2009年8月30日日曜日

先生達の正反対の教え




 『仕事についたら、あんまり手をだ出さない方がいい。』



 彼は、とても大きな体をした体格の良い先生です。顔つきもどこか精悍な顔をしています。私達のクラスの教科の一科目を教えてくれます。私の学んだ高校の卒業が近くなって、それぞれの先生が社会に出る私達に教えを説いてくれているのです。とても、消極的な考えです。でも、慎重に仕事に付いていけとの事と受け取りました。この先生の科目は、あまり人気のあるものではありませんでした。どのような教科であったのか今思い出そうと思っても思い出せません。そんな彼が、生徒達と精神的にぶつかったときがありました。それが、私には良く分からないのです。なんか、気に食わなかったようなのです。なにが、どうなっていたのか。



 『川崎、どうなんだ。』



 クラス担任の先生が教室の前にある一段高くなっている教壇の上から、生徒の一人に尋ねました。どうも、彼が担任の先生に苦情を言ったらしいのです。それで、直接担任の先生が、クラスに来て生徒に尋ねたのです。



 『へんなんだよね。何様のつもりなんだろ一体。えらそうにさぁ。』



 生徒の一人が、担任の先生の問いに答えます。そんな先生でした。



 『仕事についたら、どんどん積極的に自分から進んで手を出して行け。』



 卒業を目の前にして、眼鏡をかけた体の小さい副担任の先生がいいました。担任の先生が声も大きく強烈な個性をもつ人でした。その影に隠れて、目立つことのない副担任の先生が言った正反対な事です。



 『副担任の先生って良い人なんだよねぇ。』



 同じクラスの同級生が、とても落ち着いた声で私に言いました。同級生は体は小さいのですが、とても男らしい人です。そんな彼が目立たない副担任を認めたようなことを言ったのです。私達の学校は実習が卒業前にあります。クラスが半分に分かれて何ヶ月も実習をするのです。同級生は、そのときに副担任と一緒に実習をしてきたのです。



 社会に出て、もう随分経ちます。その通りですね。積極的にトライする事が肝心のようです。ですが、手をださず黙っていれば誰も、悪く言う人はいません。そして、ほどんどの人があまり手を出して積極的に仕事をしていないようです。そのうちに、消極的な傍観者になってしまうようです。

分かってない人




 『ええ!こんなに安いのぉ!モッタイナイわい。持ってきてよ。』



 彼女は年配の女性です。社長のお母さんです。眼鏡をかけていて、痩せて少し神経質そうな感じの女性です。歳は老いていますが、まだまだ、しっかりしています。そんな、彼女が店先に置いてある何鉢かの植木鉢のひとつのボケの花を見て言いました。確かに赤い花びらを沢山枝に付けて咲き誇っています。値段も、植木鉢を見た感じでは格安に思えます。私は、彼女の言いつけに従い、ボケの植木鉢を持って彼女の住んでいる4階に向かって急な階段を上がっていきました。彼女の言いつけ通りの場所にボケの鉢を置きました。ボケの植木鉢はさっきの店先の全然陽が当たらない場所から、4階の素晴らしく日当たりの良い場所に置かれました。



 私は東京の港区にある花屋さんで働いたことがあります。若い頃ですね。新聞の3行求人欄を見て応募して採用されたのです。そして、あるホテルで活けた花を運んだり、花屋の店の中で花の水揚げとあっちに行ったり、こっちに行ったりと働いていました。



 4階には、たくさんの植木鉢が置いてあります。とても気持ちの良い空間です。そんな事で、やれやれと急な階段を上ったあとで、ほっとして店のほうに足を向けようとしました。すると、背後から社長の声が聞こえます。



『ああ、大変だ。花の咲いている今、売らないとだめだ。早く下に持って行って、店先に並べてくれ。』



 私は、黙って社長の言いつけ通りに、さっき持ってきたピンクとオレンジの花弁をのんきに開いているボケの花の植木鉢を持ち上げて、急な階段を下りていきました。そして、さっきボケの花の植木鉢が置いてあった日の当たらない店先の灰色のアルファルトの歩道の上に、桜草等の植木鉢と一緒に並べて置きました。



 若い私は、こんな事もあるようなあと思いました。何年も花屋の売り上げで暮らしている、人でも分からないものなんだなぁ、と。



 人も同じですね。人類は、もう何千年も生きてますけど、まだ人間て分かっていないですものね。近所の隣の人や、家族、そして自分自身さえも分かっていないと、思うのです。

2009年8月29日土曜日

心頭滅却な人




 『ばっかやろう! 何度だと思ってんだぁ!』

 そこは、東京は馬喰町の集合ビルの5階に、オフィスを持つ会社です。30名ぐらいのこじんまりした人数の会社です。ですが、常時会社に居る人達は8名ぐらいです。あとの社員は取引先であるメーカに出向しています。そんな会社のある日の午後に、会社の社長が久々にオフィスに顔を出しました。そして、オフィスの部屋の温度に驚いて、思わず叫んだのです。しかし、誰も社長の言葉には動じません。何も聞こえないようにパソコンの画面を眺めています。社長もそんな社員を気にすることなく、空調の温度パネルを操作しています。

 実は私は、その会社に営業をして仕事をもらいました。そして、この会社に出向して働いていました。確かに暑いです。夏ですからあたりまえなのですが、オフィスの温度は異常に高いのです。顔が汗ばんで首筋に流れていきます。ですが、私が座っているデスクの左前に向かい合って座っている女性は冷え性なのか、軽い感じのひざ掛けを膝にかけています。

 そうなんですね。思い込んじゃっているんですね。夏は空調が利きすぎて冷えてしまうという考えにですね。そして、一日中ブラジルのような熱帯の国にいるような温度の中で平気な顔をして椅子に座って働いているのです。けして、気が付くことはないでしょう。小さな子供が来て、正直にこの女性に向かって部屋の温度の異常さを訴えるまでは。

 私には言えませんでした。仕事先のオフィスの温度ぐらいでは、出向先の会社の社員が黙って働いているのですから。

 そんな事で、思っちゃっているんですね。どんな異常な事でも、思っちゃっているから平気なんですね。そして、会社だから仕事だから異常でも我慢しているのが当たり前だって、思っちゃってるんですね。

まねる人達の行き着くところ?




 『比叡山は天下の仏法にて御座います!』



 口角泡を飛ばし家来である、侍が綺麗に着飾った着物を着て、座りながら殿に申し上げています。随分昔のテレビ番組の内容を思い出しました。豊臣秀吉が活躍する時代劇です。何度も何度もテレビ放送されています。小さい頃から何回見たでしょう。日本人の金字塔のようなテレビ番組になっています。実に上昇志向の人の精神を育て上げるような番組です。太閤記と呼ぶ時代劇ストーリーですね。



 『かまわぬ、焼き払え、打ち殺せ!何が天下の仏法だ。女を抱き、肉を喰らい、そんな坊主はいらぬわぁ!』



 ボスである織田信長が怒鳴り散らします。家来の進言に耳を貸すことなく言い放ちました。そして、戦乱の時代の日本の各地を統一する手始めになりました。



 今、日本の多くの人達はどのような仏法を持って生きているのでしょう。それは、考えを持っていても表現しない、考える事をしない。隣の人を見て隣の人の真似をする。それが、現在の日本人の仏法ではないでしょうか。



 『息子にも会社を辞めさせて、家の手伝いをさせたけど。止めさせなければ良かった。』



 九州は佐賀の彼が近所の人の話をしました。最初はハウスみかん栽培が大変もうかったそうなのです。それで、会社勤めの息子を会社退職させて、家の手伝いをさせ始めたそうです。ですが、近所の農家も真似をしだし供給過剰で、現在全然もうからないのだそうです。そして、現在ハウスみかんの栽培の仕事を辞めたくても色々事情があって辞められないのだそうです。



 そういえば、随分昔に川崎の溝の口にあるスーパーで赤い化粧箱に詰められた小さなハウスみかんを購入した事があります。箱には小さなオレンジ色のハウスみかんが25個ぐらい入ってたと思います。季節は真っ赤な太陽がカンカンと照りつける真夏のある日の事でした。自転車に乗り、川崎側の二子玉川の川沿いを走って、そのハウスみかんを食べました。休日に野球やバーべキュウをしている人達を眺めながら、柔らかい薄皮の小さなみかんを頬張っていました。ほっぺたが落ちるほど美味しい味でした。金額は1,800か、2,800円だったと思います。ビタミンが豊富に入っているようで、実に美味でした。そのハウスみかんはニュージランドで栽培されたものでした。実にニュージーランドの人達の戦略に関心しました。みかんの産地である日本に季節はずれのみかんを輸出する大胆な構想と考えを。



