2011年7月12日火曜日

ドロップアウトした奴の踊る踊りの迫力と、日本の行く末


 『山田。覚えろよ。』



 腕を振り、ステップを踏み、膝を曲げ踊る彼を見ていました。何か凄い迫力です。フラメンコギターの掻き鳴らすメロデイの中で踊るフラメンコのような圧倒的な空気が回りを支配しています。彼は、不良と呼ばれる人なのです。東京に働きに行き、田舎に帰ってきました。自分も、周りも、如何することも出来ずに悪の道に入り歩いて来たのです。彼が成り行きで生きている事に、人や世間に何が出来るでしょう。行き着くところまで、行き着くしかないのです。そんな彼が、東京のデイスコで覚えたステップを披露してくれます。ステップは、日常の、どこにも捨て場のない想像を絶する怒れる思いと、やり場のない苦しみを、ダイナミックなリズムと華麗なバランスで表現していました。まさに地の底、悪でしか生きられない、悪の権化のような踊りでした。チャラチャラした、善良な悪ぶる若者の退廃的なデイスコダンスではありませんでした。けして一般人が見ることや、陽の当たる場所で見ることの無い掟を持つ、ステップでした。



 そんな日から、何年と随分時が経ちました。そして、彼が踊るステップと同じステップを踏んで踊っている女を見ました。女と目と目が合いました。私の顔を見て、何やら、ハッとしたようです。同じ空気を持つ人間だと分かったのです。もちろん、この女性とは会った事がありません。そして、この女性も、悪い道を歩いてきたのです。どうしようもなく、今の自分を生きているのです。



 現在の日本も、行き着くところまで行くしかないのかもしれません。何かを無くしてしまったのです。無くしてしまったのは、指導者なのか、お金なのか、何なのか分かりません。相撲界でも、大企業でも、代表は外国の相撲取りであり、外国のCEOです。日本人の相撲取りは、仲間内で八百長をする事に夢中のようです。多分、そんな構造になってしまったのです。それは、淀んだ水が腐るのと同じなのでしょう。正義がなされず、一部の既得者だけの権利を守るだけの社会構造なのでしょう。


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