2009年4月10日金曜日

小さな世界




 『ペッて、つば入れたんじゃないの。』

 『そんなっ事、してないよぉ。』

 彼からの予期せぬ言葉を聞いて、驚いて返答した。自動販売機からお湯を入れた即席うどんを購入して渡したのだ。帰りに買ってきてくれと頼まれたのだ。彼は、ワルなのだ。社会人になってから、なんとなく話をしだした中学校の同級生である。顔には只者ではない表情が刻まれている。仲間にはそれなりの理解を示すが、仲間でない者にはとんでもない行為をしてしまいます。どのような経緯でこのような男になってしまったのでしょう。中学校を卒業して、横浜に就職しました。赤い髪をして戻ってきました。勤まらなかったのでしょう。

『格好悪かったね。ほんとうに。格好悪かったね。』

 彼がしきりに仕事先の仕事中の事を言います。気持ちは分かりますが、そんな事なんでもないと思います。でも、彼には受け入れられないようなのです。確かに、本人の事情を知らないのでなんとも言えないのですが。彼はひどい乱暴者で、なにか彼の腹の虫に触ると大変な事になります。人から無視されるのがいやなのです。許せないことなのです。そして、相手の事情を、考える事が出来ないのです。まあ、若い人は皆同じです。そして多かれ少なかれ人は皆そうですね。

 自分や家族の事を考える事が出来ない人。学校、会社、地域社会の事を考える事が出来ない人。みんなそうだと思いますと言ったら乱暴ですか。そして、それを考える事が出来るようになったとき、人は本当に心に安心を得られるのではないでしょうか? そして多くの人は感じてはいるんだろうけど、どうしていいのか分からないのです。

 多分、それが分からない人は乱暴に取り扱われたのです。家庭、学校、会社、社会、世の中ににです。人は乱暴な言葉を聞かされたり、扱いをされると自分を喪失します。自分を喪失した人は寂しく悲しい人になります。萎縮し自分で行動する意欲がなくなってしまいます。何かをするために生まれてきたのに、その何かをする為の意欲が萎えてしまうのです。そして、また一部の人は乱暴な言葉や取り扱いをする人になるのです。

 人は乱暴な言葉や、取り扱いが自分自身を取り巻く環境や社会を悪く作ってしまうことを知るべきだと思うのです。そうしないと、家族と離れてしまう子供や、社会にそむく人々が増えるようなるでしょう。何故なら人の自尊心が乱暴な言葉や取り扱いの中に居る事を許さないからです。しかし、人は一人では生きていけないし、社会となんらかのつながりがりを感じていないと鬼になってしまうような気がするのです。

 私の小学校の低学年時代の話なのですが、同級生のある背の高い少女を見ると私の心が痛んだのを覚えています。この子は両親に乱暴に育てられていると直感的に感じていたのです。何の意欲も感動も示さない女の子でした。どうするんだろう。この子は、大きくなったら。どうやって生きていくんだろうと。

 親切で丁寧な言葉を選んで日々の暮らしに用いれば、幸せに毎日をすごせるのではないでしょうか。親切や言葉が習慣となり身体の一部のように使用することができたら。人は例外なく、自然な人が好きです。自然に親切で丁寧な言葉で話してくれる人に敬意を示します。始めは不自然かもしれませんけど、すぐになれるでしょう。ひょっとしたら、それが自分のものになっていなければ、乱暴な人達からの挑戦を受けるかもしれません。





良い家具をじっくりと選びたいですね。

0 件のコメント: