2011年2月26日土曜日

民主党惨敗




 『今解散すれば、民主党は惨敗だ。』



 民主党の年老いた議員がインターネットのニュース番組の中で、落ち着いた調子で話していました。菅首相がやぶれかぶれ解散をしたら、民主党は惨敗してしまうとの事らしい。



 確かに、何もできずにいる民主党です。子供手当ても、高速道路無料化も、普天間基地移転も、雇用対策も、景気対策も・・・。できないのです。ただTPP等、アメリカからの要請を忠実に実行しているだけのようです。



 でも、本当のところはわかりません。ニュースを見て、聞いているだけの一般庶民には。なにやら、国民を代表しているような姿ではありますが・・・。ちぐはぐで、みみっちくて。



 メキシコ人の女性と最近話しをしました。『日本人っておかしくない?』と、私は何度か彼女に聞きました。最後には笑顔の彼女が、『ちょっとね。』と、笑いながら言いました。足が曲がるまで、正座していまう国民性。体が曲がっています。首が背骨に真っ直ぐつながっていません。腰も首も変につながっています。でも、精神はどうでしょう。まっがっていませんかね。



 サッカーが日本でも行われるようになった当初のプレーのような気がします。先取点を1点取った。あとは守りに入り、散々相手チームから攻撃されて、1点がいれらて同点になりました。あとは、ながれの中で防御を繰り返し、同点引き分けを狙ったが、更に1点をいれらてて逆転さてた。監督の気持ちは分かる。でも、日本人として、なさけなくなるようなゲームプレーでした。みみっちい。繰り返しになりますが、監督の気持ちが痛いほど分かる。選手に信頼を持っていないのです。そんな選手もがっくりと肩を落としていました。それから、監督も何度か変わりましたが、何度も、何度も同じようなゲーム展開でした。何か違うような感じを受けていました。



 そう、思いっきりやっていないのです。海外のチームは、監督も選手もテレビの画面で、我を忘れて応援したり、プレーをしているのです。



 そんな事で、最近は日本の選手も海外に出かけていったり、海外の監督が日本チームにはいたりして、大変よくなったようです。


 現在の政治もそんなところでしょうか? 自民党から民主党に変わり、かれらは思いっきり出来ないでいます。一般庶民とかけ離れた思想を持っているようです。力を持つと何やら、昔の思いを忘れてしまうようです。誰でもそうなのかもしれません。多分私本人もそうなのでしょう。周りばかり気にして、自分に正直にいることを忘れてしまう。



 アメリカとの戦争に敗れて、泣いてくやしがったご先祖さまが根性を出してここまできたんだ。日本は。先進国の仲間入りをはたしたんだ。あとは正直に心のままに、正直に生きていけばいいんだ。おもいっきり。そう、思いませんか?

2011年2月23日水曜日

情報操作?




 深夜のラジオから流れる音楽を聴いていました。

 ?

 あれ~、なんだろ。なんか違う? そうなんです。いつも悲しい歌ばかり歌っていた歌手が、違った歌詞の歌を歌っています。この歌の前に歌っていた曲は、本当に意味のない悲しいメロデイと歌詞の歌でした。そっか! ひょっとしたら、もう駄目だと思ったのかもしれない。誰も、聞かないし、あまりにも時代にそぐわないメロデイと歌詞だと認識したのかもしれない。現代の状況から、浮いていました。なんだろってな曲でした。一昔前のメロデイと歌詞でした。完全にはずしていました。名のある小説家との合作だったようですが。

 もう、現代では進めないと駄目なようです。新聞やマスメデイアが情報を操作しようとしても、人々は現実を目にしています。中国の人々が人民服を脱ぎ、中国の民衆の中にはカラフルな服装をしている人達が多くいるのを見ています。そして、前に進めない政府や物事に少なからず失望と焦燥を感じています。どんどん世の中が変わっているのです。貧しかった国があっとい間に豊かな国になっているのです。そして、変わらない国をよそ目に、着実に豊かさの中に身を置いているのです。

 そうなんです。事態を操作しようとしても、進めないような考えや行動は通らなくなってしまったのです。その先にあるのは、人が求めている事実です。現実を見据えた生活なのです。精巧で緻密に考えられた人の生活なのです。考えを出せとのサインを人々が示しているのです。

