2009年4月30日木曜日

ちょっとした会話




 『少々お待ちください。』
 『どれぐらい、かかるの? 2~3分?』
 『少々お待ちください。』
 『どれぐらい、時間かかるの? 2~3分ぐらい?』
 『少々お待ちください。』
   ・
   ・


 どれぐらい同じ事を言い続けたでしょう。多分、私が止めなければ、随分と長い時間続けていたことでしょう。これが、普通の日本人の会話の代表例だと言ったら乱暴でしょうか? 段々と思考回路がおかしくなります。まるで近未来のロボット社会に行ってしまったような気になります。ある銀行大手の支店に電話をしてATMの事について尋ねたのです。そして、段々と電話の相手、仕組みが分かってきて納得した次第です。それはしょうが無い事なのかもしれません。彼女達も生活の為に仕事をしているだけで、決められた事しか応えられないのです。

 どれぐらい前だったでしょう。ペルーの日本大使館人質事件があり、日本中を騒がせた事がありました。日本人の血を引くフジモリさんが、大統領任期のときです。事件は犯人グループを射殺して結末を迎えました。そして、人質側の何人かも犠牲になり死んでしまったと記憶しています。テレビの画面にペルーのフジモリ大統領の笑顔が大きく映し出されて、勝利宣言をしました。

『日本人の皆さん。テロリストとは、けして交渉してはいけません。』

 その後、日本のテレビ番組では決して放送企画はされないだろうと思える放送を、フランステレビが流しました。画面には、ペルー人質犯人のリーダーの、母親の顔が映し出されました。苦しみに打つのめされたような、ゆがんだ顔で彼女はテレビの画面で言いました。

『息子は仲間のために戦って死んだんだ。今は、息子のそばに行ってやりたい。・・・・。』


 ひとりの母親として、ひとりの息子を思う人間的な感情をテレビを通してテレビ視聴者に投げかけました。同じこの時代に人間として生まれ、生活しているものとして、その苦しみは理解出来ました。確かに立場が違うだけで、私達と同じ人間であり仲間です。

 やはり、アラブのテレビの中で戦争で特攻隊の指令で死んだ幼い息子を失った、白い頭巾で頭を被った若い女性の顔が映し出された時がありました。そのそばでは、アラブの黒く日焼けした男性が彼女に問いかけています。

『いいよなあ。また、子供を作れば。いいよなあ。また、子供を作れば。』

 大勢の人々が見ている中で彼女は、椅子に、身動きせずにじっと座っていました。何かに耐えているよう顔で、口を開こうとはしませんでした。その目は何を見ているのでしょう。そして、男の問いには何も応えませんでした。

 イランの国に嫁に行った日本人の女性の話を聞きました。やはり、小さな息子を戦争で無くしてしまった話です。その日本人女性は、イラン国の為に息子が死んだことを平然と受けと止めたと聞きました。詳しくは知らないのですが、日本的な感情の処理の仕方かもしれません。

 仕事、その他対外的な感情の処し方はコントロールされるべきものだと思います。しかし、やりすぎていないでしょうか。私達は人間だということを。家庭や人との付き合いであまりにも、ロボット的になっていないでしょうか。均一人間になっていないでしょうか。自分や人との違いを受け入れる事ができているでしょうか。何故なら、同じ人間なんかいないからです。その人の生い立ちや、考えは全て違っているからです。人の喜びや悲しみ、立場が理解出来たときに、この世界は白黒からカラーになり弾力を持つ世界になるのではないでしょうか? ロボット人間にしてしまう環境に目を反らしていないでしょうか?

 そんな事、分かっているよという声が聞こえそうです。酒飲みは、医者に止められてもお酒をやめる事が出来ません。自分では分かっている。体に悪いことは。それでも、止められないのです。タバコ吸いも、そうです。タバコを止めたいと言っていても、吸いつづけています。

 頭では分かっているんだけど。でも、それが人間です。

 そんな、人間の感情や、生活に関係なく、月日は流れます。今日も一日が終わる合図を窓の外の夕日が遠くの建物に日差しを投げかけています。もうすぐ初夏です。


通信販売には安いものがありますね。



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