2013年10月26日土曜日

 年老いたお母さんと、若くない大柄で太った娘さんと出会い、日本人が出逢う日本人に対する普遍的な対応を考える時代は現在なんだなあと思う。




『カアー、ウオカアー。』



 ここは、世田谷区の梅が丘にある蕎麦屋さんの店内です。平成25年10月の中旬の晴れた日の午後の事でした。私は4人掛けのテーブルのひとつの椅子に座って、注文したカツ丼が来るのを、茶色のビニールカバーをかけた本を左手に持ち読んでいました。店内は昼時なのでほとんどのテーブルには、客が1人、あるいは知らない会社のサラリーマン達が座り、昼食を食べています。



 そんな蕎麦屋の店内に新しい客が入ってきました。女性客二人です。声の様子からお年を召した御母さんと、そんなに若くない太った娘さんです。そして、わたしの後ろのテーブルに座ろうとしているのです。ですが、若くなく大柄で太った娘さんには、椅子に座る幅が狭いようなのです。しきりに、怒りを現すような奇声を上げます。



 そして、その奇声は私に向けられているようなのです。狭い店内です、チラホラと私に視線が向けられるのがわかります。どうも、私に椅子をテーブルの方に動かして、自分の座る席に対してスペースを作れと云った暗黙の指示のようなのです。



 店のパートのおばさんが、狭い店内で注文品をそれぞれの客のテーブルに差し出しています。私のテーブルの脇を歩きながら、チラと私を見ます。そんな、視線をチラチラ受けながら、知らぬ顔をして本を読んでいました。そんな私の知らぬ顔に諦めたように、座りながらは、娘さんが店のおばさんにしきりに、話しかけます。



 『おかあさん、よかったわよ。座る席があって。ほんとうによかったわよ。だれそれさんは、どうの。天気がどうの・・・。』



 この蕎麦屋さんには4人掛けのテーブル席が6つと、二人掛けのテーブルが1つあり、隙間なく並べられています。そして、椅子も普通の人が、普通に座れるほどの幅しかないのです。



 私は本を読みながら、困った人達だななあーっと、思っていました。人を自分の都合や思いで、犬や猫を扱うよう考えるなんて、と。狭くて座れないのであれば、一言謝って、理由を云えば、こちらも、それなりの対応が出来るのにと。



 そして、頑として彼女達の奇声には屈することもなく、椅子を動かす事もしませんでした。出てきたカツ丼を美味しく食べて、楊枝で口の中をつついてから、980円の勘定を支払いゆっくりと店をでました。



 『どうも、ありがとうございましたー。』



 ドアに付いている自動ドアボタンを押すと、店の中から、気持ちの良い声が私の背中に届きました。



 二人の親子の女性達のような人は、日本に限らず世界のどこにでもいるでしょう。また、このような人達を見かける事が、けっこうあります。そして、けして、人は犬猫のようには、ならないのです。礼儀を知り、敬意を持って接しないと、どうなるものではありません。



 でも、それは、日本人全体が少なからず、そうなのです。きちんと言わずに、ちゃんとやってくれるだろうとか、大丈夫だろうなどと、思っているだけでは、どうにもならないのです。ついさきがたの政権与党であった民主党、そして、現在の自民党の国を動かし方を見れば分かります。



 国民の生活や考えなど、眼中にありません。それは、国民が声に出して、考えを述べないからなのです。それは、民主党、自民党、マスコミのせいではないのです。現在の日本になっているのは、日本人、私達のせいなのです。



 どんな国に、どんな生活をしたいのかを声に出して云わないので、肝心要をよそにして、子供手当とか景気浮揚策の一時金支給、アベノミックスなどの、わけの分からない事で誤魔化されてしまうのです。







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