2011年6月14日火曜日

100歳を超えているという女性


 『わたし100歳を超えているの。』



 彼女は、私が聞きもしないのに、そんな事を私に云いました。見ると、腕とか手の甲は、茶色に変色して皺皺です。まあ、水分を多く取れば又、膨れていくんだろうと、暢気に考えていました。確かに、半袖から出ている腕は、細く痩せています。しかし、話している声と、話し方には衰えているところはありません。しっかりした話し方です。でも、話していると、どうも、自分の年齢を気にして、話がのろいので迷惑をかけると、いっています。でも、話し方に鈍いところはありません。ふつうです。



 『どうなんですか? 100歳って、楽しいものなんですか?』
 『そうねえ。医者に行ったり、区役所に行ったり、してるだけだけど。』



 100歳の年齢について、遠慮することなく聞いてみました。それについては、何でもない事を云いました。普通に生活しているだけだと云ったようなのです。でも、彼女が言っていることを聞くと、大変な事のような気がします。



 『心臓にペースメーカをしていて、電池の取替えにいくの。』



 いやぁ。想像出来ない感覚なのですが、本人は自覚していないようなのです。本当に日本は高齢化社会なんですね。しかし、100歳の彼女には、申し訳ないのですが、幸せな人になって欲しいと思います。現状に満足することなく、幸せを体から発散させるようなお年寄りになって欲しいと思います。ただ生きているだけではなく、断固とした目的意識を持った、威厳のある老人に・・・。簡単ですが、目標を持つと、そうなるのだと思います。



 でも、日本って腰を低くして、頭を垂れていないと駄目な空気があります。日本人の象徴である天皇陛下や皇后様を見ると、そう感じてしまいます。



 『実るほど、頭を垂れる、稲穂かな。』



 こんな俳句を作って人に悟らせようとする空気を感じると、嘘付けって、いつも思ってしまいます。人間は稲穂ではないし、人に云われることなく、自分で自分の姿勢を正すことが出来ると思っているのです。生きる方向や、年齢を超えて、足腰、背骨、首筋等を、踏まれても踏まれても、サンドバッグのように殴られても、蹴られても、人になんと云われようとも、大空を目指して、真っ直ぐ黄金色に実る大麦のようにです。ねえ、そう思いませんか。



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