2013年8月13日火曜日

 恐ろしい社会の日本、それに気が付かない顔をしている日本の人々と、それを知らせないないよう隠してしまう日本の中の見知らぬ力。



 『彼女は事実を認めているとの事です。』



 ニュースの画面に青いボリボックスの箱が2つ重ねられていて、緑色の網が折りたたんで箱の中に入っています。ゴミだし場所にある、ゴミだしをした後にゴミの山を、被う網がはいったポリボックスです。



 ニュースの内容を読み上げる女性に声には、何の感情も入っていません。冷静そのもの、事務的に話す軽快な女性の声でした。しかし、その内容は、信じられないものです。16歳の少女が赤ん坊を自宅で出産して、生まれた赤ん坊をゴミ箱の上に置いて、黙って、その場を立ち去り、その事を誰にも話さず内緒にしていたというのです。



 以前にも、ゴミ袋に赤ん坊が入ってゴミだしのゴミに混じっていたニュースが、どれぐらい前に流れたでしょう。そして、日本社会が驚いて、様々な人々に、その事実について意見を尋ねたことがありました。それから、1年も経っていないのです。何度、このようなニュースが流れるのでしょう。



 当たり前の事が分からないのだと思います。なんにでも、限度があると思うのです。それが分からないのだとおもいます。常識と呼ばれるものがです。ごくごく普通の事が分からなくなっているのです。それは、家族との間でつちかかわれるものだと思います。家族と暮らし、色々な些細な事を話をしている中で知って、注意しながら人間らしく生活していくのだと思います。



 人間は人間の中で育って、はじめて人間になれるのです。動物の中にいて育っていれば、決して人間にはなれないでしょう。そして、人間にとって、人と話しをする事で、人間でいる事が出来るのです。しかし、日本の多くの人達は、話の重要性をかるんじていますし、分からないし話が出来ません。それは、昔もそうだし、現在でも、同じでしょう。何かがあってから、問題が生じてから、問題を話し合うのです。東京電力の放射能汚染水の水漏れがそうです。起こるであろう問題を話し、事前に対策をたてるような話が出来ないのです。



 何処かの家庭に会話がなければ、それは、将来なにかの問題が発生してから、話をする事になるのです。動物なら、話をしなくても良いでしょう。ですが、私達は人間として生きていかなければならないのです。人間の行いを理解しなくては、人間として生きていくことは出来ないでしょう。自然と人間の成すべきことが理解出来るとは、思えません。形は色々ありますが、なんらかの人間との接触があって、人間になれるのです。



 話を、会話をして、将来起こるであろう事が予想出来て、問題なく生活が出来るのだろうと思います。しかし、現在の日本はどうでしょう。どれぐらい前からか、決められない政治と、良くテレビ、ラジオ、新聞で耳にしたり目にしたりします。



 何を言っているんだか分からないマスコミも、話したことが無いのだと思います。話し合って、テレビや新聞、ラジオで話し書いているんだとは、思えません。



 しかし、人の事は言えません。私の子供時代の家庭もそうでした。会話の無い暗い、家族でしたし、家でした。そして、家は貧しく、兄弟がたくさんいましたが、会話はありませんでした。そして、両親や兄弟達は、それが分からない人達でした。そういった家族は、仮面家族と云うのでしょうか? ただ一緒にいるだけの、人達でした。そして、私は、家族のご先祖様の事をあまり聞いたことがありません。誰のお墓で、どういったご先祖なのかを、あまり知りません。尋ねても真面目に応えようとせず、酒に酔った酔っ払いや、見知らぬ赤の他人が知らぬ顔をして、へらへら道を通り過ぎるような感じばかりでした。確かに、私は両親から嫌われてましたけど、子供時代にはそれが分かりませんでした。そして、そのために精神的に、肉体的、経済的に自立できずに苦しんでもいました。



 人間は会話をして、刺激を受け、人間になり、考える事が出来るのです。家族の中の会話や、身近な人達との会話から、初めて人間になれるのです。それが無ければ、福島の放射能汚染水の問題にも対処出来ず、日本の決められない政治も何時までも続き、自分の生んだ赤ん坊をゴミ箱やゴミ袋に入れて、ゴミだしの日に捨ててしまう日本の女性ばかりになってしまうでしょう。



 そして、それは、私達ひとりひとりの情けない日本人の姿を映しているのです。そして、多分、それは、日本が恐ろしい社会だと云う事なのです。お金が無ければ、家族でも会話のない他人であり、働く事も出来ず年取れば、自分がいるところが無くなってしまう社会なのです。それとも、それは、常識で当たり前だって、いうんでしょうか? 甘いって言うんでしょうか、・・・・そうだね。







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