『原発反対!! 原発反対!! 原発反対!』
『原発反対!! 原発反対!! 原発反対!』
『原発反対!! 原発反対!! 原発反対!』
7月13日金曜日、霞ヶ関駅から、首相官邸前への上り坂を行きました。時間は、まだ明るい午後の5時頃です。桜田通りには、原発反対の黄色を主体にしたテントが二つ建っていて、原発反対の文字が幾つも、テントに貼り付けてありました。会社員風の人達が、首相官邸前に向かって歩いています。でも、時間が早いのか、歩いている人達の間に、ゆとりがあるようです。
六本木通りに出る前の坂の途中に、赤と黒の二色の大きな布を、長い棒の先に付けて、掲げている男の人がいます。布の片側には、革命家、チェ・ゲバラの顔が描かれています。残りの片側には、日本語で縦に、何やら1行の文字列が書いてあります。そんな、布を掲げている男の姿を、黒いカメラを持った欧米系の外国人男達数人が写真を取っていました。
次にギターや、笛、太鼓を持った、音楽家らしい数人の男達が、音楽を奏でていました。その前を、白いワイシャツ姿の会社員、普段着の男女の人達が首相官邸前の方に、坂を歩いています。幾つかの白い風船を縛り付けた細い紐を持って歩いている人もいます。
六本木通りまでくると、青い警察のバスが何台も首相官邸前の道に停車しているのが見えます。もちろん、たくさんの警察官が、黒い革製のブーツを履いて、警備にあったっています。青いバスが首相官邸前迄の道路両側全てに、隙間なく並んでいます。鉄製の柵も、たくさん並んでいました。
首相官邸前の新聞記者クラブの前に来ると、ニュースで見た通りの原発反対の紙を持った多くの人達が、声を上げていました。普段着を着た、普通の人々のようです。原発反対の声を上げ、体を揺らして、太鼓のリズムに合わせています。ギッシリとしたたくさんの人の塊です。
首相官邸前の歩行者道路は、鉄製の柵が敷き詰められて、原発反対の人達は、一人もいません。報道関係者のテレビカメラと集音気がチラホラ見えます。
何となく日本人なんだなあぁ~、と思いました。我を忘れて、叫ぶような人もなく、どこか覚めている感じです。祭りのような熱い熱気はありますが、強行突破するような事はありそうもない空気です。自制心を失くすような勢いはなく、ここまでだ、っと云った空気です。
日本人が身に付けている空気を、はじける人は居ません。第二次世界大戦中、天皇陛下を見たら、眼が潰れるぞ、と言った事から外れるような人はいないようです。突撃の進軍ラッパを耳にすれば、眼の前の機関銃に向かって走っていく、旧日本兵と何も変わらないようです。
アメリカの経済関係者、グリーンスパン議長が、何年か前に、こんな事を言っていました。でも、トイレにはウオシュレットもあるし、瞬間ガス湯沸かし器もあるけどね。
『日本は戦後何十年も経つのに、何も変わっていない。』
先月だか、先々月だか、目の悪い、逗子から東京に散歩に来ていると云う、戦争を体験したと云う年配の男と話をしたことがありました。鉄鋼関係の仕事をしていると、男は云っていました。
『昔の日本は、今の北朝鮮だね。アメリカの云う事をきかないからね。あの頃は、アメリカはギャングみたいだったよ。・・・ ・・・。大手の鉄鋼会社は韓国に気を使って、北朝鮮の仕事を請けなかったんだ。だから、うちみたいな小さな会社に、北朝鮮の仕事が来たんだよ。仕事で北朝鮮に行ったけど、北朝鮮の人達は、食べ物を食べていないんだな、みんな元気がなかったよ。』
でも、突撃の命令で、目の前の機関銃に向かって突進したくないなあ。消費税と社会保障の一体改革の大増税、安全神話の原子力発電所再稼動、後はなんだろう。子供がいじめを苦に自殺しても、自分の組織防衛だけを語る教育委員会だろうか?
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