2011年5月19日木曜日

全然違うことを考えてしまう、若い見習い不動産屋

 『可哀そうですね。』


 何か、哀れむような目をして、下を向きながら、彼が、私に云います。哀れむような目とは、別に、このような目をしている人を、たまに見ます。添加物を摂取した、変に、何か池に浮いているような目なのです。ペッタと張り付けたような、目です。彼は、若い不動産屋の見習いらしいのです。ここは、東京世田谷区の用賀にある、建売物件の一軒です。ある晴れた日に、テニスの壁打ちをしようと、自転車に乗って駒沢公園に向かいました。電柱に建売物件の赤い縁をした案内が、かけてありました。案内の表示に従って、自転車のペダルを踏んで着くと、そこには、三軒の建売住宅が建っていました。早速、案内人に見せてくれるよう、希望しました。


 家の中を案内してもらいながら、世間話をしました。白いワイシャツに、ネクタイを締め、灰色のスーツを着ています。体は小柄で、痩せている彼が、何か、違った雰囲気になっていきます。自分勝手な、ひとりよがりの解釈を始めました。世間話の中で、笑う所なのに、何かを考えてしまいます。なんだろぉ、この人、と、うつむき加減に目線を落としている彼を見つめました。あるいは、自分の境遇が、危険なところにある人なのかも分かりません。会社で、正当な待遇を受けていないのかもしれません。しかし、まだ、若い事もあり、物事が良く分からないのです。しきりに、私を哀れむような態度を取ります。段々と、腹が立ってきました。


 『馬鹿野郎! あっち行け、この野郎!』


 このような人を相手にしても、何の徳も無いことを知っていました。案内された、物件の住宅の玄関で、靴を履き早々に退散しました。そして、自転車に乗り、怒りの大声で怒鳴りました。客商売で、人に接する態度が取れない人がいます。自分を主張するあまり、相手の言い分や、人そのものを、認める事が出来ないのです。また、相手を哀れむことにより、自分が於かれている境遇を救い出そうとすることが、人にはあると思います。


 色々な意見があります。ベトナム戦争に行った、アメリカ人がテレビ画面で、アメリカに帰国して、自分の心の中に在る葛藤を、静かな口調で云いました。戦争に行き、生死を賭けて戦い、戦友やベトナム人の死体をたくさん見たのでしょう。


 『自分を思うと、自分が考えている自分とは、違った人間になってしまった。』


 若い見習い不動産屋が、どのような環境、境遇を経て来た人、どのような考えの人なのかは、分かりません。ひょっとしたら、ベトナムから帰ってきたアメリカ兵のような心境にいる人なのかも分かりません。しかし、いつの時代も、人が人と争う事、国と国が争う事ではなく、家庭、会社、社会の中で、仲良く利害を調整する事が、人間が生き、必要とする最重要課題だと思うのですが。



 

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