 そうなんです。そのニュージーランドのハウスみかんを佐賀の人達は真似して栽培し始めたのです。そして、隣の農家はまた、真似た人を真似たのです。



 こんな、日本人の隣の人を常に真似ることを思っている人達を止めさせるには、織田信長のような力を持つ位置と、強烈な意志が必要でしょう。



 そして、今度の衆議院の立候補者も隣を真似る事を思っちゃっている人達なんですね。

2009年8月28日金曜日

対人関係で必要なもの





 『愛なんだよ。伸ちゃん。愛。』



 東京は中野にある居酒屋さんで、知り合い社会人学校の仲間、5人でお酒を飲んでいます。九州生まれの彼が言います。大きな体をしている彼は、本当に良い人です。でも、あまり付き合い始めて日も浅いので、本当の彼を知りません。彼は電子部品の問屋に勤めています。彼と知り合ってから、良くお酒を飲むようになりました。いつも、御馳走してくれます。そして、今日も彼がお金を払ってくれるものと思ってる連中が付いてきてお酒とツマミを食べ飲んでいます。彼が主役です。彼が最初から最後まで話をしています。楽しい雰囲気で、笑顔と会話が絶えません。対人関係の難しさを、私が言いました。そのとき彼が嬉しそうな顔をしながら私に言ったのです。彼の言葉を聞いて、そうかもしれないなあ、と納得していました。テレビの連続ドラマのストリーの結末を思い出すようにです。しかし、そんな彼が仕事先のある特定したお客さんの話になると豹変しました。



 『あんの野郎、ぶっ殺してやりたいよぉ。』



 本当に憎らしそうな顔をして言います。いつも、笑顔を絶やしたことのない温厚な人です。ですが、憎さ溢れる怒りの表情を顔満面にみなぎらせてました。



 そんな事を思い出しています。でも、本当に必要なのはお金かもしれません。愛があっても誰も食べ物も家賃を払ってはくれないでしょう。彼がご馳走してくれるとのことで、彼について来ている人がいます。お金が無ければ相手になんかするかい、と言った見え見えの人です。振り払っても振り払っても付きまとってきます。お金の力ですね。



 お金大切ですよね。

何かを思っちゃっている人




 『?。 ん?。』

 そうなのです。いつもこんな感じで気が付くことがあります。なんだろう? 目を反らしません。ジッと私を見ています。私に興味があるようなのですが、どのような興味か分かりません。なにか思っているようです。ですが、けして良い事を思っている目ではありません。

 ある会社の社員食堂を一人で利用していました。仕事仲間とも一緒に食事をする事もあるのですが、よく一人で食事をします。そんなあるとき、フッとこちらを見ている目があります。暗いほろ穴からこちらをうかがっているような目です。眼鏡をかけ、どうでも良い様な顔形をした男の人です。何を考え、思っているのでしょう。わかりません。ある日、一人で食事をしていました。彼が社員食堂で一人で座っていました。そして、私を見ました。それから、そわそわしながら仲間が来るのを今か今かとしきりに待っています。それは、あなた大丈夫ですか、どうしちゃったの、普通じゃないよと言った感じに見えます。首を伸ばして顔を右に左に動かしながら。なんか恥ずかしくなってきます。一人では食事を出来ない人らしいのです。それで、一人で食事をしている私が、どのような感じなのか様子をうかがっているとのことらしいです。察するとですが。

 東横線の学芸大学駅の喫茶店でコーヒーを飲んでいました。フッと気が付くと私を見ている目があります。窓を背にして、テーブルに身体を丸めるようにかがんで、こちらを見ています。なんでしょう。よく汚い、野良猫がジッ、様子をうかがっている感じの目です。ビジネスウーマンのような、黒っぽい洋服を着た中年の女性です。あまり見ない雰囲気を持つ感じの人ですね。どれぐらい、その喫茶店にいたでしょう。待ち合わせの時間つぶしに入っただけなのです。30分ぐらいでしょうか。その時間、けっして私から目を離しませんね。病院の患者が健康な人の健康をうらやんで見るような目でしょうか。


 新横浜駅のレストランに入って注文が来るのを待っていました。雑誌から、フッと顔をあげると目と目が合いました。がっちりした体格のサラリーマンでしょうか。こちらをうかがっています。目を離しません。夏の暑い日なのにブレザーを着ています。こちらは半袖シャツ一枚です。なんか暑苦しそうな感じの人です。やはりあなぐらからこちらの様子をうかがっているように見えます。どれぐらいの時間でしょう。不思議に思って見返していると、目線を反らせました。そのうちに仲間が来て食事をし始めました。でも、なんとなく見るとやはり、こちらをうかがっています。私って誰なんだろう。

 東横線に乗って座席に座っていました。フッと前の座席に座っている若い男が私を見ていることに気が付きました。目と目が合いました。こまるなあ、こんな人。ポケットからハンカチを出しました。自分の目に前に持ってきて、右に左に動かしました。彼の目はハンカチを追っています。大きく円を描くようにハンカチを動かしました。彼の目がハンカチをやはり追っていました。そして、急に恥ずかしそうに目を反らしてしまいました。何も考えていないのですね。多分。

 多分、思っているんですね。こうなんじゃないかって。


 

パターンから脱出できない人




 『沈みゆく日本』

 ここは東京は経堂にある東京農大の前にある馬事公苑の近くにある集合ビルです。色々な店が入っています。喫茶店、本屋さん、飲み屋さん、ダーツ、ビリヤード等。夏も終わりに近い日の夕刻まじかに、その集合ビルの本屋さんで、一冊の雑誌の表題を目にしました。手に取り、パラパラとページをめくりました。確かに今の日本は、景気が悪くて救いようがないようです。まさに日本は、どこかに沈んでいく空気をしています。

 今度の日曜に衆議院選の投票日があります。なんの期待も意思も感じる事が出来ません。それば、事務的な感じです。誰の顔にも希望を見ることが出来ないでいます。立候補者の誰にも覇気のある顔を見出すことができません。飼いならされた、ワンちゃんのような顔ばかりです。

 以前バングラデッシュの子供達の事をチョット記述した記事を見たことがあります。ご存知のように、あまり裕福な国ではありません。その国の子供達の目が成長していくにしたがい、どうしょうもなく暗い目になるような事を書いていました。今の日本も、そのような感じではないでしょうか?

 『どうしてなんでしょうね。』

 マクドナルドの若いマネージャが私に、尋ねた事がありました。そうなのです。日本の人って、みんな思っているのです。そして、その事をしているのです。あるいはしていないのです。

 一昔前に、ある学校の先生が蕎麦を食べれない生徒に蕎麦を食べさせて死なせてしまったと言う事を情報媒体が言っていました。

『日本人が蕎麦を食べれなくてどうする?』

 そのような事を言って生徒に蕎麦を食べさせたそうです。生徒は蕎麦アレルギーだったそうです。そして、アレルギー症状が出て死んだそうです。人の事情を聞く事をしないで、思っているんですね。こうなんだって。

 やはり、一昔前にある高校の事故が報道されました。校門圧死事件です。一人の女子生徒が学校の校門を通るときに遅刻厳禁とのことで無理やり先生が校門を閉めました。その校門に挟まれて死んでしまったのです。色々な事情、人達がいることを理解しようとしないのです。思ちゃっているんですね。

 蕎麦アレルギーや遅刻の事情、様々な事柄を受け入れない絶対の考えを思っちゃっているんですね。

 世界の競走馬の関係者達は、日本は名馬の墓場だ、と言っています。日本は世界中の名馬を高額の金額で何頭も購入しています。そして、その名馬達は日本で死んでいるんでいます。理由は馬そのものの本質を無視して殺してしまっているらしいのです。思っちゃっているんですね。こうなんだって。多分ね。

 そんな事で、大変たくさんの日本の人達が、思っちゃっているんですね。そして、その思っちゃっているところから日本は抜け出せないのです。時代が移り変わっているのに思いが変わらないので、移り変わりゆく時代から取り残されて、沈んで行くように見えるんですね。衆議院の立候補者の人達も、思っちゃっているですね。こうやらなければ駄目だって。

2009年8月27日木曜日

母親と世界の重要人物達




 『あっ。ここにも居た。』

 心に潜んでいる者を見つけました。東京は大根踊りで有名な農大が近くにある小田急線の経堂駅の近くの本屋さんの本の中に居ました。戦後の写真集のような大きな本を見ていました。そこに、居ました。それは、戦後食料がないときの時代の事でした。お腹を空かした赤ん坊を見ている母親の中に潜んでいました。自分の赤ん坊がお腹を空かしているのを見て、その母親は何を考え思ったのでしょう。それは狂おしい怒りなのかも知れません。そして、行動を起したのです。ある張り紙を街の中に張ったらしいのです。その張り紙には、このように書いてありました。

