2011年5月29日日曜日

アメリカのチョン牧師救出と、日本の各国への放射能食品輸入規制緩和声明

北朝鮮に拘束されていたアメリカのチョン牧師が、開放されました。アメリカの食料援助の支援と、交換で開放されたようです。アメリカの実力を、まざまざと見せ付けられるようです。

 何故、日本の拉致被害者は解放されないのでしょう。それは、世界の人々の無意識の日本への不信感になっているはずなのです。自分の国の人々が、さらわれていて、平気でいる国民、政府を、世界の人々は、どう思っているでしょう。

 『日本の食糧輸入に対して、科学的な根拠にもとずいて、規制して欲しい。』

 日本国政府が世界の国々に発信しているメッセージです。世界の人々は、信用するでしょうか? 自分の国の拉致被害者も助けようとしない、国民や政府の言っていることを。放射能汚染されていなくも、科学的根拠を疑うはずなのです。疑いのある食品を輸入することは、出来ないはずです。

2011年5月25日水曜日

若い人のひとりごとが、福島原子力発電所事故の放射能汚染の未来を語っていた

 『売れてる売れてるって、云ってるけど、全然道、走ってねえじゃん。』


 以前、食事にベーコンを食べるのが好きな、背の高い若者が職場に居ました。ベーコンは味を付けなくても、料理出来る利点を、良く話していました。その若者が、何か、車を買ったらしいのです。色々な所を車で走ったらしいのです。近場の観光スポットにも、購入した車で行ったらしいのです。そして、何かに気が付いたらしいのです。それは、車を購入して、その車で街中や田舎道を走らないと分からないらしいのです。まあ、当事者にしか分からない事って普通にあります。若い人ですから、車を前から欲しかったらしいのです。そして、念願の車を購入しました。メーカーや、営業マンの話を聞いて、売れている車を購入しました。しかし、実際に購入した車で、街中や郊外を走っても、同じ車が走っていないらしいのです。メーカーのコマーシャルによる一種の情報操作らしいのです。この車が人気があり、大勢の人が購入して売れているから、あなたも、この車を買いなさいと。


 このあいだ、法律の最高機関である検察庁の、とんでもない不祥事がありました。根も葉もない無実の人間を勝手な調書を書いて、100日以上も拘置拘留していまった事件でした。なんでぇ、てな感じでした。その後、飽きる事なくニュース報道されている、警察官の追跡による正面衝突による死亡事故、裁判所の判断による有罪無罪判決の繰り返しを、よくニュースで見聞きします。こんな社会の善悪の良し悪しを、考える機関がこんなでは、下々のものは、何を信じて、毎日を暮らして行けば良いのでしょう。


 東日本大震災により発生した、福島原子力発電所事故の検証がニュース報道されています。メルトダウンの事実を認めた東京電力と関係者の発言が、問題になっています。結局、アメリカのスリーマイル原子力発電所事故、ソ連のチェルノブイリ原子力発電所事故と、同じ規模の放射能事故となったようなのです。そして、メルトダウン後の原子力発電所の状態は安定しているので、今後これ以上悪化することはないと云っていますけど・・・・。


 目には見えませんが、放射能は現在も、日本の上空に降りそそいでいるのでしょう。放射能を浴びた野菜や、食料を出荷自粛するように政府が云っているようです。こんな事では、市場に出回るのは時間の問題のような気がします。誰も、自分の家賃は払ってくれませんからね。多くの国々を目に見えぬ目で見て周り、公演していた、アメリカの盲目のシンガー、ステービーワンダーが、昔言っていました。


 『どの国にも、不正や貧困はある。』


 昔の大泥棒、石川五右衛門が、釜茹でにされて死んだときかどうかは、わかりませんが、云ったそうです。


 『石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ。』


 日本国政府に何とか、良い考えを出してもらいたいものです。放射能を浴びた食品を買い上げる、財源がないのなら、国民や世界に、放射能を浴びた食料、飲料水を不正や盗人が市場に出さない考えを募集して、欲しいと思います。放射能測定器で自分の体を調べたら、内部被爆しているのが分かってから、言いたくないものです。


 『自主規制してるしてるって、云ってるけど、全然自主規制してねえじゃん。』


渋谷駅近辺に居る、狩人達と東日本大震災の義捐金

『募金をお願いします。』
『・・・どこに、持ってくの。そのお金?』
『貧しい人達の生活に・・・。』



ここは、忠犬ハチ公がある渋谷駅を背にして、西部デパートを左斜め前に見た、歩行者横断信号機前の横断歩道です。本当に黒山のような大勢の人達に混じって、歩行者信号が青になるのを、人々を後ろに従えるように最前列で、知人と2人で待っていました。すると、背丈の低い小さな若い女性が、私達の前に立ちはだかりました。彼女の腕には白い箱が掴まれています。大勢の人達を前にして、横から歩いてきて、私達を選んで立ち止まったのです。よからぬ目的を果たす為に、私達に近づいてきた小さな女性に、何となく、うろたえ、動揺していました。外見だけが人並みで、無防備で丸腰の私とは違う、私の隣にいる知人は、しっかりした人なのです。目線を背丈の低い彼女に落として、幾つか、質問をしました。よく聞こえない、小さな声で応じる小さな女性でした。そのうちに、信号機が青になり大勢の人達と共に、彼女を後にして歩き出しました。どのような募金で、どのように使われ、この女性がどのような人なのかは分かりません。ただ、彼女の顔の表情には、健全ではない募金だと書かれていました。



1人で渋谷駅の雑踏の中を歩いていました。すると、私に何かを手渡す男の人がいます。無意識に受け取ってしまいました。見ると、緑色の四葉のクローバーが入っている透明な四角形プラスチック製の小さな飾り物です。男の年齢は30代前半でしょうか。歩いて過ぎ去ろうとする私に、並びながら歩いて、声を上げ、お金を請求します。返そうとする私の手から、飾り物を受け取りません。心の中に、うろたえ慌てている自分がいました。どれぐらい、付いてきたでしょう。飾り物と、いくらかの小銭を与えると、消え去りました。そして、今思うと、何故、お金を男に渡してしまったのか、分かりません。多分、大勢の人々の中で、変な注目を浴びるのが、耐えられなかったのだと思います。しかし、こんな事をしてお金を手に入れようとする考えがわかりません。そして、僅かな金額とはいえ、大切なお金を渡してしまう自分もです。今思うと、堂々と冷静に対応するば良かったのに・・・。



『アンケートにご協力お願いします。』



渋谷の街中を歩いていると、ベジュー色のミニスカートを履いて、紺色で白い襟をした制服姿で可愛い若い女性が、アンケート用紙の束を抱えて、黄色の柄をした黒のボールペンを私に手渡します。別段気にする事無く、応じました。でも、歩道の真ん中なので、他の通行人の歩行の邪魔になるのを気にして脇に寄ろうとする私の言葉を無視して、がんとして歩道の真ん中でアンケートを取ろうとする彼女です。なんらかの指示を受け、その行動を取っているようでした。そんな彼女にボールペンを静かに返し、立ち去りました。個人情報を集めて、なにがしかの利用に使うようです。ひょっとしたら、住所にダイレクトメール、営業マンが尋ねてくるようなものかもしれません。



東日本大震災の義捐金が、2ヶ月も経つのに震災者の為に使われていない事をニュースで知りました。募金や義捐金の行方は私達一般の人には知る事が出来ないものです。いつだったか、募金協会が、凄いビルを建設したと週刊誌に書かれていました。必ず一言いいましょう。



『どこに持ってくの。そのお金。』



それら狩人達は、世の中にあなたが居て、あなたの心に隙がある限り、手を変え品を変えて、あなたの前に、いつでも現れるでしょう。お金の流れが、確認できるようになったら協力しましょう。困った人達に救いの手を差し伸べましょう。あなたも、そう思いませんか。

2011年5月22日日曜日

アメリカ、そして中国へと、虎視眈々・・・狙っている・・・日本・・・

 『僕の故郷はアリゾナで、どこの家もプールがあるよ。』
 『どこの家にも?』
 『そう。どの家にも。』


 アメリカ人と話をしました。背が高く、とてもハンサムで普通の感じをしたアメリカ人でした。奥さんが日本人で、日本に13年住んでいると云っていました。日本では、玩具の仕事をしていると云っていました。玩具とは、多分、子供達が手に持って遊ぶ、テレビゲームだと思います。色々疑問に思っていた事を、聞いてみました。


 『どうでした。この間の地震は?』
 『凄かったね。でも、僕、アメリカでも地震のあるところにいたから。』
 『へえ、そうですか。』
 『それより、お酒で体を駄目にして死ぬような気がする。』

 
 前からとても疑問に思っていた、住宅と麻薬について聞いてみました。


 『アメリカの住宅って、本当に広いの。』
 『うん。広いよ。日本はガラスが1枚だよね。』
 『ガラス?』
 『そう、ガラスは2枚使っているよ。』


 どうも、窓ガラスのサッシが2枚のガラスをはめ込めていて、冬は暖かく、夏は涼しいらしい事を云っているようなのです。そして、日本の住宅は1枚しか使っていないから、寒く、暑い住宅だと、云っていました。それに、狭いと。


 『マリファナって、下町に行くと、買えるの?』
 『自由に買えるよ。』
 『へえ、そうなんだ。』
 『でも、お酒の方が、合法的だからね。』
 『まあ、そうですね。』

 
 以前は、コカインが流行ったらしいことを言っていました。でも、法律に触れるので、麻薬をしたことはなく、ビールを飲んでいるとのことでした。しかし、こんなに身近に、アメリカ人と話せる世の中になるなんて、想像したでしょうか。当たり前のように、海外の人がいます。交通事故のニュースでも、海外の人の名前が報道されています。アメリカ人に聞いてみました。


 『どうして、いつまでも日本の住宅は狭く、寒く、暑いんですかね。』


 アメリカ人が応えました。


 『どうしてなのかね。』


 アメリカが日本をどう思っているのか、尋ねてみました。そして、日本の国がアメリカをどう思っているかを、思いました。


 『うん。・・・そうねえぇ・・・仲間だとおもっている・・・スイスのような感じかなあぁ。』


 日本はアメリカをボスだと思っているように思えます。アメリカが何か云わないと、変わらないような気がします。自分で考える事を放棄してしまったようなに思えるのです。国の自衛も、アメリカに頼っています。窓ガラスを2枚にしろといったら、明日には2枚になる可能性が、非常に高いと思います。


