2012年9月12日水曜日

渋谷神泉町の交差点で信号待ちをして見かけた光景を見て思う、昔住んだ二子玉川の生活



 ここは渋谷区神泉町の交差点です。恵比寿、三軒茶屋、渋谷駅、初台方向に道が分かれる大きな交差点です。恵比寿から、初台方向に向かう横断歩道の手前で自転車に乗り、信号待ちをしていました。平成24年9月初旬、時間は夜の8時頃です。周りは夜の暗闇が被っています。しかし、神泉町には帰宅途中の若いサラリーマン、OLがたくさん私と一緒に、明るいネオンの下の横断歩道で信号待ちをしています。




 そして、たくさんの自転車も、思い思いの格好をした人達で、それぞれの方向で信号待ちをしています。しかし、自転車に乗っている人達を除いて、信号待ちをしている若い人達が同じ事をしています。それは、みんな片手にi-phonを持っているのです。そして、i-phonを残りの手で操作しています。器用な人は、i-phonを持った手の指で操作しています。ぱっと見て、大体5人ぐらいでしょうか、みんながi-phonを手に持ち、その目はi-phonを見ています。




 この光景は、昔住んだ二子玉川の住人達を思い出させます。二子玉川の人達は、みんな同じ方向を向いているのです。街を歩いている二子玉川の人達って、牛肉や、牛乳を出す牛のようなのです。同じ方向を向いているのです。そして、私が住んでいた時は、二子玉川の人達のファッションなのか、どうかは知りませんが、上から下まで黒ずくめの服装が主流でした。真っ黒けなのです。そして、何か常に人の様子を伺う感じでした。それに比べて川向こうの溝の口は、みんなてんでんばらばらです。みんな違う方向に向いています。二子玉川と対称的に開放感溢れる空気です。多分、二子玉川の街を歩いている人達は、どこからか、よそから来た人なのだ。




 田舎の方に行くと、たまに白と黒の乳牛が放牧されています。そして、この乳牛は必ず同じ方向を向いて草を食んでいるのです。



 牛は、昔からの習性なのでしょう。何か同じ方向を向いていないと、駄目なのです。日本人は牛と同じで、流行で同じ事をするのとは、ちょっと違うような感じを受けます。誰かが何かをすると、それに追随しないと駄目なのです。昔の日本では、ラジオが普及してから、あっと言う間にテレビがその後を追いました。思い出すと、どの家の屋根にも、テレビアンテナが備え付けられました。トタン屋根の家にも、どこの貧しい家の屋根屋根にもです。まさに、となりの百姓、そのものです。となりが、田植えを始めると、うちも田植えをする。




 しかし、普及しないものもあります。それは、考えです。先祖代々の人達の歴史なんかは、あまり聞きません。日本の歴史もです。もちろん、学校の教科書に出て来るような歴史はありますが、本当の事は私達の耳や脳髄には一切入ってきません。マスコミが流すニュースや報道にはです。本当の事であれば、目がキラキ光って聞きを立てさせ、心が嬉しくて、嬉しさに小躍りするはずなのです。




 どうしてなんでしょう? これって? これが日本人なのでしょうか? 根幹部分のものがないのです。考えの元になるもの、揺るがないものがないのです。民主党、自民党、維新の会、どうなんでしょう? いきあたりばったりのような感じがします。





0 件のコメント: