2011年8月12日金曜日

歌を忘れたカナリヤと、考える事を止めさせる人々と、考える事を忘れた日本人


 『あんた、そんな事をしていると、潰れるよ。店。』




 テレビ番組で、ガソリンスタンドの経営について、誰かが、ガソリンスタンドの経営者に、したり顔で云っていました。ガソリンスタンドが、うまくいかない時期がありました。何故か、ガソリンが不足して、ガソリンスタンドに供給が難しい時代がありました。日本のバブル経済が破裂して、しばらく経ったときの事でした。




 テレビで、情熱的な宣伝映像を流していた、青と赤を基調とするガソリンスタンドが無くなり、緑と不鮮明な黄色を基調とするガソリンスタンドに変わっていきました。そして、そんなガソリンスタンドの経営を伝授する考えを実行しているガソリンスタンドが、東京の幹線道路である環八にひとつありました。用賀の近くのガソリンスタンドでした。




 環八の歩道をプールに泳ぎに行くために、灰色のアスファルトの歩道を歩いていました。夏の午後の事です。そんな私の目に映ったのは、ガソリンスタンドの給油スタンドの横に、兵隊のように、若いお姉さんと、若い男が、直立不動の姿勢で、真っ直ぐに立っている姿でした。夏の西日に、晒されて、黙って顔を真っ直ぐに立てていました。太陽の陽射しを、顔にまともに受けて道路に向いて立っていました。




 テレビで云っていた、ガソリンスタンドの経営手法を、聞いてガソリンスタンドの経営を、聞いたままに実行していたのでした。そんな若いお姉ちゃんと、男の子を、見るとはなしに通り過ぎて歩いていました。こんな事が、許されるのも、日本ならです。人間の自然さや、考えを、まるっきり無視して、実行しているガソリンスタンドでした。




 現在、そのガソリンスタンドはありません。当然だと、思います。誰が、そんな人間を無視したガソリンスタンドで、ガソリンを入れるでしょう。若いお姉ちゃんと、男の子に罪はありません。ガソリンスタンドの経営者にも、その経営手法を伝授した人にもです。




 考える事をすると、そこに居られないのです。考える事を放棄しないと、日本の社会には、居られないのです。その力が何なのか分かりませんが、日本に存在するのです。歌を歌うカナリヤは、うるさがれてしまうのです。今のままを、継続したい何者かにです。多分、それは、現状の環境を取り巻く者(国)であり、私達ひとりひとりの日本人なのです。考える事なく、云われるままに、するしかないのです。




 昔、大相撲の横綱になった力士が、若い時分に、テレビ画面の中で、云っていました。




 『殴られましたからね。何生意気な事をいってんだって。』




 考えるな、と云う事なのです。黙って、仕事や相撲を取っていろと。そう、形こそ違うのですが、カンボジアのポルポト政権がした事と同じなのです。



 あなたのベランダに置いてある、ものを云わぬ、植木鉢に水を上げましょう。あなたのものを云わぬ、頭に命令しましょう。考えなさいと。世の中の仕組みや、自分の存在がどこにあるかを。

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