『朕はおなかいっぱい食べてるぞ。』

 戦後の食料が無い時代の事です。誰も彼もが飢えに苦しみ、赤ん坊でさえも例外ではなく飢えて泣いているときです。そんなときでも、天皇陛下は御飯を食べているとの意味らしいのです。そして、それを見たアメリカの占領者は驚いて危機を感じたそうです。絶対的な日本人のシンボルである天皇を恐れぬ大胆不敵な張り紙の内容です。それは、日本人が日本人ではなくなってしまうとの信号です。生身の人間の姿をした人間になってしまうとのことです。コントロールの出来ない人間の姿になってしまう。そんな恐れから、食料を日本に持ってきたと、その本には書いてあったように思います。天皇陛下であれ、戦勝国であるアメリカであれ、お腹を空かした赤ん坊を思う母親の気持ちを堂々と恐れることなく世の中に問いただしたときには、道を譲るしか方法はないのを知っていたのです。そんな母親の決心の前には世界が道を譲るでしょう。そして、その母親は名もない、どこにでもいるような赤ん坊を抱きかかえた母親でしょう。

 どこにでもいるよう人でも、決心したなら、世界を変える力がこの世には存在する証です。あなたにも、わたしにも、その力は自分自身のどこかに潜んでいて出番を待っているのです。尊厳をもつ人間として。




2009年8月26日水曜日

若さが持つ、危険な無知




 『奴のところでお茶を飲んだんだ・・。そしたら、みんな急にううって腹が痛くなったんだ・・。どうしてだと思う?』

 同じ田舎出身の友達である彼が、私の顔を見ながら言いました。そして、じっと私の応えを待っています。彼はとても、男らしい男なのです。身体は小さいのですが、勇気も正義感も持っています。誰からも好かれる彼です。とても、綺麗な目をしています。そんな彼が私の顔を見て、私の答えを待っています。

『さあー、なんで?』

 そう言いながら首をひねっている私に、彼が待ってましたとばかりに言います。言わずに済ませるもんかと言った、雰囲気です。

『1年前に入れたお茶があったんだって。そして、その1年前に入れたお茶を出したんだって。』

『くっく。ははは。』

 私はおかしくなって笑いました。まだ、田舎から東京に出てきて頻繁に田舎の友達に会いに行く事が多かった時期の話です。そして、なんとなく納得しました。いままで母や父に育てられていて、みんな世間や家事の事等、何も知らないのです。食中毒等のような事故にならなくて良かったのが幸いでした。そんな彼らとは、もう何十年と逢っていません。

 若い人を笑えません。いい年をした人達が間違った事をして新聞のニュースに載っています。

なにも知らずに、命を賭けてしまった若い人の無知




 『うわあぁ!』

 私は、車のハンドルを握りながら、叫んでいました。突然車のコントロールが利かなくなったのです。ドスーン、ドスーンと何回ぐらいでしょう。片方のタイヤが浮いた状態の片輪走行を右に左に幾つかしました。最初はどちらの側のタイヤが浮いてしまったのか記憶にありません。時間にして数分ぐらいだと思います。以前テレビの画面でスタントマンがショウビジネスで片側だけの二つのタイヤで車を走らせるのを見ました。それを一般の公道でしてしまったのです。それも、右に左に交互にしてしまいました。夜も遅い時間に、トヨタの緑色のカローラに友達4人で乗っていました。緩やかな左カーブを70キロメートル近くのスピードで家路に向かって走っていました。

『やめろよぉ。あぶないよぉ。』

 私は、助手席にすわっている友達に言いました。

『へへへぇ。』

 彼は、嬉しそうな顔をしています。無邪気な小さな子供のような顔です。ふざけるのが好きなのです。いつもおかしな事を言ったり、したりして私達を楽しませてくれます。その彼が、助手席に座って勝手に車のギアを変えてしまっています。ニュートラルに入れたり、ギアのレバーを握ってしまいます。そんな彼が車がカーブを走っているときです。突然、私の握っているハンドルに手を掛けて、『あっ!』、と思うまもなく、グイっと動かして戻しました。夜も遅い時間なので車の通行はほとんどありません。スピードが出ています。私はハンドルを握っていましたが、何をしたのか分かりません。多分何もしなかったのだろうと思います。車は荒れ狂う状態から静かに何もなかったように走っています。

『やめろよぉ。あぶないよぉ。』

 危機を脱した状態から、ふわふわしていました。私は、得たいの知れない感情が湧き上がってくる前に、押し殺した小さな声で言いました。どのような感情が心に湧きあがったのでしょう。あっという間に来て去っていった恐怖です。そして、その恐怖の影には死神も隠れていたはずなのです。もし、対向車がいたり、運がなかったら大変な大事故になっていました。車は大破していて、乗っていた4人は大怪我どころの騒ぎではないでしょう。また、対向車に家族連れの人達が乗っていて正面衝突にでもなったら、どうなっていたでしょう。なんの罪もない、幸せな家族に不幸を押し付けるだけではありません。私達の家族も人様の家族に不幸を押し付けた事で深く傷つくことでしょう。事の重大さを知る事も出来ない若い私達です。何事もなく車が走っているのが奇跡でした。本当に不思議です。

 私の苦情に彼が言いました。

『じゃあ。暴走族はどうするんだ!』

 ちょっとハンドルを動かしたぐらいで大騒ぎするなと、言いたいらしいのです。暴走族の車の運転を見習えと言いたいらしいのです。

『あぶたいよぉ。』
『そうだよぉ。』

 後ろの座席に乗ってるに2人が小さな声で私に加勢します。実に、小さな小さな声です。そして、悪さをした彼も分かっているけどふざけ半分で、してしまったのです。生死をかけたふざけ半分でした。そして、あまり強く言うと喧嘩になっていまいます。その辺の事は良く分かっている私達でした。

 良く正月や夏の行楽シーズンに電柱に正面衝突等の若い人達の事故のニュースを見ます。どうしょうもないのです。防ぐことはこれからも出来ないでしょう。実に残念です。

2009年8月25日火曜日

インターネットに隠れる者




 どっちなのか?

 色々な思惑で掲示板に書かれています。何が本当なのでしょう。それぞれの視点からでは、見える形も違ってくるとは思います。為替証拠金取引(FX)の情報を収集しているのです。現在の流行なのでしょう。新しい庶民の娯楽かと思えます。インタネットの掲示板を閲覧していると、沢山の自称トレイダー達の情報が掲載してあります。日々何十万の利益を得ているとの掲示版掲載の自己紹介文を沢山見ることができます。また、色々なトレイド方法を記載しています。それぞれが、独自のトレード方法を紹介しています。そして、まったく逆の事を言っているトレイド方法もあります。人類が持つ宗教の数以上の、トレイド方法がありそうです。

 やはり、自分で価値あるトレイド方法を探すしかありません。当たり前ですね。お金を出しても確実に効果のあるトレイド方法を入手することも不可能なようです。トレイド方法を情報商材として販売している人達がいます。しかし、けして評判の良い情報商材はないようです。

 私も幾つか、試しに購入してみました。結果は、その商材を使っていません。中には、子供の文章力にも劣るような情報商材もありました。トレイド方法は効果があるのかもしれませんが、どれも読解に苦しむ文章でした。多分、良いお金が入ってくるのでしょう。誰でも、販売できるようです。基準がないような事らしいのです。そして、インターネットに隠れて販売しています。誰が誰なのかがわからない時代になってしまったようです。

2009年8月23日日曜日

変わらない日本の人




 『自民党は悪い。とにかく悪い。』

 彼は、背が高く頭髪が薄くなっている年配の男性です。その彼が確信を持って私に言います。ここは、東京の目黒にあるお米屋さんです。山手通りから、チョット入ったところにあるお店の裏口から入った広々とした土間です。とても晴れた日の午後だったと記憶しています。昭和50年代の夏の季節の事です。かれはランニングシャツを着ていました。

 私は、彼の話を聞きたいと思いました。何か彼から政治的な話を聞いて利口になれるかもと、思ったのです。とても人のよさそうな感じを彼から受けました。それで、どうして自民党が悪いのか理由を尋ねました。しかし、そのつどに彼の応えは同じでした。

 『自民党は悪い。本当に悪い。』

 そうなのです。彼には、これが言えるだけでした。理由を説明する事も、その他の話をする事も出来ないのでした。そうなんです。日本人って会話が出来ないんですね。ちょっと乱暴過ぎる話になってしまいますけど。長年日本人をやっていると、それが事実だと分かるんです。家庭でも、学校でも、会社でも、社会でもです。驚く事ですが、自分の考えを持つ事は日本人を止める事になるのです。

