2020年6月15日月曜日

オレンジと日本の蜜柑


 芥川龍之介、やっぱり、日本的な感覚なんだろうなあ。本来あるべき人間の姿との一定の間隔と言っていいかもしれない。そして、好きな人は好きなんだろう。以前、谷崎潤一郎の小説を読んで、どういう訳か、日本家屋に憧れて日本に来日して憧れの日本家屋に住んだ欧米人がこんな事を言っていたらしい。

 『芸術的で素晴らしいんだけど、苦しいんだよねえ。本当に。冬は寒いし、夏は暑いしさあ。狭いし、・・・。苦しくて、苦しくてさあ。』

 でも、日本人の感覚としては、それは、流されるままに流されるような感じなのかなあ。緩やかに流れる川の流れに浮かぶ木の葉のように。あるいは淀んだ小さな池の中に落ちている木の葉のような感じかなあ。それが日本と呼ぶ国だよなあ。流れていてぶつかるんだ。それが岩だったり、浅瀬の小石だったりする。そこには、そこはかとない寂しさが漂っているんだよなあ。日本人の風情と呼ぶ物だろうなあ。力なく流れに身を任せて流れるしかない者が感じる心情だろう。そして、そこから抜け出せないんだろうなあ。インド人がカレーを食べるのを辞められないのと一緒だろうなあ。アメリカ人が戦争を辞めないのと一緒だなあ。辞めれば、インド人がインド人でなくなってしまう。アメリカ人がアメリカ人でなくなってしまう。そんな感じかなあ。日本人が自らを苦しめるのを辞めたら日本人が日本人では無くなってしまう。己が人間でありながら人間を知らぬがゆえに苦しむ苦しみなんだろう。精神の国、にっぽん、って感じでさ。蜜柑、そんな気がするなあ。人間様とはいつも一定の間隔を置いた考えしか持てない者が岩や浅瀬の小石にぶつかって、違ったかなあ、って、ふ、っと思う瞬間を捉えた感覚だろう。こんな事を言っている奴が、俺って知恵足らずなのかなあ、って度々思うのと一緒の感覚なんだろう。

 『世界中の人達から愛される日本って素敵だと思いませんか?』

 令和2年6月15日(曇晴) 22℃ 午前8:30 世田谷区より。

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