2012年8月11日土曜日

信を問われている日本人。そして、その事に気が付いているのか? 日本人は、人であるかどうかを問われているのです。



 『国民に信を問うのは、当たり前の事である。』



 眼鏡をかけ、おでこが広い自民党の党首、谷垣総裁がニュース画面で、影のある顔で言います。消費税と社会保障の一体改革法案が採決されたのです。信を問うてから、法案の採決をするのが、常識ですが、法案の採決をしてから、国民に信を問うという順序を無視したやり方です。税金を使い放題使って、そして、増税を進める日本の国会議員達、そして、それを黙って見ている日本国民。



 しかし、何も云わない日本の人達が、どうゆう訳か、首相官邸前、国会議事堂を取り囲んで、原発反対を叫んでいます。なんなのでしょう? この原子力発電所稼動反対は? いつも、黙っていいなりになっている日本の人達のやり方では、ありません。




 昨日も警察のパトカーに追跡されて、小さな女の子をひき逃げしてしまった酔っ払い運転者がいました。女の子は死亡してしまいました。何度こんな事故を起すのでしょう。警察は追跡行為に問題は無かったといいます。何度、何度、寂しい事故を起せば、警察は事の事態を改善しようとするのでしょう。ですが、決して止めないでしょう。これからも、追跡行為をして、死亡者の数を増やすでしょう。そう、警察はお上なのです。さからうと、こうだぞ、と。




 そうなのです。何時も私達、日本人は身近に見ているのです。接しているのです。東京の渋谷と神奈川の横浜を走る東急東横線の横浜駅に降りた時です。家路を急ぐサラリーマンが、電車を降りたホームで、大きな声で、急ぎ足で、立ち去りながら言い放ちました。



 『殴れ、殴れ!』



 小さな男の子が、お母さんの云う事を聞かずに、駄々をこねてい泣いていたのです。それを見ながら、足早に立ち去りながら、普段着のサラリーマンが大きな声で、お母さんに言ったのです。




 有無を言わさない、やり方が日本のやり方なのです。それが、まかり通ってしまうのです。人が人である為には、人である事を口に、言葉に出して話さなければなりません。ちゃんとした、話の内容、話し方で。それが、現在も出来ていないと云う事なのです。



 大津中学校の男子生徒の自殺にしても、中学校が中学校ではなくなってしまったのです。いじめとか、未成年者とかではなく、人が人である事を出来なくなっているのです。



 日本の人達が問われているのは、あなたは自分の考えや、気持ちを持っている人なのですか? と、云う事なのです。そして、自分自身と、隣りの隣人と、子供や、両親、と話す事がありますか? と、云う事なのです。あなたは、貴方が話せる雰囲気の中にいますか? そんな事も考えた事も無いですか?



 白い羽を持つ鶏のブロイラーになってしまいましたか?




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