 平成の時代になっていても、事情は同じです。今度の日曜に衆議院の選挙があります。昭和の彼と同じで、同じ事を言っています。格立候補者の方ですね。

 『まかせてください。』

 けして、一緒にやりましょう。とは言いません。国民の皆さん、一緒に日本を良い国にしましょう。そんな事を言う立候補者はいません。何を聞いても、まかせてくださいです。彼と変わりません。一緒にやりましょう、と言う立候補者は国民と会話をしなければならないからです。

自分自身の喪失




 『俺はね、言ったんだよ。なんで、おまえ金もないのにここに入ってきたんだよ。ってね。そしたら、あの野郎言うんだよね。わからねぇ。って。』


 彼が、口をすっぱくしてまくしたてるように、私達に話しをします。ここは、目黒にあるホテルのロビーです。色々なお客さんがやってきます。そして、昨日も男が一人部屋に入ってきて泊まったのです。それが、お金を持っていなかったのです。部屋でシンナーを吸っていたそうです。なんともへんてこな話ですが、実に現実的です。


 多分、彼の人生は子供時代に愛情を持って育てられなかったのでしょう。両親に殴られながら育ったのかもしれません。小さな子供が、両親から乱暴に育てられると自分自身を喪失してしまいます。もちろん、自分を喪失してしまったら、目標を持つ事も出来ません。なんとか自分を探す道を探さなくてなならないのです。そして、昨日は自分のした事も分からずに、ここに来てしまったのです。自分が何をやっているのか分からずにいるのがこの男です。


 安易に私達は、金も無くホテルに泊まり、シンナーを吸っていた彼を責めることできるでしょうか。何故なら、本当に私達は自分自身を分かってるのでしょうか? しかしながら、分かっていることも少しあります。人の本性は似たり寄ったりだと言う事です。つまり、彼も私達も人としての本性は同じだと言う事です。たとえば、民主党が分かっているような事を言っています。国民の生活が第一と政治ポスターを街中に貼っています。そして、現在の政局は民主党が有利との世評です。しかし、北朝鮮の現在捕らわれている日本人の生活は、どうなんでしょう。この辺を私達は分かっているのしょうか。


 誰からも必要とされず、誰からも愛されていない人達もいますね。

2009年8月21日金曜日

心の奥に潜んでいた者の叫び




 『ふっざけんなぁ。なにが、今頃私がお母さんだぁ。』

 夏の日の午後の事でした。田舎が同じ彼と目黒の街を歩いていました。私の隣で歩いている彼が、吐き出すように言いました。それは、突然で何の脈絡もない言葉でした。でも、すぐに事情が私には分かりました。彼がいつも考え、思っている事なのです。彼は男だけの3人兄弟です。彼らのおふくろさんは、父親が死んだら、3人を捨ててどこかに行ってしまったのです。彼らは、おばさんの所で育てられたのです。彼の心には、いつもその事がありました。考えまいとしても、考えてしまうのです。何故、私達を見捨てて行ってしまったのかと。小さい頃から、いつもいつも考え続けていたのです。

 彼の背中は高校生のときから、丸まってしまいました。そして、人に悪さをするようになりました。彼の心には、自分の境遇を恨んでいる者が住み着いてしまったのです。そして、人に悪さをする事で自分が受けた境遇へのはらいせをするのです。彼は、人が困る姿を見るのを、本当に楽しそうな顔をして見ます。知人である私にも悪さをします。建設的な考えには、いつも拒絶反応をしめします。心が捻じ曲がってしまったのです。

 『だめだ。だってさぁ。』

 それでも、彼は立派です。一生懸命働いて、下の弟の学費を仕送りしていたのです。

2009年8月20日木曜日

独りぼっちの彼女の思い




 夕日の中で彼女はボンヤリとしているように見えました。

『可哀相になぁ。』

 私は、夕日の中でションボリしている彼女に声をかけました。彼女は戦いに疲れ果てていました。そして、戦う意味もなくしてしまったのです。何もかも無くしてしまったのです。子供も旦那も家もです。そんなときに、どんな心境になるのでしょう。

 旦那が居なくなってしまったのは何時でしょう。そして子供はまだ小さく幼い赤ん坊です。でも、子供に食べ物を持ってこなくてはなりません。そんな彼女の前に、彼女の家を奪う者が突然、現れたのです。黒と白の模様の身体をしたメスと、灰色のオスです。彼女が帰ってくると、子供達は巣から追い出されていました。彼女は敢然とした態度で2羽の侵入者に攻撃をして巣を奪い返しました。そして、幼い子供達は巣に戻ってきました。えさを母親から口移しでもらう為にピーピーと泣いています。そして、お母さんは、また幼い子供達の食べ物を探しに出かけていくのです。

 新しい侵入者はその機を見逃しませんでした。幼い2匹の子供達をただちに巣がら追い出しました。そして、逃げ惑う幼い小さな二匹の子供達に嘴で攻撃します。まだ、羽も生えていない小さな翼を立ててピーピー泣きながら逃げ惑う子供達。攻撃する侵入者の嘴には、幼い子供達の羽を抜いたときに出血した、赤い血がついています。

 ここは私が住んでいる集合住宅の4階のベランダです。いつの間にか住み着いた土鳩の番が居ました。知らない間に卵を産み付けていたのです。この子供達で3回めのお産でした。雛がかえり、ピーピーと親からえさをねだる泣き声が頻繁にしていました。しかし、何時ごろからでしょう。オスの姿が見えなくなりました。交通事故でもあったのでしょうか? 翼に白い羽を何枚か持つメスだけが雛と巣に一緒にいました。

 結末はあっと言う間に着きました。雛が一匹しか見当たりません。さっきまで2匹いたのに。侵入者がベランダから突き落としたのでしょうか?。一階に降りて、探しましたが見つかりません。一匹の雛だけがベランダの隅に追い詰められてピーピー泣きながら、攻撃されています。お母さんも戻ってきて、子供を助けますが、二匹の侵入者には、タジタジの形成です。ベランダの金魚を入れている池から水を飲み、子供に与えています。そして、ふたたび巣を奪え返しました。しかし、二匹の侵入者は巣のそばで小刻みに羽を動かしながら、ウーウーうなっています。おかあさんが巣を離れると、それが最後でした。最後の一匹の雛が攻撃されました。そして、いつの間にか姿を消しました。私が育ててやろうとして、雛の姿を探しましたが見当たりません。地上も見ましたが、どこにいったのでしょう。

 新しい侵入者は、我が物顔に巣を占領してしまったのです。戻ってきたお母さんは子供がいないので、侵入者に攻撃をする意味が無くなってしまいました。そして、ボンヤリとベランダの手すりに止まっていつまでもいつまでも、初夏の夕日を浴びていました。

貧しさの中に潜んでいた者の顔




 その警察官は、顔を上げ私の顔をみると急に可笑しそうな笑顔になりました。

 しばらく何故、可笑しそうな顔になるのか分かりませんでした。そして、すぐ横の柱に付いている鏡に映っている自分の顔を見ました。本当に嬉しそうな顔を私はしていたのです。子供が本当に欲しがっているものを得たときの顔でしょうか?いいえ、違います。ちょっと表現しきれないような顔です。異常な感じの笑顔ですね。それは得たいの知れない人が笑っているような、見知らぬ笑顔でした。私の知らない私自身です。そうです。私の知らない何者かが、私の中に潜んでいて嬉しさのあまり顔を出したのです。

 そこは、東京は飯田橋にある遺失物届け所です。私が中目黒の4畳半の賃貸アパートに住んでいた頃の話です。若く、貧しい生活をしていました。そんな私が武蔵小山のアーケード街であるビニール袋に入ったものを拾ったのです。小さなビニール袋は擦り切れていました。腰をかがめて手にした袋の中身をビニール越しにみました。一万円札が何枚も入っています。聖徳太子の一万円札です。合計5万4千円ぐらい入っていました。その時の4畳半のアパートの家賃が1万5千円ぐらいだったと思います。

 正直な私は、そばにあった洋服店に届けました。店員さんが私を交番に連れて行き手続きをしました。半年がすぎたのでしょうか。呼び出し状が届いたのか記憶がありません。そんな事で飯田橋の遺失物届け所にいって、落とし主のいない現金を受け取ったのです。

