2009年11月5日木曜日

自分の尺度で捕らえようとする人





 「山田さん・・・・、つかぬ事をおたずねするようなんですけど・・・・。みなさん、驚いたよ。って言ってましたけど・・。、事故かなんかに合われたのですか・・・。」



 私は、運転席でハンドルを握っている山田さんに、恐る恐る尋ねました。山田さんは、組合の役員らしく顔が広いらしいのです。たくさんの人に、逢ってちょっと言葉を交わしていたのです。ですが、その人達が山田さんの顔を見て驚いた顔をするのです。それで、何となく気になって、話を切り出したのです。



 「俺、癌なんだよ。薬を飲んでるから、髪の毛が抜けちゃってるんだ。」



 ハンドルを握りながら、山田さんが平然とした感じでいいました。確かに、頭の髪の毛はなく、はげています。多分、自分が癌だったら、どうゆう事になるのか想像は付きませんけど。大変な事には違いないと思います。精神的にも経済的にも、肉体的にも。



「そうそう、以前勤めていた会社でも、癌の若い男の人がいて、頭髪がありませんでした。頭に頭巾のようなバンダナを巻いていました。薬の副作用で、やっぱり髪に毛が抜けちゃっていました。」



 私も、平然と山田さんの癌の告白を受け止めて、答えました。そして、それっきり癌の話題はしませんでした。山田さんは、既に癌と呼ぶ事実を受けとめ、自分の中に受け入れたようでした。



 人生には、たくさんの事実があります。好きとか、嫌いとかのレベルでは計れない絶対的な事実です。拒絶しても、受け入れても存在している事実です。



 そんな山田さんが、私の身辺の事を尋ねます。そして、初対面の私を計りたいらしいのです。どのような人間であるのかをです。山田さんとの会話の中で3回ぐらい、彼は私と呼ぶ人間に結論をだしました。その度に、私がお話をするので山田さんは私を、計りかねているのです。彼が出した、私と呼ぶ人間の結論では、私を定義できないでいるのです。



 確かに、彼は癌です。病院にも行き診断され、薬を飲み頭髪も抜けてスキンヘッドになってしまいました。しかし、自分の生活や人生には、まだ結論を出していないと思うのです。癌と呼ぶ事実には、妥協しても自分の生活や人生には、まだ改善する交渉の余地があります。



 人は生きている限り、自分の生活や人生を実りあるものに出来ると思うのです。誰に言われようが、人は自分の生活や人生、そして自分自身をこうありたいと決め、行動するとが出来ると思います。人がどのような尺度をもって計ろうが。

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