2011年4月28日木曜日

日本人が喪失してしまったもの。




 『これじゃ、しょうがないですよ。こんな安ものじゃ。』
 『ちょ、ちょっと。責任者を呼ん来て下さい。』


 ここは東京目黒区にある山手通りから、ひとつ道を入ったクリーニング屋さんのカウンタの前です。私はクリーニングに出した、幾つかの服を受け取りに来ました。しかし、カウンタの上に置かれた、ビニールの袋に覆われた白いブレザーを見るとハッキリと、けば立っていました。私は、そのことを目の大きな痩せた受付のパートの奥さんに話しました。すると、まるで私がクリーニングに出したブレーザーの服が安物の商品であると決め付けたような話し方をします。あまりにも、人の服や立場など、全然考えない言い方です。普段おとなしい性質の私ですが、自分でも信じられないぐらい腹が立ちました。責任者の男の人が奥の方から顔を出してきました。


 『どうかしたのでしょうか?』


 背が高く、黒っぽい服装をして、ガッチリした体格をしています。そんな彼が、カウンターに出てきて私に問いかけました。あまり、人当たりの良さそうな感じはしません。どっちかというと、新宿の裏通りを歩いていたほうが似合いそうな感じの男の人です。


 『どうしたも、こうしたもないよ。人の服を安物呼ばわりして。見てくれ、これ。けばだってるよ。ええ。』


 責任者の男は、私が指差した白いブレーザーを見ました。そして、後ろで覗き込んでるパートの奥さんを肩越しに、ちょっと振り返って言いました。


 『あっち行って!』


 しばらくの間、わたしの白いブレーザをビニール袋ごと手にとって、見ていました。そして、静かな声で言いました。


 『すいません。もう一度やらせて貰えませんか? なんとかしたいと思います。』


 1週間後ぐらいに、また、クリーニング屋さんのピカピカに光っている黒いカウンターの前に立ちました。パートの奥さんが責任者を呼びました。責任者の男の人が現れて、私の白いブレーザを出して来ました。白いブレーザをカウンタの上に置きながら言いました。


 『けば立っているところは、取りました。どうでしょうか。一応出来るだけのことはしました。』


 見ると、けば立ったところは、綺麗に取れていました。聞くと毛抜きでひとつひとつ取り除いたようなことを云いました。わたしは、その仕事に対する姿勢に何も云うことが出来ずに、静かな感じでひとこと云って、白いブレーザを受け取り帰りの道を歩いていきました。


 『そうですか・・・。どうも・・。』


 今考えると、彼は自分の仕事に忠実に従ったのです。外見からは想像出来ない真面目さで仕事をしたのです。それに比べてパートの奥さんのなんたる無責任さでしょう。言いたい事を言っていました。自給何百円の仕事ですから、人に頭を下げられるかといった感じで、しょうがないとは思います。しかし、お金を払っている、お客にはそんな事は分かりません。これは、随分昔の話で、昭和50年代の話です。


 今、日本はパートやアルバイトで働く人でいっぱいです。右も左もアルバイトやパートの奥さんがいます。これが、良い事なのか、悪い事なのか私には分かりません。無縁社会といいますが、仕事と人も無縁になって行くような気がしています。仕事に忠実に従い、友とした時代は終わったのです。


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