 一切れのパンに飢えるより、心の貧しさのほうがもっと辛い・・・。何かが働いて、自分の貧しさに気が付かない自分に、自分の貧しさを教えようとしたのです・・・。

真実の響き




 『なになに党から、立候補した、だれそれです。』

 ここは、東京の世田谷区にある集合住宅です。もう夕刻もすでに終わり陽はすでに建物のしたの地に沈んでしまった、夏の日の事です。そんな静かな時間に立候補者の応援カーが一台止まりました。衆議院選挙が押し迫っているのです。立候補者を紹介する人の声がスピーカーを通して静かな建物内にこだまします。そんな事で、立候補者の声も配慮した静かな声になっているようです。そんなに長い時間、立候補者は自分の説明をしていませんでした。次の場所えと移動するためでしょう。

 部屋の中で立候補者の声の響きを、なんとなく考えました。事務的な声ですね。志をもって立候補したのではなく、なんらかの理由で立候補したのでしょう。その理由は知る由もないのですが。キューバのカストロ、アルゼンチンのサッカーチームの応援している人達。凄いですね。人が人を見る。いつまでも見ていたいですね。第二次世界大戦のドイツのヒットラー。本心を演出する術を会得していますね。身の内が、震えるような演出ですね。

 日本人の選挙への投票率は、無関心さを表していますね。それは、いかに立候補者が選挙に無関心であるかの反映にすぎません。

 東京の渋谷駅から横浜の桜木町駅をつなぐ東横線があります。その東横線の真ん中ぐらいに綱島駅があります。昔の流行歌手水原ひろしがお忍びで博打を打ちに来たことがあるとの場所です。その綱島駅の近くにサッポロラーメンの店が開店しました。北の龍と呼ぶ店名を持つ店です。そこで、味噌ラーメンと餃子を注文して食べました。お腹を満たし、レジで会計を済まして、ドアを開けて店を出ました。すると、背後からレジの女性が言いました。

『ありがとうございました。』

 その声には心が、こもっていました。自然な声ですが、私には分かりました。あ、彼女は心から言ったんだ(長い人生で本心からの声を聞くのはあまりないのですが。)。


救いへの願い




 『なんだろ。』



 以前にも、このような光景をみました。そこは小さな部屋です。一人の女性が小さな太鼓を叩いているのです。ドンドコドンドコ。ドンドコドンドコ。異様な感じを受けます。何を考えているのでしょう。でも、私には迫りくる恐怖を払いのけようとしているみたいに見えます。目を閉じて、過去についてしまった嘘を拭い去るようにです。



 以前、洋菓子屋のアルバイト先の課長から、仕事を辞めるときに言われた事があります。



『それで、このあとどうするんだい。』



 私は心にまったくない事をいいました。自分でも、それを職業にするとは、日頃考えていませんでした。でも、口から自然な感じで言いました。



『××××をやろうと思っています。』



 現在、その職業についています。そして、そうなったのは、あのとき、あの場所で言った事が原因だと思っています。次々と現在の職業に就くためのステップが私の前に現れました。



 多分、太鼓をたたいている女性は以前、自分が言った小さな誤りのある言葉に対しての恐れを感じているだと思います。そして、心は嘘をつけず、その誤りの芽が大きく育ってしまって彼女を恐れさせているのだと。自分の言った事に心は、作用するのです。



 なかなか、正直に生きていくのは難しいと思います。食べ物でさえも現在、添加物にまみれています。自然食を見分ける事は困難です。

ゾーン(範囲)





 『彼と話をするとやる気が無くなるのですよ。まあ、本当の事を言っているんだと思うんですけど。』



 ここは、ある会社の小さな会議室です。先程の話し手と変わって部長さんが私の話の聞いてくれました。仕事をする為に来たのですが、先程の彼がまるで仕事が出来ないような事を言います。今業界は厳しくて賃金も思ったより少ないと言います。自分の会社の仕事の内容を、とんでもない形容詞でたとえてしまいます。だんだん心の中に、疑惑と疑念の黒い雲が湧き起こります。そして、彼は、私の顔と目を見ようとしないのです。彼の目は、私の顔を見ずに、右に左に交互にそらし続けます。彼の頭の中では、どのような考えが交差しているのでしょう。会社は私に、もう結構なお金を投資しているのです。仕事は継続してする事が決まっているのです。ですが、? 何故?



 『まあまあ。今後の事を考えて下さいよ。今はそうかもしれませんけど、将来は、そっちの方面でも活躍できるじゃないですか。』



 部長さんが、話を切り出しました。そして、部長さんが話しを終える頃に私の心は平常心に戻っていました。仕事を継続してする気になっていました。なんでしょう、これは。このように人の心は右でも左にでも動かす事が出来るとの証明ですね。左のゾーンは、快適で将来を約束するものです。右のゾーンは、苦しくて寂しい、将来を悲観するものです。おんなじ会社の人からの話を聞いてこんなにも違う気持ちになるのも、本当に珍しいです。



 この世の中はめくら千人と、フランスの小説家、モーパッサンは小説の中で言っていました。歌舞伎の題材にもめくらの人を取り上げたものがあります。



 『私は、好きな事をいってるんだ。それで、みんなに迷惑をかけている。会社にも、部長にも。』



 こんな、事を平気で言って、人の仕事への情熱をそいてしまう。こんな彼がめくらなのか。それとも、右に左に言葉だけの話で自分の存在するゾーンを変えてしまう。そんな人がめくらなのか。どちらにしても、今後も、人は生きている限り、人と接する限り同じ経験をするはずです。



 現在、日本のリーダ達は日本国民をどちらのゾーンに入れているのでしょう。


人は死ぬ日が分かる




 『人てっさ。死ぬ日が分かるんだね。』

 ある会社の部長さんとお話をしました。問題があって、部長さんが私とお話をする為に私に話しをしました。ここは、部長さんの会社の2階にある小さな部屋です。茶色のテーブルとグレーの椅子が4つあります。
お互いに顔を突き合わせて、色々な話をしました。部長さんは口の周りに口髭をはやしています。ちょっとお洒落な感じの年配の部長さんです。縞模様のワイシャツにネクタイ。スマートなスポーツマンタイプの部長さんです。年の功は70歳ぐらいでしょうか。でも、髪はまだ黒い方です。私のほうが白髪頭です。

『親父が死んでさあ。いなかに帰ったんだよ。』

 部長さんは、高知の生まれです。そう、本人は言いました。親父さんの葬式のあと、色々家族とお話をしたらしいのです。そのとき、おふくろさんが何気なく言ったのだそうです。

『今日は何日?』

 部長さんは、その時の日にちを応えたそうです。すると、おふくろさんが、返答したそうです。

『私は24日に、死ぬからね。』

 部長さんは、おふくろさんの言っていることがわからなかったそうです。その時は、変な事を言うなあ。と、思ったそうです。そして、おふくろさんが死んだ時に、やはり田舎に帰ったそうです。そして、暦を見たそうです。その日が24日だったそうです。

 部長さんの顔は、嘘を言っている顔ではありませんでした。終わりの日が来たときに、どのような感じで迎えればいいのでしょう。人は。

 この日にたくさん、部長さんんとお話をしました。生まれ、育ち、考えていること、思いつく限りのことを話したと思います。人は相手が、本音の会話をすると夢中になりますね。事実だけが、本当に聞き耳を立てさせます。学校、会社、社会にある会話のなんと事実の少ないことか。


テニスラケットのガット張りスポーツ店員との会話





 『それでは、プロの腕前を見せてもらいましょうか。手際の良いものを見るのは気持ちの良いものですからね。』



 そこは、東京は神田神保町にあるスポーツ店です。スキー、野球、ゴルフ等、色々なスポーツ用品を取り扱っています。その店の5階でテニスのラケットにガットを張ってもらっています。結構年配の人です。ガットを張ってもらっている間、色々な世間話をしました。神保町に生まれ育ったという人でした。背が高く、身体もガッチリとしてスマートです。



『パッチーン』



 突然、音を立ててガットが切れてしました。こんな事を言うお客さんは、あまりいないのでしょう。チョット肩に力が入ってしまったようです。気を取り直して、新たにガットを袋から、取り出しました。そして、熟練した腕前を見せて、ガットを張りなおし続けました。



 彼とは神保町にあるワイシャツ屋さんや、洋服屋さんの話をしていました。ふっと、なにげなく私の後ろを見ました。すると、驚いたことに凄い形相の若い男性の店員さんです。私を見つめています。なんでしょう。この人。確かに、店で会話をする人達っていません。ほとんどの人が、買う買わないの用向きで店を後にします。そんな、中で双方向の会話をしている人を受け入れる事が出来ないのでしょう。親しげに会話をする年配の2人をどのような事を考えて見ていたのか。私には知る由もありません。