 『エブリシング、オケー』
 『イエッサー、アイアイッサー。ユーアーボス。』


 でも、中国漁船体当たり事件以前、中国と取引をしているシャツメーカーの社員の方と、話をしました。仕事で、中国によく行ってくるらしいのです。


 『もう、中国の属国だよ。日本は。』


 なんか、諦めたような表情で云いました。今度は、中国を狙ってるのかあぁ。自分の頭で考えろよぉ・・・。



ページビューの合計
1249

2011年5月19日木曜日

東日本大震災と、つぶれていく銀座の店状況

 『銀座の店が200件潰れたんだってさぁ。そんで、新しい店が入らないんだって。』



 東日本大震災から、2ヶ月が経ち銀座の店に影響が出ているようです。不動産会社に勤めている、社員の男と話をしました。銀座の物件を扱っている不動産屋と、話をしたそうなのです。東日本大震災の自粛により、日本人の恒例となっている、春の花見や、宴会があまり、行われませんでした。それと、同じように、銀座の店で飲むことが、良くない雰囲気になってしまったようなのです。彼の話を聞くと、銀座で営業しているお店が、約200件も潰れたそうなのです。そして、潰れた店の後に、新しい店の入居者が入っていないらしいのです。



 この間の夜9時頃、銀座の真ん中を通る、中央通りを車で走りました。銀座八丁目から、日本橋まで。何か寂しいですね。街灯も節電により、点灯が少なくなっています。ちょっと、大袈裟に言うと、どこを走っているのか分からない感じがしました。日本橋の高島屋前の人通りなんか、ホントに、まばらな感じです。いませんよ。人が。薄暗い歩道を、見ると。



 でも、昼間は東京の人達は、平気な顔をして歩いています。歩道や、街中をいつもの通り変わらずに、学校、会社に行っています。夕方から夜にかけて、コンビニやスーパなどの、節電モードで暗い店内から、東日本大震災の影響を受けているのが、目に見えます。それでも、マンションやビル建設が、行われているのです。大きなクレーンが、ゆっくりと建物の上を動いています。昔見た、ウイスキーのコマシャルに、こんなのがありました。大空の下、夕暮れの大草原で、丸い牛肉の塊りを、鉄の棒で刺して焼いている映像です。陽が傾いていく、迫り来る暗闇の中を、赤い火が、生きているようにユラユラと揺れています。音楽が流れ、ナレーションの声が、こだまします。



 『希望が半分、絶望が半分。』



 どうなんだろうなぁ。昔、会社の上司の営業部長が、私に迫るように云った事がありました。



 『この仕事、やるか、やらないか、どっちにするんだ。』



 今思うと、やるしかないと、思うのです。マーチ・オワ・ダイ。前進するしかないと思うのです。生きていくためには、前進あるのみだと思うのです。だって、死ぬのは怖いし、痛いと思うんだよね。しかし、この営業部長さんの笛の吹き方が、あまりにもへたくそなので、踊りたくても踊れないのです。出来ない仕事なら、出来るように提案や細工をしなければなりません。この部長さん、ばんざい岬から、飛び降りるようなことばっかり云っていました。しかし、人の事は云えません。自分の生活を見ても、快適とは云えません。それは、自分の笛もへたくそなのです。みなさん、笛の吹き方の下手な人は、笛の吹き方を練習しましょう。



 日本国政府に云いましょう。



 『この、へたくそ! もっと笛の吹き方の練習しねえかい、この馬鹿野郎! 税金かえせ、今畜生!』



 大変、失礼しました。生活が、あまりにも苦しくて、つい・・・・。ひょっとしたら、何か理由があって、このような日本に、故意にしている力があるのかも・・・。




ページビューの合計 1168

東日本大震災により死んでいく可哀そうな家畜と、小田急デパートの桃色インコを思い出しながら、日本に災いを招くような事をする日本人の行いを考えてしまう。

『わあぁ!』



 ここは、東京新宿にある小田急デパート内のペットショップです。陶器、家具売り場がある広々とした階上の片隅の陰に、隠れるようにあります。頑丈な鍵が付いている丸い鳥カゴの中にいる、桃色インコと顔と顔を、付き合わせていました。何気なく、ちょっと、ひとさし指を鳥カゴの隙間に、置いたのです。すると、鋭い嘴で、間髪を容れずに、私の人差し指を咥えました。思わす声を上げてしまい、慌てて、指を引っ込めました。びっくりしていると、桃色インコが、頭を上下に動かしながら、クックックックと声を出して、高らかに笑うのです。それを見て、私は驚いて、ちょっと大きな声で、云ってしまいした。



 『ああ、笑った。』



 桃色インコが私の声に驚いて、私を不思議そうな目をして見ました。何か、桃色インコと私の間に、意思が通じたようなのです。しばらく、ペットショップの若い背の高い、黒っぽい服装をした、男の店員と、桃色インコを見ながら、飼育状況の話をしていました。桃色インコの目が、私を追い続けています。



 『このインコ、ずっと、一日中、この店の中にいるの?』
 『いやぁ。朝は屋上に連れて行って、日光浴なんかさせているんですよ。』
 『ふ~ん、そうなの。いつから、いるの?』
 『ずいぶん前から、いますよ。』
  ・
  ・



 その後、小田急デパートでワイシャツのオーダーや、本を購入する度に、ペットショップの桃色インコを見に行きました。何年経っても、私の姿が分かるようなのです。行く度に、私の姿を目で追っています。桃色インコの購入価格が高いせいか、購入する人がいなく、可哀そうに、何年もペットショップに居るのです。そのうちにペットショップそのものが、なくなってしまいました。



 昔、犬や猫が、家庭や身近な生活環境の中にいました。そして、犬や猫が、人間と同じ仕種をする事に度々驚かされました。猫の手が人間の手のように指が伸びて、ぶら下げてある鰯の体を、人間の手と同じように掴むのを目の前で見たとき、私の目は大きく見開き、得たいの知れない妖怪を見たような感じを受けました。



 お袋さんと、お腹が異常に膨れてしまった、病気の飼い犬の事を話していた時に、ふと振り返ると、病気の飼い犬が、顔を伏せ、真剣に右の耳で、聞き耳を立てて私達の話を聞いている様子を見て、ギョッ、として驚きました。その姿は、まるで人間の言葉、話が分かるように見えました。白い短毛の毛並みに、黒い大小の斑点が体にある、大きな黒い垂れ耳をした鳥猟犬のポインター犬です。






 若い時、夏休みに、久しぶりに田舎に帰りました。天気の良い午前中、青い空の下、おふくろさんが、木立に囲まれた庭に置いてある、鉄格子付きの犬小屋に入っている、真っ白い毛並みをした鼻面の黒い紀州犬のような、大きな飼い犬に、青いビニールホースからジャジャーと、勢いよく出ている水道水を、飲ませながら、言った事があります。



 『笑ってんだ。こいつ。』



 見ると、ピンク色の長い舌を、黒い口元からペロペロと出し入れして、青いビニールホースを口の横から半分咥えるように、勢いよく出ている水道水を飲みながら、なにやら立ち話をしている私達を、横目で見ている大きな顔が笑っていました。



 東日本大震災により発生した、福島原子力発電所事故の放射能検出が原因で、乳牛や、肉牛、家畜が殺される事を知らせるニュースを見ました。心の中に、不条理な感覚が疼いています。心の中で、出来るなら、止めてくれるよう願っているのです。何か、目に見えない力のようなものを、無視して、災いのようなものを招くような気がするのです。裏切りをしてしまったときに、感じるものを感じるのです。そう、そんな事をしていると、私達や、あなた達の番も、必ず回って来るのです。



 ところで、ニュース画面の中の震災者が、白いマスクを口に賭けています。子供も、大人も。放射能を吸い込まないため?


-->

全然違うことを考えてしまう、若い見習い不動産屋

 『可哀そうですね。』


 何か、哀れむような目をして、下を向きながら、彼が、私に云います。哀れむような目とは、別に、このような目をしている人を、たまに見ます。添加物を摂取した、変に、何か池に浮いているような目なのです。ペッタと張り付けたような、目です。彼は、若い不動産屋の見習いらしいのです。ここは、東京世田谷区の用賀にある、建売物件の一軒です。ある晴れた日に、テニスの壁打ちをしようと、自転車に乗って駒沢公園に向かいました。電柱に建売物件の赤い縁をした案内が、かけてありました。案内の表示に従って、自転車のペダルを踏んで着くと、そこには、三軒の建売住宅が建っていました。早速、案内人に見せてくれるよう、希望しました。


 家の中を案内してもらいながら、世間話をしました。白いワイシャツに、ネクタイを締め、灰色のスーツを着ています。体は小柄で、痩せている彼が、何か、違った雰囲気になっていきます。自分勝手な、ひとりよがりの解釈を始めました。世間話の中で、笑う所なのに、何かを考えてしまいます。なんだろぉ、この人、と、うつむき加減に目線を落としている彼を見つめました。あるいは、自分の境遇が、危険なところにある人なのかも分かりません。会社で、正当な待遇を受けていないのかもしれません。しかし、まだ、若い事もあり、物事が良く分からないのです。しきりに、私を哀れむような態度を取ります。段々と、腹が立ってきました。


 『馬鹿野郎! あっち行け、この野郎!』


 このような人を相手にしても、何の徳も無いことを知っていました。案内された、物件の住宅の玄関で、靴を履き早々に退散しました。そして、自転車に乗り、怒りの大声で怒鳴りました。客商売で、人に接する態度が取れない人がいます。自分を主張するあまり、相手の言い分や、人そのものを、認める事が出来ないのです。また、相手を哀れむことにより、自分が於かれている境遇を救い出そうとすることが、人にはあると思います。


 色々な意見があります。ベトナム戦争に行った、アメリカ人がテレビ画面で、アメリカに帰国して、自分の心の中に在る葛藤を、静かな口調で云いました。戦争に行き、生死を賭けて戦い、戦友やベトナム人の死体をたくさん見たのでしょう。


 『自分を思うと、自分が考えている自分とは、違った人間になってしまった。』


 若い見習い不動産屋が、どのような環境、境遇を経て来た人、どのような考えの人なのかは、分かりません。ひょっとしたら、ベトナムから帰ってきたアメリカ兵のような心境にいる人なのかも分かりません。しかし、いつの時代も、人が人と争う事、国と国が争う事ではなく、家庭、会社、社会の中で、仲良く利害を調整する事が、人間が生き、必要とする最重要課題だと思うのですが。



 

2011年5月17日火曜日

何度顔を剃らしても血だらけにして、慌てる表情を見せる綱島の若い男の床屋さん

 『この間も、若い女性が深夜、ドンドン、ドアを叩いて入ってきたんですよ。』
 『へえ~。』
 『それが、すっごい顔をしてるんですね。その女の人。痴漢も、何を考えているんだか。』
 『へえ~。』



