2009年3月24日火曜日

お米屋さん




 『ははは。どうしてもち米を入れるんですか?』

 玄関のドアを開け、肩に乗せた2袋の米袋を下ろした後に彼は言いました。私の家にお米を配達にきた、人の良さそうな若い体格の良い米屋さんの顔が笑っています。米屋さんの息子さんでしょうか。次に領収書を貰いお金を払いながら私が言います。

『でも、もち米入っているんだよね~。』

 笑顔のままで応える配達人が言います。私が言っている事の意味が良く分からないといった感じです。

『なんでこんな良い米にもち米を入れるんですか?』

『でも、実際入っているんだよね。』 私が答えます。

 次も同じ配達の人が来ました。その顔は私の言っていた話の内容を理解した顔でした。そうなんですね。どこかがやると必ずやるのが日本人なんですね。事の良し悪しは別としてです。寒い時期はもち米が混入していても問題ないのですが、暑い夏の時期はあまり体に良くないのです。
 昔ある田舎で子供時代を過ごしました。その田舎の夏みかんのすっぱかったこと、上白糖を付けて食べないと食べられないほどすっぱい夏みかんでした。今は何でも均一になってしまいました。良く現代の若い女性が言います。

『あま~い。やわらか~い。おいし~い。』

 その本質を味わいたいと考えるのは私だけでしょうか。なんかいつも何かマスクがしてあるように思うんですけど。食べ物だけじゃなく、情報なんかもですね。実際の情報をなんらかの意思で編集してたりします。海外の録画ニュースなんかも、編集の切れ目が画面が切れるので分かります。そこはどうなっているのか知りたいですね。たとえば、映画の題名とか、歌の題名は日本風にアレンジしています。
 自分の頭で判断したいのです。操作された食べ物や情報ではなく、本当の食べ物とか情報を味わいあるいは見て、その良し悪しを判断したいのです。自分の頭で考え感じる事こそ、生活をだと思うんですよ。それが耐えられないぐらいショックなものでもね。




新鮮な食材を見ると食欲が湧きますね。

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