2011年6月11日土曜日

コーヒーは、コーヒーカップで飲むもの


 『ボジョレヌーボは、ガラス瓶に入れるものです。もう、ペットボトルには入れさせない。』



 去年のボジョレーヌーボの解禁日の事でした。フランスのワイン製造販売関係者の人達が集まって言いました。ニュース画面で、示唆するように。ワインの元になるボジョレーヌーボが通常のガラス製ワイン瓶半分の量のペットボトルに入れて、日本に輸出されたのです。ボジョレーヌーボ、ワインはガラス瓶に入れて製造、販売するのが望ましいとの希望を出したのです。確かに格式とか、伝統のような気風が損なわれるような気がします。ワインの本場であるフランス人には、ワインやボジョレーヌーボには正しい飲み方や、正しい入れ物があると云うことなのでしょう。



 いつの時代でも、古いものは新しいものに代わっていきます。どう考えても、良くないと思うものに変わってしまうものもあります。人間の食べ物もそうです。日本酒なんか、酸味料などを入れています。最近の食パンには、防腐剤のようなものが混入してあって、なかなか腐らない食パンらしいです。



 英会話をマスターしようとして、ラジオの英会話番組を良く聴いていた事があります。もぐりの英会話教師でしょうか、英会話の合間に昔の話をしていました。



 『もっとかけろ。どんどんかけろ。頭が良くなるぞ。』



 化学調味料を食べ物に振り掛けて食べると、頭が良くなると考えているらしいのです。でも、何かその英会話教師の話の声なのですが、ブルブル震えていました。声に勢いはあるのですが、ちょっと変な風に震えているのです。今でも、科学調味量を大量に食べ物に振り掛けて食べているのだと思います。



 最近、道を歩いていると、プラスチック製の容器を持っている人に、頻繁に会います。コーヒーを入れている容器なのです。男、女に限らず持ちながら歩いています。あるいは飲みながら、歩いています。



 コーヒーはコーヒーカップに入れて、時間の流れを感じながら、楽しむ飲む飲み物だと考えていました。ですが、時代の流れの中で代わってしまうのでしょう。多分、現代はサバイバルをしているのだと思います。激動の時代なのでしょう。ゆっくりとコーヒーを飲む時間が無いのだと思います。企業も個人も生存を賭けた戦いの最中なのだと思います。家賃を払い、税金を払うことに必死なのだと思います。でないと、どこにも居られませんからね。ちなみに生活保護を受けている人々が、戦後の混乱期と同じぐらいの数だそうです。現在200万人を超えたそうです。そういえば、私も生活保護の必要性を感じて、1年半ぐらい前に生活保護の受給方法を電話で聞きました。電話機からの話を聞いて、受給が難しそうなので諦めましたけど。本当に大変ですよ。



 若い時、目黒の碑文谷にある、武蔵小山のアーケード街を歩いていました。アーケード街の酒屋さんの若者が、同僚に大きな声て話してる内容が、耳に入りました。



 『納豆って、夜食うもんだぜ。』



 私の田舎は、納豆の発祥地である水戸の近所にあります。そして、納豆は朝御飯にしか食べた事がありません。まあ、時代の流れもそうですが、十人十色ですよね。



  そして、出来るなら人間に危害を与えないように取り計らって欲しいものです。安くても便利でも、後から付けが回ってくるような原子力発電事故なんかは、もっと安全を確認して、ちょっと遠慮して欲しいものです。近未来に放射能が原因の癌死亡者がどれらい数になってしまったら、怖いもの。


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