2012年1月25日水曜日

何も云えなくなった日本人と、アガサ・クリスティノの推理小説

 『あ! 本当だ、テレビのチャンネルの数だけ飛んでる!』




 随分遠い昔に、南の島、小笠原列島に夏休みを利用して観光に行った事がある。東京の竹芝桟橋から小笠原丸に乗って行きました。これから、見るであろう南の島の青い海と空、白い雲の下で、休暇の楽しみを思って開放感を思いっきり感じていました。船の甲板には、大勢のカラフルな服装をした、子供や、観光旅行客が手すりに手を掛けて、おもいおもいに海の風を頬に受けていました。そんな中で、船の上空にはたくさんのヘイコプターが飛んでいます。確か、先日、自衛隊の潜水艦と漁船が衝突して漁船の釣り客が海に投げ出されて、遭難してしまったのです。



 そんな事でヘリコプターは、その海の様子を撮影していたのだと思います。船の上空を飛んでいるヘリコプターを数えてみると、テレビのチャンネルの数だけ飛んでいました。そして、そのことを一緒に船に乗って、小笠原に向かっている知人にいいました。そのときです。痩せた眼鏡をかけた若い女性が、きっとした顔と様子で私に視線を向けました。直ぐに私には、分かりました。彼女が何を考えたのかです。多分このような事を考えて、私を批難し、その視線を私に向けたのです。



 『人の不幸を何ですか? 空を飛んでいるヘリコプターを数える軽々しさ?』



 この、若い女性も会社の夏休みを利用して小笠原に観光をしにいく人なのでしょう。そして、日本人の常に人を批難する姿勢を身に付けた特性を持っていたのです。人を批難すれば、人の風上に立てると思っているのかもしれません。狭い日本の中でしか通用しない了見だと思います。イトウに行くならはとやだ、といった条件反射的なのです。それぞれの、立場や状況を考える事が出来ないのです。そんなに、世の中は単純ではないのです。たまに山で遭難した人が救助されて、テレビ画面で命が救われて喜んでいる笑顔を見ます。それを見て、多くの日本人が云います。



 『なんだい。すいませんの一言も云わないで。』



 ニュースを見ていた日本人は、遭難した人が、人に迷惑や心配をかけたと云いたいのです。そして、そんな日本人の云っている事を聞いた多くの日本人は黙り込んでしまいました。そして、多くの日本人が、批難されるのを嫌さに誰も何も云わなくなりました。そんな事で今日本人は、状況や立場を踏まえた、事実や真実に迫ることが出来ずにいます。当然、人の世を住みやすくする回答を見つけることも出来ません。そのひとつに、民主党の大臣が本当にたくさん問題発言で責任を取って辞任しました。しょうがない議員さんだったのではありますが。イギリスの女性推理小説家、アガサ・クリスティ の本にこんなのがあります。



 『そして、誰もいなくなった。』




 巷の人々や、テレビの画面で見る日本人達の会話の浅いことか、説得力のない説得か。当然だと思います。話す回数が少ないのだと思います。バットを振る回数に比例してヒットやホームランを打てるのです。野田総理、安住財務大臣、その他議員さん達の、気の抜けた話を聞くと、肝心要のものがありません。そう、ハッするような、その通りだと、いったものが。



 『すいませんでした。皆様に大変ご迷惑、ご心配をおかけして。でも、私の心の中は命が救われた喜びで一杯ではちきれそうです。これから救われた命を使って、毎日、美味しいものをお腹一杯食べて、楽しく暮らせるかとおもうと、どうしても笑顔になってしまうのです。』



 山で遭難して救助されたら、こういえば問題無いと、思うんですけど。


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