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なにげない日々の暮らしの中で、日本の人々が出逢う細々とした小さな出来事を記述しています。
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2011年5月5日木曜日
日本の現在を描いた、昔見たアメリカ映画
小さい頃、1人家に帰ると誰もいない事があります。夏の午後に遊び疲れて、家の中に入って静かな空間に身を置いていると、独りぼっちの寂しさが迫ってきます。普段は両親や家族で、夜の就寝まで、活気のある空気でいっぱいなので、尚更寂しい空気を感じてしまいます。
ひとり、畳に寝転がり天井のない屋根の柱の骨組みを見ていると、ちょっと怖くなってきます。その時にテレビを付けると映画を放送している事があります。放送するものがないのでしょう。毎日同じ時間に同じ映画が放送されていたときがあります。その映画はアメリカで作られ日本のテレビ局が放送していました。
『何でも願いを叶えてやろう。』
『じゃ、ソーセージを出してくれ。』
シンドバットの冒険が放送されていました。テレビは白黒画面で放送されているのですが、記憶にはカラーで記憶されています。カラフルな魔法の絨毯に乗り、空に浮かんでいる若い彫りの深い顔をした主人公が、フランクフルトソーセージより大きな、鎖のように繋がっり熱した、ソーセージを手に持って口に運んでいる映像が映し出されました。手に持つソーセージを、アッチチ、アッチチと持ちながら、食べる姿にとても、魅力を感じました。美味しそうで、羨ましく、自分もあのようなソーセージを、お腹いっぱい食べたいなぁ、と思いました。
『人がみんな自分だったらいいのに。』
アメリカの生活をしている、チェック柄のブレーザーを着て登場したアメリカ人が、道行く人や買い物をする人がみんな自分だったらいいなあぁ、と願いました。すると、目を覚ますと、道行く人も買い物をする人も、自分と同じ顔をしています。願いが叶ったのです。喜んで、自分と同じ顔の人に話しかけました。すると、とてもつっけんどんな対応をされました。道を歩く自分と同じ顔をした、通行人がぶつかって歩き去っていきます。そして、主人公は同じ人間ばかりがいると、とても住みづらい世の中になってしまうことを知らされるのです。
アメリカの映画やテレビドラマを小さい頃、たくさん見ました。日曜の朝に放送される、『ライフルマン』、『名犬ラっシー』、『パパはなんでも知っている』、とかです。最近、ラジオかテレビで聞いたのですが、日本が共産圏の国々に近づいてはまずいので、自由資本圏にあこがれを持つように製作して、日本に与えたといっていました。それは別として、日本は今、昔見たアメリカ映画のようになっています。同じ人間だと、住みづらい世の中になる映画の通りです。
名犬ラッシーの主人公エリザベス・テーラーは最近亡くなりました。何かが、遠くに行く気がします。平和な静けさとか、人の心の中の良心に似た感覚のようなものがです。でも、勘違いかも知れません。そんなものは、昔から存在してないのかも知れません。ひょっとしたら、アメリカの思惑通りのものを考えていたのかも知れません。そして、日本人を見て、同じ人間ばかりだと、住みすらい世の中になるよと警告していたのかも知れません。
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