2012年2月12日日曜日

日本中で、世界中で、意識の違いを生み出している、インターネットと、テレビのマスコミとの戦い

『ちっとも、面白くないねぇ~、テレビがぁ~。』



朝早い、良く晴れた渡った青い空の下、キラキラと眩く輝く陽光の中、冬の硬く冷たい空気が漂う、背の高いビルやマンション建物に囲まれた駐車場より、ゆったりとした足取りで歩いて来る人がいた。朝の朝刊を両手で大きく広げ、開け放たれたガラスとアルミサッシで作られた狭い入口ドア階段に足をかけ、入ってきた。男は白いワイシャツに紺のネクタイと薄茶色の毛織のベストを着ていた。そんな、中肉中背の見知らぬ年配の同業者が私の顔を見ながら、テレビ番組が、ちっとも面白くないと、大きな声で苦情を言い放ちました。何となく彼の顔、姿に目を向けたまま、私は、インターネットの動画サイトで見る海外(アメリカやヨーロッパ)で作られたドラマの面白さを、説明し始めた。また、テレビで流れる各チャンネルのマスメデイアの同じニュースに比較して、個人の考えが反映されるインターネット動画が、興味をそそられて利口になれる事は確かだ。そんな彼に、私が言った。




『インターネットの動画見てる? 面白いよ。笑ったり、泣いたり。ほんと、涙が出るんだよね。』
『へえ~。それは、なんで?』
『やっぱ~、それは、脚本が良いんだろうねぇ~。』



インターネットの動画もさることながら、インターネットに掲載してある、写真、記事が、テレビで放送している訳の分からないニュースを色々な視点から説明してくれるので、以外な新事実を知る事が出来るのに、驚いている。ちょっとした、気の利いた週刊誌のような感じだ。多分、テレビに出演しているニュースキャスターや、コメンテーターのような人達は、実際のところ、何も知らないのだと思わせる。テレビ局が用意したシナリオに従って、ものを言っているように見受けられるようになった。




今後、テレビを毎日、見て過している人と、インターネットを利用している人との間に、考えや意識の違いが出てくるでしょう。日本国政府が定めた放射能の基準値の数値を、そのまま放送しているテレビと、そのテレビが放送している放射能の基準値の意味を知らせるインターネットに掲載している記事や写真、動画を見ている人との違い、意識の違いが、どういう影響を世の中に与えるのかは、計り知れないでしょう。



そういえば、若い頃、私は日本には人種差別がないと思っていました。アメリカや海外の事で、日本に人種差別があるなんて考えた事も、思った事もありませんでした。しかし、世田谷区の緑ヶ丘の図書館で、フランス人が書いたハードカバーの本を、ある日、手に取り読んで見ました。女性ジャーナリストのフランス人でした。この本のカバーにはフランス女性の旦那で、大きな体の黒人の男が一緒に写真に写っていました。その本に中には、日本にも沢山の人種差別がある事が書かれていました。自分の中の何か知らない者が、静かに時間をかけ、ゆっくりと目を覚ましていきました。それは、きっと自分にも分からない新しい意識の芽だったのでしょう。



そんな、普段の生活意識を変えてしまうような事が、インターネットに記事や写真、動画として流れています。インターネットが教えてくれるのは、テレビが放送する放射能汚染を何も知らずに受け入れてしまう人達がいる事と、その放射能汚染の実態の事実を知る人が出てくる事だ。何も考えない人から、考える人になっちゃう事だ。



ただ、何でも教えてくれるインターネットでも、金儲けの事は、やっぱり自分で発見するしかないかも・・・。



そして、随分昔ではありますが、海外の日本企業従業員誘拐事件やペルー日本大使館人質事件と言うものが続けざまにありました。そのときに、日本企業の危機管理責任者の顔が、テレビに何人も何人も映し出されました。その平和ボケした顔、顔、顔を見ました。現在も、福島原発事故に対処する東京電力幹部の人達の顔は、同じ顔なのかも・・・・。ひょっとして、今後も東京電力は存続出来ると考えている・・・。

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