 ガットを張ったラケットを持って、その店を後にしました。




2009年8月19日水曜日

乱暴な言葉を話す喫茶店のウエイター




 『ちょっと、まて。今行く。』

 えっ?。私の耳には、確かにそう聞こえました。目をしばたいて歩いている彼を見ました。白いワイシャツに黒ズボン、黒蝶ネクタイ姿のウエイターでした。喫茶店のドアを押して入りました。ウエイターが居たので手を上げて注文を云ったのです。そのときに、彼が私を見て言いました。私は、縦長の広い店内を見回しました。そして、店内を見ると客が全然いません。1~2人。そんな感じで店のテーブルには、客がいません。そこは、東京港区、田町の喫茶店です。早朝にJRの田町駅につくと、良く利用しました。朝のモーニングメニューのコーヒー、パンとゆで卵を楽しんでたのです。そして、たいていはたくさんサラリーマンやお客がいて、テーブルにコーヒーと新聞を置いて利用していました。

 なるほどなあ。納得して、椅子に座ることなく店を出ました。洋菓子の販売コーナーの女性店員も驚いています。あ、またお客さんが注文もしないで、店を出て行ってしまう。と、言った表情だ。なんで、あんなウエイタをやっとたのだろう。理解に苦しむ。長い人生の中で始めての経験でした。多分、彼はもういないでしょう。どのような事情があるのか私には知る事もできません。朝のコーヒーを飲みに来た客に、あんな乱暴な口調でいえるなんて。

 なんだろ、一体。何を勘違いしているんだろ。日本の政治もそうです。国民が政治に関心があっても、それを煙に巻いてしまっています。


投資?




 『あ! つぶれたんだ。 やっぱりなぁ。』

 何時だったでしょう。割とこじんまりした蕎麦屋さんが小田急線の経堂駅の近くに出来ました。なんか、チェーン店のような店でしたが、ちょっと変わっていました。店が出来て、しばらく経ってから利用しました。店の外見、内装は清潔な感じで申し分ありません。

『カツ丼下さい。』

 しばらくしてカツ丼が出てきました。それは、いいんですけど。なんか店員さんが変です。どうも、日本人ではありません。それはいいんですけど。無言の目に、何か様子をうかがう感じを漂わせています。カツ丼自体も、なんかなあ。そんな感じがします。今の記憶では、そのカツ丼を食べたかどうか分かりません。

 投資家が安い人材を使用して、計算上のそろばんをはじいて、始めたようなの感じです。バーガキングと言うハンバーガ屋さんも、以前は結構あったような気がしました。しかし、いつの間にかなくなってしまいました。やはり、店員さんが日本人の人ではなく、なんかこちらの様子をうかがっていましたね。

 いつごろから、始まったのか記憶がありませんが、様子をうかがう人で街の中がいっぱいのような気がします。外国の人ではなく、明らかに日本人です。どうして、このようになってしまったのでしょう。それとも、私がそうなってしまったのでしょうか? なんだろ。一体これは。


用賀の養老の滝




『ああ。つぶれたんだ。そっか。そうだよなぁ。』

 いつもの散歩コースを歩いていました。ふっと、いつも見る養老の滝の黒い生地の暖簾が白い生地で出来た、違った店の暖簾になっていました。以前一度ビールを飲みたくて、暖簾をくぐって入ったことがありました。そしてすぐに、黙って何も言わすにドアを開けて出てきてしまいました。なぜかって。事の顛末は以下の通りです。


『お一人ですか?』

 店の若い女性の店員さんが言いました。


『そう。ひとり。』 

 それに、私は応えました。店はそんなに大きくはありません。20人の客が入ったら満員くらいの店です。そして、その日は、チラホラの客しかいません。まあ、ガランガラン状態でした。


『じゃあ。こちらにどうぞ。』

 女性店員がカウンタの椅子を引いて、私の座る場所を選択しました。そして、店の奥に入っていってしまいました。たぶん、お絞りとお冷を、取りに行ったのでしょう。カウンタには誰も座っていませんでした。カウンタはくの字の形をしていて、赤いシートの椅子が並んでいます。彼女が私に勧めた椅子の場所はと言うと、トイレがある場所の真ん前の席でした。考えるまでも無く、店をでました。店が満員で座る場所が無いならわかりますけど。何を考えているのかといぶかりました。何を考えてこんな席を私に勧めたのかと。普通、座る人いないよと。苦笑しました。

 そんな事で店は閉店、彼女も仕事を無くしました。まあ、面白くもない仕事だったのかもしれませんが。


地方の日本の人との会話




 『無我夢中だったねぇ。かあちゃんと一緒にさぁ。朝から晩まで、夢中で芝を刈ってたよ。その頃はゴルフ場建設がたくさんあってね。300万ぐらいなったねぇ。』

 喋り手の方は随分お年を召しています。送迎用のボックスカーの運転をしながら、自然な口調で私達に昔の話をしてくれます。私達に背を向けてる運転席の彼の頭髪はまだ随分と残っていて赤く染めています。幾つぐらいの年齢でしょう。70は過ぎているように見えます。

『昔はさぁ。お金を持ってきて食べ物を分けてくれるように東京から人がたくさんきたんだよぉ。でもさあ、お金をもらっても何もないんだよう。買えるものが。それで、下着でもなんでもいいからもってきてくれっていってさあ。』

 随分昔の話らしいのです。戦中、戦後の話らしいのです。なんとなく、生きた戦中戦後の話を聞いていて、貴重な感覚を感じていました。テレビや雑誌の伝達方法では伝わらない、庶民の生活からの言葉でした。なんの抵抗も感じずに気持ちよく彼の声が私達の耳に入ってきます。富士山のふもとで、自動車免許の合宿を終えて、東京行きの高速バスに乗るための送迎を受けているのです。

 彼には、息子さんもいて家の財産の一部である山もその旨伝えてあるそうなのです。人生の残りを送迎と畑仕事をして過ごしているようなのです。山には杉の木が植えてあって、何年も経つのだそうです。

『ヒノキは植えないの。』

 私は尋ねました。杉よりヒノキの方が価値があると、山林の事を何も知らずに尋ねました。

『手間が掛かるから。ヒノキは。杉は手間がかからないんですよ。』

 一緒に送迎されている、九州の方が彼の変わりに私に答えてくれました。

そんな感じて、高速バスの駅前迄、彼に送迎してもらいました。久しぶりに構えた会話のない、自然な語り口の話しての話を聞いた気がします。田舎のあぜ道を平和な気持ちで、歩いている気がしました。そして、東京から、来た私達はなんと不自然な会話をしていたのでしょう。中腰で構えて会話をしていた私達。様子を見るとは無しにそうすをうかがってしまう、私達の顔と目。

 本当に自然はいいですね。緑も空気も人も。母なる自然。都会の主導者って、自然だけど、自然じゃないんだよね。どこか。民主党も自民党も、その他の政党も。なんでかね。


2009年8月15日土曜日

64回目の終戦日




 終戦日。

 日本人は幸せなのかなぁ~。窓から見える夏の空の下の建物を眺めながら、なんとなく思います。今日が64年前にアメリカと戦争を止めた日。今日の東京はぼんやりとした天気です。空は晴れていますが、大きな白い雲がたくさん浮かんでいます。

 日本は食べる事も、服装も、住む事も大概の人は不自由していません。ですが、その品質は人によりますけど、御粗末な感じがします。食べ物は添加物まみれだし、衣服は大量生産は良いとして本物の品質ではありません。住居にいたっては、ある国の女性首相が以前言いました。

『うざぎ小屋に住む。・・・日本人。』

 最近は鶏小屋のような気がします。狭い間取りを3階立てにした建物を多く建設しています。不景気ですが、良く間取りの狭い3階立ての住居を建設しています。現に窓から見えるすぐ先でも朝から大工さんがコンコンと新しい3階建ての家の屋根を葺いています。ここは売れないだろうと、思えるような住居でも何ヶ月かすると。

『ええ。売れたのぉ!ええ。』

 そんな驚きと共に、売れています。そして、窓にカーテンが引かれ、車が車庫に納まっています。

 そうでしたね。日本人は幸せかどうかでしたね。しかし、日本人が幸せかどうかではなく、日本人の幸せを数えるべきですよね。不具合や不幸の数を数えるべきではないですよね。戦争はない。食べ物も豊富にある。衣類もたくさん販売されている。どこへでも自分の意思で自由にいける。働くのも、働かないのも自分の自由です。洗濯機もあり、トイレにはウオシュレットもついている。暑い日にはエアコンを働かせれば快適な温度になる。水道水も飲める。無駄ずかいをしなければ、お金も貯めることができる。テレビ、映画館、レストラン、テニスコートもある。なんでもある。それを数えていけば、けして不幸な気持ちにはならない。お金を持っていないって? 長い人生そんなときもありますよ。

