2020年6月24日水曜日

九十九里浜の思い出


 九十九里浜で昔、こんな事があった。

 本当に、随分昔の話だ。東京都内から、電車に乗りあてもなく付いたところが九十九里浜だった。九十九里浜の名も知らない駅の改札で切符を渡したら、改札駅員が差し出した切符を見て苦笑いをしていた。

 目の前に広がる九十九里浜の海を見て、波の中に足をさらして濡れた砂浜を歩いた。まだ、日が高い時間だった。砂風呂をしている場所を見た。なんとなく気が晴れて帰ろうとして、その砂風呂をしている施設の女性に水道を貸してもらえないか尋ねた。砂の付いた足を洗って靴下と靴を履こうとしたんだ。すると、そのふっくらとした女性が施設の中に入っていきながら大きな声で施設の中の人達にこんな事を言った。

 『ふてえこと、ふてえこと、水道を貸してくれだとよお~。』

 そんな事で、まあ、とんでもない奴に見られてしまった。もちろん、黙って、その施設の前を立ち去った。少し歩いていくと、道の真ん中に、水があふれて流れている古い井戸があった。そこで砂の付いた足を洗っていた。すると、なにやら仕事をしていた年老いた男がそんな私を見て、言った。

 『そこの井戸水は赤錆が混じっているだろう。こっちの水道を使いなさい。』

 こんどは親切な男が現れた。不思議な感じがした。さっきは、私を盗人扱いする人に会い、今度は足を洗うのに不足していないのにもかかわらず、親切な事を言う人に会った。

 まあ、男にこの水で結構です、っと言って水道水は使わなかった。そして、男の親切な申し出にお礼を述べた。そして、いつもふたつの人や物に逢うなあと思った。

 親切な人と、不親切な人。良い事と、悪いこと。幸運な事と、幸運では無い事だ。

 でも、その人の受け取り方で親切であったり、親切でなかったりするんだろうと思う。日本では、不親切な人に逢っても、その不親切な人は、盗んだり、乱暴を働いたりはしないだろう。そう思えば、やれやれ、と受け止めることが出来る。シリアや、アフリカの紛争地帯で生活している人達が日常されている事に比べれば、とんでもない奴に見られることなんてなんでもない。心の持ち方、考え方でいかようにもなる、ってことだね。幸せにも、不幸せにもなる、って事だ。そして、それを知るものは幸せを選択出来る資格を持つ。

 平成29年8月2日(水曜日)曇り 25℃ 午後12:47 世田谷区より。

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