2013年6月11日火曜日

アベノミックスと日本人の生活



 『でも、日本人は四畳半に住んで、コタツに足を入れてみかんを食べると満足しちゃうんですよ。テレビを見てね。ふふふ。』


 『そうだよね。はははは。』



 年配の女性と話をしました。この女性、生活保護を受けているようなのです。何の欲もなく、毎日を平々凡々と生活する事で何の不満もないような口ぶりなのです。皆さんのおかげで、なんとか毎日を暮らしていける事に感謝しているのです。



 でも、本当でしょうか? 本当にそうなのでしょうか? 自分自身の胸に手を当てて、自分自身に問うってみたのでしょうか?



 確かに今の自分自身を見て、何とか生きている。暮らしていられる。これも、心ある人々の思いやりのおかげである、っと。自分自身のような者にも、生活させてもらえる優しい太陽の光のような思いやりが日本人にはあると。



 本当にそうなんですか?



 人間が幸せに暮らすためには、家族が必要なのではないでしょうか? 何かに奉仕する対象が必要なのではないでしょうか? 家族に囲まれ笑い、悩み、一緒に御飯を食べる時間と空間が必要なのではないでしょうか? 何かに繋がっているという確信が必要ではないでしょうか? それが、宗教であったり、仕事であったり、趣味であったり、色々なものであるでしょう? ですが、その根底に家族があれば心が尚更満足するのではないでしょうか?



 自民党の安部総理のアベノミックスに欠けているもの。それは、本質なのです。人間が求めているもの。北朝鮮、アメリカ、中国、韓国、アフリカ、そう、みんな同じなのです。人間は目がふたつ、口はひとつ、お尻は割れています。



 住みよい住宅に住み、安全な食品を食べ、良い環境を持つ街で毎日を面白おかしく暮らしたいのです。ウサギ小屋で、生活して添加物まみれの食べ物を食べ、子供をを育てるのも悪くはないでしょう。御先祖様、おじいちゃん、おばあちゃんの事も話す事も出来ずにね。もっとも、知らないし話す事も出来ないでしょう。



 でも、本当にそれで満足なの? 本当に?



 人間の生活は、麦にように踏まれても踏まれても、あるいは踏まれなくても、豊かな黄金色に実るべきだ。家族に囲まれ、うさぎ小屋ではなく、快適な住宅に住むべきだ。為替や株式の高ではなく。家族に囲まれ、可愛い娘や息子の笑顔を見て、体の底から、決して怯むまいという生きていく無限の力が湧いてくるのだ。




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