもたくさんあると思います。私達が知らないだけで、存在していると思います。



 お金は大切なものです。大事に使い、そのお金を手に入れる方法をたくさん知りたいと思います。お金で何か出来るような気がするのです。まあ、なんでも出来ますよね。


世の中、声のでかい奴が勝つ


 『○×?▽×□。』



 私はその人の顔を見ました。日に焼けた顔に疲れた大きな目をしていました。体はずんぐりしてガッチリしています。テーブルの上には黒い布袋を置いていました。多分タクシーの運転手さんだと思います。何か私に、話しかけたのです。私には、その言葉が良く聞き取れませんでした。



 そこは、東京の中目黒駅の近くにある小さな定食屋さんです。4人掛けのテーブルが6つあるだけのこじんまりとした店です。彼は壁側の席に座っている相席の見知らぬお客さんです。そして、不思議な顔で彼を見ている私を無視して、店の奥に向かって大きな声で言いました。御飯の入っている容器と箸を振り回して。



 『硬いわ。駄目だ! これ!』



 どうも、食べている御飯が硬いと言っているらしいのです。ガンタ飯って言うんでしょうか?私も同じ御飯を食べているのですが、そう言われれてもピンときません。すると、店の主人らしい眼鏡をかけた痩せた背の高い年配の男性が来ました。洗物をしていたのでしょう。白いビニールの前掛けをしています。そして、タクシーの運転手と思う男性の御飯茶碗に新しい御飯をよそいました。そして、それで全ての事が解決しました。何事も無かったようにタクシーの運転手らしき男性は、定食を食べ続けました。



 『なるほどなあ~。声のでかい奴が勝つんだ。この世の中は。』



 そんな事を考えて、店を出ました。世の中を治める、政治の世界はどうでしょう。確かに声のでかい人が優勢のように思えます。でも、肝心要なのは中身であると願っています。こんな政策を持っていて、このような日本にする。こんな計画でする。と、言った具体的な言葉と実行でしょう。

この世の中を動かす、不思議なひとつの力の威力


 『ほらほら、○×■?▽ちゃん。』



 若いお母さんがしきりに、小さな男の子をなんとかなだめすかそうとしています。小さな男の子は、そんなお母さんの事など全然気にしていません。手に持った赤と黄色のプラスチック製の玩具で力まかせに黒い長いすを叩いています。そこは、川崎にある大きな大学病院です。多くの人々が椅子に静かに座って診察や薬の受け取りの順番を待っています。なんだかんだで、100~200人はいるでしょう。そんな中で、小さな男の子は自由気ままに振舞っています。お母さんが困り果てて諦め顔で小さな男の子を力なく見ています。



 天気の良い春の日に私も、その病院に居ました。身体の調子が悪く、とうとう川崎駅からバスに乗り緑豊かな地に立っている、この大学病院に来たのです。朝早くから、一体身体のどこが悪いのか診てもらおうと来たのです。しかし、待てど暮らせど、いっこうに私の順番が来る様子はありません。どれぐらいの時間が経ったでしょう。私は隣の長椅子に、お母さんと一緒に座っているその小さな男の子に話かけました。



 『いくつ?』
 『3さい。』



 小さな男の子は、恥ずかしそうに小さな右手の指を3本立てて、たどたどしい声で応えました。



 『元気。』



 小さな男の子は、ちいさくうなずきました。



 『そう。良かった。』



 それから小さな男の子は行儀良く静かになりました。そしてお母さんに連れられてどこかに行ってしまいました。男の子は、誰も自分の事など考えてくれずに面白くなかったのです。お母さんの話はお母さん自身の要求しか話してくれません。そんな中で、自分を気にかけて話かけてくれた人がいたので、満足したのです。



 それから、すぐに私の名前が呼ばれました。私は女性の御医者さんに、身体の症状を話しながら、後ろに立っている看護婦さんを見ました。御医者さんの、後ろには大きな身体をした看護婦さんが仁王のように立っていました。そして、思いました。この看護婦さんが、私に便宜を図ってくれたに違いないと。多分、静かな病院で我がもの顔に振舞っている小さな男の子を何とかなだめたいと誰もが考えていたのでしょう。しかし、誰にも出来ずにいたのです。そして、私がそれをしたので、そのお礼として診察の順番を前にしてくれたのでしょう。



 もし、あなたが、なにかうまくいかないときは相手の立場を考えて問題を解決してやればいいと思います。そうすれば、相手もこちらの便宜をはかってくれるとの事です。考えたら、何度と無くそのような事があります。相手が、あなたの奥さんでも、旦那さんでも、子供でも、取引先でも、また世の中でもです。

様々な動機


 秋の日の天気の良い日に、灰色のセメントのブロックを引き詰めた歩道を歩いていました。伊勢丹のスーパが営業を止めたところに、共同住宅を建設するために塀が出来ています。何気なく隣の小学校の運動場に目が向きました。今日は小学校の運動会らしいのです。白い運動着と赤と白の帽子を被った小さな子供達が色々な競技をしています。それをお父さんとお母さんが運動場の周りを囲んで見物しています。



 健康的で健全が空気が小学校の周りにはあふれていました。そこには、明日の元気の源がある気がしました。子供の成長を楽しみにして、働くお父さんとお母さんの気持ちがあふれているようでした。



 人はなんの為に、働くのか? そんな疑問に答えているような風景でした。