 行動できる納得できる考えを、その頭で考え出せと、言っているのです。たんなる目先の人気取りではなく、十分に納得できる考えを考えろと言っているのです。言い争うことではなく、よいアイデアを出す為の話し合いをしてくれと。人を欺くことではなく。事実を見据えた行動できる考えを示せと。

 自分に与えられた権力と身分を守る事を中心に考えるのではなく。確かに、気持ちや考えはわかるけどね。自分さえよければとね。でも、その為に、何で私たちが苦しまなければならないのか。確かに人間って、そうなんだけど・・・。

2011年2月21日月曜日

激動する世界




『リビアの政権がふさぶられています。』


 40年の長きに渡るリビアのカダフィ大佐の独裁政権が存続の危機にあるとの、インターネットの動画ニュースのニュースキャスターの声が大きく耳に入りました。バーレーン、エジプト、サウジアラビア等など。中東諸国の多くの国の国民が民主化を求めて、ニュース画面の中で拳を振り回しています。


 凄い地滑りのように、一般庶民の体が大きな山のように動いています。声ともいえない怒涛のような、声が聞こえます。何故か分かりませんが、不思議と、涙がこぼれて来ます。涙を流す理由が分かりません。日本人である私と、遠い中東の人達とは、あまり関係がないような気がするのです。多分、映画やテレビドラマで貧しい者が悪者に抑えられる力に、打ち勝つシーンと同じような感覚なのかもしれません。


 どのような世界になってしまうのでしょう。そして、そんな中で日本はどのようになるのでしょう。ひょっとしたら全然かわらないのかもしれません。いつまでも、冬は寒く、夏は暑い、せまっ苦しいウサギ小屋のような家をあいかわらず作り続けて、小さな事を言い続けて世界から遅れ続けるのかもしれません。人間の本質そのものを求めるのを忘れて、建前ばかりを追い続けるのかもしれません。


 人間のなかにあるおてんとうさまを忘れているように、思えるのです。胸を張って歩いている日本人を見ても、本当だろうかと感じます。本当に胸を張っているのだろうかと。心の目が。苦しそうにしか見えないのです。無理に胸を張っているように。心ではキョロキョロしているようにしか、見えないのです。一般庶民も国を代表する人達もです。そうして多くの日本人が何故なんだろうと考えています。そのことを、現在は閉塞感と表現しているようです。


 そして、ひとつ確かなことが言えますね。『アジアの貧しい国を見ろ!』ってね。もうこの言葉は使えませんね。日本は発展するアジアの国々を見て、何を考えているのでしょう、日本は。ひょっとしたら、何も考えていないのかも? 


 おてんとうさまと同じく胸を張って歩きたいですね。日本人と人間が、本来の求めているものを身に付けてです。

2011年2月19日土曜日

シーシェパードが勝った




『オランダ、ニュージーランド、オーストラリアの駐日大使を呼んで、何度も言いました。暴力行為をするシーシェパードに港を貸さないように・・・。』



 インタネットのニュース動画の中で前原外務大臣が云いました。日本の調査捕鯨は、調査を中止することになったようです。シーシェパードの暴力行為が日本政府に勝ったのです。よかったね。シーシェパード。



『私のおふくろさんの姉さんが、イルカを食べるんだよね。こんな顔して食べるの。ホント、まずそうな顔で。』



 イルカを食べている、おふくろさんの姉さんの眉間にしわをよせて、口をすぼめた顔をまねしながら。そんな事を、私は2~3日前に、オーストラリア人の男性に言った事があります。背が高く、非常にハンサムで紳士的な人でした。15年ぐらい日本に滞在して仕事をしているような事をいっていました。日本は何も変わっていないといっていました。住宅は冬でも寒く、とても小さい・・等。同感です。ほんとうにそうですよね。



 おふくろさんの姉さんは、静かな人の良い人です。そして、いつも端っこにいました。家族が皆こたつに手足を入れているのに、彼女だけは正座して、静かにこたつのそばの隅っこにいるのです。自分の娘のそばに。冷たい畳の上に。子供心にちょっと驚きと、寂しさを感じたのを記憶しています。そうなんです。昔は日本は貧しくて食糧事情もよくなかったのです。長女である彼女の下には、弟が3人、妹が一人とお腹を空かしているのです。そんな下の子がいるのに自分がお腹を満たすことができるでしょうか? 誰も食べないようなイルカの肉。まずくても体が求めれば食べるよ。田舎の貧しい小さな港町では。