 どうも、近所に痴漢が出没している、らしいのです。確かに、人通りのない道の中に、痴漢に注意して下さい、との立て看板がちょっと、傾いて、立てかけてあるのを、おぼろげですが、見た事があります。白地に、赤い文字で書いてありました。若い床屋の主人に、散髪をしてもらい、世間話をしていました。小さなお店で、散髪する席もひとつしかありません。若い奥さんもいて、平和な日本の若い床屋さんです。ここは、横浜の片隅にある、小さな床屋さんの住居の中にある店です。



 『あの床屋、へたくそだぁ。』



 私が住んでいるアパートの持ち主の大家が、世間話の中で、そう云いました。私も、そう思っています。でも、適当な床屋さんが無いのです。近所に。



 その日も顔を剃ってもらい、横になっている椅子を立てました。目の前の大きな鏡に、大きな白い前掛けを、胸にかけた私の顔と、若い床屋さんの顔が映ります。若い床屋さんの顔に、うろたえている表情が現れています。私の顔からは、微かに赤い血が出血しているのです。そうなんです。何度、顔を剃らせても、赤い血が出血してます。その度に、慌てた顔を見せるのです。まあ、これが、日本の床屋さんのレベルです。昔、顔を剃ってもらい、耳を掃除してもらたとき、必ず眠気を誘われ、散髪席で眠ってしまった、あの腕の良い床屋さんは、どこに行ってしまったのでしょう。



 なにかが、日本の社会で壊れてしまったようです。それは、いつの時代でも、あるものなのかも知れません。時の総理、宮沢喜一さんが、家族の誰かに云った事を、娘さんか誰かが、テレビか何かで、放送したものです。うろ覚えなんですけど。



 『どうして、ちゃんとやらないんだ。最後まで。』



 確かに小学校の頃、算数の99をやらされました。スラスラ云える子は、云えますが、なかなか努力する時間が必要です。努力する姿勢、動機、機会、どのように努力したらいいのか、その方法が具体的に分からなければならないのですが、その事実を認めようとしない風潮があります。コストダウン、経済的な配慮、時代や、人間の生活にそぐわないものの考え等です。



 コストダウンは分かりますけど、やり過ぎて、不良品になっている製品があります。経済的な配慮は、分かりますけど、人間として、絶対的に必要なものがあります。自尊心は必要不可欠だと思うのです。何も考えずに、両親が娘さんを叱り付けて、家出してしまう話を聞きます。時代には、それに見合った考えがあると思うのですが。若い床屋さんが、生活に追われて技術を習得できないのか、床屋の学校を卒業すると、誰でも床屋になれるのが良いのか、悪いのかは分かりません。でも、どうなんです。それ。





 


 

2011年5月15日日曜日

川崎の床屋さんのおばさん

 『はぁ、もうやらねぇ。』


 やっと、気が付いてくれたようです。怖気づいたように、おばさんは言いました。気が付いていたんだね、と云ったようにです。何時頃からでしょう。もみあげのところに、醜い傷跡が付いているのです。その傷が、どのように付いたのかは直ぐに分かりました。いつも、もみあげを長くしてくれるように頼んでも、必ず短くしてしまうのです。その時、剃刀の力の入れ具合が悪くて、皮膚まで削り取ってしまうのです。ヒリヒリしている皮膚に塗り薬を付けて、いままで誤魔化していたのです。今まで、腕を振り回すようにして、私の願いを無視していたのです。


 ここは、二子玉川から川崎にひとつ電車を乗った場所にある、床屋さんです。おばさんが1人で、営業しています。御主人は、私が通っているときに、亡くなりました。病院に入院していたのですが、退院して家に帰ってから亡くなったそうです。そして、娘さんがくれた、小さな茶色のダックスフント犬と、いっしょに暮らしているのです。1人暮らしでは、寂しいだろうと、娘さんが与えたのだそうです。


 毎月顔を出すようになってから、世間話などをしました。通い始めた最初の2回ぐらいは、随分用心されたようです。それは、そうとしても、昔の散髪の仕方を、けして、変えようとしませんでした。もみあげを短く剃るのです。ですが、ケロイドの傷を作られては、何時までも黙っている分けにはいきません。静かですが、しっかりした口調でいいました。短く剃るのは、止めて下さいと。そして、その後は、それっきり、その床屋には、行かなくなりました。多分、もう、床に伏しているか、亡くなりになったと思います。相当、御高齢のおばさんでした。


 悪い人間で無くても、悪いことをする事があります。出来たら、良い人間で、良い事を、人に知られずに、出来るような人間になりたいと思いませんか、みなさん。




 

 割れた窓ガラスを直しに来て、新たに入れた窓ガラスも割ってしまい、そのまま平然と、事なきを決めようとしたガラス職人


 『泥棒が入るのは、お金がある証拠らしいですよ。』



 窓ガラス職人が私の心をくすぐるつもりなのか、そのような事を言いました。実は、窓ガラスを割って、泥棒が入ってきたのです。幸い、何も盗まれたものはありません。多分、現金だけを狙った泥棒なのでしょう。そんな事で、不動産屋に泥棒が入って、窓ガラスを割られたことを電話しました。すぐにガラス職人が来ました。私より年上なのは分かるのですが、どれぐらいの歳の方でしょう。50歳代かと思います。仕事以外では、体を動かさないような男の人のようです。小さい顔と、割と小柄な体つきです。煙草とお酒が、仕事の終わりの楽しみのようなタイプの人です。



 そんな事で、彼が割れたサッシの窓ガラスを交換している様子を見ながら、世間話をしていました。ガラスをガラス切りで、少し切ってからサッシにはめ込んでいます。しかし、なかなか難しいようなのです。そのとき、小さなガラスがはじける音がしました。



 『パッチーン』



 サッシの角に当たる部分が、欠けてしまいました。すると、ガラス職人は気が付いているにも、かかわらず、そのままガラスを取り替えようともせず、仕事を終えようとします。まあ、気持ちは分かります。せっかく取り替えたのに、ちょっと角が欠けてしまったのです。別段いいだろう、これぐらいと言った気持ちなのでしょう。ですが、小さくても穴が開いているのです。しょうがないので、いいました。



 『割れてるよ。そこ。』



 ガラス職人は、新しいガラス板を取り出して、諦めたように綺麗に修理しました。修理代金を請求したので、支払いました。まったく、どこまでもどこまでも、困った人達です。不動産屋に入居するときに、保険を掛けさせられているので、保険から支払うようになっているのです。どこまでも、言わないと駄目な人達なのです。ひょっとしたら、自分の小遣いにしてしまったのかも知れません。そして、これが世の中なのです。けして、終わることのない、青く白い海の波のように、押し寄せては、繰り返される仕業なのです。そうなのです。ここが横浜のせいではないでしょうが、隙あらば、遠慮なくむしられてしまうのです。



 ガラスサッシ職人に限りません。所得税、消費税、酒税、ありとあらゆるものに、税が掛けられています。油断していると、二十三十と雑巾のように、絞り取られてしまいます。それで、世の中が住み良くなれば、問題はないのですが・・・。






 

五反田の床屋さんのおばさん

 『どのように散髪しますか?』
 『そうですね。適当に短くして、もみあげは薄くして、長めにしてカットして下さい。』
 『うるさいのぉ。』


 彼女が私に髪型をどのようにするか尋ねました。それで、いつも床屋さんで云っている事を云いました。すると、彼女は急に不機嫌な顔と声をして、分からない事をいいます。ここは、五反田の床屋さんです。店自体は結構大きくて、客が散髪する為に座る席も10席ぐらいあります。でも、実際に散髪をする人は2~3人ぐらいです。今思うと、変というよりおかしいというのが、本当のところです。彼女は、何を考えていたのでしょう。年の頃、50歳台でしょうか。老眼鏡を掛けていたような気がします。多分、彼女は私の性格を大人しい人だと、判断して、そのような事を云ったのだと思います。


 店の中は、年寄りのおじさんが1人と、私につられて入ってきた、金髪の外人男性の3人が、客として散髪していました。なにか、昔の考えなのです。店の言うとおりにしないと、駄目だといった考えなのだと思います。昔のおばさんの考えなのです。そして、パートのおばさんばかりが働いているような感じです。昔は主人が居て経営していたような店構えなのですが、現在はパートを使って経営している感じです。


 笑顔のパートのおばさんに、散髪料金を払い店を出ました。頭はボコボコの、昔の散髪スタイルです。顔からは、赤い血が、塗り薬で血止めされています。最近は、若い人が美容院で散髪するそうです。その気持ちはが、よく分かります。多分、この店に一度入った客は、二度とこの店には入らないでしょう。気を付けないと、こんな店ってあるんだよなぁ。うっかりしていると、大丈夫じゃないんだよね。東京は広いから、大変な目に遭うよ。体験して、しまった、といった事になるんだよね。



 ひょっとして、民主党に期待して、投票したのはいいんだけど、しまったぁ、なんて思ってんじゃないのかなぁ~、みんな。これからも、民主党政権は続くんだよね。


自分が分からない事を、分からない人達

 『あはは。わからないんだ。』


 電話の受話器から、聞こえる女性の声は、そんな事を言っているように思えました。その日、その時間に、何度、その会社に電話をしたでしょう。何度聞いても、彼女との会話からは、会社がある場所が分からないのです。しかし、時計の針は、どんどん進んでいきます。その会社に、行く約束の時間が迫っています。


『すいません。分からなかったら、また、電話いたします。』


 私は、そう言いました。電話を切って、その会社を探しました。そして、また電話をかけました。


 実は、ある会社に、用事で出向くことになったのです。取引先に、なる予定の会社様です。事前に、地図を見て、所在場所を検討してあったのですが、道に迷ってしまいました。それで、電話をして尋ねたのです。その会社に、電話をかけると、女性が電話口にでました。事情を説明して、会社がある場所を尋ねました。しかし、いくら尋ねても彼女との会話からは、会社のある場所が分かりません。電話の向こうでは、おかしそうな彼女の声が聞こえるだけです。そんな事で途方にくれていると、突然電話の声が、男性の声に変わりました。そばで聞いてた、同じ会社の人です。そして、私に会社所在を正確に、教えてくれました。


 そんな事って、良くあります。いつの時代でも、どこでもあると思います。ある会社で、私の来るのを待っていた若い男子の社員が居ました。私は、用向きを言いました。当然、待ち合わせの上司の方に、知らせてくれると思っていました。しかし、彼は知らせませんでした。そして、その若い男性の社員の方と一緒に、その会社の玄関ホールに立っていました。彼は私を見下した態度で、胸を張って私を見ています。どれぐらい、彼とそこに居たでしょう。時間が経っても、私が来ないのを待ちくたびれた、上司の方が玄関ホールに現れました。そして、私と対面しました。そして言いました。


