2011年10月20日木曜日

右に左に行ってしまう日本の人達


 『無駄の無い走りです。』



 ある日本の有名なマラソン選手の走り方を、スポーツ専門家が評価して云いました。テレビの画面には、男性のマラソン選手がランニングをしている姿が映されています。どれぐらい前でしょうか。マラソン選手の走り方を、評価して、疲れない走り方だと海外のスポーツコメンターを通訳者が通訳して話した映像でした。



 上下にぶれる事なく、アスファルトの道を走る日本のマラソン選手。スタミナを消費しない走り方には違いないと思える走り方です。でも、何か機械が黙って走っているような感じです。人間の持つダイナミックな迫力とか、ゴールを目指す気迫のような感情を揺さぶるような姿とは、ちょっと違っています。



 駒沢オリンピック公園にエチオピアのマラソン選手の走る姿が、等身大写真で壁に掛けてあります。アベベ・ビキラです。その、走っている姿には、紀元前より、人間が人間から受ける人間の偉大さ、尊厳を感じさせるものを考えさせます。



 走る事を追求すると、直線的にすべるような日本人のマラソン選手のような走りになるのかも知れません。疲れを最小限に抑えた走り方、見栄えより最終的な目的である、誰よりも早く、疲れを知らない走り方で勝利する。それが、日本人が許した走り方なのかもしれません。



 日本人の考え方が、食物にも現れています。味が良ければ、問題ない食物への添加物混入食料です。服装も、無機質な色や形です。家に付いては、誰もが無感覚になっている、不気味な形をしています。



 何か、考える事を忘れてしまって、人間の感覚を知る事なく、あっちに行ったり、こっちに行ったりしている日本の人達のように見えます。TPPなる貿易協定を議論して、東日本大震災復興を視野に入れた、第三次補正を議論して等と、ニュース画面で言っています。でも、何か肝心要のものが、無いような感じです。



 随分前ですが、日本の経済が良好で、世界中から良質な物が輸入されました。そのときに、良いものを身に付けた時に、良いものが与えてくれた感覚です。自然な、当たり前の事を知らせてくれた感覚です。たとえば、イギリス製のジャガード織りなるカーデイガンです。肩からずり落ちることなく、上半身に程よく密着する着心地と、目にも自然な色合いです。フランス製の通勤鞄や、使いかっての良い、しゃれた小銭入れなど等。



 多分、当たり前の事をしたり、話したりするには、大変な努力をして出来るのだと、世の中は示しているのです。単純な事を何度も繰り返して、身に付けることが出来るのです。そして、自然に出来ないのは、簡単に物事を考え、済ませてしまっているからなのです。

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