 64回目の終戦日(敗戦日)を迎えた日本人が幸せかって? 確かに幸せそうな顔は少ないね。幸せになる方法を知らない人が多いってことだね。自分にある幸せを数えましょう。目は見える。食欲はある。健康であること。手足を動かせること。話ができること。耳も聞こえる。何度も何度も数えて幸せになりましょう。

 でも今日は、戦争で死んだ人達の無念を思うと、自然と目から涙が流れて止まらないときがあります。私自身が歳を取って、焼がまわってしまったんでしょうね。そんな彼らの事を考えると、彼らが見たかったのは、堂々として幸せな生活をする自分達だったのじゃないかな。快適な生活を送れるような美しい住居に住みたかったのじゃないかなあ。毎日を充実した思いで過ごしたかったのじゃないかな。堂々とした、体格や態度で世界の人々と対等に渡りあえる。自分の幸せと、互いの人々の幸せを感謝できる心を持つことだったんじゃないかなぁ。そして、黙って戦地で死んだんだよね。

 心は不思議ですね。勝手に彼らを思い黙祷しています。


2009年8月12日水曜日

ビル・クリントン




 パソコン画面のニュースタイトルが目に入りました。

『ビル・クリントン訪朝』

 あるWebサイトのニュースを見ていました。ニュース欄の一行にその見出しが載っていました。なんだろうとマウスをクリックしました。どうも、アメリカの女性新聞記者が北朝鮮に逮捕されていたようなのです。それを釈放する為に、ビル・クリントン元アメリカ大統領が北朝鮮に突如飛行機で訪朝したらしいのです。女性記者は釈放されアメリカに帰ったようです。そして、ビル・クリントンと金正日書記長はなにやら、話をしたようなのです。

 まあ、なんとゆうか。良くやれるなあとの思いました。何故日本にはこのような事を間髪をいれずに出来る関係各位の人がいないのだろうと考えさせられました。まあ、役者が上なのはしょうがないとしてです。なんか、彼等はなんかなれているような気がします。それなりの組織を持っていてるのでしょう。もちろん場数もあるのでしょうけど、こう出たらこう出ると言う様なゲームにも見えます。交渉ゲームですね。けして、感情を優先させずに、利を得るか。

 日本の役者はどうでしょうか。テレビの画面で見る役者でも、政治の世界の役者でも肩に力が入っていますね。スポーツでもそうなんですけど、欧米のスポーツはなんかカラフルでゲームを楽しむ事を絶対的に感じるのです。しかし、日本にそのスポーツが入ってくると土くさく、真剣で苦しいものになるような気がします。

 日本の自動車会社の代表が日本人ではなく海外の人が多いのも、最終的に日本人には利を得られないんだと思います。製薬会社の株主も海外の投資家であったりします。やったつもりがやられている。いつまでもいつまでも働いていて、けして生活が楽にならない。楽しんで働いているのなら、まだしも。苦しんでいる。働けば働くほど苦しんでいる。なんで? 気のせいなの。これは。

 日本の夏に花火を上げて楽しむ人たちがいます。なんか必死に声を上げて楽しんでいるのです。仕事も遊びも余裕を感じる事が出来ない人達が多いです。穏やかに話しをしている親子を見ることってありますか。でも、どこかには人間の姿形をしている日本の人達もいるんだろうなあ。

 食べ物でも、仕事でも自然じゃないような気がするのです。真剣すぎて、的がはずれているような気がするんですけど。一生懸命すぎて普通じゃなくなっているような気がするんです。


烏山のカット屋さん




 『夜はクーラなの?』

 何気ない感じで彼女に尋ねました。2009年の夏まだ、8月が始まったばかりです。私は千歳烏山のカット屋さんで髪をカットしてもらっていました。大きな鏡の前の椅子に座っていました。彼女はハサミを動かし、上体を斜めにしたり左右に動かしながら、言いました。

『扇風機だけですね。』 彼女が言います。

『へえ、そうなんだ。リズム風っていうやつ。』 私が言います。

『いいえ。普通の扇風機。高い所に住んでるんです。それに今年の夏はあまり暑くないから。』

 彼女は白っぽいワンピースに、なんだろ、赤いガラス玉のネックレスを二重にして首に巻いています。かなりスマートな体系をして、背も高い方です。そんな彼女が、私の後ろで、私の頭髪をカットする為に忙しくハサミと手足を動かしています。千歳烏山は私の、ちょっと気に入りの町です。街の人達がリラックスしている気がするのです。川崎の溝の口の街に気楽な空気を吹き込んだような街です。誰もが、忙しそうであっちにこっちに歩いています。そんな街の中の雑居ビルの2階に、このカット屋さんは開店しています。いつも来ると違う女性が営業しています。そして、私は軽い口調でお話をして、カットしてもらうのです。

『へえ。それはいいね。でも、会話ってむずかしいね。効果的に相手に真意を伝えるのが。』

 そんな感じで今日、仕事先で客先との会話で困った状況を、彼女が私の髪をカットしてくれている間、話していた。そして、彼女も自分の考えを気さくに話してくれた。

『どうですか。』

 彼女が私の後ろに、折りたたみの鏡を開いて私の後頭部を見せた。

『こんな、もんだろ。』

 そう、言いながら、頭髪の薄くなったのと、間抜けな私の鏡に映った後頭部を眺めた。

『お疲れ様でした。』

 彼女が私にかけた白い前掛けをはずしながら言った。

『なかなか上手じゃない。』

 私は鏡に映った自分の姿を見ながら、彼女に御世辞を言った。そして、出口のドアに向かって歩くと、一人の若い男が私と目を合わせた。いつも、そうなんだけど誰かと話をしていると、見つめる人がいますね。それがなんなのかわからないでいます。そして、その目はけして好意的な感じの目ではないのですが。多分こんなに気楽にこんな場所で話しをする人が珍しいのかもしれません。

 ドアに手を開けながら私は言いました。

『どうも。』

『ありがとうございました。』

 彼女の声が背後から聞こえました。


屋外プール




 まてよお。私は着替えをするロッカールームから引き返して、受付に戻りました。受付の女性に尋ねました。



『あのぉ。2時間おきに、入れ替えはするの?』 



 オレンジ色のライフガードのTシャツを着た受付の女性が可愛い笑顔を見せて答えてくれました。



 『いいえ。しませんよ。』



 変わったのかなあと、思いました。いつもは2時間が経過するとプールに入場した客を全員退場させて、新しい客を入場させていたのです。



 『どこの区民館のプールでもそうなの?』
 『さあ。それはわかりません。』



 そこは、中目黒にある屋外プールです。夏の季節だけ屋外プールを一般市民に開放するのです。随分昔に中目黒に住んでいたことがあって、利用していました。しかし、今は夏の気が向いたときだけ来て泳いでいるのです。すごいさびれ様です。こんなにも、寂しいプールでいいのでしょうか? 全然、活気がありません。入れ替えをすると客がいなくなってしまうのでしょう。なにが原因で、こんなにもさびれてしまったのでしょう。



 昔は、とてもリッチな感じのプールでした。今は、緑の芝生も見えず、雑木林のように沢山の木々が生い茂っています。また、区民館の敷地の中央の通行路には、プールの水が気持ち良く流れてる小さな水路があって、凄く開放感のある雰囲気でした。今は、その流れる水の水路を塞いでしまいました。とてもギスギスした、感じです。



 もはや、昔のような感覚では生きていけないのです。時代が変わり、それはしょうが無いことなのでしょう。プールのライフガードの人達も専門の人達でないのは明らかです。アルバイトの人達でしょう。すべてがコストをかけずにの方向なのでしょう。今、私達はどこに行くのでしょう。



未来の日本人へ




 何故でしょう。彼女が、しきりにエスカレータから乗ってくる人を気にしています。そこは、朝の通勤時間の小田急線の千歳船橋の駅の新宿行きのホームです。エスカレータの降り口の横に彼女は立っていました。白い網模様のおしゃれなストッキングをしています。とてもおしゃれな感じの背の高い外国の女性です。



 それは、こんなことだと思っています。Jリーグが日本に出来てサッカーが、当たり前に子供の人気スポーツになりました。そして、日本のチームに外国の選手がトレードされてきました。ドイツの選手が来ました。体格の良い好青年です。しかし、日本チームの中でのゲームでは、なかなかゴールを決めることが出来ずにいました。浮いています。日本人チームの選手達の中で。日本の選手は気味が悪いほど、ひとつの生き物のように動いています。



 日本人に限らないのかもしれません。しかし、このように完全に一匹の生き物のように感じる事があるのでしょうか。ここまで個人が均一化されてしまうと、とても、不気味です。