『いつ、こられたんですか?』


 私は、腕時計を見ながら言いました。


『そうですね。40分ぐらい前に、ここに来ました。』


 上司の方が、ゆっくりと若い社員に向き直りました。そして、低い声で言いました。


『おまえ、何してたんだ?』


 どうなんでしょう。日本と言う国は。この国に住む私達は、そのような事になっていないでしょうか。私達の生活は、世界のGNP2位にふさわしい家、生活、環境内容でしょうか。世界の人々に誇れるような人々でしょうか。生活態度を取っているでしょうか。・・・・。


 人生を終えて、ご先祖様に逢ったときに、ご先祖様が私達に、こんな事を言わないでしょうか?。


『おまえ、何をしてたんだ。』


 政治家の方や世間を批判したり、それを原因にする事は簡単ですけど・・・。まあ、死んだときの心配をする余裕は無いんですけど・・。


『おまえ、何してたんだ。なんのために、私達は戦ったんだ。日本の為に、特攻で死んだんだ。』


男と女、そして警察官が顔を揃える時

 『あんた、こないだも、こんな事あったよなぁ。』



 何やら、白黒車体のパトカーと、警察官が何人か居ます。警察官の一人が、腰を屈めて、アスファルトの上に崩れるように、泣いている女性に話しかけています。その側では、1人の男が泣いている女の人を、にらめ付けるように見ています。女性は、ちょっと太めの長い髪をした、気の良さそうな感じの女の人です。男は、どちらかと言うと小柄で、テキパキ物事を進めるような感じがします。でも、けして良い事をする人間のような様子はしてませんが、普通の若い人達です。男の人の目が、ちょっと、ある種の添加物摂取した目を、しているように思えました。



 ここは東京は、世田谷区の農大の横にある、桜の木が植えてある道です。いつだったか、寒くも暑くもない季節の事だったと思います。女性の側には、いくつかの荷物を入れた無地の布製と、革のバックが、転がっていました。腰を屈めた警察官が、何時までも泣いている、女性に話しかけています。どのような理由で、この人達が、ここにいるのか分かりません。何を、どうしたいのか、女の人も、男の人も、警察官も分からないようです。とりあえずアスファルトの上で、崩れるような姿勢で泣いている女性を、何とかしたいと警察官が、話しかけています。



 どうも、男と女は2人で生活していたようなのです。ですが、女の人が、その生活に別れを告げようとしたのです。そして、手荷物を持って家を出て歩いている所に、男がそれを面白く思わず暴力を振るったようなのです。そして、前にも、同じ事があったようなのです。そんな2人と警察官を後にして、家路に向かって歩きました。テレビドラマの1シーンを見たようでした。最近ある、女性と話をしました。



 『私の周りに、たくさんいるんですよ。結婚していない人が。』



 随分前に、独身の男女が時間が無くて、付き合う事、出会うことが出来ないと、テレビ画面で云っていました。そんな事で、時間や出会いを作らなければ、ドラマは生まれないようです。でも、あまりにも、忙しすぎる気がします。何か、日本人って、全速力で走っている人の、生活のような気がします。アメリカ人も、なんか、そのような感じですけどね。なんか昔の人に云われそうです。



 『大馬鹿三太郎。』

 

 しょうがないよね。何か、知らないけど。


ページビューの合計 1064

二子玉川の女性の床屋さん

 『こんにちは。』


 晴れた日の午前中に買い物を済ませ、青空の下の灰色のアスファルトの上を、家路に向かって、歩いている私に笑顔で挨拶をする女性がいました。すぐに、近所の床屋さんだと分かりました。でも、困ってしまいました。なんとなく、ばつが悪くなって黙ってやり過ごしました。彼女の床屋さんで、散髪をしてもらったのでした。それは、良いのですが、本当に困ってしまいました。髭を剃って貰ったのですが、顔から赤い血が流れるのです。ヒリヒリして、大変でした。髭を剃る、技術が無いのです。瞬間ガス湯沸かし器のお湯で、タオルを濡らし、絞ります。そのタオルを、ちょっと顔に乗せます。その後、すぐに、替え刃の髭剃りで、髭を剃り始めます。その当時、眼鏡を掛け、歳の頃40歳代でしょうか。どちらかと言うと、感じの良い女性に見えます。随分昔の初夏の日の事です。


 椅子を立てると、私の顔が鏡に映ります。彼女の顔を鏡越しに見ます。ちょっと、顔に慌てている様子が伺えます。私の顔には、赤い血が流れているからです。なんとか、自然を装って、メンソレータムのような塗り薬を厚めに塗って、血を止めます。そして、平然と床屋料金を請求しました。


 彼女の店は、柔らかい緑の葉をした観葉植物の鉢物がたくさん置かれていて、自然光が入り、明るい感じの空気がして良い感じです。ですが、設備も、技術もないのです。彼女に限りません。今の床屋さんは、そうらしいのです。蒸しタオル機も、本格的なゾリンゲンの髭剃りも無いのです。床屋の学校に行くと、誰でもなれるようなのです。


 本当に、危険極まりない床屋さんなのですが、自覚を全然していないところが、なんとも云えません。あまりに凄いので警察と保健所に電話したと、記憶しています。でも、何も変わらなかっと思いました。以前、お医者さんが、必要もないのに、女性の子宮を除去してしまった事件をテレビ、雑誌で取り上げたことがあります。そんな感じです。


 本人が自覚しなければ、何も変わりません。多分、それで良いと思っているのです。いるんだよねぇ、こんな人がたくさん。自分の仕事が、人に快適に思われるとか、認められるのを想像する事が出来ないんだよね。心から喜んでもらえる笑顔がいかに、自分を嬉しがらせ生活力になるか。お金をもらうんだから、当たり前だけど・・・。



 多分、自分もそのような人間になっているんだと思います。朱に交われば赤くなる。まさに、無縁社会なのです。こんな床屋さんと、縁を切らなければと思います。床屋さんだけじゃないんでしょうね。縁がないよ。


三人の警察官

 『ちょっと、そこ踏まないで。』


 一番年長の警察官が、私の足元を指差して云いました。腰を屈め、茶色の合板を敷いたフローリングの床を透かすように見ています。ダイニングルーム床に犯人の足跡が付いていたようなのです。ここは私が住んでいるマンション6階の部屋です。泥棒が入ったのです。それで、とりあえず警察に電話をしたら、3人の警察官が来ました。黒い革の防寒服を着て、皆体格がガッチリして立派です。年も迫ってきた、大晦日あたりの事でした。


 ドアの鍵穴に鍵を差込み、廻しました。カチャリと微かな音と共に、ドアを開けた瞬間に、何か異変に気が付きました。見ると、玄関とダイニングルームを隔てる、たくさんのガラスがはめ込んであるドアが、微かに開いているのです。不穏な気持ちが胸の中に湧き上がるのを感じて、靴を脱ぎ、廊下を歩きました。ダイニングルームのドアを開け、ダイニングルームに入ると、今度は、寝室と、リビングルームを隔てる二つのドアが、同じく微かに10センチ位開いているのです。すぐに、すべての部屋に入り、見ました。箪笥や押入れのドアと云う、ドアは全て、開けられ、閉められていませんでした。寝室の窓ガラスが割られていました。隣りの住人の部屋から、窓を伝わって入ってきたのです。


 しばらく警察官3人と話をしていました。調書を書いていたような気がします。となりの部屋の住人にも、事情を聞くために、隣りの住人の玄関ドアのチャイムを鳴らしました。どうも、留守のようです。警察官がドアのノブを廻しました。ドアが開きました。警察官が慌てて、ドアを閉めました。何か、住居侵入に対しての無断入室を恐れたようです。どうも、子供を連れて、田舎に家族で帰ったようなのです。そのときに、何をあわてたのか、鍵を閉めないで帰ってしまったのか、泥棒が鍵を開けてしまったのかのようなのです。


 『犯人は、おまえだ。何たくらんで、泥棒したんだ。嘘を付くな!』


 年長の警察官と話をしていると、彼の目があきらかに、私を疑っている目に変わていました。それも、突然で否応なしに、強烈な感じです。目がそういっていました。口に出しては、言いませんが。


 『ええ。私じゃないよ。私は何もしていないよ。被害者なんだよ。止めてくれよ。そんな目で見るのは。』


 私の目は、そう、年長者の警察官に訴えていたはずです。慌て、ちょっと怯えていました。その後、何日かが過ぎ、隣りの住人は、すぐに引越しました。しばらくすると、警察官から泥棒が捕まったことを知らせてきました。あの年長の警察官の、私を疑う強烈な目を今も思い出すことが出来ます。あのような目で見られ、潔白な人、動じない人は居るのでしょか。スリランカ人のビッキーさんが、朝のテレビで日本の通勤者に声を掛けている番組がありました。ほとんどの日本人は逃げ回っていましたね。いつか、日本人も、堂々と応えられる日が来るのでしょうか。無実の人を疑う警察官や、日本人を試すビッキーさんに。私は潔白だし、何でも応えてやると。


 『ハバ、ナイスデー。』


 いつかの日か、日本語で、いい一日をと照れずに言える日が来るのでしょうか?




ページビューの合計 1039

2011年5月14日土曜日

ビニールの切れ端が入っていたハンバーグライスと、中年ウエイターの無責任な笑顔の対応

 『しっかり、怒っておきますから。』



 いかにも、お調子者の、どうでもいいような顔をしています。背は低い方で、お腹がちょっと出ています。丸顔で、髪の毛は黒く、薄くなっています。白いワイシャツに、ネクタイを締めています。歳の頃、40歳位の中年男です。ここは、東京は目黒区の日比谷線と東横線が相互乗り入れしている、中目黒駅前の山手通りひとつ隔てた、裏通りの雑居ビル2階にあるレストランです。1階には、焼き鳥屋、八百屋さん等、食品関係の色々なお店が入居しています。レストランは、小さなカウンターが付いていますが、こじんまりした大衆的な感じです。ここで、1人昼食を取ろうと、初めて入ったのです。昼食の時間が過ぎたせいか、客の姿はありません。注文したハンバーグライスを、ナイフとフォークで切り、一口二口と口に運んでいました。でも、何かハンバーグの中に入っています。ビニールの切れ端です。それも、ちょっと大きな切れ端なのです。何となく、声を上げて、店員を呼びハンバーグの中のビニールの切れ端を指して、困ったことを告げました。



 『厨房のコックを叱っておきます。充分に云っておきます。』



 顔が笑っているのが分かりませんでした。緊張感も、反省の色もなく、人を見下したような顔で、笑っています。なんだか、分かりませんが、腹が立って怒鳴ってしまいました。



 『ふざけんなぁ! いいかげんにしろよ!』



 一言の謝罪もなく、何の対応もしようとしていません。ビニールの入ったハンバーグを下げて、新しいハンバーグに取替える事もせず、口先だけで事なきを済ませようとしていました。不機嫌になって席を立ち、店を出ました。勘定は支払ったと思います。でも、彼が反省の態度を見せるまで、店の経営方針を批難するべきでした。でないと、良い店も、良いコックも育ちませんからね。私も若く、人にものを云うことが、上手に出来なかったのです。



 なんだか、今の日本国政府のような男だという気がします。ヘラヘラと全然、緊張感がなく、人を見下したように笑っている。震災対応も、景気対策も安心して見ていられません。それでも、国民が選んだのです。多分、日本の国民のレベルなのです。多分、しっかりしなければならないのは、日本国政府ではなく、私達ひとりひとりの国民なんだと思います。私達国民の考えが、良くも悪くも、日本国政府に反映されているのだと思います。北朝鮮の拉致問題も、景気対策も、私達ひとりひとりの問題なのだと思います。冷静に対応しましょう。国民ひとりひとりが、自ら進んで、行動出来るようなるまで。



 『法と秩序にしたがって、対処しています。』
 『どのような、法なのでしょうか? どのような秩序なのでしょうか? どのように対処しているのでしょうか? 私達国民が、何か、協力できる事は無いのでしょうか?』



 『心配しなぺえなぁ。ちゃんとやってるからぁ。』
 『何をちゃんと、やっているんでしょうか? こんな、アイデアがありますけど。どうでしょうか。私達国民に手伝える事はないでしょうか?』



 国民ひとりひとりの生活が、愉快で楽しく、快適な生活になるまで。夏の強烈な陽射しを避け、涼しげな木陰に座り、明るい太陽の光を楽しむように。冬の厳しい寒さを、暖かい防寒服を着て、冷たい風を楽しむように。経済的にも、肉体的にも、精神的にも快適になるまで続けませんか。




ページビュー1026

2011年5月10日火曜日

溺れている子供を抱きかかえた男の人

 『担架だ!』


 赤い布地をした担架が、2人のプール監視員より駆け足で運ばれて来ました。子供がプールで溺れていたのです。体の大きな男性が、意識のない小さい男の子を抱いて、プールの中をユックリと、監視台の前に進んでいました。黒い水泳パンツを履いた、小学校2年生位の男の子でした。目を閉じ、両手両足がグッタリして、監視台の前に置かれました。監視台に座っていた、赤い十字のライフガードのマークが入った白いTシャツ、赤い競泳用の水泳パンツを履いた、プール監視員の若い男が、監視台から滑り降りました。プールの周りを素足で歩いている、同じTシャツ、赤い水泳パンツ姿の監視員に大声で叫びました。控え室に飛び込み、控えていた監視員と共に、担架を抱きかかえてきたのです。


 ここは、東京の区が設営している室内25mプールです。たくさんの区民が利用しています。小さい子から、お年寄りまで、老若男女が水飛沫を上げてバシャバシャと元気に泳いでいます。そんな中で小さい子が、泳いでいるのか、溺れているのかはなかなか分からないのでしょう。それほど、たくさんの人混みなのです。小さな男の子がタンカに乗せられ、控え室に運ばれていきました。ちょっと、騒然としていましたが、たくさんの人達がそれに、気が付かずにプールで泳いでいます。しばらくすると、誰か男の人が、監視員に声を掛けました。


 『どうだったの。』
 『大丈夫です。息を吹き返しました。』


 何か、ドキドキしました。同じプールで泳いでいた子供が溺れていたことに、心が動揺していました。プール監視員は、日頃は泳ぎや、監視に対する姿勢は、充分に認識していた訓練をしていました。そして、安心できる頼もしい存在感をプールと共に、監視態度で見せていました。彼らにも、そうそうない事なのでしょう。しかし、まあ、それが原因なのか、どうかわかりませんが、毎年監視員の経営母体が変わっています。そして、年々へんてこりんな監視員や、監視体制になっています。


 絶対に事故を起してはならない。そんな管理者の考えが前面に出ている、感じです。屋外プールの水深も、凄く浅くしてしまいました。なんか、段々狭まってくるようです。それが、何か分かりませんけど。内面的な真の安全性ではなく、プール管理者に対しての見せ掛けを、いかにうまく見せるかのような感じです。政治家の政治パフォーマンスに似ています。


 現在、経済的に溺れている人がたくさんいると思います。公団に住んでいますが、たくさんの郵便ポストにピンク色のガムテーヌが張られ、郵便ポストに封をしてあります。家賃が払えなくなったのです。そして、新しい住人が来ないのです。昨日、クリニックで働いているような、女性がこのような事を云っていました。


 『ボロボロなんですね。穴だらけで。下着もタオルも。』


 老人がどこかに入居しているらしいのです。そこの、手伝いをしているような仕事をしている話をしていました。以前、ラジオのニュースで聞いたことを、実際の声として聞きました。夢なら覚めて欲しいですよ。





ページビュー1026

新宿のてんやのカウンタで、こちらを見つめる人の考え

 『天丼下さい。』


 目がくりっとした男が、何かこちらを見つめています。そこは、新宿にあるてんやです。天ぷらの丼ものを、食べさせるチェーン店です。店は大きくて、たくさんのテーブル席があります。やっぱり新宿です。たくさんの客が、席に座っています。空いている席があまりありません。テーブル席に座って、注文した天丼を待っていました。しかし、カウンターの中から、こちらを見ている店員が居ます。確かに、私の顔を意識して見ています。その、理由が分かりませんでした。


 テーブルに天丼が運ばれて来ました。形の良い、大きな黄色い海老の天麩羅の衣に、茶色のてんつゆが、ふりかけてあります。早速、黒い合成樹脂製の箸を丼に入れて御飯を口に運びました。空きっ腹には、たまらない満足感を与える食感だろうと思うのですが、ちょっと違いました。なんだあぁ、これ。御飯が冷たいのです。冷や飯なのです。天ぷらは暖かい揚げ立てなのですが、御飯が冷たいのです。でも、お腹が空いていたのでしょう。頭の中では、なにやら疑問が渦巻いているのですが、箸と口の中を動かす事は継続していました。


 食べ終わってしまいました。苦情を言うことも、しませんでした。今考えると畜生と思います。そして、あの店員が私を見ていたのは、そのような理由からだったのです。こいつのこの顔なら、残り物の冷や飯を出しても、クレームを云うことは無いだろう、と。油断するなってことですね。どんなに大きくて店構えもしっかりしていても、信用してはいけないと云う事です。銀行のような社会的使命を持った機関でも、日本国政府でもです。


 銀行の貸し渋りによる自殺者や、潰れた平和相互銀行ってのもありました。未だに、北朝鮮拉致問題を解決できない日本政府の考えは、時の経つ事による拉致被害者の消滅を待っているようです。確かに、100年したらこの世にはいませんからね。拉致被害者は。しかし、こんな事を甘んじて見ている日本の人ってなんでしょう。


 日本経済は油断してないでしょうか?


 

凄く硬いキャベツの外側の葉を使った野菜炒め

『野菜炒め定食下さい。』



 ここは、目黒駅から権の助坂を下るように歩いて、裏手にある住宅街の定食屋さんです。なんのへんてつもない、人通りもないような所にありました。何も考えずに入りました。こじんまりした、店です。4人掛けのテーブルが6つぐらいでしょうか。店の人が水飲みグラスを手に持って、注文を聞きに来ました。迷わず、野菜炒め定食を注文しました。水飲みグラスに入った、水を少し飲んでボンヤリと、店の中を見渡しました。誰も、客は入っていません。



 店の主人なのか、店員なのか、かなり若い男です。店の厨房で、料理をしています。チラと2度程、私の方を見ました。少し経つと、野菜炒め定食が、テーブルの上に置かれました。でも、ちょっと変わっています。とても、緑の色の濃いキャベツが炒めてあります。茶色の角形の盆の上に乗った、黒い合成樹脂製椀に入ったみぞ汁、小さな小皿の上の合成着色料を使用した赤ピンク色の福神漬け、御飯茶碗の白い御飯と、キャベツ、モヤシ、刻んだ玉葱に豚の細切れを炒め中皿に盛った、野菜炒めです。



 箸で少し挟んで口の中に入れて、もぐもぐと噛みました。とても、硬くて噛み切れません。それに、ガチガチして硬い紙を噛んでいるようです。スーパで売られているキャベツを購入すると、食べない外側の硬い葉は、キャべツ売り場の下においてあるダンボール箱に捨てます。その捨てている、外側の葉を刻んで炒めたのです。ちょっと、驚いてしばらく、野菜炒め定食を眺めていました。そして、食べる事を諦めて、店を出ました。確か、料金は払ったと思います。



 最近、昔食べようとした、この野菜炒めの話を年配の人に話しました。多分、大笑いするだろうと思っていましたが、こんな答えが返ってきました。



 『硬いんだけど、栄養があるんだよ。』



 そして、自分の口を動かして噛んでいる様子を見せました。その応えが、どのような意味で言ったのか、確認はしていないのですが・・・。冗談で言ったのでしょうか?



 何か、ちょっと可笑しいと思うのです。食べれないキャベツの外側の皮を炒めて出す、野菜炒め定食も、年配の男性のその炒めたキャベツに対する食感もです。本気なのか、どうか理解に苦しんでいます。ちなみに、その店を見たのはそれが、最後でした。なんだったんだろう。でも、外食していると、似たような事が、けっこうあります。



 昔、アメリカのヒラリークリントンが国務長官をしていたときでしょか。テレビ画面で日本の財界人だったか、株式相場の人達だったかに、言った事がありました。



 『どうして、あなた達は、当たり前の事が出来ないのですか?』



 それに、対して、一塊の日本人達の中から、背の高いスマートで、凄く嫌な感じの男が、変な目つきをして、一歩踏み出して、テレビ画面に向かって、大声で怒鳴って叫ぶように云いました。



 『うっせぇ。馬鹿ぁ!』



 良くこんな映像を取ったなぁ、と思いました。そして、よく放送出来たなぁ、と思いました。海外の人や、クリントン長官には、日本は、凄く硬い野菜炒めを出す定食屋さんに、思えるのでしょう。
-->

 
 

2011年5月9日月曜日

歴史は繰り返されるを目にして何を思う

 『だからよぉ。あいつによぉ・・・・。』


 何やら目の前で物騒な話をしてる男がいます。片目が不自由な只者ではない男が座って相手に話しています。左手の小指がありません。半そでシャツから出ている左腕の肘から手首部分には、焼けだ垂れた大きな四角の火傷があります。夏のある日、渋谷から横浜方面に走る東横線の乗客でした。


 『村木のやつ、良く抜けられたなぁ。』


 高校生の時、いつも集まる家がありました。そこに、中学卒業して就職した同級生が来たことがありました。話しを聞いているとヤクザに成ったらしいのです。そして、一緒にヤクサになった村木の事を話しました。静かな口調です。私達は、黙って聞いてました。


 『最初は顔パスなんだよ。映画館とか飲み屋でも。ある日めちゃくちゃに殴られるんだ。バットで。』


 村木は、シンナー遊びをして2階から落ちたときに片目が見えなくなったそうです。左手の小指がありません。左の肘から手首に掛けて、大きな四角の焼け爛れた火傷がある男です。火傷は刺青を、焼けた火鉢の棒で焼いたのだそうです。


 人間って同じ事をする動物なんだなぁ。歴史は繰り返されるんだなぁ。



 

2011年5月8日日曜日

何か分からないで話をする人




 『部屋を見せて欲しいんですけど。』
 『どうぞ。こちらでアンケートに答えてもらえますか。』
 『ええ。結構ですよ。』


 アンケートは1枚のA4サイズの青い用紙でした。ごくごくありふれた項目が印刷してあります。名前、住所、連絡先、マンション購入する理由等が~20項目ぐらい印刷してありました。事務所の椅子に座らされ、テーブルの上の用紙に黒のボールペンで記入しました。さて、部屋を見せてもらえるものと思っていました。ところが。


 『わが社は、○×▽・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○▼■・・・・・』


 そのような話が続きます。まあ、しょうがないなあ、と思いました。新しいマンションで、なんの紹介もなく見せてもらうんだからなぁ。しかし、一向に話が終わって、部屋を案内する気配が訪れません。若い男で、歳の頃は30代前半でしょう。赤ぽいスーツに、黄色のカラーワイシャツを着ています。黙っていると自分の話が、相手にとてもためになる話だと、思いかねません。20~30分が経過しました。用事を思い出したように、滔々と話し続けるマンションの販売員に告げました。東京世田谷区の世田谷通りに、建設されたマンションの部屋を見に来たのです。


 『じゃ、また今度お願いしますよ。すいませんね。』


 多分、マンションの販売員の経験が浅いのだと思います。そして、うまく契約に結びつける事が出来ないのだと思います。あるいは、部屋の作りに問題があるのかもしれません。確かに、分からない人っています。床屋でも、レストランでも、警察官でも、歯医者でも、どこにでも。そのたんびに、危ない目にあったり、困ったはめになったり、とてもいやな思いをしたりします。最近は見かけませんが、証券会社の新入社員の株式購入を勧める自己紹介文が、ポストに入っていることがあります。凄く、情熱的な文章です。


 マスコミの云っている事や、日本国政府の云っている事って、段々分からなくなってきているような気がします。彼らも、そのことに気が付いているようです。責任を取らない、取れないような云い方です。


 

適者生存の法則に従う人々




 『こいつが、○×▽・・・・』


 異様な雰囲気の男達が立ち話をしていました。時間は人通りもまばらになった夜の8時頃です。場所は、東京世田谷区の千歳烏山のファーストフードチェーン店前の歩道です。何やら、怯えたように体を小さくして、目の小さくなった男が、悪さをしたらしいのです。怒り狂っている男の人の姿を見ました。ちょっと、背中が曲がっています。制服姿の警察官が、調書を取っています。多分背中だけを見て悪さをしてしまったのでしょう。


 外見で、人を判断するのが、人です。確かに外見から、大体その人が想像出来ます。しかし、外見から想像出来ない人もいます。そして、事件に発展するのだと思います。以前2人の奥さんが話している話題が耳に入りました。そのことをいっていたのです。


 『脅かされちゃうよ。あんな所行ったら。』


 すこし前に部屋の親方と、兄弟子にリンチを受けて死んでしまった相撲取りがいました。死んだ相撲取りは、実家の両親に相撲取りを辞めさせて欲しい希望をだしていたそうです。時太山です。両親には続けさせる理由があったのでしょう。多くの力士達が現役で死んでいます。


 深夜、東京世田谷区の赤堤通りを車で走っていました。何台か赤い照明を点滅させて、パトカーが止まっていました。何かの事件のようです。車のスピードを緩めて、徐行しました。制服姿の警察官が、立ち話をしています。その少し離れたところで、スーツ姿の男が、膝を地面につけて、呆然とした表情で、佇んでいます。顔を見ると、左目がありません。窪んだ左目がある場所から、血が頬の上を流れています。


 梅雨前線が来る季節になると、傘で目を刺さされて意識不明の事件が、必ず起こります。適者生存の法則に、従った結果なのでしょう。悪ふざけも程ほどにしないと、大変な結果になります。自分に何かあっても、心配する人がいないのでしょうか。困るような人が。


 

お金を貯める方法を、伝授する郡山さん




 『山田君、お金を貯めるには、使わないことだよ。』


 軽トラックの運転をしていると、助手席で郡山さんが私に言いました。その声には、可笑しな確信を込めた気持ちがありました。確かにその通りだと思いました。その通り何だけど、ボンヤリと違う思惑が頭の中に渦巻きます。生活する為には、どうしても出費をします。銭湯代とか食費とか、いつまでも、同じ服ばかりも着ていられません。そんな事で桧山さんの可笑しな確信を込めた助言も、私には効果があるとは思えない言葉として、右から左に耳を通り抜けてしまいました。季節は夏から秋に傾き始めた季節です。天気の良い、いやになるような暑い日でした。


 郡山さんは酒屋さんの御主人です。私は、自給580円のアルバイトで働いていました。ノンビリと生活している私には、稲妻のような閃きがないと確信を持つ事が出来ません。若い私には、漠然とした将来への不安があります。生活の為の職業を見つけなければなりません。一生を掛けても悔いの無いような職業です。ですが、根性が無いのか、自分からこうするんだといったものを主張することが出来ずにいます。やはり、外からの力により、反応しています。ここで、アルバイトをしているのも、友人から話を聞いて働き始めたのです。


 人は自分から、進んで行動する事が出来るのでしょうか。自分で目標を決めて、目標に向かって進む事が。人に笑われることを畏れて何も出来ずにいるのでしょうか。やればいいのに。そう思います。皿や茶碗を洗う事と同じだと思います。なんでも。日本国政府の問題先送りも、出来ずにいるのではなく、やってないだけだと思います。


 菅直人首相を批判するニュースが良く流れます。場当たり的だとか、計画性がないとか、深く考えていないとかです。まあ、そうなのかもしれませんが、いくつか実行したことがあります。前から言われていた、日本にハブ空港がないと。羽田空港に国際線を入れて、ハブ空港にしました。太平洋戦争の激戦地で戦った日本兵の遺骨収集を実施しました。それが、政治的なパフォーマンスでも実施されたことには変わりはありません。


 おてんとうさまに、そむいていない動機なら、素晴らしいと思います。


 

こんな人いるんだぁ。横須賀のパン屋で会った女




 『これよ。これ。』


 春先の空気が緩んで暖かくなってきた頃、目的も無く電車に乗り、降りたところは横須賀でした。何やら港に係留している昔の旧日本軍の軍艦を見ました。米軍ご用達のキャバレーのような大きな店構えの飲み屋さんを外から眺めました。人のいない街中を歩いて、お腹が空きました。目に付いたパン屋さんの店の中にある喫茶コーナーで、レジで会計したパンを食べていました。


 窓際に座ってテーブルの上に置いた白い皿の上の菓子パンをひとつ食べていたときでした。レジの方で、女が騒いでいます。レジの店員と何か揉めている風でした。しばらくすると、痩せた歳の頃40代の女がつかつかと歩いて私のテーブルに近づいて来ました。テーブルの上の皿を手に取ると、店員の方を向いて、皿の上のパンを指差して言ったのです。私は、何か頭の中が真っ白になってしまいました。


 人が食べているパンを取り上げる神経って、どんな神経なんだろ、と思いました。私もまだ、若くそのように軽く見られたのかも知れません。それにしても、なんと品のない、生まれが分かるような事をするのでしょう。人間皆同じと言いますけど、出来たら、そんな下品な事は止めて欲しいものです。


 

2011年5月7日土曜日

本当だったのかなぁ、黒子を取る、がまの油売り




 『さあさあ、寄ってきな、見ていきな。』


 年の暮れになると、田舎の裏通りに市が立ちました。子供のとき、必ず市を見に行きました。町の人達は人波に当たるとして、顔を出していました。100m位の距離に色々な出店が出ていました。正月の飾り物や、正月用品の物売りがたくさん店を出していました。夜の遅い時間までやっていて老若男女の人で賑わっていました。その中には、子供を相手にした紛い物売りなどもいました。顔に色の付いた水を塗って、両手で拭くと、元の顔になる手品のような、色水売りとか、10円玉をピカピカにする道具売りなどです。


 小学生5年生位のときでしょうか。がまの油売りが来ていました。包丁で腕を切って、ガマの油を付けると、傷口の赤い血が止まっり、傷口が塞がっているというやつです。ガマの油売りは、その他に体に付いている黒子を取りました。自分の体近くまで、子供達に囲まれている中を、ひとりの中学生の顔と腕に付いている黒子を、紙にガマの油を付けて張り付けました。しばらく張り付けていましたが、ガマの油売りのおじさんがその紙を顔と腕から剥がすと、紙に黒子が付いているのです。そして、たしかに中学生の顔と腕の黒子が無くなっていました。中学生の驚いた顔も、記憶にあります。その中学生は知っている中学生でした。顔には、以前から黒子があったのです。


 今記憶を辿っても、ガマの油売りが黒子を取ったのは、本当だったような気がします。


 平然と良い事をする人がいます。街中に落ちているゴミを、何の抵抗も見せずに拾う人がいます。若い人が飲んだ後の、空のペットボトルを拾って、ゴミ箱に捨てる人がいます。あるいは、彼が話すと、今まで争っていた人達が、納得して平和が訪れます。彼が云います。


 『簡単だろ。なぁ。何考えてるんだい。』


 黒子なんて、取れないものと思っていますが、それを簡単に取ってしまう人がいます。


 

凄く勝気な故郷のお母さんと、恥ずかしがる娘さん




 『おめえ、言えねえのかあぁ。こんな年寄りが、重い荷物持って立ってるのにぃ。おかあさん、荷物持ちましょうかの、一言があぁ。あああぁー。』
 『無理ですようぉ。お母さん、こんなに込んでいては。』