 私もイルカを食べようとしたことがあります。皿に盛った味噌で煮た角切りのイルカの肉を口に入れました。二度三度と口の中で噛み、喉に通そうとしましたが、とても、飲み込めませんでした。なんという味でしょう。生臭くて喉を通りませんでした。あまりの味にびっくりして、喉から吐き出すように、皿に戻したのを記憶しています。身の毛がよだつような口の感覚に、もう二度と食べまいと。私がイルカの肉を見たのは、これが最初で最後でした。海が荒れた日に、イルカが浜に打ち上げられたのです。魚市場の脇の小さな物置小屋の前で、大きな体をしたイルカが二匹苦しそうにヒュウーヒューと息をしている姿を見ました。今思えば、シャチだったかもしれませんが。その当時の人はイルカが浜に上がったと言っていました。私が小学2年生、昭和41年ぐらいの時でしょうか?



 多分ですが、人間はなんらかの動物性たんぱく質を食べないと、お腹に石が溜まってしまうのかもしれません。あるいは、動物性たんぱく質に変わるものを食べないとね。そんな気がします。そして、誰からも相手にされずに、自分を主張することをしないおふくろさんの姉さんが私に話しかける声を思い出します。



『し、し、しん、しんちゃん!』



 彼女はどもりながら、私の名を呼ぶのです。一度も自分を主張したことのない彼女が、一度テレビに出ている男の歌手がピンクのワイシャツを着ているのを見て一言言ったときがあります。



 『きざな奴。』



 そんな彼女を見て、おふくろさんが驚いて本当に嬉しそうな笑顔になりました。おふくろさんは、自分を主張しない姉さんを面白くないとつねずね思っていたらしいのです。そして、彼女がいないときに『ばっばあ』と自分の亭主に言って、自分の姉さんを小ばかにしてるような気持ちがあったのです。おふくろさんの姉さんは、本当に静かな女性です。口を開ければ、人や世の中の陰口や悪口を言いふらしている人達とは、全然違いです。心のやさしい女性なのです。



 シーシェパードさん。静かな時の流れのなかで、不正や貧困などものともせず、不平を言う事無く黙って生きている、そんな女性に吠えているなら、恐ろしい人殺し犬だよ。もし、彼女のような女性に、悪口や、ののしるような口の効き方をするのなら、怒号の中で、怒りに猛り狂うライオンが怖がるような、恐ろしい人間が相手になる事を、存分に思い知るでしょう。そして、割に合わないお金をもらったことに気が付くのが遅過ぎた事を知るでしょう。僅かなお金で恐ろしい人殺し犬になってしまったことを後悔するでしょう。そして、人が大切にしている人を傷つけるような事をするのなら、それはお天道様にそむく事であり、この世界には居場所がないよ。もし、それは違うと言う人がいるなら、勝負しなくてはなりません。それも、セメントでやるのです。



 確かに、それなりの事情があり、僅かなお金で、恐ろしい人殺し犬になる、それが世の中です。そんな考え方は寂しいって?



 でも、日本人はいつも云ってるけど・・・。牛は食べていいの、って?



2011年2月3日木曜日

昔に見た奥さんと現在の日本国政府




『ほらね。あの奥さん。いつも、ふらふらふらふら歩いているの。』



 東京は目黒区中目黒にある酒屋さんで、アルバイトをしていたときの話です。店の奥さんが、ある奥さんを見ながら私に話しかけてきました。良く晴れた天気の良い暑い夏の日の午後でした。私の目は、酒屋さんの奥さんが見ている目の方向を見ました。背の低い痩せて丸まった背中をした中年の女性が、何かほうけたように歩いています。前からなんとなく私の目には映っていたのですが、酒屋さんの奥さんに言われるまでは、意識したことがありませんでした。



 目標を持ってない人々の一人だと思います。なんとなく生活をしているのです。何がなんだか考えてもわからないときってあります。何かに出逢うか、しないと駄目なのです。生活費もあり、なんの必要性も感じないのです。さまよえる精神なのかもしれません。それがわかっても、なかなか自分の精神や行動を、自分の考えるようにはできないものです。



 現在の日本の政治もそうのようです。菅内閣と呼ばれる日本国の政府。どうも、うまくいっていないようです。ふらふらしています。でも、こんなに日本の人々が、これほど日本国の政治に興味を持って見ていたときがあったでしょうか?



 いったい日本はどうなっちゃったのでしょうか?