 どれぐらい昔の事でしょう。目黒と蒲田の間を走る目蒲線に昼間乗ったことがあります。緑色の電車です。緑色のドアが開いて、電車の中に乗り込みました。すると、外国の金髪の10代の女の子が乗っていました。緑色の電車のソファーに座っています。そして、とても困った表情をしているのです。その女の子の横には日本の奥さん達が所狭しと座っています。金髪の女の子は、まるでキリスト教の絵画に出てくるような天使のようです。輝き、健全純真そのもののように見えます。日本の奥さん達ですか。まるで、妖怪のような顔をしています。なんでしょうか。こんなにコントラストが際立つのは。



 そうなんです。何か人種が違うとなにかが分離、反発しようとする力が働くようなのです。駅のホームの外国の女性もそのような事をする日本人を恐れていたのです。



 でも、そんな力も会話が出来ると日本に無くなると思います。落ち着いた声と態度で、家庭に会話があればと思います。そうすれば、海外の人達とも、抵抗無く会話ができるはずだからです。会話が出来れば反発や分離がなくなり溶け込むことが出来るはずです。大体の人達は、話をすると外見とは、全然違う気さくな人がほとんどだからです。



 しかし、日本の家庭は大体こんな感じです。バブル期の相撲が面白くなってきた時期がありました。がちんこ相撲だったのです。その時にNHKのテレビ画面で人気相撲取りが、目線を落とし言ったことがあります。



 『なぐられましたからね。なに、生意気な事を言ってるんだ。って。』



 私の育った家庭も会話がありませんでした。父や子供達の会話を母が、止めさせるのです。喋っているのはいつも母です。今、思うと会話が無かったことを後悔しています。家族との絆を思い出すことが出来ないのです。小さな頃の家族への思いが本当の事なのか分からないのです。楽しい会話は、ほとんどしたことがありません。本当に残念です。暗く寂しい子供時代の家庭でした。彼らが誰なのか分からないまま、いってしまいました。そして、社会に出て会話をする力が無くとても不便な思いをして苦しみました。



 何が言いたいかって。子供の話を聞いてあげて下さい。静かな声で穏やかにね。子供が自分自身を、生活を、人生をどのように考えているのかをね。そして、その考えを認めてあげてください。考えが足りないならなら足りないで、そのままの子供のかんがえを受け入れてあげて下さい。そうすれば子供は、あなたに感謝するでしょうし、良い人間になる歩みを始めるでしょう。そして、あなた自分も子供や自身から学ぶでしょう。
 

一通の封書




 『するとなんですかね。別段、国民の生活に対する援助を考慮したお金ではなく、景気回復の一助になればとの事で給付するとの事なんですね。』

 私は電話口で区の給付係に尋ねました。すると、本当に人の良さそうな声で丁寧な返事をしてくれます。

『そうなんです。首相が考えて、皆さんに給付することになったのです。』

 区役所から一通の封書が届きました。12000円を私に配布するとの事なのです。家族構成があれば一人20.000円なのだそうだ。確かに首相である麻生総理は人として間違った事を言ってはいません。なるほどなあ、と言った納得のゆく事をテレビで良く言っています。

 昔、日本列島改造論なる事を言った政治家がいました。田中角栄さんです。新潟県では、山の中にトンネルをぶち抜き、道路を整備すれば問題なく経済が発展します。と、言って、聞いていた地元の人達が最初は驚いたそうです。

 夢を持っていました。そして、夢を現実にしたのです。また、嬉しいですよね。そんな事を言う人や、やる人を見ていると。愉快な気分になります。生活に何か変化の兆しを感じてですね。現在、そのような人が日本にいないのをなんか寂しく感じます。大きな力を持っているのにそれを使わずに、まわりの事ばかり気にするような人ばかりです。そのような国になってしまったのですね。

 サッカーの日本代表の試合を見ると、思いっきりやっていませんね。監督なんかは、すぐ守りに走って、なんか逃げているように見えます。監督自身の立場を考えれば、気持ちは分かるんですけどね。土台がなくなってしまったのですね。日本人の何か。目には見ない精神的なものですね。信頼でしょうか。無くしてしまったものは。

 何が言いたいかって。小さな事も大切ですけど、そればかりでは気がめいってしまいます。夢のある大きな事を言いやって欲しいよ。ドイツのアウトバーンに負けないような道路を作るとか、都会の立地条件を緩和する為に百階立てのオフィスビルをオフィス街に100棟建てるとか。アラブの王様が住んでもおかしくない、一般の住宅基準を設置するとか。


2009年8月11日火曜日

民主党の街頭演説





 『おはようございます。』 



 バスから降りてきた会社の昔のお姉さんに、朝の挨拶をしました。寒い朝の通勤時間に、東京の山手通りと呼ぶ幹線道路の、通いなれた灰色のアスファルトの歩道を歩いてました。



 『おはようございます。』 



 チラと顔を上げ、私の顔を見て挨拶を返す昔のお姉さんです。



 『下を向いて歩いていると、何か落ちているの?』



 私は背中を丸め下を向いて、灰色のアスファルトの歩道を歩いている小柄な昔のお姉さんに、無邪気に声をかけました。下を向いて歩きながら笑顔になる、昔のお姉さん。ちょっと顔を上げ言いました。



 『近所の人がね。私の事を言うんだ。良く働く。独楽鼠見たいにって。』



 そうですね。まじめで、言葉少なく良く働いています。しかし、希望を持って働いているようには見えません。人に何か言われるのがいやさに、一生懸命働いているようです。誰も彼女の事を悪くは思っていないし、話題にもしません。彼女は、それだけで満足してしまっているのです。でも、信じているものもあるはずなのです。働くことによって生活を支えているはずだと。人とうまくやっていくことが出来るはずだと。何か良いことがあるはずだと。人として人の役に立っているはずだと。



 三軒茶屋駅前で、民主党の街頭演説車が止まっていました。演説車の上にはテレビ、ポスターで見る顔の人達が乗っていました。マイク片手に大声で演説車の上から、歩道に集まった人々に訴えています。どうやら、与党である自民党が、水の確保をする施設を新たに作る資金と建設を、批難しているです。何千臆円の金額らしいのです。



 厳しい批難を聞いたり、批難されるのを恐れて働くより、希望を与えられて働いたほうが幸せだと思います。希望があれば自分の意思から、より良く働く事ができます。今に始まった事ではないでしょうが、私達に必要なのは希望を持って、日々の労働や生活をすることなのです。批難を聞いたり、強制されて日々を暮らすことではないのです。一緒に仕事や生活を。助け合って過ごしませんか。そんな、言葉であり、それを言える指導者が必要なのだと思います。



 どれぐらい前でしょう。北朝鮮の国に、だ捕された船長さんが居ました。日本の経済が順調で世界中のお金が日本に流れてきた時だったと思います。家族の方が沢山の政治家の方に、嘆願しているのを、何かの媒体で見たり、聞いたりしました。船長さんを、何とか日本に連れ帰ってくれるように、家族の方の悲痛な姿と声です。そんな事でどれぐらいの時間と期間が過ぎたでしょう。一人北朝鮮に渡って、北朝鮮の指導者と話をして、船長を連れ戻して来た政治家が居ました。金丸信と呼ぶ政治家です。



 その後テレビの画面で、三人の政治家と金丸信の姿が映しだされました。三人の政治家とは、阿部、宮沢、竹下と呼ぶ政治家です。この三人は次の日本の首相は私だ、とお互いに言いあっていました。そうマスコミは報道していました。しかし、ひとり国民の願いを聞き入れて北朝鮮に渡り、家族の願い通りに船長を連れ戻して来た、金丸信の前で、一言も無く、なんともたよりなくへらへら笑っているように見えました。



 どこの国でも同じだと思いますが国民は、よりよい生活を求めています。しかし、それを声に出して言っているのでしょうか? 日々晴れ晴れとした気持ちで生活出来ていますかね? 日本と呼ぶ国を誇りを持ってみていますか~?



 何が言いたいかって云うとですね。 北朝鮮にいる捕らわれの日本人を助けてなければならないと思うのです。でないと、胸を張って歩けないと思うのです。人殺し犬みたいに、何かを探してキョロキョロして生活しなければならないと思うのです。互いに突っつき合ってね。それが今の日本の人の姿だと、思うのです。



 やめましょうよ。お上品に署名活動やマイクを持って、誰とも分からない人達に支援を媚びるのは・・・。心から叫ぶんですよ、なりふり構わず。知っている人間を見つけて力を借りましょう。金丸信さんも、分かっていたんですよ。同じ人間を助ける事が出来なければ、自民党、自分の地位が脅かされる事をです。船長の家族は、人間らしく振舞ったのです。金丸信さんは、そんな家族を、自分の知っている人間だと分かったのです。そして、自民党は、今も存在していて、社会党は、永久に消え去りました。違いますか、皆さん。