 朝の通勤電車の中、突然大きな声が聞こえてきました。実にハッキリした話声が耳に入ってきました。何やら、故郷のお母さんのようです。大きな荷物を背中に背負って、満員の通勤電車に乗ってたようです。朝7時~8時頃の東急東横線の電車の中でした。車両の後方連結部分の座席の前にお母さん、娘と一緒に並んで立ってたようでした。車両中程に立っている私には、乗客の姿が邪魔で見えません。しかし、話の内容で一部始終が手に取るように分かりました。そんな車内の事等、我関せずと、ホームに電車が止まる度に駅員が乗客を押し込めてきます。


 重い荷物を持ってギュウギュウ詰めにされて立たされている自分に驚いたのでしょう。足場もうまく取れずに押されている。年老いた体に遠慮なく押してくる乗客。ふっと目の前に座っているサラリーマン、涼しげな顔をしている。年寄りに席を譲る気配なんて微塵も無い態度。怒りが腹の底から湧いてくる。そして、思いっきり、怒りをぶつけました。電車の中のリズムは全然違うものになっていました。テレビドラマや映画を興味津々で見ている観客のような空気です。


 『恥ずかしい。恥ずかしい。』


 そんなお母さんの側で、娘さんが可愛い声で言いました。


 娘がどんな暮らしをするのか、心配で田舎から娘の生活を見に来たのでしょう。安心して田舎に帰る電車で、通勤電車を利用したのでしょう。そして、通勤電車の中で受ける年寄りへの仕打ち。腹立つよね。


 国民と、日本国政府の関係のように似てますね。

それぞれの空気を持つ人々




 『醤油ラーメン下さい。』


 小田急線の祖師谷駅からの細い商店街の道を歩いていました。お腹が空いたの左手に目に付いたでラーメン屋さんの店の中に入りました。まだ、客が来る時間ではないのか、カウンターに男女の一組が座っているだけです。そのカップルと離れて座りました。6席ぐらいは離れていたいたでしょう。ですが、私の注文の声に驚いたようなのです。ビックっと大きく体を震わせて驚いた素振りをしました。それを見て、私も驚きました。大きな体を震わせたのです。そして、帰り際、私の背後で大きな咳をして、静かにドアを開けて帰りました。そんなときってあります。何かに、集中しているときとか、ボンヤリしているときです。座禅を組んでいるお坊さんの精神状態を科学的に調べたNHKの放送を見たことがあります。ささいな物音に敏感に反応する脳神経の科学図が赤く表示されました。昔から行われていた外敵からの攻撃に対する生存競争をかけた反応なのかもしれません。


 駒沢公園に壁打ちスポットがあります。屋外競技場を囲んだ壁を利用して、多くの老若男女がテニスラケットと黄色いボールを持って壁打ちを楽しんでいます。そこに通っていたことがあります。運動不足を解消する目的で行きました。そのとき1度変わった二人を見ました。大きな白い丁シャツを着た男の人と、ピンク色のTシャツを着た小さな女の人のカップルです。2人は皆と同じく壁打ちをしているのですが、何か空気が違うのです。静かな気配を消した雰囲気です。壁に当たるテニスボールの音さえ無音です。2人の体からは、気配が全く出ていないのです。多分、そのような仕事環境で仕事をしている人達だと思います。自分の気配を消さないといけない生活環境なのかも知れません。


 田舎の子供時代に親戚の子供が遊びに来たことがあります。女の子です。何か、怯えている感じが最初しました。東京に家族と住んでいて、親の生まれ故郷に遊びに来たのです。一人っ子で遊びなんかも、1人でしていたのだと思います。人と触れ合うことがないのだと思います。話し掛けると、小さくビックと体を震わせるのです。あるいは、両親の躾が厳し過ぎるのかも知れません。小言だけが、両親とのコミュニケーションなのかも知れません。その条件反射なのかも知れません。


 国民が日本国政府に希望や要望を出しても聞き入れられないのは、空気が違うのだと思います。全然違う空気なのでしょう。最初は誠実そうな顔をしていた、新人議員の顔も何回か当選してくると、違う顔になっていきます。そうです。嘘をついても平気な顔、面の厚い顔になって行くのです。最初は国民の支持者の声を反映させようとはしていたのでしょう。ですが、違う考えの支持者に支えられている議員との対立があり、おもうようにいかないのでしょう。そのうちにどこかで、妥協することを学んだのだと思います。そして、孔子や老子のような知恵も無く、解決することもなく政治空白と呼ばれる時期を継続しているのだと思います。やがて、パフォーマンスと呼ぶ表面の見てくれだけが、議員生活を支えるものだと考えるのでしょう。現金だけが、力だと悟るのかも知れません。

2011年5月6日金曜日

転職者と渋谷のうなぎ屋さん




 『そうなんだよね。いるんだよ。』


 ここは、渋谷の雑居ビルの一階に入っているうなぎ屋さんの店の中です。誰もいない店内で店主と雑談をしてました。彼は、会社員を辞めてここでうなぎ屋を始めた人です。聞くところによると、経験も知識もなくうなぎ屋を始めたようなのです。何故、うなぎ屋を選んだのかは聞き忘れました。でも、なかなか順調で儲かっているらしいのです。渋谷にマンションを購入しています。マンションに案内され、部屋を訪れました。立派な洒落たマンションです。昭和50年代半ば頃の話です。その彼が、不思議な話をしました。どうも、常連客の話らしいのです。


 どこに勤めても会社が潰れるらしいのです。勤める先々で会社が潰れてしまうのです。その当時は、会社が潰れるような景気ではなく、石油ショックから経済は立ち直り始めていて、順調だったと思いました。相当競争力の激しい業界でも、潰れるような会社の話は聞いていません。話半分で笑いながら聞いていましたが、ある国の大使館に勤めたそうです。そして、さすがに国の大使館は潰れなかったそうです。


 灰色のアスファルトの歩道を歩いて帰りながら、思っていました。何も知らないで始めたうなぎ屋さんで、トントン拍子で、お金が入りマンションを購入してしまう人もいれば、勤める先々で会社が潰れてしまう人もいるんだなあ、と。


 私も何回か、転職しました。転職する度に給料が上がり生活も向上したように思います。しかし、どうなのかなあとも思います。転職をすると、すべてを一から始めることになります。一番大切なのは、今まで良くも悪くもあった、人間関係がすべて無くなってしまうことです。人にとって、寂しいことは今まで自分の一部のような人が、居なくなる事でははないでしょうか。快適に生活する為の生活用品や、快適に仕事をする為の道具がなくなると困るような事と一緒かと思うのです。家族や、仲間とか、愛着のある道具は自分を認識する指標のような気がします。体の一部がなくなると痛み、不便になるのと、一緒かとも思います。


 派遣社員、派遣会社、派遣切り等の言葉を良く聞きます。秋葉原の無差別殺傷事件なども、派遣社員に対する感情が起したような感じを受けています。無縁社会と云われています。どうなんでしょう。親しい信頼されている、理解され、理解している人達の中で生活する精神的な豊かさを忘れてしまっているような気がします。ブータンの人に尋ねた週間雑誌が、その応えを記事にしていました。


 『何か欲しいかって。何もいらない。一緒に暮らせる家族が居るから、それが一番幸せだよ。』


 そんな事を書いてあったような気がします。国民総生産の高いとはけして云えない国の、豊かな生活だと思います。おじいちゃん、おばあちゃん、そして孫に囲まれた生活の写真が掲載されていました。

アイザックニュートンの万有引力の法則とは違う、巷の引力の法則




 『あいつと居ると、変な事ばっかり起こるっちゃ。』


 安物の銀縁の眼鏡をかけ、頭髪を亜麻色に染め、蟹股で背の小さい北九州生まれの彼が言いました。ここは、江東区大島にある和室の部屋です。日本経済がバブル経済に成る事など、想像もしていない時期に、会社の同僚の部屋に遊びに行ったのです。ある人と仲良くなり、遊びに行ったらしいのです。そして、その先々で不思議な出来事に有ったらしいのです。


 『釣堀で釣りをすると、死んだ魚を釣るちゃ。』


 釣堀で魚釣りをして遊んだらしいのです。そして、相手の釣った魚が死んでいたらしいのです。そういえば、昔、同じようなタイプの人が、死んだ魚を釣っていたのを見ました。そして、死んだ魚を釣った人と、以前話したことがあります。2~3言、言葉を交わしただけですが、ちょっと、何か目に見えない暗い空気が漂っていました。体を動かさない人のようで、何かを何時も考えているようでした。体が大きく肩幅もあり、均整の取れた体型ですが、なんか淀んでいるような感じを受けました。そして、話を交わした日以後、会う事はありませんでした。彼は、聞きもしない事を云いました。あるいは私の顔に何か、彼へのメッセージが出ていたのかもしれません。彼は、違う精神世界で生活しているのです。


 『今に分かるよ。俺の頭の良さが。』


 アイザックニュートンが、木から赤い林檎の実が落ちるのを見て、万有引力の法則を発見しました。そして、科学界に発表され、多くの人々が自然界の法則を知りました。しかし、発表はされませんが、多くの人が経験から言うことがあります。親が子供達に、知人が友人にです。


 『あいつには近づくな。かまうな。』


 悪いことばかり、起すような人々がいます。そして、彼らは悪いことを引き付けてしまのです。何がそうさせてしまうのかは、明白です。悪い閉じた自分だけの事を、考えているのです。自分と世の中を正直に考えていないのです。自分と世の中に正直であれば、道が開いているはずです。その道が閉じているのは、道理という事実に嘘をついてしまっているのです。間違った考えに従っているのです。


 麦や稲が、太陽の陽射しを受け黄金色に豊かに実るのは、役に立つから、そのように手入れされ、ふさふさと豊かに実るのです。繁栄するものは、人と世の中の役に立っているものです。日本が国難となっているのは、何かが間違っているからだと思います。世界が変わっているのに、日本だけが変わっていないのかもしれません。アメリカの要人グリーンスパン議長は、百年に一度の不景気だと声明を出す前に、言いました。


 『戦後何十年も経つのに、日本は何も変わっていない。』

やる人と、やらない人の違い、成功と失敗の違い、踊るあほうに、見るあほうの違い




 『やれば良いじゃないか。』
 『でも、こうした方が良いんじゃないですか。』
 『自分で会社を作って、やれば良いじゃないか。』



 我々が座っているテーブル隣から、話が耳に入ってきます。同じ事を言い合っています。東京は山手線の品川駅隣り駅から、歩いて5分位の場所にある、大門の近くの喫茶店です。夜の暗闇の中を、ライトアップされたオレンジ色の東京タワーや増上寺が見えます。アメリカの連続多発テロがある前の、忘年会の帰り道、4人でお茶を飲む相談をして、コーヒーを飲んでいます。我々の隣りで、会社経営者と部下らしき男女数人が、お茶を飲んでいるのです。いつまでも、おなじような事を云っているので、どうしても思考回路の中に入ってきます。彼等の会話を耳にして、私達は楽しい会話をして時間を過ごしました。



 『そうだ! 明日、みんなでそこに、行こうか。』
 『そうだね。何時に行くの。』
 『うん。行こう。』



 以前、こんな会話を故郷の実家でしました。次の日に、予定を確かめると、何の話か分からない顔をしています。そうなんです。ただ、会話のなりゆきで、しただけなのです。けして、行こうとはしてはいなかったのです。



 『ねえ。今度みんなでここに、また、こようよ。』



 兄弟の嫁さんが、焼肉屋さんで家族と私に言います。でも、けして行った事がありません。ピクニックに行っても同じ事をを云っています。



 『するだけです。ただ笑わすだけです。』



 昔テレビ画面で関西の落語家、桂三枝さんが云っていました。何か、インタビューに応えて同じ台詞を何回か繰り返して、云いました。それは、する人としない人の違いを云っているようでした。する、しない、それだけが違うようでした。



 『今度。』
 『明日にしよう。』
 『いつか、きっと。』
 『お酒飲んじゃったから。』
 『ちょっと、タイミングが悪いから。』



 今しかないんだよ。今、すぐやるの。疲れたら、寝てから休んでからやるの。






豚串の争いと、正直者の違い




 『なんだい、これ? 頼んだ?』
 『いやぁ?』
 『なんだろ?』


 東急東横線の武蔵小杉駅を降りて、会社の同僚2でお酒を飲んでいました。生ビールジョッキ片手に、仕事のコミュニケーションを今後も親密になるよう図っていました。湯気の出る鳥から揚げ、竹の棒に刺した焼き鳥、マグロ赤身の刺身、そんな皿に乗った食べ物が、所狭しと白木のテーブルに並びました。とにかく、食べ飲もう、と云った感じでいました。テーブルを挟んで、何でもない話題に力も要れずに話していました。ひと通り、注文も終わり、食べたいものを思いついたように注文していました。なんだか、身も心も落ち着いて、酔いが心を平和な気持ちにさせていたときです。若い女性店員が歩いてきて、テーブルに白い小皿を置きました。小皿には、豚串が一本乗っていました。豚串は、異常に脂身が多い、豚肉を竹の棒に刺して火で焼いたものです。店に入ったときに、何本か注文して、既にテーブルの上に置いてありました。脂身が多過ぎて食べられず、何本か皿に残っていました。ここは、地元の人が経営しているような、迷路のように入組んだ街の片隅にあります。大きさはまあまあで、白木を基調として作られた明るい店内の居酒屋です。バブル経済が破裂して、急速に日本の景気が悪くなり、巷に仕事がなくなってきた時期の話です。


 『ワザとやったんだ。』
 『そんな事ないですよ。』
 『多分、ワザとだよ。』
 『違いますよ。間違えたんですよ。』
  ・
  ・


 そんな事をしばらく、2人で言い合いました。若い女性店員も、豚串の効果をどこからか伺っていたのでしょう。豚串を私達のテーブルに置いた後は、姿が見えません。私達の豚串に対する争いを見ていたのです。会計を済まして店を出るまで、彼女の姿は見えませんでした。でも、一緒に仕事をしている仲間が、必死に彼女の弁護をしているのが不思議でした。いつも、どうでも良いような、ささいな、つまらない悪巧みばかり考えている男なのです。


 『悪い奴いるよぉ。』


 アメリカ人の知り合いの言葉が、チラと頭をかすめました。そうなんですね。つまらない事や、悪いことを考えている人っているんです。その理由は、色々あると思います。彼女は私達を見て、頃合を計って、それを実施したのです。それは、客商売をしている人達が頻繁に行っています。表面は大きな形の良いものを乗せ、中身は小さいものや、形の悪いものが入っている、詰め合わせに似ています。彼女は、そのようなものを、形を変えて実施したのです。実施した、理由は彼女に聞かないと分かりません。


 しかし、そのような考えとは無縁な人達がいます。その人達は、そのような顔をしています。そして、多くの人から信頼されています。その人の行いが顔に出るのです。

2011年5月5日木曜日

日本の現在を描いた、昔見たアメリカ映画




 小さい頃、1人家に帰ると誰もいない事があります。夏の午後に遊び疲れて、家の中に入って静かな空間に身を置いていると、独りぼっちの寂しさが迫ってきます。普段は両親や家族で、夜の就寝まで、活気のある空気でいっぱいなので、尚更寂しい空気を感じてしまいます。


 ひとり、畳に寝転がり天井のない屋根の柱の骨組みを見ていると、ちょっと怖くなってきます。その時にテレビを付けると映画を放送している事があります。放送するものがないのでしょう。毎日同じ時間に同じ映画が放送されていたときがあります。その映画はアメリカで作られ日本のテレビ局が放送していました。


 『何でも願いを叶えてやろう。』
 『じゃ、ソーセージを出してくれ。』


 シンドバットの冒険が放送されていました。テレビは白黒画面で放送されているのですが、記憶にはカラーで記憶されています。カラフルな魔法の絨毯に乗り、空に浮かんでいる若い彫りの深い顔をした主人公が、フランクフルトソーセージより大きな、鎖のように繋がっり熱した、ソーセージを手に持って口に運んでいる映像が映し出されました。手に持つソーセージを、アッチチ、アッチチと持ちながら、食べる姿にとても、魅力を感じました。美味しそうで、羨ましく、自分もあのようなソーセージを、お腹いっぱい食べたいなぁ、と思いました。


 『人がみんな自分だったらいいのに。』


 アメリカの生活をしている、チェック柄のブレーザーを着て登場したアメリカ人が、道行く人や買い物をする人がみんな自分だったらいいなあぁ、と願いました。すると、目を覚ますと、道行く人も買い物をする人も、自分と同じ顔をしています。願いが叶ったのです。喜んで、自分と同じ顔の人に話しかけました。すると、とてもつっけんどんな対応をされました。道を歩く自分と同じ顔をした、通行人がぶつかって歩き去っていきます。そして、主人公は同じ人間ばかりがいると、とても住みづらい世の中になってしまうことを知らされるのです。


 アメリカの映画やテレビドラマを小さい頃、たくさん見ました。日曜の朝に放送される、『ライフルマン』、『名犬ラっシー』、『パパはなんでも知っている』、とかです。最近、ラジオかテレビで聞いたのですが、日本が共産圏の国々に近づいてはまずいので、自由資本圏にあこがれを持つように製作して、日本に与えたといっていました。それは別として、日本は今、昔見たアメリカ映画のようになっています。同じ人間だと、住みづらい世の中になる映画の通りです。


 名犬ラッシーの主人公エリザベス・テーラーは最近亡くなりました。何かが、遠くに行く気がします。平和な静けさとか、人の心の中の良心に似た感覚のようなものがです。でも、勘違いかも知れません。そんなものは、昔から存在してないのかも知れません。ひょっとしたら、アメリカの思惑通りのものを考えていたのかも知れません。そして、日本人を見て、同じ人間ばかりだと、住みすらい世の中になるよと警告していたのかも知れません。

2011年5月4日水曜日

 ジキルとハイドのような人になってしまう原因

-->


『何云っちゃてんの。』


 周りの空気とは全然違う声で、腕を振り回し、叫ぶように話す男がいます。しかし、次の瞬間には、嬉しそうに笑いながら、親しげに話し掛けてきます。髪の毛は黒く艶々していますが、ちょっと薄いところがあります。顔も、体もふっくらとしてあんこう型の体型をしています。見た目は普通で、どこにでもいる会社員の男です。服装も取り立て、特徴になる色や形の服を着ることもありません。ごくごく普通の黒や灰色を基調とした服装です。


 『自律神経失調症らしい。』


 彼の間接的な上司である、年配の人が私にさりげなく云いました。そんな感じを受けていました。彼には自分をコントロールする力がないのです。それほど、強烈な力強い感情の持ち主なのです。そんな彼の攻撃目標になっているのが、間接的な上司である、年配の人なのです。真面目な雰囲気の空気に触れると、真面目そのものの話し方をします。そして、感情が切れてしまうのか叫ぶように話始めます。目が釣りあがり、血走ってきます。


 『へへへへぇ。』
 『わっははは。いやらしいやっちゃなあぁ。』


 若い緊張感のない人に触れると、どうにも愉快な感じの人になります。楽しくてしょうがないと云った雰囲気です。周りの事など気にしないほど、笑い話をします。何時間でも、そうすることが出来ます。そのような愉快な人がいるとです。


 『そんな人が、居れば良いんだけどね。』


 ある日、何も聞かないのに、彼が私に話し始めました。自分が置かれている立場で自分の悩みを打ち明けました。自分でも、どうすることも出来ないらしいのです。ただ、彼の求める波長を持った人がいると普通でいられるらしいのです。家に帰るとき、近所のコンビニで、ある乳酸菌飲料水を購入して帰るのだと云いました。それは、昔テレビで大々的に宣伝された乳酸菌飲料水です。そして、今では全然宣伝されていません。そんな乳酸菌飲料水が今も売られている事さえ知りませんでした。


 昔、まわりの連中の1人が困ったように云った事があります。


 『俺、あいつ嫌いだよ。』


 そう云われた人は、何やら鼻がつまっていて、しきりに鼻を鳴らすのです。そして、インスタントラーメンを常食していました。そばにいると、気にする人もいるのです。鼻を鳴らす音が、小さくても気になる人には気になるのです。鼻を詰まらせるのは、インスタントラーメンの科学調味料なのです。多分、自律神経失調症の彼は、毎日愛飲している乳酸菌飲料が原因で、自分をコントロール出来なくなっているのです。習慣性的に喉の渇きを刺激する微量の何かを混入させ、作用するのを、メーカーも分かっているのです。微量ですが、肉体に影響を与え、精神がコントロール出来なくなっているのです。一昔、世間を騒がせた、オーストリアのワインメーカが最初に始め、日本のワインメーカも真似して、ワインに一滴垂らした、車のラジエターに入れる不凍液のようにです。


 私も小さい頃から、粉末ジュースや炭酸飲料水を常飲して来ました。食べ物にも気を使わずに、インスタントラーメンを食べていました。そして、肉体や精神に多大な影響を与えている事実を知りました。常飲を止める事によって、影響されていることを知ったのです。ある、目鼻立ちのすっきりした、日本の女優さんが、テレビ画面の中で云いました。


 『味噌汁。私駄目なんです。』


 添加物が混入している味噌汁が多いのです。確かに、目がつぶれているような顔の人や、食べ物に当たっている人の顔を見ます。アトピーの人なんて、どうなんでしょう。

-->